(107)アルティノルド(1)※流血表現
(1)※流血表現があります。
巨城エストルクの背面には、巻きつくような形で巨大な樹がある。城下町からじわじわと延焼が続き、その熱気に煽られて、木の葉は舞い飛び、太い枝もゆらりゆらりと揺れている。
昼だというのに、太陽の光はぶ厚い雲に覆われてほとんど届かない。森を焼くオレンジの炎が、辺りを照らしている。下から登ってくるオレンジの炎が、巨城エストルクを染め上げる。炎は揺れて、影と交互にその姿を彩り、黒い煙が吹き込み、縁取る。
芝の植えられた城の周囲には、鎧を着た兵士があちらこちら倒れていて、動かない。折れた槍や盾が散乱している。蹴り上げ、蹴り飛ばされ、8割が醜くはげてしまった芝生には、大小様々な──人のそれの十数倍のものも含め──足跡が大量に残っている。踏み飛ばされた土が、敷石の方にも飛んでいる。その辺りにも、血痕は伸び広がっている。その先には、人間のものらしき親指と、肩から肘あたりらしき腕が、転がっている。他の部分は、この辺には無いようだ。既に、モンスターの胃袋の中か。
あちらこちらに、人間だけではなくモンスターの死体も転がっている。錆びた鉄のようなもの、深い草と肥えた土のような臭いが、混ざって広がる。前者は人間の、後者はモンスターの血から漂う。
砂埃も絶えず、巨大な犬型のモンスターなどが、大地を駆って巻き上げている。ついでに弾き飛ばされる人間の悲鳴は、一瞬響いてすぐに消える。
城の奥へ進めば、白銀色に輝く鱗のドラゴンが、両足を踏ん張り、口から爆炎を吐き出している。噴き出した火の勢いだけで、巨大な犬型のクルッド1匹を吹っ飛ばす。クルッドは、濡れた鼻先にも火が付いて、ぎゃんと鳴いてのたうち回り、消そうとしている。肉の焦げる臭い。一層、砂埃が舞い飛ぶ。視界も悪くなる。
白銀のドラゴン──ティアマトは、足を浮かすように羽ばたいて、その風で煩いクルッドを砂埃もろとも吹き飛ばしてしまう。それには、人の倍の大きさの狼、熊のように二足歩行をする獣も巻き込まれて吹っ飛ばされた。踏ん張ったモンスターが居ても、ティアマトは着地してまた口を開き、長剣大の針を数百本ふつふつと吐き出して、串刺しにする。息のあったものが逃げ出そうとしても、獅子頭のマンティコアが、空から地面すれすれを駆け降りて来ては蹴り飛ばし、城から大きく引き離す。
ティアマトとマンティコアの護る背後には、城へ侵入するに容易いバルコニーが口を開けていて、そこには今、ガミカの王が居る。
亜麻色の長い髪は、汗と埃を含んで端々が乱れている。大将軍や周りの者が集って、いかに逃げるかを算段をしているところだが、王が反対をしている。
この3階バルコニーから見渡せる限りでも、ガミカ王都はもう復旧を見込めない。山は燃え広がり、延焼を止める為に人を割く事も出来ない。城内への侵入はおさまったが、一歩外へ出ればモンスターは迫ってくる。
距離を隔てて、“神の召喚獣”がぎゅうぎゅうと力比べをしていて、いつこちらへ倒れ込んで来るか知れない。あんな巨大な生き物が飛んで来たなら──あれらはこの“巨城”より大きいのだ──あっさりぺしゃんこになるのが目に見える。箱の中の人間など、あっと思う間も無く黄泉路を辿る。
細々と聞こえる。
近く遠く『ミラノ』という言葉が、生き残った者の口に上る。それは次第に“未来へと生き延びる為の、希望を持つ事、願う事”という意味で、伝えられ始める。
天使によって誘われ、城の裏手へと人々は逃げているが、徒歩ではなかなか距離を稼げない。城が崩れたら、共に沈むしかない。
人間にとって、絶望的な状況は相変わらず続いていた。
がっしりと掴み合って、ギリギリと力比べを続けるリヴァイアサンとベヒモス。大地に落ちてよろよろと、それでもベヒモスの腹に噛み付こうとするジズ。ジズの翼は、少しずつだが修復し始めている。
城下町中の、家々、建物、木々へと、火は次々と移る。
見かねた七大天使の水のアズライルが、4枚の青い翼を開いて飛び回り、さわさわと水滴を降らせている。だが、火の勢いが強すぎる。アズライルの降らせる粒の細かい霧雨では、消すのに追いつかない。
3階バルコニーよりずっと上の階。10階にあたる屋上は、王都全体を見渡せる。そこに、フェニックスは滑り込むように降り立つ。後ろから、赤ヒポグリフが続く。
それぞれの召喚獣から、ネフィリムとアルフォリスが降りた。どちらもその傍らに召喚獣を置く。
聖火台を見上げた。
チラチラと煽るオレンジの炎が、濃い影を作りながら、化け物の姿を照らし上げていた。
6枚の大きな翼は、ゆるやかに開かれている。羽毛に覆われた翼ではなく、蝙蝠のそれを思わせる。
体の大きさに対しては、やや大きめの頭だ。梟のようなぎょろりとした目がある。三角に細められた鋭い眼差しは、城下町を睨んでいる。口は蛇に似ていて、弓形に歪められている。うっすらと開いた口からは、びっしりと細かな歯が覗いている。背丈は人の1.5倍程だが、大きな翼と眼光の威圧感で、より大きく見せている。
それは、しっとりとした闇が迫るような、得体の知れない気配を辺りに放っている。
まっすぐ背筋を伸ばしたまま、3歩聖火台に近寄り、ネフィリムは化け物を見上げた。化け物の腕の中に、妹の姿を見つける。くったりと化け物にもたれかかっている。気を失っているらしい。
左の手の平を開いて、化け物へ向けた。
「言葉がわかるか? わかるなら、腕の中の娘をこちらへ返しなさい」
梟の面が、ゆっくりとネフィリムを見下ろす。すぐに大きな蛇の口が、かつかつと動く。
『この娘を傷つける事は無い。邪魔だから、どこかへ行っているといい。さっきの女のようになりたくなければ』
ぎこちない動きに見えて、言葉は滑らかだった。だが、声そのものは爛れたようにひび割れていて、酷く聞き取り難い。
「──さっきの?」
隣のアルフォリスが聞きとがめ、眉間に深く皺を寄せた。察したのだろう。パールフェリカがさらわれて来ているのに、ここに居ない護衛騎士、妹の事を。
アルフォリスの様子に気付いたかどうか、梟の顔ではわからない。化け物が口を開く。
『またヒポグリフか』
「なに?」
アルフォリスはネフィリムよりも半歩前へ出た。
『さっき斬った女も、ヒポグリフを使っていた』
ネフィリムはこめかみをひくりとさせた。──これは挑発だ。
次の瞬間、アルフォリスは自身の隣に居た赤ヒポグリフを聖火台へと駆けさせ、自身もその背に飛び乗りながら、腰の剣を一気に引き抜く。
「アルフ!」
正体が見えない上、パールフェリカもまだ敵の手の内だというのに。
ヒポグリフが聖火台に前足をかけた瞬間、化け物の6枚の翼の内左右の2枚が大きく膨らんで伸び、覆い被さって来た。
アルフォリスは慌てて飛び上がり、聖火台へ1人飛び移る。すぐに体勢を整えてヒポグリフの居た方を見れば、ぱちんと黒い翼に挟まれ、消えるところだった。
「な!? 何をした!?」
長剣を両手で構え、アルフォリスは化け物と5歩の距離までじわりじわりと近寄る。
見上げていたネフィリムも、フェニックスに足をかける。が、ヒポグリフを挟んだ2枚の翼が、バケモノの背中から離れ、まるで飢えた獣のように飛び掛って来た。
ネフィリムはフェニックスに蹴飛ばされ、たたらを踏んだ。見上げた時には、分離した化け物の翼にフェニックスは挟まれ、飲み込まれるように消えていた。
ネフィリムは息を飲み、化け物の方を見た。
「今のは──」
『闇のシェムナイルも出来る事だ、大した事では無い。ただ、闇に。“霊界”に還しただけだ』
化け物がちらりとネフィリムを見下ろした時、アルフォリスは静かに駆け出した。
ネフィリムの横にあった2枚の翼が、黒い狼の姿に変化しながら、聖火台へ駆け上がる。
アルフォリスの振り上げた刃が化け物に振り下ろされる寸前、黒い狼の1匹が右手に、もう1匹が兜を外したむき出しの頭に、背後からがぶりと噛み付いた。
「!!」
声を発する間も無かった。
次の瞬間には、食いちぎられたアルフォリスの首が宙を飛び、2匹の黒い狼は残りの手足を引きちぎる。勢いよく吹き出した血を被らぬよう、化け物は素早く残りの4枚の翼を体の前であわせている。
アルフォリスをバラバラにした2匹の黒い狼は、再び翼の形に変化して、化け物の背中に張り付く。再び6枚の翼が化け物の背に並んだ。
ネフィリムの4歩先に、アルフォリスの首がどんと落ちてきた。
「……なん……てことを…………」
ネフィリムは呼気を吐き出すように、それだけを搾り出すのが精一杯だった。
化け物が、ばさりと6枚の翼を上から順に揺らして、軽く飛び上がると、アルフォリスの首の横に降りた。しばらく見下ろしていた。
『──人間は、こんなにも脆いものなのに、何故“神”は……。何故……力ある“モンスター”という名の獣を生み出し、それを私に“守護せよ”と、“封じよ”と言うのか……』
蛇の口は、何かぼそぼそと呟いている。
ネフィリムはさっと足元に魔法陣を展開すると、フェニックスを再召喚しようと試みる。だが、魔法陣は溶け消えるように、地面の中へ取り込まれ、消える。
『人間如きが』
化け物は吐き捨てた。
目を見開いて地面を見ていたネフィリムは、ひくりと眉を動かす。
化け物は、人間を歯牙にもかけぬ様子で、ふいと空を見上げている。丸い目が周囲の筋肉でぎゅっと押しやられて、細められる。ゆらりゆらりと、近く遠くを見渡した。
『──アルティノルドはまだか……。“神”をよびだすには、アルティノルドの“絆”も必要だ』
ネフィリムは、そろりと化け物を見上げる。
「……アルティノルド……“神”……?」
アルティノルドこそが“神”のはずだ。
──“神”を、よびだす?