(012)パールフェリカ姫の生誕式典(2)
(2)
「“召喚獣”ね……」
ひとしきり笑って、ネフィリムは至って真面目な声で呟いた。
「それにしては貴女は特殊すぎる」
相変わらず長い耳をたるんたるんさせ小脇に抱えられているうさぎのぬいぐるみ、ミラノは答えようが無かった。召喚獣だと言われているから、そう言ったまでであるし、ただの逃げ口上に使っただけだ。
「だけど、面白いから問題ない」
「…………」
何がどう面白いのかまでは言わないようだ。先程までの、シュナヴィッツ絡みの笑いの種の理由はわかりはしたのだが、真剣な表情のまま面白いと言われると、どうしたって謎にしか感じられない。やはり、読みにくいし、わかりにくい。ミラノは話を変える事にした。
「不思議な事があります。だから、本を読み調べたいと思うのですが」
「なに?」
一度、ふうと思考するようにうさぎは息を吐き出したようだ。実際空気は動いていない、そのような声をさせただけだ。
「上位の召喚士が召喚する召喚霊は異界の“神”だと、言うのですよね? では、召喚獣は?」
「ただの獣さ、この地上で昔に亡くなったね」
しばらく沈黙した後、うさぎは続ける。
「シュナヴィッツさんの召喚獣は、ティアマトという事だけれど」
「そうだね」
「……日本というか、私の居た世界では、ティアマトという“神”が居たわ」
「…………え?」
「私も、そう覚えているわけではないけれど。確か……バビロニア神話だったかしら。海を支配した神々の母、創世の母……だけど子供らに夫を殺され凶悪なドラゴンへと変化した……んだったかしら。その後孫に体を裂かれ、それは天と地を創造したとか」
ネフィリムは一度頷きつつ、言う。
「それとは、こちらのドラゴン種のティアマトは関係が無いのではないかな。ドラゴン種は、ドラゴン種。絶滅しているけどね」
「絶滅?」
「何千年も昔にね。だから今見ることが出来るドラゴン種は全て、召喚獣なんだ」
ミラノはさらに一つ息を吐き出した。やはり顔の尖った辺りが上から下へゆっくりと動いた程度だったが。
「それから、あなたが従えているという召喚獣」
「炎帝かい?」
「…………」
炎帝はあだ名、二つ名だ。この男はフェニックスの名を呼ばないようだ。
「“フェニックス”それも、死んだ獣だというの?」
「そう、ずっと昔にね」
「……あちらにも“フェニックス”という存在の話があるの。“神”ではないわ。“炎帝”が二つ名ではないわ。──“不死鳥”、死なないという意味ではないけれど、必ず蘇る存在」
「…………それは困ったね、こちらでは死んで、そのままだから召喚獣なんだが」
「……エジプトの霊鳥だったかしら。炎の化身というわけではないのよね」
右が前に、左が後ろに、耳がたるーんと垂れきっている。どこかしょんぼりした印象にネフィリムには見えた。
「ミラノ? 大丈夫かい?」
ミラノは驚いてその赤い刺繍の目でネフィリムの顔を振り返った。当のネフィリムは「ん?」と返事する。
「……いいえ?」
感情の無い声でミラノは言った。
それからしばらく、両者の言葉は途絶えた。
どこをどう歩いているのか、一度外らしき通路、回廊へ出る。どこもかしこも侍女やら衛兵やら、似たような格好の男女があちらこちらへと走り回っている。どうにも裏道、使用人専用通路のようで、片側には増改築用と思しき建材──柵に使用するのか先を尖らせた丸太や数人掛かりで使用するような巨大な鋸や斧、鋼らしき板が何枚も積み重ねられている──が、ミラノの感覚からすると都会の小学校の運動場並みの広さの場所に敷き詰められているのが、見えた。今日は式典という事で、そこで作業している者は一人も見えない。
しばらく回廊を通り、再び城に入り込んだ。
階段を前に、下へ降りようとしていたネフィリムが足を止めた。
空いた手で懐からチェーンの付いた丸い懐中時計取り出し、ぱかりと開けている。
「……王立図書院に行っていたら間に合わないな。先に用事がある。いいかい?」
「どうぞ」
ミラノの返事にネフィリム頷くと、階段を昇った。階段がずっと同じ場所で上へ向かっているわけではなく、何度か城内の廊下を抜け、別の場所にある上への階段を昇る。
息が上がらないのが不思議な程、ネフィリムはずっと同じ調子、キビキビとした歩調で階段を上がり、廊下を抜けた。彼が通る度、全ての人が一度足を止め、両腕を胸の前で交差させ少し前に出し、腰から曲げてお辞儀をしている。それらに目もくれず、ネフィリムは足早に目的地を目指す。
そして、最後開いた扉の向こうには、青い空が見えた。
──屋上だ。
視界が一気に広がる。
山の中腹辺りから、木々は間隔を広げまばらになり、それら木の上には板状に敷かれ造られた宅地によって街の形を成している様子が屋上からはよく見える。それらの木々は、この城の1階より高度は低い。山頂にある城の屋上から、全て見下ろせた。
少し前、エステリオの召喚獣赤ヒポグリフで城へ来る途中見た辺りにはもう人だかりが黒く出来ていた。間もなく式典が始まるのだろう。
城の正面の広場ももう人で埋め尽くされている。多くの人々の声が聞き取れない状態でわーわーと、屋上にも届く。
この時点でミラノはやっと“式典”を感じた。人々の熱気からはオリンピックの開会式かなんか──テレビで見た程度でしか知りはしないが──を思い浮かべた程だ。
「ネフィリム殿下! お待ちしておりましたよ!! そりゃもう今か今かと! どこに行ってらしたんですか!?」
声がした。見ると、リディクディと同じ背格好の男が居た。リディクディ同様マスクで顔形はわからない。リディクディは紺だったが、この男の衣服の色は薄い紫。
「いや、悪い。パールに会って来た」
「そういえば召喚お披露目はされるのですか?」
「残念だけど皆は見れないね」
「そうですか……。ですが──という事は、殿下はご覧になったんで?」
「もちろんだ」
「召喚獣、お好きですねぇ」
男の声は好意的でとても親しげだ。護衛か何かだろうかと思った時点で、今までネフィリムには護衛の類が一切付いていなかった事に思い至った。パールフェリカには二人、シュナヴィッツでも一人張り付いていたのに。会話が途切れるタイミングがあれば聞くネタにしておこうとミラノは記憶に留めた。
ネフィリムは男の方へキビキビと歩み寄る。
この屋上はそれほど広いわけでは無さそうだ。
せいぜいが、20台程度の車を留められる駐車場程。それを広く無いと言うのは、城自体が広壮だった為だ。
見回すと、この屋上は城の中央、正面広場に向かうように出来ているらしい。城下もそれで見通しやすかったのだ。他にもいくつか、ここより低い箇所に屋上やバルコニーがいくつもあるようだった。
「やぁ、“炎帝”、いい子にしてたかい?」
ネフィリムの声は後ろへ向けられていた。
そちらを見れば、どうして気付かなかったのだろう、巨大な炎がごうごうと燃え上がっていた。暑さ寒さを感じない“うさぎのぬいぐるみ”の仕様を、ミラノは思い出した。
うさぎの耳の先がへたへたっと床に付いた。ミラノは見上げたのだ。ネフィリムの胴と腕に挟まれた少し無理な姿勢になりながら。
炎の大きさは二階建ての家1軒分に相当するだろう。
赤からオレンジの炎がチロチロと舌を出しながら燃えている。
その炎の中央、次第に形が生まれ始めた。
炎の塊がぬるりと突き出てくる。普通乗用車の先が前へ突き出てきたような大きさで、炎が目の前に迫る。その塊は赤からオレンジ、黄色と色をたゆたわせながら、形を整えてゆく。
そして、孔雀に似た顔が出来た。
基本的に鳥の顔なのだが、きょろきょろと素早く首をひねるような動きは無い。動作はとてもゆったりとしていて、優雅だ。色は赤が基本、というより全て炎で出来ている。瞳すら。その瞳はじっとネフィリムを見つめている。
ネフィリムもその瞳を愛おしそうに見つめ返しているように見えた。そして、“うさぎのぬいぐるみ”を抱えていない方の手をフェニックスに差し伸べた。巨大な嘴がネフィリムの全身に擦り寄ってくるようだった。ネフィリムはその手で閉じた炎帝の瞳の上辺りを撫で擦った。炎は、熱を持っていないようだった。
「──見せ付けてやろう。君の美しさを」
ネフィリムは、そう囁いた。
その後、ミラノは押し付けられるように先程の護衛らしき男に渡された。男はパールフェリカのぬいぐるみと信じているらしく、実際それは間違いではないので、やはり小脇に抱える。動いてぎょっとするならぎょっとしていたらいい、ミラノは適当にそう考えて、好奇心の赴くまま“うさぎのぬいぐるみ”の頭を巡らせ、見渡しやすい方向に目線をずらした。
その時、階下からファンファーレの一音目が低く長く鳴り響く。
城既に人で埋め尽くされていた前の広場へ、一斉に染み渡っていく。
「ああ、始まったね」
静かな声の直後、目を閉じてネフィリムは炎──“炎帝”フェニックスにゆっくりと両腕を広げて見せる。
はじめはゆっくりとした打楽器と、高く低く様々な金管楽器の滑らかな旋律が続く。次第に音も重なりテンポも早くなる打楽器のリズムに、人の声のような弦楽器が次々と増えて一気に広がっていく。
壮大な音楽が頂点に達した瞬間、ネフィリムの目が開かれた。そして、頭だけだった“炎帝”の形が、炎の中から浮かび上がり、大気を巻き上げながら、一気に翼を大きく開いたのだった。
ばさばさと風が唸り、床の砂利が吸い上げられていく。ネフィリムの束ねた亜麻色の髪も大きく揺れている。ミラノを抱えている男は、千切れて飛ばされそうなうさぎの両耳をかき集めて小脇にまとめた。
“炎帝”フェニックスの両方の翼が広げられた時の景観を、ミラノは言葉で表現出来そうにないと感じた。
美しい巨大な緋色の雄の孔雀が、ゆらめく炎をまとっているのだ。全ての羽を含めたならば、大きさは観覧車と変わらないだろう。体があったならば、震え、早くなった鼓動にきっと息が苦しくなったに違いない。
「……きれい……」
ミラノは、小さな声で呟いていた。