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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第二章 魔女とバカ、高校に行くの巻
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第二節 髪の長い女 その2

「いいか、聞いて驚くな!」

「はいはい」

「あのなぁ、曜子はなぁ、曜子はなぁ……」

「………」

「俺の妹だったらいいんだぁ!!!」


 握り拳を天に突き上げて叫ぶ光安。それはまるでどこかの世紀末の拳王並みに、有無をいわせぬオーラを放っていた。厚くたれ込めた雲が晴れてしまいそうだ。叫んだ中身を問わなければ、だが。

 さすがの裕美もぽかんとした顔で、しばらく黙ったままだ。1300年も生きていれば、星の数ほどの人間に接しているはずだから、これぐらいの男に会う機会がなかったとも思えないが、そう言ってしまっては日本列島の歴史に対する冒涜だろうか。


「…もしかして、理想の妹?」

「そ、そうだ!」

「理想というより、妄想の妹!?」

「も、妄想ではない! 俺は日々、曜子の将来を案じているっ!」

「……へぇ」


 その声は液体窒素レベルの冷たさを感じさせた。

 しかし光安は勝った。

 少なくとも裕美は、彼の頭の中を覗こうという意欲を失ったようだ。


「はぁ……。で、一組の曜子さんとの関係は?」

「関係? あるわけないだろう裕美クン」

「どっかで聞いた台詞だわ」


 これ以上彼にしゃべらせると、お子さまにも安心なこの物語が崩壊してしまうので、会話の続きは端折ることにする。これは語り手の私の判断だ。

 光安が言うことをまとめよう。一組の本間曜子の存在は、この高校に入学して半月後に知った。ただし面と向かって話をしたことはない。今のところ、話しかけるようなイベントの予定も計画もない。つまりは全く無関係の他人である。

 さらに、光安はこんな恐ろしい台詞も吐いた。


「別に……、俺の好みの顔ってわけでもない」

「アンタの妹は好みの顔なの?」

「決まってるだろ!」


 普通はそうと決まってはいない。しかし彼の場合はどんなビジュアルでも自由自在なので、当然彼の望む方向に落ち着くのだろう。

 口に出して言えば、正気の沙汰とは思えない話だが、心の中では多くの男性諸君が妄想している世界と、そんなに変わらないのかも知れない。おお、私までいつの間にか光安に乗せられているぞ。


「なら、それでおしまいじゃない」

「……そうもいかないのが人生ってヤツなんだ」

「へぇ」


 旧校舎の廊下に、氷点下の風がたびたび吹きすさんでいる。だが、凍える寒さにも負けない男がここにいる。あるいは、既にもうこの世のモノではない可能性もある。この物語は変質者のカミングアウト小説ではないので、再び端折ろう。

 光安の現在の懸念とは、こうだ。

 リアル曜子は「好みの顔」ではない。だから彼は、リアル曜子にそれ以上の関心がないはずだったが、曜子はしぶとかった。

 好みであろうとなかろうと、リアル曜子の登場は、妄想妹のビジュアルに影響を与え始めたのだ。元々が曖昧なビジュアルなので、完全体の顔によってたやすく浸食されてしまう。そうして今や、妹の顔は限りなくリアル曜子に近づいているという。


「つまり貴方はこう言いたいのでしょう」

「医者なら要らねぇ。まともでないという自覚はある」

「あっそ」


 誰にでも起こる事態ではないので想像しがたいが、これだけは確かだろう。「好みの顔」でないリアル曜子のことを、光安は気にせざるを得なくなっている。リアル曜子は、特別な存在になっている。ただし特別の中身はよく分からない。

 それにしても、光安ごときに値踏みされてしまうとは、リアル曜子も不憫な女である。この時点ではどんな顔をしているのか知らないが。


「ま、とにかく妹の曜子は可愛いわけね」

「可愛いぞ。俺は毎日ちゃんと言葉を交わしている。この砂漠のような高校生活の中で、曜子だけがオアシスなんだ」

「どうやって?」

「俺と妹はだな、心と心が通い合うのだよ。なんたって兄妹だからな」

「…………」


 気の利いた友人がもしもこの瞬間に音楽室にいたならば、私は「ガーン」という感じの効果音をピアノで鳴らすよう頼むに違いない。光安の勇猛な反撃に、裕美は完全に絶句している。

 しかし実は今、語り手の私は、まるで宿便がすっきり出た時のような清々しい気分である。

 そうだ。よい子のみんなも分かっただろう?

 今朝の意味不明な彼の台詞は、つまりは妹の曜子に向けられていたのだ。きっと彼にだけ、曜子は返事をしていたに違いない。

 うーむ………。

 これはもはや「バカ」では済まないのではないか。


「この世に生まれて初めて、聞くんじゃなかったと思ったわ」

「うるせぇ、もはやお前は逃れられんぞ!」

「はぁ?」

「いいか裕美! 俺は曜子を幸せにしたいんだ! 協力しろ!」


 やけくその光安は、すっかり強気になっていた。確かに、ここまでばれてしまえば、今さら怖いものはないかも知れない。仮に頭の隅々まで裕美に探索されても、今の台詞以上の恥ずかしい記憶は出て来ないだろう。彼は完全なる勝利をつかんだ。

 ……しかし、彼の強気にはもう一つの理由があるようだ。それは他でもない、裕美の態度にあった。

 いつの間にか廊下の壁にもたれかかっている裕美。彼女は間違いなく呆れている。どうしようもなく呆れている。しかし恐らくはそれほどに呆れても、光安の想像ほどではなかった。

 彼が恐れていたのは、「ダブル曜子事件」の一部始終を裕美がクラスで披露することだった。一般的に子どもというものは、自分の理解を超え、しかも自分がバカにできる出来事を知ってしまうと、全身全霊をかけて広めようとするものだ。なぜならその瞬間、暴露する自分がヒーローになれるからだ。

 しかし裕美は思いの外冷静だ。他人のプライバシーをさんざん侵害しておきながら、それをネタに暴れそうな気配はない。光安はいつもより神経質なので、そういう状況に気付きつつあったのだ。


「……百歩譲って引き受けるとして、何をしろというの?」

「それは………、これから考える」

「何それ」

「いいんだ。曜子に明るい未来がやってくれば」


 そして光安は、策を練っていた。無理矢理にでも裕美を共犯にしてしまえば、彼にとっての危険はさらに遠のくのである。

 ただし彼の戦略には根本的な欠陥があった。毎日毎晩妄想に耽っていながら、彼自身には何の解決策もないのだ。というよりも、曜子は妄想の中で完結していたので、これまでは「解決」を考える必要すらなかったのだ。


「明るい未来、ねぇ」

「…………」

「それは、アンタにとって明るい未来でしょ?」

「俺にとって明るかったら悪いのか!」

「極めて自己中心的だわ」

「ぐっ…」


 妄想が自己中心的なのは宿命である。裕美はもちろんそれを分かっていて、光安をからかっている。それは現在の異常事態にそぐわない、ほのぼのとした会話だった。

 保証しよう。裕美は決してこの事件を口外はしないだろう。なぜなら、彼女は本気で考え始めたからだ。ダブル曜子を幸せにするにはどうしたらいいのか、と。

 彼女の人智を超えた頭脳をもってしても、その結論は簡単にはでない。しかしそれは、どうやら呆れた変態趣味ではなく、興味深い娯楽として認識されたようであった。


「たとえば、本当に妹ができちゃうってのは?」

「は?」

「アンタの両親に頑張ってもらって」

「却下」


 俄然、裕美のテンションが上がりはじめた。

 私は思う。あるいはこの女の頭のネジも一本外れているのではないか、と。


「なんでよ」

「年齢が離れすぎてる。成長する前に離ればなれになってしまう」

「妙に現実的な回答なのね」

「リアルに生まれるならそれはリアルだからだ」


 光安の返答は、その瞬間だけは頭がよさそうに聞こえた。少なくとも、頭の出来はともかく回転は速いようだ。これも曜子への愛がなせる業である。……よく理解できないが、そう結論づけると格好良さそうなので言ってみた。


「じゃあねぇ…」

「もういい。冗談だ。曜子は所詮俺の頭の中だけの妹だ」

「……それを解き放つだけの力は持ってるつもりだけどね。だいたい、私が知った時点でアンタ一人の妄想じゃないでしょ?」

「それは……」


 もはや裕美は、この場に曜子を出現させかねない勢いだった。それが可能かどうかは未確認だが、彼女の発言の節々に「人造人間」という言葉が透けて見えるのは私だけではあるまい。

 ……「人造人間」はかなり古い言葉だから、似たようなものが浮かべば良いのだぞ。


「裕美には細かいディテールが分からないだろ」

「私は私で補完するだけよ」

「それじゃ曜子じゃなくなってしまう」


 その時、チャイムが鳴り始めた。誰もやって来ないので確認する術もなかったが、どうやら昼休みは時間を停めていなかったようだ。

 二人はそれぞれに表情を変えて、教室に戻る。実況役の私にとっても、ようやく現実に引き戻された感じがする。ほっとしている。


「とにかく、曜子問題は今後も継続審議」

「別に裕美が考えることはないだろ」

「ダメ」


 階段を登りながら、裕美は笑った。


「だって、面白いもん」


 その笑顔は、おそらく普通の男子生徒なら一撃必殺の輝きをもっていた。ただし光安がどう思ったかは分からない。なぜなら得体の知れない妹に忠誠を誓う男は、きっと普通の男子生徒ではないからだ。


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