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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第九章 宇宙旅行と高校生の巻
30/35

第三節 夕暮れ時の部活動

 約十秒。

 完全な暗闇を、意識はさまよっている。

 それは十二度目の魔女の消滅を意味する、終末の旅。


 私は「分身」だ。

 高橋裕美という、この宇宙にとっての異物を排除するために生み出された存在だ。

 「神」の声を聞き、裕美や光安らの生活を覗き放題という特権を与えられた代わりに、定まった姿をもたず、そして自身の消滅をも義務づけられた。

 しかし諸君、憐れむには値しない。

 「分身」とは、本体という担保を得た上で存在する人形だ。いや、人の姿をもたない人形というのも我ながらおかしいが、ともかく憐れんでくれなくて結構だ。よい子のみんな。


 十二度目という生まれ変わりは、聞き分けのいい女だった。自ら人間と交わり、交われない自分に気付き、消滅を選んだ。まさしくシナリオ通りの展開だ。

 ただ……、裕美が私の意識に潜入したことだけは、今も理解できない。私は裕美の干渉を絶対に受けないはずだった。絶対安全な位置にいたはずなのだ。

 しかも裕美は、どうやら私が何者なのかを薄々感じとった。非常に危険な事態だ。


 まぁいいさ。

 高橋裕美が消滅するならば、細かいことには目をつぶろう。さらばだ諸君。









「…起きなさいよ」

「…………」


 さらばだ諸君…。

 諸君………。


 やがて再び視界がひらけた。

 そこには見覚えのある景色が広がっていた。

 少なくともそれは、女の名前を冠した星の核ではなかった。


「…ゆ、ゆうみ?」

「そうね。アンタの前にいるのは高橋裕美っていう名前」


 やや遅れて目を覚ましたバカが、慌てて身体を起こす。

 そこは………、なんと教室なのだ。正確にいえば旧校舎の教室、つまり将棋部の「部室」なのだった。


「………」


 事態が飲み込めない光安は、立ち上がって室内を見まわした。いや、事情が分からないのは私も同じだ。裕美は…、きちんと自分のやるべきことを理解して、確実に執行したはずだった。いったいどういうことなのだ。

 既に夕陽のオレンジ色も消えかかった窓から、積み上げられたままの机まで、放心しきった表情で光安は眺めまわしている。そして視線がひとまわりした辺りで、部屋の中心に人影を認めた。いや、それは既に聞き慣れた名を自ら名乗っている。彼はただ…、その状況が理解できなかったに過ぎない。

 もちろん私もそうだ。

 この期に及んで、こんなバカと同列になってしまった。

 そうだ。恒星に突入する寸前で、裕美は裏切った。瞬間移動によって地球に帰還してしまったのだ。


「も、戻ったのか?」

「戻ったわよー」


 およそ122光年を、わずか十秒で移動する。さっきの暗闇は、瞬間移動のタイムラグだったらしい。つまらない遺言までつぶやいた私は、とんだピエロだ。

 移動のスピードは分速700光年を超える。時速は…………、この能力ならば宇宙の果てにすら、さして時間はかかるまい。

 何を考えているかは分からないが、やはり裕美は魔女の皮をかぶった女神だ。


「………なぁ裕美」

「光安」


 事情がつかめないにしろ、裕美は自らの意志でこの街に帰還した。おぼろげながらその事実が理解できた彼は、緊張感がとけかけた顔で話しかける。

 しかし、その先に予定されているおどけた調子の会話は、彼女によって制止されることになる。彼女が彼を睨みつけるその表情は、突入直前と何も変わっていなかった。


「これから部活をするわ」

「部活?」

「そう。アンタの言う通り、私は高校生だった。だから部活して家に帰るの」

「…………」


 突然提案された部活。そもそも将棋部は一度しか活動したことがないし、部員として登録された生徒に至っては光安一人しか参加していない。それを高校生の部活と呼ぶには無理があった。

 しかし光安は、拒絶はしなかった。

 彼は裕美の真意をはかりかねているが、つい数分前に宇宙の果てで消滅しかけたことを思えば、それ以上の提案もできないのだ。彼はもう、あの瞬間で力尽きていたのだ。


「一度ぐらい勝ってみれば?」

「無茶なことを…」


 裕美は積まれた机の一つを持ち上げて、以前の「部活動」の時と同じ場所に置く。なぜか今回は自分の手で運んでいる。

 教室の机は誰でも動かせるものだが、魔女が地球人類の真似事をする必要はない。魔女はくだらないことに、過剰な能力を使う愚かな生物と決まっているのだ。


「将棋盤は?」

「……見覚えあるでしょ?」

「たぶん」


 以前の「部活動」では、終了後に消去された将棋盤。裕美が出現させたものは、そうしてこの世から消えた盤と、見た感じは全く変わらない。所詮は規格品の大量生産なのだから、そんなものだと言えばそれまでだ。ただ、さっきのカップといいこの将棋盤といい、変化をつけない主義らしい。

 簡単に準備ができたところで、椅子に座る裕美。

 普通の教室の合板貼りの椅子にいったん座った後、立ち上がってその椅子をソファーに変えた。これもまた、前回と同じだった。


「どうせなら俺の椅子も変えてくれよ」

「アンタも贅沢になったわね」


 おどけた調子で指先を軽く左右に振ると、すぐに彼の椅子もソファーになった。いや、マッサージチェアーになっていた。


「なんか座りにくいぞ」

「リラックスできるでしょ?」

「将棋打つんじゃねーのかよ」

「うるさいなぁ」


 さらなる抗議の結果、裕美の椅子と同じものが出現した。座ったまま造り替えられたので、ちょっとびっくりした表情の彼は、腰を動かして座り心地を確かめた。

 そうして向かい合う二人。LED照明は煌々と輝いて、積み上げられた机のパイプ部分に反射している。もう夜といっていい時間だ。


「裕美は…、昔から将棋を打ってたのか?」

「え?」

「いや………、なぜこのタイミングで…」

「とっさに思いついたのがこれだっただけ」


 駒を並べながら、さっそく過去の記憶をほじり出させる光安。

 彼はすっかり安心しているのだろう。いや、彼も、と言っておこうか。


「四度目ぐらいに生まれた時はやってたなー」

「ふぅん」

「飛車角なかったけどね」

「お前が強いからか?」

「ううん。そういうルール」


 四度目がいつなのかは判然としない。従って、彼女が過去に遊んだらしい将棋のルールも、正確なところは分からない。恐らくは鎌倉幕府ができた前後だろうのことだろうが。

 なお、よい子のみんなのために教えてやろう。

 過去には飛車角の存在しない将棋が実在したらしい。もちろん私が知るのは、文献にそのように記されているというだけだ。高橋裕美はその意味では、まさしく文化の生き字引なのだ。


「せっかくだから飛車角落ちにする?」

「何がせっかくなんだよ」

「じゃあやめる?」

「いや…、それで頼む」


 現代将棋で飛車角落ちはあまり格好いいものではない。とはいえ、実力の差がある場合は普通に行なわれているのだから、彼が恥じるほどのことでもないだろう。

 裕美の頭脳は、本気になれば地球人類のすべてを合わせても遠く及ばないものだ。飛車角程度で勝負になるとは思えない。たかが将棋で、彼女がそんな本気を出すとも思えないが。


「じゃあ始めましょ。アンタの先攻で」

「うむ」


 当然のように先攻も譲って、対局が始まった。

 双方の駒の乾いた音だけが響く教室。千年前には高校も、そして教室もなかった。しかしこの雰囲気は、千年前の対局の記憶ともさして変わらないだろう。


「ねぇ光安」

「ん……、何だ?」

「今はいい時代ね」

「はぁ?」


 バカはバカなりに真剣に対局に臨んでいる。なので話しかけられると彼はやや顔をしかめたが、予期せぬ言葉の不意打ちに、さすがに驚いたようだ。

 不意打ちを浴びせた側は、特に表情を変えることもなく、次の一手を打つ。


「いつも…、いつだって人は死んで行くの」

「………そりゃ死ぬだろ」

「ううん」


 飛車角を有するだけに、序盤はそれなりに余裕の表情だ。それでも神経質に将棋盤を見つめながら、光安は疑問を呈する。その疑問は非常に軽薄な響きをもっていた。


「ねぇ。アンタは…、いくつまで生きられると思う? 自分が」

「え………」


 軽薄なのは当然だ。所詮は高校生でしかない。


「深く考えなくていい。どうせ当たらないから」

「う、うむ……。それなら、八十までは何とか」

「ずいぶん謙虚なのね」

「平均がそんなとこだろ?」


 いつの間にか、飛車は裕美の手に落ちた。

 何となく駒を前に進めるだけのバカと、戦術をもつ魔女の差は大きかった。


「四度目の頃の平均は…、たぶん四十歳に届かなかった」

「そ、そんなに短いのか?」

「驚くことはないわ。つい最近まで、子どもはどんどん死んでいたのよ」

「…………」


 戦局は不利になり、裕美の話も不穏な方向へ向かう。

 バカは慌てだすが、そんなことは何の役にも立たない。そして昔のこの国の小児死亡率の高さを知ることも、彼の生活に役立つわけではない。


「十度目と十二度目の間に、世界は劇的に変わった」

「……今のお前が十二度目だっけ」

「よく覚えてるじゃない」

「お前のことなら忘れないさ」

「へぇ」


 虚勢を張るバカは、まだ角を保持している。

 しかし飛車側は大きく崩された。奪い取った飛車を、いつどこに裕美が打つかが勝敗の鍵と言えなくもない。


「人間は死ななくなった」

「そうか? 俺は交通事故で死ぬ予定だったんだろ?」

「昔なら、この高校の二割ぐらいは高校生になれなかった」

「………」


 人類は近代科学を手に入れた。それ自体はいつでもただの信仰に化けていくが、悪魔や怨霊は去り、代わって細菌やウイルスの世となった。

 死なない女を苦しめる要素は、確実に減っていた。十一度目は…、どうだったのか知らないが。


「誰もが死ななくなった世界なら、私の居場所もあるかもねー」

「………お前の力でどうにかできねぇのか?」

「できたらどうするの?」

「そりゃ…」


 と金、桂馬、香車だけで光安陣はズタズタになった。

 どうやら彼女は、手にした飛車を使う気すらないようだ。


「死なない人間の世界は、本当に幸せだと思う?」

「死ななくていいなら…」

「それは人間の世界じゃないよね、きっと」

「…………」


 たとえば地球が、増え続ける人類で溢れてしまうような将来。そんな具体的なイメージを描いて、宇宙へ脱出だとか叫んでも、絵空事の域を出ない。

 ただ、死ぬこと、滅びることを前提とした人類の意識は、すべて変わってしまうだろう。それが良いかどうかは、実現しない限り誰にも分からない。

 ……いや、分かる者もいる。


「諦めたんじゃなかったのか」

「何を諦めるの? 私はただ…、プログラム通りに十三度目まで死ぬのよ」


 銀を二つ、金も片方をとられ、光安の王将はただ左隅に逃げるだけ。

 いつでもとどめを刺せる状況で、真綿で首を絞めるように裕美は攻め続けている。


「だから…、従う必要ねぇだろ。そんなプログラム」

「今の私には逆らえないわ。それに……」


 ふと、窓の外に視線を向ける裕美。

 その表情は、覚悟を決めた者のものだ。この女は自分にふさわしい「死に方」を決めている。なるほど。私もそれならば…、再び覚悟を決めるだけだ。


「アンタが死んでいくのは見たくない…かもね」

「…………」


 孤軍奮闘していた角も、王将と引き替えに奪われた。

 光安側の右半分にはもう何も駒が残っていない。もはや続ける意味のない対局である。


「あーそうそう」


 ギブアップしないバカに、裕美が笑顔で語りかける。

 もう見ることもないかと思われた、女神の微笑みだ。


「曜子ちゃんを幸せにしなさいよ。どっちもね」


 そして、この期に及んでまだ曜子だ。

 バカの妄想妹をここまで気にかける理由は、最後まではっきりしなかった。もうどうでもいいけどな。


「………リアルな方は、俺にはどうにもならねぇだろ」

「渋谷くんの相談ぐらいのってあげなさい、バカ。……妹の方は大丈夫?」

「妹の将来を見守るのは兄のつとめだ。お前も姉なんだろ?」

「………姉、か」


 とうとう盤上に残る光安の駒は、王将だけになってしまった。

 こんな勝負は、千年前にもきっとなかっただろう。


「どっちが姉なんだろうね」

「……曜子は、曜子は頼りないぞ。俺よりもずっと」

「…………」


 もはや考慮の必要もない。

 遠目には穴熊か何かの戦法でもとったかのように、二重三重に囲まれている。


「はい、これで終わり」

「……もう一局」

「ダメ」


 始めから話にならない勝負で、あっさりと光安は負けた。

 裕美の頭脳が並みでないことを差し引いても、彼は弱かった。バカの名にふさわしい、行き当たりばったりの戦術で、与えられたハンデを見事に台無しにした。この調子なら彼の将来はきっと、人生の敗北者であろう。

 にも関わらず彼は再戦を求め、裕美は微かに笑顔をみせながら、それを拒絶した。


「楽しかったわ。今日も、今日までも」

「………」

「光安」


 既に日が暮れた教室。外はかなり冷え込んでいるだろう。

 二人はソファーに座ったまま、身動きもせずに互いを見つめている。


「アンタはバカだけど、……でも、逢えて良かった」

「何言ってんだよ、今さらそんな…」


 今までにない素直な言葉で、裕美は穏やかに別れの言葉を伝えた。

 私からも言っておこう。

 お前はバカだ。しかしお前を実況する日々は…、それなりに楽しかったと。


「幸せな人生がおくれるよう、最後に宇宙に命令しておくわ」

「そ、そんな命令はいらねぇ! いらねぇから…」

「……というわけで、部活はおしまい」


 裕美がそう言って立ち上がる。

 光安も慌てて腰を上げ、近寄ろうとする。将棋盤の置かれた学校机一つすら、邪魔でしょうがないという仕草で。

 …しかし、彼の手は彼女には届かなかった。


「そして、私もおしまい」

「裕美!」

「光安。……ありがとう、光安」


 女神の笑顔を見せたまま、裕美の姿は薄れ、彼の意識も遠のいていく。

 さらばだ、青原光安。歴史に残ることもない、バカな高校生。











 十一月の冷え込んだ午後七時過ぎ。

 青原光安はゆっくりと目を覚ました。誰かが彼の名を呼んでいる。その声は…、彼の母親のようだ。

 だらしなくトレーナーを着て、布団に横たわっているバカ。晩ご飯ができたらしいと、ゆっくり身体を起こすものの、その表情はまだ眠っているに等しい。たかが高校に通っただけの帰宅部のくせに、一人前に疲れているようだ。

 しかし、おかずは高校生がこよなく愛するトンカツだ。彼は次第に意識もはっきりして、そしてその胃袋を躍動させる。おお、私も何となく腹が減ってきた気がするぞ。




 …………。

 なぁ?

 私は、誰なんだ?


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