(011)パールフェリカ姫の生誕式典(1)
(1)
結局あまり時間も無かった事から、パールフェリカはトエド医師の診察を断り、待っていた彼を退がらせた。
パールフェリカの正面で、ぎゅっぎゅと幅広の帯を絞っていた年若い侍女が顔を上げる。
「苦しくはありませんか?」
「大丈夫よ、サリア。……お腹が空いてる位で……」
侍女サリアの目の前でパールフェリアの腹部がきゅ~んと鳴いた。
サリアはゆったりと表情を変え、ふふっと微笑んだ。そうでありながらテキパキと支度を整えていく。この侍女サリアも他の侍女らと全く同じ衣装を着ているのだが、中でもパールフェリカと親しげによく口をきいている。今日13歳になったばかりのパールフェリカと一番歳が近い17歳なのだ。姉のような、と言うには上下関係が邪魔をしているが。
「式典もパール様の出番は5分足らずですし、後は座っていらっしゃればいいだけですので、もう少し我慢してくださいね」
「ええ」
今日のこの日の為に、どれだけ沢山の人が準備を進め、パールフェリカを祝ってくれているかを知っている。それはちゃんと、胸に刻んである。
「召喚お披露目が出来なくて残念だわ……ちゃんと“居る”のに」
着替えは、寝室の方で5人の侍女に囲まれてされるがままに任せていた。寝室の扉はしっかりと閉められてその内側にエステリオが立っている。扉の向こうにはリディクディが控えているだろう。
先ほどまで着ていた衣装より派手さがアップしている。
刺繍はよりコントラストの強い柄。遠目でもその仕立ての美しさが伝わる事だろう。
「本当に、不思議な召喚獣ですね……パール様のミラノ様は」
何だか変な言い回しねとパールフェリカは思った。獣で様付けだなんて。
とはいえパールフェリカはうさぎのみーちゃん、ミラノを思い浮かべてふふっと笑った。
「うん」
初めて、目の前、光の中に現れたミラノを思い出す。
人の姿をしていたから、獣ではないと感じて、霊が来たと思ったのに、実体を与えよと導きがあった。これは召喚獣を召喚した際に召喚士が本能的に察知する部分で、それに従わないとどうも落ち着かない、という類のものだ。霊に対しては発生しないし、実体を与えようとしても無駄で、霊はその実体を受け入れず、さっさと還ってしまう。だから、その瞬間とても戸惑ってしまった。パニック寸前、そんな所だった。
召喚術から気持ちが離れてはいけないのに、ままならなくなりそうだった。そして思わず言ってしまった、“ああ、こんなことってあるのかしら”と。それが、きっと始まり。
困惑した自分に、その人はすいと眼差しを向けてきた。
何もかもを吸い込み、しかし染まらない漆黒の瞳。とても静かな問いかけ──“あなたは?”
周囲には、召喚の圧力で空気が渦巻いていた。天井から垂れ下がるカラフルな布は厚手であるのにばさばさと大きくしなり、揺れていた。そんな音が、急速に遠のいた。いや、その静かな声が退けた。
たったの4文字、それで全て取り戻せた。自分に向けられた、しかし何でもない問いなのに。まっすぐ、まちがいなく、自分に向けられた視線。
柔らかな白い光が辺りを包んでいる、その中央に立つ、キリリと怜悧な面差しの、大人の女性。
その時の気持ちをどう表現したらいいのか、パールフェリカにはよくわからなかった。とにかく離れ難く、側に在りたい、その眼差しの中央に、見つめられていたい──そんな感じだった気がする。それがどんな理由かなんてものは無い。原初の願いというものがあるのならば、きっとそれだと、パールフェリカは決め付けた。
実体をと求められて、彼女がやって来た霊の姿のままこの地上で存在する為の形を召喚術の導きのまま作り上げたが、保たなかった。
初召喚の儀式で、召喚されたものに対して召喚士の力が足りない事はよくある、それは教えられてわかってはいた。それでもどうしてもそこに留めたくて、共に在りたくて頑張ったがダメだった。ダメだとわかって、召喚術の手順に従って彼女を元へ還そうとしたが、術はすかすかすり抜けるように届かなかった。
それでつい言ってしまったのだ“こっちに移ってもらえない?”──“うさぎのぬいぐるみ”のみーちゃんを指して。
目を覚ました時、その人の声が聞こえた。ちゃんと居てくれて、どこかに行ってしまわなくてホッとはしたけれど、初めての召喚が成功したのか失敗したのかもわからない。兄らのような世界唯一という強大な召喚獣でないにしても、成功位はしたかったのに。
そんな不安も、抱きなれた生地の“うさぎのぬいぐるみ”の手が拭ってくれた。
「本当、不思議な召喚獣……私の……」
パールフェリカはサリヤに頷いて小さく呟いた。
その頃には、周囲に居た侍女らがささっと引く。
寝室の扉の前で、肩から真っ直ぐ下ろした右腕を肘120度上へ曲げ、敬礼のポーズをエステリオが取っていた。
「姫様、お美しゅうございます」
美に対する価値への評価力は、パールフェリカにはまだあまり無い。髪も服も全て侍女らに任せている。それでも、言葉の9割以上が小言のエステリオが言うと妙に有り難味があって、本当にそう思っているのだろうなと感じられる。姫として相応しくなければすぐ小言が飛んでくるのだし。
パールフェリカはぐっと顔を持ち上げて穏やかな笑みを作った。
「──ありがとう」
巨大な樹と絡み合うように、長い年月をかけて増改築され続けてきたガミカの巨城、エストルク。
その正面、下る山の形のままに、巨大な広場がある。
そこに今、1万人は下らない人々が押し合いへし合いひしめいている。皆、パールフェリカ姫と彼女の召喚するものを一目見よう、祝おうと国内から集まってきたのだ。
彼らにとって“王家の尊いお方”であると同時に、崇拝するに値する召喚士がパールフェリカの兄らだ。
ネフィリムは壮大神秘のフェニックスを、シュナヴィッツは最強にして優美なるドラゴン、ティアマトを召喚する。彼らが召喚士として一人前になってからというもの、ガミカ国内には人に仇成す害獣の類はなりを潜めつつある。害獣による大きな被害がある所、この二人が直接訪れ、巣ごと破壊してしまうからだ。この誇り高い王家の、末の美しい姫が今日、召喚士の仲間入りを果たす。これほど待ち遠しく、幸福で、喜ばしい式典は無い。
巨城エストルク正面、2階部分の横に長いバルコニー辺り──エストルク自体は10階建てである──、濃い紺と金糸で装飾された上下の衣装をまとった男女数十名がさわさわと登場する。バルコニーには椅子があったり無かったりするが、必ずそこには大小様々な楽器が並んでいる。
その上の階、3階にも横に長く、さらに2階よりも前へ突き出た広いバルコニーがある。草木が植えられ、今は淡い色の花が所狭しと飾られている。さながら空中庭園のようだ。その、建物の奥。
先ほどと同じ格好の国王ラナマルカと、隣にはパールフェリカがやって来ていた。二人の周囲にはみっちりと護衛の騎士らが詰めている。
パールフェリカの耳に正面広場に集まった国民達の声がわーわーと聞こえてくる。
少し緊張してきた、そう思って胸元に手を当てるパールフェリカ。その頭をラナマルカ王が撫でた。見上げると、柔らかな笑顔がある。
「──はい」
何を言われたわけでも無いが、パールフェリカは返事をした。ちょっと冷静になって、ふとよぎった思いがある。
「……それにしても、みーちゃんは大丈夫かしら。ネフィにいさま、召喚獣の事になると目の色変わるから……」
考え出すと、自分の事も忘れて、大げさにもミラノの安否を心配するパールフェリカだった。