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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第三章 立ちこめる暗雲の巻
9/35

その1(全編)

 その日のとある地方都市のとある高校周辺には、妖しげな暗雲が立ちこめていた。

 ……タイトルのフレーズを一行目で使ってしまうという行為は、まともな物書きなら絶対にやってはいけないことだ。しかし私は物書きではないし、この章のタイトル決定にも関与していないので知ったことではない。

 お前は誰だって? よくある筆者の語りではないのかって? それはまだ明かすわけにはいかない。君達はまだ、それを知っていい立場にはないのだよハッハッハ。


「よぉ荒瀬、今日は痩せたか?」

「うるせえな。買い食いするとなー、曽根ぇ、いいかぁ、太るんだぞ~」


 話を戻そう。

 裕美がクラスの一員となって二日目。教室の片隅では、曽根と荒瀬が相変わらず頭の悪い会話にいそしんでいる。

 彼らが昨日の放課後にどこへ消えたのか、おそらくよい子のみんなはどうでもいいと思っているだろう。むしろ、彼らが買い食いしたらしい事実を知って、余計な知識を与えられたことへの怒りにうち震えているかも知れない。大丈夫、怒りと悲しみは究極奥義への道という説もあるからな。


「おはよう、曽根くん」

「お、おはようございます!!」


 そこに、光安にとって「のみ」の騒動の主、高橋裕美が現れた。現れたというか、普通に登校して、クラスの友人と挨拶しただけだ。まぁバカ二名が友人なのかどうかは、今は問わないでおくべきだ。

 だが、彼女の挨拶はただの挨拶では終わらなかった。

 もちろんそれは、裕美が曲芸をしたとか、曽根と荒瀬の身体がバロロームしたとかいう意味ではない。彼女の挨拶は一般人類のそれでしかなかったし、曽根の返事も同様であった。しかしその瞬間に、教室はどよめいた。戦慄が走った。男子生徒の目はいつの間にか血走り、その潤んだ瞳は一斉に曽根を睨みつけたのだ。

 いや、男子だけではない、睨んでいるのはなぜか女子生徒も一緒である。分かっているのは、曽根がどうやら一瞬にしてクラスのほぼ全員を敵に回したということだけだ。良かったじゃないか、君も今日から人気者だな。


「お船ちゃん、おはよう」

「お、おはよう! ゆうちゃん! ゆうちゃんは今日も美しいわ!!」

「そ、…そう?」


 続いて声をかけられた入船が、必要以上に感激したような声を出す。すると教室の視線は、一斉に彼女へと移動した。よく見ると、つい数秒前にはまさかの人気者となった曽根も、お船ちゃんという脱力系のあだ名の虜となったようだ。いや、敵となったようだ。

 一人の女子生徒を睨みつける男子たちというのも、かなり奇妙な光景である。まるでいじめの現場のように陰惨な空気が漂っている。ただし一つだけ違うのは、睨まれる当事者にその自覚がないことだ。正確に言えば、現時点で最後に声をかけられた入船は、キラキラ輝く瞳で裕美を見つめている。他の人間など全く眼中にないのである。

 ともかく、裕美はただ教室内を自分の席へ移動して、友人に挨拶しているだけだ。しかしそこからは幾多の悲劇が起き、また起きようとしていた。


「……あれ? 光安はまだだったの?」


 そして今日最大のざわめきが起きた。

 我が高校の女神様が、よりにもよってバカの所在を気にしている。あり得ないことだ。いや、許せないことだと、教室は一気に殺気立ったのだ。つい今し方までキラキラ輝いていた入船の瞳までも、どす黒い光を放ち出した。

 従ってそれから一分以内に、この日最大の悲劇が起きることは、確実な情勢となったわけである。


「おはよう荒瀬! なんだ、曽根も今日は早いな」


 実際には約四十秒後に、彼が現れた。

 彼がこの時間に登校するのは特に珍しくもない。平均よりやや遅い程度で、まだチャイムも鳴っていないのだから、誰も咎めるはずもなかった。それがいつもの朝ならば。


「み、み、光安!」

「貴様! 貴様は裕美さんに何をしたっ! なんで裕美さんより遅れて来やがった!」

「へ?」


 胸ぐらをつかむ荒瀬、のしかかってわめく曽根。三バカの友情はもろくも崩れた。

 いや、荒瀬と曽根の背後には、裕美を除くクラスの全員が駆け足で集まって来る。今にも飛びかかりそうな雰囲気である。光安百発百中ではなく絶体絶命だ。合掌…。


「裕美! お前だろ!!」

「知らないわよ!」


 逃げ場のない光安は、例によってその名を叫んだ。

 別に彼にも確信があったわけではないだろう。ただ、この非日常な光景を解決できるのは、非日常な存在でしかない。仮に引き起こしたのが裕美でなかったとしても、彼が頼る相手は他にいなかったのだ。


「……これでいい?」


 ため息混じりに裕美は教室内の時間を止めた。ちなみに、教室内と言ってみたが、実際には全宇宙の時間が停止している。

 光安の言い分を認めたわけではないが、教室で異常事態が起きていることは明らかだったので、渋々従ったようだ。


「……と、止まってるのか?」

「何を今さら。昨日だって何度も止めたでしょ」

「お、お前がどうしようと、俺も一緒に止まるんだから分かるわけがない」

「それ、本気で言ってる?」


 これを読んでいるよい子のみんなは、昨日の彼が全く気付いていなかったことを知っているだろう。裕美にしてみれば、光安のために時間を操作したのだから、この反応は腹立たしいものに違いない。いや、魔女の意表を突きまくるという恐るべき彼を讃えるべきか。

 もっとも、光安が気付いていないことぐらい、昨日の時点で裕美には分かっていたはずである。呆れた口調で裕美は、その事実を確認したに過ぎなかった。


「で、アンタは何したの?」

「知るか! ただ挨拶しただけだ。というか、お前の名前が出てただろ!」

「私がアンタに何かしたっけ?」

「お前が俺の頭をいじってなければ、今日はこれが初対面だ!」

「いちいち引っかかる言い方するわねぇ」


 確かに引っかかる言い回しだった。とはいえ、裕美のこれまでの所業を考えれば、当然の発言ともいえる。

 それに、二人に心当たりがあろうとなかろうと、二人が何かしら関与していることは確実である。少なくとも曽根や荒瀬は、光安と裕美の関係を疑い、憤っているのだ。


「そういえば、私が声かけた時も何か変だったなー」

「なんだ、お前も襲われたのか。それはいい気味だ」

「…このまま時間を動かしてもいいの?」

「いや、それは良くない。ごめんなさい」


 当面の危機は去ったらしいと、少し落ち着き始める光安。

 それは三日目にして、裕美の力を信頼し始めたことの証だった。彼に言わせれば、バカとはさみは使いようなのだろう。それをバカが言っても仕方がないが。


「私は襲われてないけど、声をかけた相手がにらまれてた」

「ふぅむ」

「で、アンタが来る直前に教室全体が殺気だったわ」

「……何か言わなかったか?」

「え? さぁ……、アンタはまだ来てないのねってぐらい」

「よーし、分かった!」


 光安はどこかの警部のような声を出して、自信満々の表情で裕美を見た。

 どこかの警部のこのパターンは、基本的に間違った推理と決まっている。モジャモジャ頭の探偵を引き立たせるための道化に過ぎないのだが、彼がちゃんと映画を見ているとは限らない。それ以前に、どっちだろうと大勢に影響はない。どうせ彼は警部ではないし、彼の推理など誰もアテにしていない。


「犯人はお前だ。じっちゃんの名にかけて!」

「なんでよ。というか、じっちゃんって誰?」

「じっちゃんはじっちゃんだ。いいか、理由は分からんが、昨日の時点で教室の大半はお前のファンだった。荒瀬も曽根も、お前を見ただけで目が輝いていた」

「はぁ…」

「理由は分からんが、昨日よりもっとファンになったのが原因だ。俺さまにはまるっとお見通しだ!」


 くだらない物真似はすかされたものの、光安はバカとは思えないほど見事な推理を披露した。赤ペン先生なら、「昨日よりもっとファンになった」をもう少しまともな表現にしろと注文を付けるだろうが、彼が賢くなる必要を私は認めないので、このままで構わない。

 そう。彼が言うように、今朝の教室の騒動はすべて裕美に関わっていた。それも、裕美に声をかけられることへの嫉妬だったといっていい。だから、その場にいないことを言及された光安が、もっとも激しい対象となったのだ。


「…………」

「どうだ。思い当たることがあるだろう」

「ない、と言えば嘘になるわね」


 裕美はむすっとした表情のまま、そう答えた。

 こんなバカに的確な指摘をされてしまったショックが感じられる……というのは冗談だ。誰だって辿り着く結論ではないか。


「まぁいいわ。私が引き起こした分はどうにかする」


 その瞬間、教室の時間は動き出した。

 何の前触れもなく元に戻り、光安は慌てた。とりあえず目の前の敵をどうするのだ、という気持ちで、荒瀬の方に向き直る。


「光安この野郎………って、何やってんだ?」

「それは俺が聞きたい」

「お、おう」


 荒瀬は我に返ったようで、胸ぐらをつかみかけた手を離した。

 集まっている人々も、一様に「お、俺は何をしているんだ」というざわめきの中で、自分の席に戻っていく。どうやら裕美の言う通り、この場の問題は解決したらしい。

 どんな深刻な事態も一瞬で解決してしまうのだから、やはり並外れた能力だ。というか、それだけの力があるならば、光安が襲われる前に対処できたのではないかと思うのは私だけだろうか。

 すぐにチャイムが鳴り、やがて地理の教師が入ってくる。そこからはいつもと何も変わらない授業光景が続いた。地理の授業を裕美が初めて受けたことに、光安すら気付かないほど自然なものだった。いや、彼だけが「初めて」であると知りうる立場だったのに、ぼんやりして気付かなかったのだ。既に興味を失ってしまったらしい。


「それで?」

「何よ」


 なぜか三限と四限の間の休み時間に、光安は問いただし始めた。種明かしをすれば、そこまでの二度の休み時間は、朝の出来事をきれいに忘れていたのだ。つまり彼にとって、あの事件は解決済みであり、真相を知りたいという欲求もそれほどではなかった。


「さっきの件を説明しろ」

「アンタが知ってどうすんのよ」

「俺は被害者だ。知る権利があるぞ」

「……別に知っても楽しくないわよ」


 今さらのように、知る権利などと思いつきで口走る光安。苦笑しながらも、しかし裕美はそれ以上争わなかった。恐らくは彼女も、誰かにしゃべりたかったのだろう。そして彼がその相手にふさわしいかはともかく、他に話す相手がいないのも確かだろう。

 ここで語られた裕美の話を総合すると、次のようになる。

 まずこの件に関して、彼女自身は何もアクションを起こしていない。ただし裕美には、こうなってしまう危険性を察知することは可能だった。そのために執行猶予付きの有罪となった……ではない。誰も裁判などしていない。すまん。

 裕美には、放っておけば周囲を自分に従わせてしまう力があるらしい。それは彼女の能力があまりに強いからなのだが、ともかくいつの間にか周囲の人間は、彼女の魅力にとりつかれ、それは日々強まっていくのだという。

 現に昨日の昼休み時点で、既にクラス内でなら裕美の発言はすべて肯定される状況にあった。放課後には全校生徒が彼女の奴隷になりかかっていた。

 そして一晩が経過する間に、並外れた彼女の「魅力」はこの都市の大半に伝わっていった。今やその核心となってしまった教室は、朝八時十五分までに一瞬即発の状況となる。やがて光安の登場によって引火してしまったら、後は裕美を巡っての、血で血を洗う壮絶な戦いが始まる予定だった……って、何の話だよ、こりゃ。


「アンタは明日まで、いーえ、昼休みまでは生きていられないのよ。南~無~」

「仏壇のコマーシャルみたいなことするな! だ、だいたいなぁ、それなら教室から逃げて帰ればいいだろ」

「無理。アンタの家は正午までには包囲されるから、自分の家だって安心できない」

「むむ…」


 あまりに現実離れした予測を真顔で話す裕美を見て、光安は少し疑ったようだ。いや、この内容なら普通は疑うだろう。

 ちなみに彼が本気で対処法を考えるなら、助かる道はあったはずだ。要するに嫉妬の対象を自分から他に移せば、とりあえずはしのげることになる。手っ取り早く曽根と荒瀬を順番に生け贄にして、自分は逃亡するのだ。

 もっとも、その策が成功するには、当事者の裕美が協力しなければならない。そしておそらく、裕美は協力しない。理由はよく分からないが、三バカの扱いははじめから平等ではなかったのだから。


「しかし、分からん」

「何が」


 裕美は「何が」と答えつつ、こっそりと時間をとめた。休み時間が終わるからなのは言うまでもないが、彼に内緒でとめたことに、深い意味はないだろう。どうせ気付かないバカに、わざわざ教える手間は無駄だと考えたに違いなかった。


「魔女だから魅力的っていうのが良く分からん。お前の暴力と顔は関係ないだろ」

「暴力って言ったわね」

「俺にとっては暴力そのものだ」


 彼がそのように質問することには、いろいろ引っかかる部分もある。しかし、彼のような疑問を多くの読者も感じただろう。

 裕美は一度、天井に視線を向けた。天井には切れかかった蛍光灯がついていたが、彼女はLEDに変えるわけでもなく、ただ眺めて視線を元に戻した。ちなみに、蛍光灯の時間も止まっているので、特にちらついてはいない。


「逆にアンタの意見を聞きたいわ。きれいとか美人って、どういう感じ?」

「はぁ?」

「説明できる?」

「……むむ」


 裕美は別に詰問しているわけではないので、光安の表情もそれほど深刻なものではない。それでもすぐには答えられず、まるで音楽室の壁に描かれたベートーベンのようなポーズで、考えている。

 なお、ベートーベンの顔真似は誰にでもできるが、真似たってベートーベンにはなれないのである。


「美人だと思うヤツの名前なら挙げられるぞ」

「たとえば? 曜子ちゃんはナシで」

「なぜだ」

「実体じゃないから」

「む……」


 どうやら図星を指されたようだった。

 というか、自分の頭の中にしかない妄想妹を美人と主張しても、誰も確かめる術はない。少し考えれば分かりそうなものだが、彼は朝夕妹と会話する男なので、そういう常識は通用しないのかも知れない。


「まず、このクラスでなら誰?」

「…………」

「いないと言いたいの?」

「あ、いや……」


 光安は黙り込んでしまった。

 この場合、答えづらい理由は幾つか考えられる。本当に該当者が見あたらない可能性もなくはない。もしくは、該当者はいるのだが、その名前を口にし辛いというパターン。私は裕美と違って彼の頭の中は覗けないので、どれに当たるかは分からない。

 ただ……。

 私が彼の立場であれば、一人の名前が浮かんだはずだ。


「美人とかきれいって言うのはね、好きか嫌いかってこととは違うわ」

「……そうか? 美人だから好きになるってことじゃねぇのか?」

「アンタは今、そうだと思わないでしょ?」

「…………」


 妙に自信ありげな裕美の発言を、光安は特に否定はしなかった。納得したというよりは、まだ考えている、という顔だ。


「私がさっきまで放っていた「従わせる力」は、クラスの人たちにとっては美人とかきれいとかいう価値になるの」

「価値?」

「美人と呼ぶ絶対的な根拠なんて、どこにもないのよ。ただ、何となくみんなが揃って他より上だと認めるから、美人。アンタが私を、他人より上だと思ったなら、私は美人」

「…………」

「だいたい、美人の顔なんて時期や地域で変わってるでしょ? 少しは習ったと思うけど」

「うーむ。…安易に納得はしたくないが」


 したくはないが、光安にとって裕美の言い分は、ある程度納得のいくものだったようだ。

 おそらく彼がクラスの中での美人を考えた時に、思い浮かんだのは裕美なのだ。現時点で恋愛対象だとは思っていない彼女こそ、美人の典型に思えたのだ。

 実際、裕美はこの地域で美人と呼ばれる条件を満たしている。俗に言う「整った顔立ち」で、モデル並みどころかモデルが裸足で逃げ出すほどのスタイルだ。この地域なんて狭い範囲ではなく、恐らくはミスコンの基準が通用する全世界で、彼女は美人と認知されるに違いない。

 もちろん、裕美の言い分は「ミスコンで選ばれたという理由で人を好きになるヤツはいない」というものだが。


「結論を言えば、光安、アンタは異常なの」

「なんでそうなる!」

「……分かってるでしょ?」


 美人であることがイコール恋愛に結びつかないのだから、光安が裕美を好きにならなかったとしても不思議ではない。それは異常とまでは言えない。

 しかし、裕美が美人であるという価値観は、周囲に対して強制されていったものだ。そこでは、彼女の力に対抗できる存在などいない。中でも、最もやりたい放題に弄ばれている光安が、なぜ強制に従わないのか。それは現在のこの宇宙の謎と言えなくもない。


「お前の言うことが難しくて、すぐには答えようがない」

「別に構わないわ。私がアンタに興味をもつ理由だって分かればいいから」

「う~む…」


 光安はこう主張すべきだった。

 仮に裕美の言い分をのんだとしても、何十億の人間の中には似たような奴はいるはずだ。自分よりもっと興味深い人間がいるのだから、現状に満足せずに探すべきだ、と。このままでは、謎が解明されない限り、彼のプライバシーは侵害され続けるのだ。

 もっとも、それだけのしゃべりができたら、何の引っかかりもなく操られていただろう。私が思うに、彼は頭のネジがどこか飛んでいるために、裕美との距離感が狂っているのだ。そのネジがどんなものなのかは、知る由もないが。


「ところで裕美、教えてくれ」

「まだ何かある?」


 それにしても、昨日もそうだが彼の休み時間はどれだけ長いのだろう。

 よほどのバカでも、いい加減気付きそうなものだが、彼は気付くどころかさらに話を続けようとしている。


「曜子の機嫌が悪いんだ。どうしてくれる!」

「はぁ?」


 しかも、話す内容がこれだ。まさかの展開に、またも魔女が呆れている。

 まぁいい。とりあえずよい子のみんなのために要約すると、今朝の曜子は寝起きの挨拶がおざなりだった。そして、光安の「行ってきます」の声には無反応だったという。説明するのもバカバカしい。


「これもお前のせいじゃねぇのか!?」

「そんな妄想の住人まで影響受けるかなぁ」

「妄想って言うな!」

「妄想じゃないなら、現実とでも?」


 そう裕美が口にした瞬間、裕美の隣に何者かが出現した。

 誰もが目を疑うような光景が、そこにはあった。


「よ!」

「……よ、の次は?」

「よ………………、いや、何だよこれ」

「曜子ちゃんでしょ」


 裕美の隣に立っているのは、背は彼女よりも相当に低く――つまり女子生徒の平均ぐらい――、身体のパーツ的には女の子と思われる物体だ。ちゃんと高校の制服も着ているので、首から下は普通にこの学校の生徒である。

 しかし顔面を見ると、モザイクがかかったようにぼんやりとしている。あえて表現すると、のっぺらぼうに水性ペンで顔を描いて、乾く前に拭き取ったような状態である。いったいこの物体は何かと問われても、私には答えられない。


「こ、これのどこが曜子なんだ。お前は曜子をバカにしてんのか!」

「アンタのイメージの最大公約数」

「顔がない!」

「アンタのイメージが曖昧」

「………」


 怒りに震えた光安だったが、裕美の厳しい指摘に黙り込んでしまう。

 一般的に、頭の中にしか存在しない人物のビジュアルというものは、いろいろツメが甘いものだ。

 光安のイメージを具現化したという物体も、おそらく遠目にはそれなりの女の子に見えるだろう。彼の頭の中では、そういう曖昧なイメージと声さえあれば、妹の曜子として成立する。

 しかし三次元で実体とするには、細部まですべて固まっていなければならない。そもそも彼は全く絵を描かないので、落書きレベルの顔さえ存在しない。モザイクの向こうには、例の無関係な本間曜子の顔や、それまでモデルをつとめていた誰かの顔が入り混じっているはずだ。無理にはっきりさせたら、放送事故レベルのビジュアルが姿を現わしたに違いない。


「…とりあえずその人形消してくれ。今後の曜子に悪影響が及ぶじゃねぇか」

「人形じゃなかったとしたら?」

「えっ?」


 光安が慌てた顔を見て、裕美はくすくすと笑った。そして指先を軽く動かすと、曜子のような身体は消滅した。


「さすがにあの顔だから、まだ人形」

「そ、そうか」

「でも、その気になればしゃべらせたりできるけど?」

「えっ!」

「……筋金入りの変態だわ」


 この状況で、一瞬とはいえ喜びかけた光安は、間違いなく変態である。しかしそうは言っても、彼の気持ちは少しだけ分からなくもない。彼は本気で妹を欲しがっている。そこにどの程度の不純な動機が混じるかはともかく、年齢の近い妹を望んでいることは事実なのだ。そして裕美は、そんな彼の気持ちを知った上で、ぬか喜びさせたのだ。


「まー、実体化したいなら顔を考えなさい。別に、私は勧めないけどね」

「……お前は卑怯だ」

「何で」

「お前は俺が……、俺が人の道を踏み外すのを待ち望んでいる!」

「へぇ」


 今日も結局は弄ばれ続けた光安が、いつものように怒りを爆発させる。

 いや、その怒りは全く正当なものだ。誰だって怒るはずだ。そしてその怒りは、向き合う女にも通じるはず………は、残念ながらなかった。


「卑怯なのはアンタ。どうせ実現しないとタカをくくって妄想してるんでしょ? 妹なんて最初からできないと知ってて、それどころか「できない」と保証されてるから安心して妄想できるの。そうでしょ?」

「う……」

「そんな勝手な都合に付き合わされる曜子ちゃんは、いい迷惑よね。自分がお兄ちゃんって呼ばれたいだけで、アンタは妹のことなんて何も考えてない。何か間違ってる?」

「………………」


 ここまで断言された彼が、どんな表情で黙っているかは説明せずとも分かるだろう。

 裕美の主張は、聞く限りにおいては全く正当なものだ。ただ一つ、曜子が自分の意志をもって、それを「兄」に訴える可能性が皆無という点を除けば、だが。

 ……いや。

 この女のあり得ない力は、本当に妹を誕生させるかも知れない。その時には、すべてがその通りになる。光安は、せっかくできた妹の信用を失い、嫌われてしまうのだ。単なる高校生のありがちな、やや過度な妄想は、今や彼を残酷な運命へと導こうとしているっ!


「…しばらく一人にしてほしい。俺の頭はすぐには働かない」

「何も焦ることはないわ」

「…………」

「アンタはいつでも私のオモチャなんだから」


 まるで光安を気遣うかのように、とどめを刺す裕美。

 例によって止めていた時間が動き出したことにも気付かず、夢遊病者のように光安は教室に入っていく。彼にとっては、サバイバルな朝の方がまだマシだったかも知れない。がんばれ光安。いや、頑張らなくてもいいぞ光安。お前はバカで、よくできた変態だ。


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