(117)Summoner’s Taste(2)
(2)
空を埋めていた暗雲は、“神の召喚獣”が居なくなった事からか、晴れ始めている。高い空では強い風が吹いているのだろう。
お腹は空いているのかどうか、わからない。喉も目元もひりひりする。血の臭いが風に流れている。春の風なのに、王都は燃え上がっているのに、冷たく感じられるのはどうしてだろう。
王城の、この屋上でただ一人生ある者として、パールフェリカは決意した。
体に入らない力を気力で振り絞り、闇の扉に近づきながら、パールフェリカは相手も無く呟く。体をずるりずるりと重たく引きずるように、一歩一歩進みながら。
「──強い、弱いじゃないってミラノは言ったけど、私はそうじゃないと思う。やっぱり、強い、弱いは、あるわ」
パールフェリカは闇の扉の中、動かないミラノを見る。そして、すぐ傍に倒れるネフィリムを見る。
唇が震えるが、歯で噛んで止めようとする。そうすると、さっき止まったはずの涙がまた溢れた。上着の袖でそれをごしごしと拭う。顔の端々に、袖に付いていた血が擦れて残った。
表情を歪めたまま、パールフェリカは闇の前にまっすぐ立ち上がる。
「弱いからよ。脆いからよ……ミラノ」
パールフェリカはまた少し移動して、屋上の中央で歯を食いしばって立つ。
「弱いから、強さを知るんだわ」
震えも、涙も、止まった。
「涙はね、弱さを教えてくれていたのよ。でも、それがわかったら、ちゃんと覚えられる。涙と引き換えにきっと、強さの端に手が届く。強い人はみんな、弱さを知っている人なのよ」
真っ直ぐ正面を見据えた。
「──弱さを受け入れなければ、強くなんてなれなかったのよ」
北へ5歩、南へ4歩と歩いて、足跡を残す。そこに十一芒星を描く。手順はほんの7日前に行った初召喚儀式と同じ。
「強くなりたかったら、弱さを認めるしかない。弱い時の自分を、否定しちゃいけないんだわ」
再びパールフェリカは中央に戻った。
城下町の中心。真上に、光が生まれ始めている。あそこには、ミラノが居るだろう。
「生まれた時から強い人なんていない、弱いって言ったわね。それは、強さを知る為に、弱いんだわ。はじめから力なんて持っていたら、きっと──本当の強さなんて、わからないんだわ」
パールフェリカはほんの少し俯いた。
じわりじわりと、描いた魔法陣に白い光が灯り始める。書き順に従って文字が描かれ、浮かび上がる。
「すぐには無理よ。急になんて出来ないわ。みんな、一歩一歩、少しずつ少しずつ、自分の弱さを思い知りながら、強さに焦がれて、目指して、努力するんだわ」
魔法陣が強く光を放ち、足元からパールフェリカを照らしあげる。
弱い事がどれだけ辛いか、それがもう“罪”とさえ感じられる程身に染みてようやっと、強さを欲しくなるなんて。欲しがりながら泣き伏してちゃ駄目だ。そこで泣いている自分に酔って足を止めてちゃいけない。
人間が、簡単に死んでしまう脆い存在と思い知って、同時に自分も同じ脆い人間だと思い知って初めて、強くならなければと思うなんて。大事な人達を目の前で失わなければ立ち上がれなかっただなんて──なんて、弱い。
簡単に身も竦むし、出来ないと思ったら逃げてしまう。現実の自分を思い知っては涙ばかり溢してしまう。そんな弱さはそれでも、掴まえて離してはいけない“自分”の一部。そこに足を乗せて、飛び上がる為に、目を逸らしちゃいけない。
今、ここに居るのは紛れも無く自分で、今、目の前に現実は時と共に過ぎ去って行く。掴まえておかなきゃいけない、自分を。
自分と現実とを見つめられるのは、ただ一人しかいない。
本当はただ一人で、弱さを持った自分で戦うんだ。そこに、強さはある。
「ミラノ、私、強くなるわ」
静かな声で言って、パールフェリカは両手を合わせ、呪文を唱える。
「我が名は、パールフェリカ!
我が魂に価値を見出すならば我が声に応えよ!」
──もう遅い、なんていう逃げの言葉ならいらない。今、戦う。
「きたれ!
遍く存在に愛されし者、リゼヌとセムに誘われし者よ!
汝、唯一神の神たる力授かりし者、猛き力と荒ぶる情念を持つ者よ!
穢れなき角で全てを浄化し癒す者よ!
世界を始めし至高なる存在、アルティノルドの庇護の下、
我と契約を結ばん」
足元の魔法陣がほんの少し浮かび上がり、急速に回転し始める。
パールフェリカは泣きそうに歪んでいた顔を、無理矢理ニヤッと笑ませて、空に居るであろうミラノを見た。
「──さよなら? 知らないわよ。さよならなんて、させてあげないの」
顔を上げ、心を奮い立たせる。
「パールフェリカ姫はね、可愛い顔して、笑って、腹の中で薄笑いをしていたりするのよ。わがままを言ってみせて操って、それを見て楽しむの。そんな女の子なのよ? 実態知ったらきっとみんなの嫌われ者よ。それで、結構だわ。わかる? いじわるなの」
それが“自分”だと、パールフェリカは宣言した。
「ミラノが自分を犠牲にするのなんて、許してやらない。死なせてなんか、やらないわ」
強い語調で言いながら、片眉が歪んだ。
ミラノを想えば想う程、よみがえる言葉の数々がある。抱きついた時にふわりと漂う柔らかい香りが鼻腔に蘇る。どれだけ無茶をしても軽くあしらって、後でそっと微笑ってくれる。
自分のミラノへの想いは何だったか、望んだものは、期待したものは──。
「ネフィにいさまも、シュナにいさまもきっと……」
ミラノの幸せ、自分の幸せ。
それは一緒に居る事でなし得るものとは、限らない。
パールフェリカは再び顔を上げて、城下町上空全域に光を広げるミラノの居る辺りを見る。
「ミラノは私のせいじゃないと言うけれど、そんなの関係ない。ミラノをよびよせた以上、巻き込んだ以上、ちゃんとかえす。私は、その責任をちゃんと果たすわ──」
魔法陣がパールフェリカより少し前方へ移動して、回転する。強烈な白い光が溢れ、辺りを染め上げる。
その中心から、大きな嘶きが響き渡り、空を貫く。
大人の腕一本の大きさはある、立派な角。
全身が薄ピンク色の馬の姿で、床を蹄でカッカッと弾いて、パールフェリカの前に堂々と立って見せた。
現れたのは、ユニコーンである。
前足を大きく振り上げたユニコーンの鬣は風に揺れ、足元の白い魔法陣に照らし出され、神秘的で美しい光を全身で照り返す。
その動作で巻き起こる風が、パールフェリカの結わえた髪の端から落ちた一房を、上下左右踊るように揺さぶる。それを軽く首を振って払い、パールフェリカはにっこりと微笑んだ。
「──それが、召喚士の嗜みってものでしょう?」
パールフェリカは勢いを付けてユニコーンに駆け、一気に飛び上がってその背に跨った。鬣をしっかりと掴み声を上げる。
「ミラノを、助けるわよっ!!」
パールフェリカの声を合図にユニコーンは前足を高く上げて嘶き、闇の扉の中へ飛び込んだ。




