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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【Last】Summoner’s Taste
111/180

(111)罪悪(2)※流血表現

(2)※流血表現があります。

 炎に照らされ、その巨大な水晶の表面では、橙色や乳白色の輝きが滑るように光を返している。このクーニッドの大岩が空を横切るのを、パールフェリカもネフィリムも、もちろんその化け物も見ていた。化け物の丸い目が岩の動きを追った。

『来たか』

 パールフェリカは聖火台の淵につま先をはみ出して、一段低い屋上へ、前かがみに化け物を見下ろした。

「声は一つだけ聞こえたわ。こちらに、おられたか──だったかしら」

『アルティノルドが言いそうだ。ずっと探していたのだから』

 化け物の視線は空、大岩の飛んだ方を向いたままだ。

『──アルティノルド! 早くこちらへ。寄り道をしないでほしい。“神”を召還しよう』

 どこかへ語りかけている。化け物は、濃い茶色の毛がみっしり生えた太い狼の腕を、器用に組んで仁王立ちをしている。

 近い距離のまま、ネフィリムはその化け物を見上げた。

 黒い6枚の翼は、元通り化け物の背中へ戻り、ネフィリムを監視する事をやめた。隣にある事に変わりはないので、油断は出来ない。

 化け物はパールフェリカを見上げる。

『アルティノルドは近くに居る、どうせすぐに来るから、今すぐ召喚術を始めろ』

「…………え?」

『早く“神”を“召還”しろと言っている』

 パールフェリカは梟の目で睨みつけられながら、自分を指差し左右をきょろきょろと見た。自分以外、それを言われている人物は居ない。

「“神”様を召喚だなんて……で、できないわよ」

『お前だろう、“あの女”を召喚したのは』

「……ミラノ? ミラノならもう召喚してるわ……いまどこに居るのかはちょっと……わからないけど」

 パールフェリカがもごもごと言えば、化け物は吐き捨てる。

『あの女じゃない。“神”を“召還”しろと言っている。やれ!』

 パールフェリカのわからないと首をひねる仕草は、化け物を苛立たせるだけだった。

 ばさりと翼を広げ、先端の黒光りする大きな鉤爪を全て、ネフィリムに向けた。

『それほど身内を殺したいか?』

「………………」

 ネフィリムは瞬いて冷や汗を流す。

 この翼は、アルフォリスの命を容易く奪った凶器。

 この化け物は、人間を唾棄すべきもののような言い方をする。

 人の命など、そこらに転がっている石ころ同様、砕いても何とも思わぬ。それがわかっているから、ネフィリムは身を動かす事が出来なかった。

「や……やめ……! 待って! す、すぐ! すぐするから!」

 パールフェリカは何度も生唾を飲み込み、両手をわたわたと振った。

 どうしたらいいのかわからない、何をしたらいいのかわからない。

 “神”を“召還”しろと言われても、自分と魂の繋がった“絆”のあるミラノを召喚し、返還する術しか知らない。他の召喚術はまだ、何も使えない。

 パールフェリカはとにもかくにも、デタラメに魔法陣を展開する。

 何度も唾を飲み込み、瞬きを繰り返し、荒い息と震える手を抱き込み、がちがちと噛み合わない歯の隙間から呪文を吐き出している。

 化け物は、苦々しくその様子を見上げる。

「こんなに弱い。身内を盾に取られてうろたえる。なぜ“神”は、このような人間に“力”を与えた……」

 パールフェリカの魔法陣は、白い光を発して広がるも、瞬時に消える。

「も、もう一度、ちょ、ちょっと待って!」

 そう言い、パールフェリカは慌てて呪文を唱える。それを3度繰り返したのを見届け、化け物は静かに翼を動かした。

『ではとりあえず』

 翼の先の鋭利な6つの爪は音も無く迫り、ネフィリムの首、胸、胴を突き貫いた。

 あまりに唐突──ネフィリムには、声を発する間さえ無かった。

『これで気合は入ったか』

 冷え切った蛇の口から出て来るひび割れた声を、パールフェリカは聞いていない。

 無我夢中で聖火台から飛び降りた。

 聖火台から屋上へは、2階の窓から地面までの高さがある。それを、パールフェリカは両足両手をついて着地した。体が軽く柔らかかったので、怪我をする事は無かった。骨を突き抜けるような痛みはあったが、パールフェリカはそれを無視して立ち上がる。

 6枚の翼の爪を引き抜かれると、兄の体は支えを失い、両膝がとんと落ちた。そのまま前へ倒れ込む。パールフェリカは滑りこむように駆けた。

 喉の奥に詰まっていた何かを突き破るように、声を上げた。

「いゃぁぁああああああ! にいさま! にいさま!!」

 ──こんなのは現実じゃない。今、こんな事が起こっているはずがない。これは夢だ、絶対に現実なんかじゃない!

 パールフェリカは、地に伏して動かない、どくどくと血を地面に垂れ流す兄の背中に抱きついた。

 ──ちがう! ちがう!! ちがう!!! 絶対にちがう!!

 心の中で何度も叫び、痛みの残る両足を踏ん張り、両手をかけて仰向けにした。引き寄せ、その両頬へ、もう血にまみれた自分の両手を当てた。目は閉じられていて、いつもの綺麗な蒼色の瞳が見えない。

「にいさま!! ネフィにいさま!!!」

 揺すって名を呼んだが、反応は無かった。ひたひたと、まとめられた亜麻色の髪が、血溜まりで音を立て、その色に染まっていく。

『──穏やかじゃないですね、レイムラース』

 パールフェリカが兄の名を呼び続ける背後、化け物の傍に、一人の男が姿を見せる。

 これは人間ではない。

 真っ白の衣服に身を包み、全身から光をにじませている。彼は、化け物をレイムラースと呼んだ。

『きたか、アルティノルド』

 アルティノルドは相変わらず無表情のまま、パールフェリカとネフィリムの姿を見下ろした。

『人間は、召喚士はとても大切だという事を忘れたのかな? 君が人間を減らせば減らす程、わたしも獣の出生率を下げなければならない』

 2人はそのまま会話を続けようとしたが、パールフェリカの声が大きく、邪魔をされる。

 パールフェリカは呻く合間に、すーはーすーはーと努めて呼吸をした。吸って、吐く。順番を意識しなければ、やり方を思い出さなければ、息が止まってしまいそうだった。口元も手足も、全身をガタガタと戦慄わななかせ、荒い息で兄をさすっている。

 蒼白な顔をして「起きて」と、「ネフィにいさま」と何度も繰り返し叫ぶ少女を、人間ではない2つの存在が見下ろした。

 少女の声は、低い悲鳴から裏返り、その音量を増す。

「たすけて、たすけてミラノ、ミラノォオオオオオ!!!!」

 もはや絶叫となったパールフェリカの声。同時に、呪文も無く魔法陣はその足元に現れ輝く。だが、ミラノを喚び寄せようとする魔法陣は、化け物レイムラースに施された封印が飲み込み、すぐに消えてしまう。

『あの女を喚ぶのでは意味がない。あちら側を封じる方法は、無駄か。やはり“生霊”である事が問題なのだな』

 レイムラースが組んでいた腕を解いて、手をかざす。アルティノルドとレイムラースの眼前に、闇色の塊が生まれた。拳程だったそれは、どろりと広がると扉一枚の大きさに変わる。闇の真ん中に白い色が混じり、ぶるぶると揺れ、景色を映し始める。

 ──どこかの街並み。

 王都内とは様子が、趣が異なる。道の両脇にはみっしりと民家が立ち並ぶ。

 どうやら昼過ぎ、夕暮れのようだ。

 街路樹には朱色の陽が差している。

 王都の道は灰色の石が敷き詰められているのだが、映像の中の道は、黒色に塗り固められた石に白い線が引かれてあった。

 黒い坂を上り、木造2階建ての小さな建物が映る。

 景色は歩むように後ろへ流れた。

 視点は動き、建物の横にある赤い錆止めの塗られた鉄の階段を上る様子が映る。2階の狭苦しい廊下、いくつか並んだ鉄の扉の内の一つを、すり抜けた。

 小さな部屋。淡い藍色をした目隠し用2重カーテンが正面にぶら下がっている。その下へと、視点は向きを変えた。

 女が、うつぶせに倒れている。

 兄の体をさすっていたパールフェリカは、荒い息のまま顔をあげ、その闇の扉に映し出されている風景を見た。

 ただでさえ早くなっていた鼓動が、さらに一段上がる。胸を破って出てきそうな程、体を打つ。

 肩を揺らさなければ、うまく息が吸えない。

 ──だって、その背中に見覚えがあるから。その衣服に……スーツに見覚えがあるから。その髪留めを、見たことがあるから。

 視点は下がり、ゆらりと動いて、その女の横顔を映し出した。

「………………ミ、ミラノ…………」

 パールフェリカは、詰まった呼吸の合間に、ようやっと声を絞り出した。

 見たことがある。

 今朝見た夢。これとほとんど同じものを、見た。

『これがまだ、死んでいない』

 唐突に、今まで聞こえていなかった、否、聞こえなくなっていた周りの音──声がパールフェリカの耳に入ってきた。

「……え?」

 化け物をパールフェリカは見上げる。だが、あちらは闇の扉に映し出されたミラノを見下ろして、パールフェリカなどどうでも良いようだ。

 パールフェリカはもう一度、映像の中のミラノを見た。

 グレーのスーツの背中、ゆっくりと、本当にゆっくりと、胸の辺りが小さく上下している。

『とはいえ、この状態では、死ぬのも……僅か。しばらく待つとするか』

「…………」

 パールフェリカは、くらくらする頭でネフィリムに抱き付いた。兄の頬の自分の頬を寄せ、目線だけは映像から離せなかった。

 くらくらして、くらくらして、気を失ってしまいそうだった。

 衝撃に身を任せ、意識など失くしてしまいたいのに、現実は鮮明につきつけられて、目を背けられなかった。

 繋ぎ止めるのだ、脳裏に響く声が。

 ──“今”から逃げてはいけないの。

 その瞬間、やっと、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 一度こぼれると、溢れて止まらない。口を引き結んで、必死で嗚咽を堪えた。震える唇を、開きかねないものを、内側から噛んでも閉じる。

 鼓動の無い兄の胸に額を当てた。

「にいさま…………にいさま……ごめんなさい……ごめんなさい」

 何が何だかわからない。

 だが、自分が何かを出来ないせいで、あの化け物はあっさりと兄の命を奪った。あの化け物は、エステリオの命も奪った。

 今何が起こっているのかわからない。でも、その事実が、現実がある。

「ミラノ…………」

 ──出来なくて、頑張らなくてはならないところで、出来なくて、大切な人が……。

 目の前に映る、ミラノの、本当の体が……。

「急には…………ムリよ…………」

 無理でも、目の前に起こる出来事は待ってくれなかった。

「ごめんなさい……」

 誰に謝っているのかもう、わからなかった。

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