(123)“光盾”と黒いうさぎ(2)
怪鳥ステュムは木々の上、大空へと舞い上がった。“光盾”の長ルトゥはすぐに上空に居た飛翔系召喚獣に騎乗する他の仲間達と合流した。彼らが“主”にジャベリンを放ったのだ。
単騎下に降りてルトゥが“主”の引き付け、仲間が空からジャベリンをぶっ刺して体力を削り、レーニャの召喚獣カトブレパスが正面からぶつかる手筈──だったが、“青刀”が引き付け役をしてくれた格好になった。
ルトゥの連れてきた仲間は“光盾”でも最大召喚時一番巨大な召喚獣を召喚する少女レーニャと翼の生えた飛翔系馬型召喚獣ペガサスを召喚し騎乗する3人の男。
空で合流を果たした3人の男達は流れ者の果てが“冒険者”になるという世の常にしては珍しく、“冒険者”を目指して同じ里から出てきた。さらに、色の濃度に差はあれど3人とも栗毛のペガサスを召喚する。
3人でパーティを組んであちこちで暴れまわっていたところ“光盾”にスカウトされて加入したのだ。
下手をすると“光盾”というクラン名よりも彼ら3人の名の方が“冒険者”の間では有名かもしれない。またこの3人は“冒険者”らの声にも耳を傾けるガミカ国第一位王位継承者ネフィリム王子の覚えもめでたい。
「ソイ、オルカ、とどめ頼むよ! コルレオ、あんた補佐ね!」
ルトゥは風にばさばさと揺れる金髪を顔の前から払いうと声を投げ、三頭の内の一頭──まだら模様のペガサスに近付く。
最年少のレーニャを委ねる相手は黒と茶の鎧やツギハギのマントを着用したコルレオだ。
コルレオは3人の中で最もおっとりとした顔付きをしている。“冒険者”らの中で有名な3名の内、最も地味な──知名度の低いリーダーである。
ルトゥがコルレオのペガサスの上に回り、上からレーニャを降ろしてやる。コルレオは両腕を伸ばしてレーニャの腰に回して受け止めた。
それぞれの飛翔系召喚獣が翼をはためかせて風を起こしているので難易度の高い移動だったが運ばれるレーニャの顔に不安は無いし、ルトゥもコルレオも慣れた様子だ。
コルレオは自分の前にレーニャを座らせながら告げる。
「レーニャ、しっかり捕まってなよ?」
「うん」
待機中の二騎のペガサスは下手な風を生まないようにと少し離れたところで滞空している。
大空をペガサスの翼が優雅に打つ。上下の揺れは地上を走るよりずっと少ない。
茶色の鎧とマントで全身を整えている男はソイ。
「へへっ……腕が鳴るぜ、久々の大物! やっぱあれか? 目か? 目いっとくか? おい、オルカ!」
「は? いや目は基本だろ。それより俺が右か、お前が左か、俺が左かお前が右かが重要だ! どっちにするんだ!? ソイ!」
オルカは黒で統一している。
男2人が長い槍を手に手に携え声を張り上げあっているところへレーニャを渡し終えたルトゥが近寄る。
ばさりとルトゥの召喚獣怪鳥ステュムの赤色の硬い翼が大きく動く。鋭い音とともに彼らの鼻先に風が生まれた。ルトゥは斜め上から2人を見下ろす。
「どっちでもいーのさ、さっさと仕留めてくれりゃあね」
女“長”ルトゥの半眼の視線と低い声──ほんの一瞬、ひたりと赤い翼の先端がソイとオルカの首間近で止まる。
「……だけど最初に、あたしがあの“主”の頭の上で跳ねてる旅人を拾うからね、援護を頼むよ」
ルトゥがそう言うと岩さえ切り裂く硬い翼は元の位置に戻り、再び風を打って羽ばたく。ソイとオルカはほぅと息を吐き出すと声を張る。
「了解ッス!」
夏の強い日差しの中、ルトゥの仕切りからまず1頭目のペガサスが森の中へもぐりこむ。騎乗するのはコルレオとレーニャ。
ペガサスには手綱や鞍が取り付けてはあるが、騎乗者を特に固定していない。自在に乗り回せるようにしておかなければ戦闘には使えないというのがペガサス乗り3人共通の弁だ。
ペガサスは木々の枝葉をかい潜り、“主”の横手に飛び出す。
羽ばたきの音に“主”──巨大猪の目がこちらを見た。
巨大牛カトブレパスは召喚主レーニャの「押さえつけて!」という声と共に、隙を見せた“主”より頭を浮かせ、上から強く押さえ付ける。
重みから“主”の4本の足が広がり、砂を擦って押しのけていく。巨体同士の激突は、辺りに砂埃を巻き上げた。
コルレオのペガサスはすぐに逃げられるよう地には足をつけず、そのまま“主”の横で翼を揺らして滞空する。
すぐに召喚士コルレオの眼前で魔法陣が広げられた。そのまま早口で呪文を唱える。
「きたれ。
地下深く棲む者よ。“7番目”に跪く者よ。
汝、心優しき者、全てを識り磨く者よ。
幾千幾万の時、大地に眠るあらゆる礎を守護する者よ。
神の盾にして監視者たるミカルの契約に基づき、
出でよ、ピグミー!」
巨大猪の鋭い三角の目がこちらを睨め付けてくる前に、回転していた魔法陣がカッと光って中から灰色の塊が飛び出した。
「ピグミー! 足止めを頼むよ」
コルレオの声に灰色の塊は宙で停止すると人影の姿で像を現す。人影はゆったりと顔を上げた。
ピグミーは小さな老人のような姿をしている。4頭身か5頭身ほどしかないその姿は半透明──召喚霊である。
『あーあー、ほいほい、まかせとき』
軽い口調で老小人は言い、その場で前転を繰り返した。高速回転によって再び灰色の塊になると、巨大牛カトブレパスによって地面ぎりぎりまで押さえつけられた巨大猪“主”の周囲をぐるぐると駆け回った。砂煙がもうもうと上がり、どこからともなく発生する大量の土がそこに盛り上がっていく。
すぐに巨大猪の体のほとんどが土に埋められた。かろうじてカトブレパスとも接していた頭と背中が表に出ている。
やられるばかりの“主”も牙を振り回して土を払おうともがくが、絡んだカトブレパスの角がさらに押さえつけ、思うようにならないでいる。
土煙が消えた頃、灰色の塊になっていたピグミーの姿も消えた。
「──ルトゥ!!」
コルレオが上方を見て叫んだ時、既に赤いシルエットが空を滑降してきている。
赤い怪鳥ステュムがどすんと真鍮の爪を巨大猪の背に付き立てて着地した。怪鳥の姿が霞むほど血飛沫が舞い上がる。その瞬間、巨大猪が飛び上がるように暴れた。
だが、巨大猪の足元から体までをがっちりと固めた土にはヒビが入った程度。
カトブレパスの角と猪の牙が擦れてゴリゴリと鈍い音をたてている。
「おい! お前!」
怪鳥ステュムの背からルトゥが大声で叫ぶ。
巨大猪は荒い呼吸で上下しており気化した汗が土の臭いとともに漂っている。
巨大猪の背──首よりやや後ろの毛にしがみついていた男にルトゥは声をかけた。
怪鳥ステュムは男よりさらに後ろの背に着地をしており、ルトゥはさらに声を張り上げる。
「おい! 聞こえてるのか!? 言葉がわかるか!?」
巨大猪が巨大牛ぶつかり擦れる音、それらの鼻息、さらにコルレオのペガサスの翼の音が混ざり、並みの声ではかき消される。そんな中のルトゥの怒鳴り声に、男がゆっくりと振り返った。
「──え?」
男は肩につかない程度の短い黒い髪をしていた。
日焼けしているのが当たり前の旅人や冒険者とはかけ離れた、男にしては色も白く滑らかな肌をしている。汗で余計光って見えた。
「え?」
男の黒い瞳と目があって、ルトゥの方まで呆けた。それを首を一度だけ左右に振って払い、ルトゥは手を伸ばす。
「こ、こっちに来な! 逃げるよ!」
「あ、え? マジで? マジで!? うぉおー! 助かる!!」
男はバランスを取りながら立ち上がり、巨大猪の剛毛を掴みつつ前進、伸ばされたルトゥの手を取った。
力強く引き上げるルトゥの腕を男もがっちりと掴み、自身も腕の力で体を持ち上げると召喚獣ステュムの体に足をかけた。
男は激しく上下する巨大猪の首でしがみついていた割にそれほど消耗している様子も無く、細い印象の体からは想像以上の頼もしい力でルトゥの後ろに飛び乗った。
「ステュムに──この鳥にしっかりしがみついてな!」
ルトゥが前を向いたまま言うと、男は頷いて赤いステュムの胴に、翼の邪魔にならぬよう両手両足を回した。ルトゥはそれをちらりと確認してすぐに縄を引き、ステュムを飛び上がらせる。再び森の上へ退避した。
「ヒャッハーーーっ!!」
「いっくぜぃいいっ!!」
元気一杯に滑降してくる“冒険者”ソイとオルカの騎乗する2頭のペガサスとすれ違いながら。
森の上空で滞空して仲間が戻るのを待っているルトゥに、後ろから声がかかる。
「いやぁ、すっげぇね、これ。空飛んでるし。ま、深くは後で考えっか……──ねぇねぇ! お姉さん、お姉さん!」
前半は独り言だったようだ。
ルトゥは顎に垂れてきていた汗を手の甲で拭い、羽ばたきに上下する召喚獣ステュムの上で後ろの男を見た。
男は両手両足をステュムの胴に回してしがみついたままこちらを見上げている。ステュムは空を飛んでいるので姿勢としては正しいが、見た目はひどく情けなくて格好悪い。
「お姉さんさ、露出すごいね? あの、このアングル、俺の方が恥ずかしいんだけどさ? どうしたらいいと思う? 目隠しとかした方がいい?」
「──は?」
男は終始ニコニコと笑っている。
年なら20歳前後といったところだろう。深い紺色のズボン。色あいはとても高価なものを着ているようだが、所々くすんでいる。膝あたりなど穴が開いているようにも見える。腰に下げた皮の鞄は小さく、まともに物が入りそうにない。
上着も全体に赤の模様が入った白いシャツ一枚にアクセサリがちょろちょろとぶら下がっている程度だ。旅人というには装備が無さ過ぎる。
男はルトゥの観察する目を正面から受け止めていたが、緩く首を傾げ、すいと目を逸らすように木々や空を見た。
「すっげぇよね、一面緑。こんな山奥、俺どうやって来ちゃったんだろうね。ねぇ? お姉さんもそう思わない?」
そう言って男は再びこちらを見た。
危機感の無い声音にも呆れる。まともな装備も無いのに何百人という冒険者を食らった森の“主”の巨大猪の背にしがみ付いていたというのも奇妙だ。
「……どうやって来たんだい?」
「いやぁ、全然わかんない」
「…………」
男はそう言ってニヘラニヘラ笑った。顔のつくりが整っている上、品の良い目元も口元もにっこりと笑みの形ばかり。“光盾”のゴロツキ仲間相手なら横っ面を手の甲で張り飛ばして「ちゃんと説明しな!」と凄むところなのだが、この男はあまりにも毒気が無い。
ルトゥは苦い顔をした──顔の良い男は苦手だ。
言葉に詰まってしまったルトゥから男は目線を下げ、表情を消してポツリと呟く。
「──それにしても、俺だけってどういう事だろう……?」
「おい、お前──」
ルトゥが名前を聞いてなかった事を思い出した時、森から一際大きな轟音と高く細い獣の声が響いてきた。
次いで、ばきばきと木々が薙ぎ倒される。すぐにその森からペガサスが1頭飛び出してきた。
土の召喚霊を呼び出したコルレオとレーニャの騎乗するペガサスだ。数秒待つと隣までやって来る。
「終ったよ、ルトゥ」
「ん、じゃ、いこーか」
ペガサスとステュムが風を切り、再び森の中へと降りた。