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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第二章 魔女とバカ、高校に行くの巻
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第二節 髪の長い女 その1

 もう何度繰り返した台詞か忘れたが、青原光安はバカである。

 一般的に、バカにとって授業中は苦痛であるという。彼もその例外ではなく、特に本日の三時間目に組み込まれている数学は地獄であった。

 なぜなら必ず一度は問題を当てられる上に、その当て方が全くのランダムなのだ。当たる順番を計算して、その問題だけを解くという裏技に、この数学教師は激しく対抗していた。そのため生徒からの人気のなさは絶大だったが、誰も表だってその非を主張はできないのだ。

 ……もちろん、クラスの全員が同じ苦痛を味わっているわけではない。彼は三十七人のなかで、決して数学が得意な方ではなかった。


「………なので、3番だと思います」

「うむ」


 しかしその日の数学の授業は、比較的穏やかにすぎていった。何のことはない、彼は真っ先に当てられてしまったのだ。そして珍しく、彼は正答を口にすることができた。年に一度の奇跡のような時間だった。

 さぁここからは何をしようか。光安は少しニヤケながらぼんやりと天井を見つめていたが、やがてノートに何かを書き始めた。それは世の中では「落書き」と称される行為であり、授業がつまらないとか、私の集中力はもう切れたわ~とか、そんなサインである。彼の場合は……、理由無き反抗かも知れない。


「ク、ククク…」


 何かこの世のモノとは思えない笑い声が、どこかから漏れた気がする。きっと気のせいである。

 少なくともこの世界はファンタジーではないので、その辺を妖魔とか何とかが徘徊していたりはしない。だいいち妖魔という言葉は、うさんくさそうな漢字を二つ並べただけで、そこに特定のヴィジョンなど存在しない。だいたい、光安にもそんな奇妙な声は聞こえなかったようだ。

 …いやそれは嘘だ。あれは彼がにやけた拍子に音に出てしまったものだ。授業中に奇声を発する、バカの上に変態であった。


「よし、じゃあ高橋さん」

「はい」


 いつもの他愛ない遊び。しかし落書きはいつもと変わりがないが、クラスにはそれまでにない要素が加わっている。他でもない、裕美の存在である。

 裕美は数学の授業を楽しんでいた。そもそも彼女にとって、授業を受けるという経験は今日が初めてのはずだったが、既に何千年も受けているかのように余裕の表情だ。さすが1300年も生きる魔女だけあって、高校一年の数学は簡単に解けるようだった。

 そして裕美は、光安の落書きにも当然気付いていた。

 彼の側をちらりとも見ることはなかったが、時々にやつく様子を察しては、吹き出しそうな笑いをこらえている。

 そうだ。

 光安は、本日起こりうる事態について著しく配慮が足りなかった。

 その気になれば裕美は、目を向けなくとも彼のノートを見ることができた。つまり、煩悩の赴くままにニヤニヤしながら書き散らし、授業が終わる前に何食わぬ顔で消してしまったはずの落書きは、すべて裕美の記憶するところとなってしまったのだ。なんと愚かな男だ。


「ねぇ光安」

「なんだよ、俺の昼飯の時間を邪魔しないでくれ」

「あ、お前! 裕美ちゃんになんて言葉遣いなんだ!」

「曽根は黙ってろよ…」


 そして恐怖の昼休みとなった。

 わざわざ裕美が声をかけた理由が、自分の落書きにあったことを光安はまだ知らない。そのまま記憶喪失にでもなった方が幸せだろう。

 もっとも、昨日遭ったばかりの非常識な存在について、あらゆる可能性を考えろというのも酷な話である。だいいち、隠そうとすれば思考を読まれる可能性が高い。結論を述べれば、彼にはもうプライバシーが存在しないのだ。裕美が飽きてしまわない限りは。


「お昼ごはんは三人で食べるのね」

「決まってるじゃねーか」


 まだ事情を知らない光安は雄弁だ。どのように決まっているのかは誰にも説明できないが、昼休みの彼は三バカ勢揃いで弁当を食べるのが日課であった。正確に言えば、荒瀬は時々パンが混じるが、いずれにせよ三人で食べることに、それぞれが何か使命のようなものを感じているらしい。解説する自分の頭がおかしくなりそうだ。


「も、も、もしかして裕美ちゃんも一緒に?」

「あー、それは遠慮しとくわ。そこ狭いし」

「やめろ荒瀬、それは多くを望みすぎだ」

「やーねー、そんなに構えないでよ曽根くん」

「は、はい!」


 裕美ちゃんに名前を呼ばれてしまったー、という曽根の心の声が聞こえてくる。荒瀬は荒瀬で、キラキラした瞳を裕美に向けている。なんというステレオタイプな高校生なのだろう。私は今、猛烈に呆れている。

 それに比べれば、会話に加わるのをあきらめて黙々と飯を食う光安の方が、まだまともに見える。もちろんそれは、裕美が曽根や荒瀬に「言わせている」のでなければ、だが。


「じゃ、お船ちゃんとたーべよっと」

「えーっ、ゆうちゃんお弁当豪華だから困ったなぁ」

「一緒に食べればいいじゃない」

「それなら乗った!」


 裕美はお船ちゃん――本名は入船である――と、堂々と高校生役を演じている。彼女の主張するように1300歳だとしたら、その経験がなせる業だろうか。

 いや待て。1300年前に高校は存在しない。なんの経験だ……。


「えっ?」


 その時、光安は突然声をあげた。


「……なんだ光安」

「あ、いや、何でもねぇや」

「まさかお前、大声出しておどかそうとしたのか? さすが知恵者だな」

「そんなアホな知恵者はいらん」


 何の前触れもない彼の奇声は、もちろん曽根と荒瀬にも聞こえていた。

 ……賢明な諸君ならお分かりだろう。今の光安の反応は、裕美に話しかけられたリアクションである。俗に言うテレパシーという行為で、「アンタに聞きたいことがあるんだなー」みたいな台詞を伝えたようだ。

 光安は曽根のツッコミをどうにか流すと、隙を見つけて裕美の方をちらっと見た。

 視線の先では、入船と二人で弁当をつつき合う裕美がいた。光安のことなど全く気にとめる気配もない。それ以上はどうしようもなくなった光安は、黙々と弁当に向き直る。冷凍食品と卵焼きなどで構成されたいつもの味を噛みしめながら、動揺をどうにか抑えようとしていた。


「おい荒瀬、それは何だ」

「しょうが焼きだ……って、何しやがる曽根!」

「信用ならんので確かめてやった」

「ちくしょーめぇぇ、貴様の血は何色だ!」

「通常は赤だ」


 三バカは飯を食ってもバカだったが、男子生徒なので、なくなるのは早かった。大きめの弁当をモソモソと食う荒瀬はたいがい一番遅く、従って他二人の餌食になるのがお約束のようだ。そんな説明は誰も聞きたくもないだろう? 私も無意味だと思うぞ。


「なんか…もよおした。トイレ行く」

「汚ねぇな光安は。まだ食ってんのに」

「その腹でナイーブな言葉を吐くな」


 光安の台詞につられ、自分の腹をさする荒瀬。

 彼は確かに小太りといっていい体型だが、まだ後戻りはききそうな段階だ。要するに、中途半端なデブであった。


「腹の大きさ、すなわち人物の大きさだっ!」

「なら細かいことにこだわるな。ああトイレに行ったら、あの小便器のころころした匂うヤツを、俺の噴射で転がしたいなぁ!」

「貴様は鬼か!」


 荒瀬を一通りからかって、そそくさと弁当をカバンにしまう光安は、特にいつもと変わりがなかった。だから二人とも、彼が裕美に呼び出しを喰らっているとは知る由もない。

 それほどに自然な演技ができたのは、光安がまだ用件を知らなかったからだ。


「来たぞ」

「ほっほっほ、ご苦労」


 裕美は光安を、場所を指定して呼び出していた。そこはもちろん二人のクラスの教室前ではない。裕美には少なくとも、密談には密談向きの場所を指定するぐらいの知恵があった。

 トイレに行くと適当にごまかして教室を出た光安は、黙って階段を降た。向かった先は、渡り廊下でつながった旧校舎であった。


「で、何だよ今度は」


 三階建ての旧校舎は、一階に音楽室や美術室があったが、今は出入りする人影もない。どうやら午後の授業はなさそうだ。

 あくまで廊下とはいえ、密談にはぴったりな雰囲気だった。


「つーか、休み時間のたびにお前と話してるよな」

「初日はいろいろ忙しいものよ」


 初日という言葉に、裕美は少し力を入れたように聞こえた。

 それはもしかしたら、光安の心の中でも薄れつつある事実を、あえて確認させようとしていたのかも知れない。あるいは、光安がまだ覚えているかを確かめるためなのか、いずれにせよ裕美は彼の反応を見定めようとしていた。

 しかし光安は特に何も反応しなかった。裕美はほんの数秒そのまま彼の呼吸を確認すると、ふっと息をついて話し始める。


「で、光安」

「だから何だ。手短かに言え」

「曜子ちゃんって誰のこと?」

「ヨ、ヨ、ヨ…」

「ヨは車掌車。貨物列車の車掌常務は国鉄時代に廃止されたわ」


 鉄道にあまり関心のない光安に、裕美のギャグは通じなかった。もちろん、それ以前に驚きすぎて耳に入っていなかったようだが。

 というか、曜子って誰だ? この物語には登場していないはずだ。


「な、なんのことだ? 俺は荒瀬とエクササイズの予定があったんでな。じゃあな」

「曜子ちゃんはとっても可愛いのよね」

「………」

「で、何か心配なんでしょ?」

「み、み、……見たなぁ!!」


 ようやく光安は事態を理解したらしい。その瞬間には、真っ赤な顔で拳を振り上げていた。完全に取り乱している。もしも影絵だったなら、暴力沙汰の一歩手前な景色である。

 もちろん私も、ここに至って理解したぞ。彼はノートに、曜子という女のことをあれこれ書いてにやついていたのだ、と。


「見たけど何か悪い?」

「悪いに決まってんだろ!!」


 そう言って光安は両手を振り上げ、敵意剥き出しで裕美の肩をドン、と押した。

 ……いや、押したつもりだった。


「……遊ぶ?」

「…………」

「むーすーんーでひーらーいーて」

「するか!」


 しかし残念ながら光安は裕美よりも遙かに背が低いので、肩を押そうとしてもかなり背伸びを必要とする。そうしてどうにか届きそうになった彼の手のひらに、裕美の手のひらがちょこんと合わさった。

 それはまるで、保育園で先生にじゃれる子どものように見えた。


「まぁ落ち着きなさい」

「………」

「それに、隠し事は良くないわ」

「人間、誰だって隠したいことの三つや四つや五つはあるだろ!」


 光安は手を出すのはやめたようだったが、まだ怒っていた。そして怒りつつも彼はなかなか雄弁だった。さりげなく隠し事の数を水増しするとは侮れない男だ。

 とはいえ相手が悪い。裕美はバカじゃない上に口が達者であった。


「一般人には沢山あっても、アンタにはない」

「なぜだ!」

「私が全部覗くから」


 光安は力なく腕を下ろし、そのまま廊下に座り込んでしまった。

 ついさっきは真っ赤だった顔は、今度は真っ青に変わっている。信号機なら好転の兆しだが、彼の場合は精根尽き果てた感じに見える。もうすぐ真っ白な灰になりそうだ。


「いいじゃない。時と場合によっては協力してあげる」

「……無理だ」

「ところで、一組に曜子って名前の人がいるわね」


 その瞬間、光安の肩がびくんと揺れた。

 どうやら図星のようだった。


「……けど、アンタとの接点がよく分からないな」

「聞きたいか」

「じゃあ聞かせて」

「ふ……」


 再び立ち上がる光安の顔は、多少は生気を取り戻したようだ。まだ立ち直るには早い状況としか思えないが、彼はバカなだけに常人とは頭脳の回転が違うのかも知れない。

 裕美はそんな彼の様子を興味深そうに眺めている。どう考えても見せ物の対象になるはずなのは魔女の側。しかし、この場でどちらが常識的かは判断が難しい。


「一組の本間……曜子さんはだな、赤の他人だ」

「だから?」

「決まってんだろ。名前が偶然一致しているだけだ。一致しているから気になるだけだ」

「………誰と?」


 その瞬間、またもや光安の血の気が引いた。さーっという効果音付きだった。

 これはあえて説明するまでもなく、墓穴を掘ったのである。本間曜子と一致する名の女が別に存在することを、ともかく彼は明言してしまった。


「………さて、曽根と七並べの決戦に行って来るぜ」

「さっさと答えないと、読んじゃうわよ」

「…………ふぅ」


 掘った墓穴は致命的なものだった。

 もちろん、物理的な攻撃なら、とりあえず走って逃げるという方法もある。しかし裕美の記憶操作に距離は関係がないことを、光安もうすうすは感じている。

 いや、本当に関係がないのかどうかは、まだ裕美本人のみの秘密である。とはいえ、身体に触れずに済んでしまう時点でお手上げだった。

 光安は意味もなく屈伸運動を始めた。

 それは逃げるためではなく、これから吐く台詞が、何か他の動作に紛れさせないと恥ずかしいからであった。


「曜子はなぁ、俺の妹だ」

「はぁ?」

「聞こえなかったか?、妹だ」

「アンタに妹なんていた?」


 その質問は私も同感だ。

 少なくとも、今朝の青原家に妹らしき生物は存在しなかった。


「妹とはなぁ、幼い日に離ればなれになってしまった」

「なぜ? 両親の離婚?」

「しとらんわ!」

「じゃあ何よ。誘拐とか?」


 だんだん不穏な空気の漂う話題になってきた。

 ただし問い詰める裕美にそういう自覚はなさそうだし、どうも私の感覚でも、言葉ほどの不穏さはなさそうに思えるのはなぜだろうか。


「………裕美」

「何よ」

「お前はまだ聞きたいのか」

「聞きたいでしょ。まだ何も分かんないじゃない」

「知らない方が幸せだって言うだろ」

「もう中途半端に知ってるでしょ。面倒くさいなぁ、もう読んじゃうよ」

「よ、読むな! 分かった。分かったから待ってくれ!!」

「…………」


 あわてふためく光安を、首をかしげたまま裕美が見下ろしている。この様子からすると、まだ記憶を覗いてはいないようだ。

 とんでもなく横暴で一方的な割に、裕美には時々妙に律儀な部分がある。これも長生きの功なのだろうか…などと適当に言ってみる。


「いいか、聞いて驚くな!」


 ついに追い詰められた光安が、観念して真相を口にする!

 そんな切迫した事態のわりに、旧校舎一階の廊下には、あまり緊張感が漂っていないのである。


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