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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第九章 宇宙旅行と高校生の巻
29/35

第二節 銀河鉄道の夕

 時代遅れの遊園地を走っていそうな安っぽい乗り物は、裕美と光安の二人を連れて夜空を滑るように走っている。

 夜空と表現してみたが、そもそも宇宙空間に昼と夜があるのか定かではない。どちらにせよ、窓の外は漆黒の闇が広がっている。


「男の子は汽車が好きでしょ?」

「それは…必ずしも否定しない」


 裕美はどうやらこの乗り物を「汽車」と呼ぶらしい。何かのこだわりなのかは定かでないが、まぁ私も従うことにしよう。

 車内は向かい合わせのボックス席が通路の両側に並んでいる。一見すると昔ながらの古めかしいシートのようだが、中央には大きなテーブルが据え付けてあり、どちらかと言えばファミレスのテーブル席の雰囲気である。

 ファミレスで何時間も座り続けたら、いったいどうなるだろう? 一般人はあまり試さないし、経営者もそれを望まないので、乗り心地はいずれにせよ不明だ。


「車掌さんもいた方がいいかなぁ」

「無関係な人を巻き込むなよ」

「巻き込むって……、造るんだけど?」

「それはなおさらやめて欲しい」


 テーブルの上には、驚くべきことにコーヒーカップが二つ置かれている。どう見てもそれは、さっきのワンルームで使っていたものだ。

 一度消去して、再び同じものを造り出した場合、それぞれのカップは全くの別物になるのだろうか。それとも四次元ポケットの論理で、必要になれば取り出すだけなのか。詳しいことは、それを光安が疑問に思って質問しない限り、明らかにはならないだろう。


「私が神なら、人を造ったって不思議じゃないでしょ?」

「お前は神じゃないから不思議だ。というかダメだ」


 マニアなら、いやマニアの域に達しなくとも、列車に乗ればリズミカルな揺れを楽しむものである。

 しかしこの汽車は全く揺れていない。カップの中身がこぼれる心配は、全く必要なさそうだ。


「月を投げても神じゃないの?」

「太陽を投げても神じゃない」

「……ふぅん」


 それにしても、不毛な会話である。

 私に言わせれば、裕美はやはり女神だ。冗談抜きに人間を造ってしまうだけの能力はあるようだし、たかが太陽ごときは軽々と投げてのけるだろう。この能力は魔女などという生やさしいものではないのだ。


「アンタは今、どうにかして自分の正直な感情を抑え込みたい、と努力してる」

「な、何だよそりゃ」

「魔女って呼んでいれば、まだ交われると思ってる?」

「俺は魔女なんて呼ばねぇぞ。魔女は自称だろ」


 それでもまたカップに手をのばす光安。

 中身を覗いて、少しだけ躊躇する表情を見せたのは、何か変な臭いがしたからだろう。


「魔女はね、得体の知れないお茶を飲ますんだって」

「こいつはなぁ…、センナだ」

「な、何で分かったの?」


 さっきまでは普通の飲み物だったのを、今さら小細工してどうなるものではない。が、そうまでしても、魔女…というより自分と人間の距離を演出する。そんな彼女の意図は分かる。

 ただし残念だが、それすらもこのバカには通じないようだ。いや、あっさり当てる男をバカと呼んではいけないな。


「母親が飲んでる。便秘薬だ」

「……そうなのね。今は簡単に手に入るの…か。考えもしなかったわ」


 素直に驚きの表情で、裕美は自分のカップを見つめる。

 彼女はそうつぶやく一方で、最新の知識を学んでいるのだろう。

 私に与えられている情報によれば、この女の頭脳は、望みさえすれば宇宙に関するどんな知識でも入手可能である。もちろん、誰かの頭の記憶も。


「文明はどんどん進んでいくんだ」

「アンタが何したのよ」

「何もしてない」

「……開き直った」


 眠っていた、いや「死んでいた」間の出来事は、そんな魔女の頭脳によって埋め合わされる。そう、せん○くんの歴史のように。

 それにしても、光安の成長は恐ろしい。

 彼は決して、現代文明には何の寄与もしていないが、そのことを指摘されても全く臆するところはなくなっている。彼を地球人類の代表だと、誰も認めはしない。しかし彼は自分を、人類の代表であるべきだと考えている。

 なぜなら、魔女と対話できる存在は自分しかいないと知ってしまったからだ。たとえそれが偶然の結果に過ぎなくとも、彼は特別なのだ。


「まぁいいわ。センナ茶のままにする? それともドクダミ?」

「俺は便通には自信がある」

「そんなら便秘にしてあげるわ」

「できるもんならやってみろ」

「……この汽車にはトイレがないのよね」


 寂しそうに笑って、裕美は窓の外を眺める。窓枠に肘をついてじっと目をこらしても、そこには相変わらずの漆黒の闇。出発駅は間違いなく地球だったが、行き先は火星や木星ではないようだ。

 光安はしばらくの間、そんな彼女の横顔を見つめている。

 もちろん今の裕美の姿は、初めて彼の前に現れた時とほとんど変わっていない。制服が冬服になった程度で、汽車を取り囲む宇宙空間にも勝るほど暗く沈んだ瞳、呼吸の有無にかかわらず尖った輪郭を構成し続ける鼻、ほどよく肉付いた頬、地獄耳、人の生き血を吸いそうな唇、何も変わっていない。

 ………人の顔の形容は難しい。ありていに言えば、絶世の美人だ。青原光安が無視できるような存在ではないのだ。


「俺は……、たぶんちょっと喜んでる」

「はぁ?」

「お前と宇宙旅行できる権利なんて、お金じゃ買えないらしいぞ」


 遠くには沢山の星が輝く景色。地球上でこれだけの星空なら、この感動のないバカだってはしゃいだはずだ。まぁこいつはバカだから、感動のポイントがずれているけどな。


「……そういう台詞は、アンタみたいな貧乏人には似合わないと思うなー」

「まぁな」


 一人の魔女を巡って、教室が戦場と化していたその昔。デートの権利を得ることには、まさしくお金で買えない価値があった。それは友情、努力、勝利の賜物だった。いや、友情はなかったか。

 まぁいい。裕美のイヤミの通り、「お金じゃ買えない」という表現は、使える金をもつ者が言わないと説得力がない。今の彼は、自分用のクレジットカードも持てない子どもに過ぎないのだ。


「でも…、不思議なのは確かね」

「そりゃそうだろう。お前は誰だってオモチャにできたんだ。何も俺でなくとも…」

「オモチャにするなら、誰でもってわけにはいかないでしょ?」

「むむ……」


 頬杖をついて、前の客の顔をぼんやり眺める女と、短い脚を組んで天井を見つめる男。デートと呼ぶにはいささかくつろぎすぎだ。どちらかと言えば、倦怠期の夫婦の雰囲気だ。

 たった二ヶ月でこの空気を出せるのだから、互いにとって誰でもいい相手ではなかったのは確かだろう。


「アンタはとても不安定だったわ」

「不安定?」

「それが何を意味するのか、私にも分からない」

「宇宙の上位に立つのに、か」

「アンタはきっと、宇宙より大きな神秘なのよ」

「なんだよそりゃ…」


 私に言わせれば、このバカの不安定さなど、所詮は思春期のガキの一般的傾向に過ぎない。冗談めかして笑う裕美も、まさか本気で神秘と捉えているわけではあるまい。

 いずれにせよ、会話は途切れた。

 やることのない二人は、仕方がないという風情で窓の外に目をやった。

 四角の窓枠に囲われた映像は、プラネタリウムのようにまたたく星が散らばっている。揺れらしい揺れのない汽車の景色は、作り物の宇宙のように人々を飽きさせる。実際、ここ十五分ほどの間、それぞれの星の位置関係も何ら変化した様子がないのだ。


「なんかのんびりしてるなぁ」

「そう見える?」


 光安にはもちろん、この汽車がどの位置を進んでいるのか、座標を知る術はない。

 それに、機関車のようなものは確かに存在するものの、スチーム音もモーター音もエンジン音も聞こえてこない。まるで静止したままであるかの錯覚を起こすのも、当然といえる。


「じゃあクイズ。この列車は今どのくらいのスピードで走っているでしょう。制限時間は五秒」

「はぁ?」


 あからさまに退屈そうな彼を見かねて、彼女は一つの娯楽を提供する…つもりらしい。


「ちっちっち…」

「知らねぇよ。時速50kmぐらいか?」

「アンタってバカ?」

「バカだよ!」


 無理矢理なクイズに答えられなかったとしても、それを理由にバカ呼ばわりするのは、さすがに光安がかわいそうである。

 地球人類の文明がいったいどれほど進めば、この状況を再現できるだろうか。それほどの出来事に遭遇して、まともな思考ができるわけがないのだ。


「正解を知りたい?」

「クイズなんだから答えろよ」

「横暴ねぇ」

「どっちがだ」


 ただし、時速50kmでは飛行機が飛び立つことすらできない。ウラシマ効果がどうとか言わないまでも、もう少し考えた返答が望ましかった。地球人類のポテンシャルを、このバカで判断されてはたまらない。

 もちろん、宇宙人よりも遠く離れた存在の裕美は、地球人類の平均的頭脳がどのようなものか良く知っているだろうがな。


「正解は、時速3光年です」

「……………」

「聞こえなかった?」

「聞こえてる。聞こえてるが……、慣れない単位だったので頭が対応しなかった」


 そして魔女は、どこかの子ども番組のうたのお姉さんみたいなポーズをとりながら、正解を発表する。よい子のみんなは当たったかな?

 バカが戸惑いの表情を浮かべるように、それはあり得ない正答だ。かといってこの汽車のおかれた状況をよく考えれば、想像できなくもない。

 現代文明によって実現可能かどうかはさておき、それぐらいのスピードがなければ、宇宙を旅するなど無意味である。たどり着く前に寿命が尽きてしまうではないか。


「ちょっと遅すぎるかなー」

「…そんなスピードでも、止まってるように見えるんだな」


 単位を学校で習っているからといって、それをリアルに感じられるとは限らない。今入った情報によれば、彼はそもそも飛行機に乗った経験もないらしい。つまり、想像の範囲はせいぜい新幹線ということになる。

 今の彼にとっては、恐らくは新幹線の方が速く感じられるだろう。もしもこの汽車の沿線に人家があったなら、通過の際の突風で根こそぎえぐられるはずだ。しかしそれは、実際に人家がなければ意味のない仮定なのだ。


「なら、動いてるように見せてあげようか」

「え?」


 裕美の意地悪な声が聞こえた瞬間、機関車のようなものはうなりを上げて加速した。

 いや、どう考えてもバッテリーで動いているわけはないのだ。従って、うなる音はただの演出でしかないが、いずれにせよ速度が上がったらしいことは彼にも分かるようだ。


「さぁ、どんどん星を通過するわよー」

「いったいどんなスピードなんだよ」

「秒速1光年ぐらいかな」

「びょ、秒速って…」


 予想を超える言葉に、動揺する光安。

 とはいえ、そのスピード自体にはあまり関心がなさそうだ。いや、関心がないというより、想像できないのでしないというだけなのかも知れない。

 彼の心配は、全く違うところにあった。それが杞憂ではないという確信もありそうだ。


「なぁ裕美」

「何よ。まだ遅い?」

「地球に帰れるのか? いったい今どこにいるのかすら俺には分からねぇけど」


 そして交わされる言葉から、予想通りとんでもない発言が導きだされた。


「アンタは……、帰りたいの?」

「当たり前だ! 旅したら帰るに決まってるだろ」


 語尾に力を入れながら、相手の顔をじっと見つめる光安。

 その表情は、これまでになく大人びている。彼は…、私が思うよりも先を進んでいるのだろうか。


「あてのない旅って言うじゃない」

「そんな旅はない」

「いくらでもいるでしょ。放浪を続けた人なら」

「お前が放浪する理由はないだろ。二人で帰ろう。お前は……、こんな宇宙で消える理由はないんだ」

「……………」


 落ち着いているのは、裕美の意図を読んでいるからだ。

 彼には他人の頭を覗く能力はない。しかし、二ヶ月近くも親しく話す仲ならば、行動を予測することはできる。たとえその対象が、女神としか呼びようのない魔女であっても。


「アンタの発言とは思えないわ」

「俺だって小説ぐらい読むんだ」

「どうせ課題図書か何かでしょ?」

「たとえそうだとしても、読んだことは事実だ」


 そう。

 銀河を走る鉄道は、常に片道切符の別れの旅と決まっている。彼がどんなバカでも高校生ともなれば、その程度の知識はもっているものだ。


「光安。まだ結論を出すのは早いわ」

「…そうかもな」


 押し殺したような彼のつぶやき攻撃に、裕美は笑顔で答える。その返答は、彼女の動揺を表わしてあまりあるものだった。

 ただ、成長する人類の代表は、そこで引き続き精神的優位を保とうともしなかった。いや、彼はこうも気付いていたのだ。この魔女は最初から、勘づかせるつもりだったに違いない、と。


「戻ることが可能かどうかだけ聞きたい」

「私に不可能なんてあると思う?」

「……なら、いいんだ」

「…………」


 いつの間にか、汽車のスピードは以前の時速3光年に戻っている。いや、もしかしたらもっと遅いかも知れない。

 秒速1光年で走ったのは、せいぜい二分ほど。つまり二分で120光年も地球から遠ざかった。トータルでも121光年は離れているだろう。

 しかし、そんな途方もない距離を刻んでも、まだ宇宙の果てには遠い。


「また退屈な景色になったけど、いい?」

「俺は今学んだ。何も起きないことのすばらしさを」

「アンタ、二十歳までに悟りが開けそうね」

「毎日修行させられてるからな」


 彼の修行は今日で終わる。二十歳までにはきっと、どこにでもいるバカな若者になっているだろう。

 宇宙でただ一人の特別な存在だった記憶も、すべて忘れ去るのだ。


「じゃあ退屈しのぎに、せん○くんの話でもする?」

「何も話したいことがないのだが」

「懐かしいでしょ? まだ私が……、すべてを思い出してなかった頃のことよ」


 そうして裕美は、全くどうでもいい話題を振るのだった。


「まぁ確かに懐かしい。それは認める」

「………で?」

「俺にとってあれは、自分のジョークが滑った記念日でしかない」

「私をバカだと思った記念日じゃないの?」

「………」


 記憶から抜け落ちても不思議ではないほどに無意味な過去を、熱く語り合う二人である。どこかのうさんくさいマスコットも、こんな大宇宙で議論されれば本望だろう。


「図星ってことね」

「ちょっと違う」

「何が?」

「裕美は…、俺たちと似たような人間だと思ったんだ。あの時に」

「ふぅん」


 揺れ一つない車内でため息をつく裕美。

 その表情は、不機嫌と言えば言えなくもない。


「アンタの話術はワンパターンなのよね」

「バカな高校生に多くを求めるな」

「バカだという自覚があるなら、素直に諦めなさい。どうせ私には勝てないわ」

「俺だって勝てるとは思わねぇ」


 結局、1300年男の話題は途切れた。普通なら、あのビジュアルとか動きとか反対運動で盛り上がりそうなものだが、二人ともその辺には何の興味もないらしい。

 もっとも、二人が住む街はあのイベントの地からは遙かに遠い。旅行の計画でもない限り、関心を向ける必要はないのだ。所詮あの化け物は、裕美の年齢とたまたま一致するというだけの存在である。ほっぺたを窓にベタッと付けて外を眺める光安は、既に今話したことすら忘れているに違いない。


「しかし退屈だな」

「そうね」

「この窓、開くんだな」

「………」


 そしてバカは、まさしくバカな行動をとった。

 彼はほっぺたを押しつけていた窓に関心を向ける。それだけなら良かったが、たまたま開けられる型だったことに気付いたバカは、何の躊躇もなく開けてしまった。


「ンガ…………」


 声にならない声をあげて、彼は窓を閉める。

 その表情は、分かりやすく驚きに満ちている。


「し、し、死ぬかと思った」

「普通なら死んでるわ。アンタはそれぐらい予測できないの?」

「いきなり宇宙に放り出されて予測しろって言われても無理だ」


 太陽も、それに類する恒星も近くに見えない状況で、外はどんな温度だろうか? それは中学の理科を学んでいれば、ある程度は予測できるはずだ。ものすごく寒いだろう、と。

 ほっぺたをつけても寒さを感じない窓は、地球の物質ではあり得ないほどの断熱性をもっている。そもそも外見は遊園地の遊具レベルだが、実体も遊具レベルなら南極すら旅はできないのだ。彼は気付くべきだった。


「だいたい、普通ならここには来れないから死ぬ心配はない」

「その代わり、生まれた街で死ぬかも知れないけどね」


 しかし彼はまだ屁理屈を吐く。このどうしようもないバカは、反省する様子もない。

 だから彼女は、口を滑らせたのかも知れない。


「……呪いの言葉を吐くなよ」

「あの日、アンタは轢かれる予定だった」

「は?」

「そんな未来が……見えていたから、だから長椅子で邪魔しようと思った」

「…な、何言ってんだ」


 突然語られる、二ヶ月前の出来事。

 大宇宙の寒さの記憶がまだ身体に残ったままのバカは、いきなりの展開にまだ頭がついていかないようだ。


「ま、まさか…な」

「直後に何が起きるかって予知なら、まず外れない。だからアンタを殺さない方法は、私が干渉することだけ」

「…………」

「だから、あの日にアンタと逢ったのよ」


 裕美はついに、余計な過去を明かしてしまった。

 青原光安を毒牙に染めた、あの瞬間の事実を。


「それは私が初めて使った魔法」

「まさか…」

「まさか? 考えれば分かることよ」


 一気に語り終えると、裕美は少しうつむいた。そして、若死の危機を救われたらしいバカは、あまりに予想外な告白に言葉が見つからず、視線は宙をさまよっている。

 そうだ。

 あの日の放課後、荒瀬と別れていつもの通学路を歩き始めた彼。やがて三叉路に出る時に、前方不注意の車にはねられるはずだった。現にそんな暴走する車が近くに迫っていたのだ。

 ちなみにその車は、速やかにスクラップになって捨てられた。バカを宙に浮かべてからかっている時に、しょーとくたいしー能力を発揮していたのである。しょーとくたいしーは、そんな暴力的なものではないはずだが。


「つまり………、今度は普通の人間でいたかったのに、俺のせいでこうなったってことか」

「アンタのせい、とは言わない。私の意志」


 魔女でありたくないという意志が、どの程度のものだったかは分からない。

 これだけの能力をもった状態で、何日我慢できたかは微妙なところだ。彼の責任ではない。少なくとも、だ。


「でも、俺があの時間に帰ろうとしなければ良かった」

「アンタは轢かれるために歩いてたわけじゃない。それに…、その気になれば見殺しにできた」

「…………そりゃ、そうだが」


 複雑な表情で相づちを返す光安。

 見殺しにしなかった裕美には感謝すべきだが、その結果がこうして現れているのだから素直に喜べないようだ。つまり、二人のどちらがこの世から消え失せるか、という選択だったのだ。


「それにしても、なんでアンタは…、なんでバカのくせに私のことを気遣えるの?」

「こ、答えづらい質問だな」

「それだけ本気で疑問だってことよ」


 小学生だって気遣いはできる。バカな高校生に対するそれは、本気で疑問を抱くことなのだろうか、という疑問はある。我ながらややこしい。

 ともかく、そんな質問をする裕美は、鬱陶しげな表情でカップを口に運んでいる。ちなみに、中身はプーアル茶に変わったようだ。


「一応言っておくぞ。お前は当然知ってるだろうが」

「はぁ。何よ」

「俺はいつだって、曜子に嫌われないよう努力している。兄としてどうあるべきか考えている」

「………………」


 対して、この件に関しては自信満々の光安。

 自信満々で口にするのは、予想通りの妹曜子だった。曜子の兄であることだけは、絶対の自信があるのだ。何という無駄な自信だろうか。


「なんか言えよ」

「普通に絶句したんだけど」

「だから、お前はもう知ってるだろ?」

「知ってるから、この程度で済んだと思うべきね」


 緊迫感が一気に消え失せた車内で、一説にはダイエットにも効果があるという茶をすする二人。曜子はまさしく魔法の言葉だ。


「それにしても…、愛されてるのね、曜子ちゃんは」

「愛されてる?」


 だが、曜子は単なる変態男の象徴ではなかった。

 いや、曜子は単なる変態男の象徴だったはずだ。


「曜子は…、俺の逃げ道だった」

「………」

「頭がいいわけでもないし、運動もできねぇ。だいたい、何もやる気がねぇ。そういう最低な俺が偽物だったらいいと思ってた」

「ふぅん」


 彼は己の妄想を語る。

 人類は、大人になったその時に、過去のくだらない妄想と訣別する。そしてその際に妄想は一つの歴史として再構成される。幼稚なガキが、社会が求める人格へと変容する歴史として。

 彼はまだ…、その時には早いだろう。


「だから、曜子の秘密がばれた時は本気で殺意を抱いたわけだ」

「とてもそうは見えなかったけど?」

「俺は平和を愛する人間だからな」

「…何言ってるか分からない」

「いくら俺がバカでも、殺意って言葉をそのまま実行に移せるほどじゃない」

「……それならまぁ、そうかもね」


 裕美の余計なおせっかいは、リアルタイムの妄想を物語にしてしまったらしい。あり得ないほど論理的に、彼は己を語ってのけた。それは呆れるほどバカげた話だが、バカにはできない芸当だった。

 ついでに言えば、裕美に対する殺意など実行のしようがない。光安はあの時点でも、そのぐらいのことは分かっていたはずだ。


「アンタのその気遣いを他に振り向けてたら、今ごろお船ちゃんだって彼女にできてたのになー」

「知るかよ」

「今からでも頑張れば?」

「やなこった。……だいたい、新井田は小学校から知ってる奴だからな」


 無理矢理に入船の話題に持ち込む裕美。それは彼女なりの照れ隠しなのだろう。

 もちろん、学校の同級生の話題で盛り上がるのは、高校生の定番であって何らおかしくはない。入船が狙うバレー部の男が新井田だという、よい子のみんなにとっての新事実も明るみになった。そんな名前はどうでもいいって? まぁそう言うな。


「義理堅いのもいいけど、自分の思いは我慢しようとしてもできないわ」

「今の俺に我慢する理由はない。俺は…」

「あら、星が見えてきたわ」

「………そうだな」


 結局は話題を打ち切って、窓の外を眺めはじめる裕美。彼女にとって、宇宙の景色は都合の悪いものを隠すアイテムのようだ。何度も話の腰を折られてばかりの光安は、一度深呼吸をして、それから同じ景色に目を移す。

 汽車は一つの惑星に近づいている。

 地球を離れて以来122光年もの距離を進んだが、二人は米粒程度の大きさでしか星を見ていなかった。いくら宇宙が広いとはいえ、ここまでかすりもしないのは、この汽車があえて星を避けていたのだろうか。真相は裕美にしか分からない。


「なぁ」

「聞いてるけど?」

「どこかの星に…、お前の母がいたりしないか?」

「アンタは機械の身体が欲しいの? 機械よりいい身体なら、いつでもあげるのに」

「要らん」


 目の前の星に用はない。もちろん宇宙人がいるわけでもないが、汽車は減速している。せっかく近づいたので、ゆっくり眺める気になったのだろう。

 なお、機械よりいい身体がどんなものかは定かでない。どうせ滅茶苦茶な提案だから、もしかしたら「神にしてあげる」かも知れない。


「もっと想像をたくましくしてみたら?」

「どんな想像だよ」

「そうねぇ…、土の中から現れた女だろ、とか」

「ないな」


 しかし、この二人の会話は相変わらずである。

 未知の惑星に近づいた感動はないのだろうか。いや、片方にはないだろうが。


「即答する根拠は?」

「お前から妖怪っぽさみたいなものは感じない」

「知りもしないことを偉そうに」

「どうせ知ってる奴なんていねぇ」


 あるいは、裕美はこの星に宇宙人がいるという前提で話しているのかも知れない。

 少なくとも、地球の生命体に類するものが住める環境ではなさそうだが、大宇宙には零下300℃でも生存可能な存在がいたり…するのか? まぁ仮にそんな生物がいたならば、妖怪の名に値するのは確かである。


「地球では地球人の姿に化けている、という可能性は?」

「それもない」

「また即答?」

「お前には宇宙人っぽさがない」


 どちらにせよ、光安も私も宇宙人というものを知らない。

 無知な存在が語る話など、聞く価値もない。


「デタラメねぇ」

「それはお互いさまだ。だいいち俺は、お前が高校の同級生であることしか知らない」

「じゃあ宇宙人っぽい格好してみようか?」

「それをコスプレって言うんだ」

「…………」


 高橋裕美は、光安が断言するほどに自明な存在ではないはずだ。彼はただ願望を語っている。人類の代表にもなれないちっぽけな存在の願望を。

 そんな無駄話の間にも、汽車は確実に惑星へと近づいている。


「きれいな星ね」

「うん…」


 裕美はぼんやりと窓の外を眺める。

 話をそらされた格好の光安も、仕方なくその景色を見る。ただし、仕方なくとは言っても、そこに広がる景色は誰もが見とれてしまいそうな美しいものだった。

 地球よりも少し濃い青色に輝く星は、表面に白っぽく渦を巻いている。暗闇が続いた眼には、あまりにもまぶしい色合いだ。


「なぁ、この星の名前は…」

「地球人類ではアンタが初めて見たはずよ。そしてたぶん…、もう誰も見ることはない」

「そんなに遠いのか」

「巨大な星だったら見える距離。まぁ…、百数十年前の姿ならね」

「ふぅん…」


 約122光年離れていると思われる、小さな惑星。今からそれだけの年月が経った未来に、ものすごい望遠鏡が作られていたならば、この怪しげな汽車と一緒に観測される可能性だってある。ただしそれは、この旅そのものを裕美が「なかったこと」にしなければの話だが。

 そのまま二人はしばらくの間、黙って星を見つめている。どうやら汽車は止まっているようだ。


「せっかくだから、アンタの名前でも付ける?」

「付けてどうすんだよ。どうせ誰も見れねぇのに」

「まぁ…、どこかの生命体がここを通ったら教えてあげるように魔法かけとくわ。「ここはミツヤスですよー」って」

「そんなはた迷惑なことを…」


 バカげた提案を持ち出して笑う裕美。ただしそれは、どんなにバカげていても冗談ではない。それを知っているからこそ光安は呆れた表情で頭を掻いた。とはいえ彼は強く拒絶もしなかった。それはなぜか?

 そう。地球人類は、星を見つけると勝手に名前を付ける生物なのである。

 現に人類が眺める夜空の星には、本来なら何の関係もないどこかの神話の神々や、天文学者やマニアの名前が並んでいる。星にしてみれば単なる名誉毀損だが、発見者青原光安の名をとってミツヤスと名付けることは、人類の常識にかなうものだ。


「青い星だからアオハラでもいいけどね」

「それは却下だ」


 人類の常識がどうであれ、それを拒絶する権利はある。なのに彼の反応が鈍いのは、どうせ地球の生命体はやってこないという自信があるからだろう。

 俗に言う「ワープ」といった技術が、いつか開発されないとも限らない。しかしそれは恐らくは、青原光安の生きている時代の話ではないはずだ。彼の子孫はともかく、彼自身が赤っ恥をかく心配はしなくて良さそうである。いや、そもそも人類の常識に沿っているのだから、子孫は鼻高々かも知れないな。


「じゃあ、あのでっかいのはユウミって名前にするぞ」

「私のは要らない」


 そうして惑星の名の由来となったバカは、視界に映るもう一つの大きな星を指さした。


「片方だけでは不公平だ」

「公平でなきゃいけないの?」

「当然だ」

「………」


 惑星ミツヤスに対して、ユウミはその背後に黄色く輝く恒星だ。その関係は全く対等ではないが、二人の力関係を考えればこれでも近すぎる。いや、宇宙の上位にある彼女を宇宙の内部で対比させることなど、はじめから不可能である。もちろん、彼女が渋る理由は、そういうことではなかろうが。

 二人はまたしばらく無言のまま、二つの星を眺めている。恒星ユウミを見つめる裕美は、まるでその名を受け入れたかのように穏やかな表情だ。


「さて、と」

「…………」


 やがて恒星女は、惑星男の方に身体を動かした。

 ほおづえをやめて姿勢を正して、じっと彼の顔を見る。


「つき合ってくれてありがとう。楽しかったわ」

「………礼を言われる筋合いはない。俺は自分の意志でここにいるだけだ」


 笑顔を作るわけでもなく、淡々とつぶやき合う二人。

 ここまでの経緯の実況を任された私に言わせれば、「自分の意志」なんて言いぐさは出来の悪い冗談である。彼はまさしく、魔女に翻弄され、オモチャとして消費された。それは…、共犯者として読み続けてきた君たち、そう、よい子のみんなも同意してくれるだろう。


「せっかく名前つけたんだから、ここでさよなら」

「せっかく名前つけたんだろ?」

「誰も知らない名前でしょ?」

「誰も忘れない名前だ」


 微笑む裕美。その言葉は、この宇宙旅行の記憶を奪うという宣言になっているが、光安は無駄なあがきを続ける。

 再び動き出した汽車は今、ミツヤスとユウミを左右に見る位置にある。ミツヤスのどこかは、汽車の陰になっているだろう。


「ねぇ光安」

「なんだよ」

「私は魔女なの。なぜ生まれてしまったのかすら分からないけど、この宇宙の上位にあるってことは、宇宙の外側が押しつけた存在なの」


 ゆっくりと、しかし確実に汽車は動いている。

 バカの名を冠した星に背を向けて。


「私は…、できれば宇宙の外に帰りたい。でもどうやら、今の私にその能力はないのよ。誰かの意地悪なのかも知れないけど、宇宙の外側のことなんて何も分からない。誰がいるかも分からない」

(あなたも教えてくれないよね。分身さん)


 ………私には答える術がない。お前の「分身」であることだけは、お互いに認識してしまったようだがな。

 この期に及んで誰かの存在を意識したところで、お前に益はない。


「とにかく、アンタが何をしたって私は魔女なのよ。この宇宙を勝手気ままにできる、どうしようもなく迷惑な異物なの。だから死ねなくとも、せめて私が活動しなければいいの。そうでしょ?」

「そんな…」

「せっかく名前をつけてくれた星になって、私は消える。これでしばらくは宇宙が平穏になれるわ。アンタはちゃんと家に帰すから心配しないで」

「バ……バカ言うな!」


 汽車はスピードを上げる。そしてその速度に合わせるかのように、裕美は早口で一気にまくし立てる。言わずもがなの事柄を自分の口からすべて言葉にした時点で、儀式は終わりを迎える…はずだった。

 ただし、唯一の見物人は妨害する気まんまんである。彼女が息をつくタイミングを測って、最後の戦いに臨むらしい。「分身」の私にとって、最後の実況だ。


「裕美はただの高校生だった」

「違うわ」

「いや、ただの高校生じゃなかったかも知れねぇが、でも高校生だし、クラスで勉強して、昼飯食って、たまにトイレに行くような生活がしたかったんだろ?」

「したかった…けど、できなかった」


 汽車は急に揺れ始める。そして光安の論理は、はじめから破綻している。

 彼自身も、裕美が無理をして暮らしていたことぐらい分かっているのだ。


「できてる。クラスのみんなはお前を受け入れてる。お前がいるクラスは三十七人なんだ。誰も一人欠けてほしいなんて思ってねぇんだ」

「そんなもの、毎日誰かの記憶を書き換えてごまかしてるだけ」

「じゃあ書き換えるなよ。俺の記憶、書き換えなくとも大丈夫じゃねぇか」

「それは………」


 どんどん揺れが激しくなる車内。口をつぐんだ瞬間が終わりになると彼は予感しているから、バカな言葉をただ叫び続ける。

 クラスには三十六人しかいなくていいのだ。あってはならない騒動の主が消えて、誰もが快哉を叫ぶだろう。いや、生徒たちは喜びすらしない。なぜなら、当たり前の日々が当たり前のように過ぎていくだけなのだ。


「おかしいだろ? お前は自分が排除される前提でしゃべってる。誰もそんなことしてないのに」

「宇宙の上位の者は、排除しなきゃ危険なの」

「宇宙の上位にあるから排除される、じゃねぇよ。お前は高橋裕美だから排除されねぇんだよ」

「……………」


 窓枠にしがみつきながら「タカハシユウミ」の名を叫ぶバカは、結局最後までこんな簡単なことにすら気付かなかった。

 1300年を生きる女の名前は、死ぬたびにリセットされていることを。

 つまり、裕美などという名に何の価値もないことを。


「高橋裕美はね、クラスにいるとみんなを困らせるのよ」

「誰が困ってるんだよ」

「どんな隠し事もばらしてしまうんだから、世の中の迷惑なの。そんな当たり前のことを弁護しなくていい」

「弁護?」

「アンタは一番の被害者でしょ? それでいいじゃない」

「良くねぇ…」


 いつの間にか窓からは、とてつもなく強いオレンジ色の光が射し込んでいる。どうやら汽車は、目的地の恒星に間もなく到着するらしい。

 その光線に遮られ、既に光安からは、目の前の裕美の顔すら消えかかっている。しかしまだ、彼女がそこにいるという認識はできているようだ。


「お前はただ高校で勉強して友だちと遊んでいただけだろう? どこにでもいる女子高生と同じだったろう?」

「だから違うって言ってるの。こんな女子高生はいない」

「こんな宇宙の果てでどうこうするなんて、おかしいだろ? 行ったこともない場所に帰るなんておかしいだろ!? お前が帰るのは学校だろ!?」


 汽車の振動に地鳴りのような音が加わり、彼の罵声をかき消そうとする。

 そんな終末の景色の中で、女神の心の声がバカに届いたのか、私には知る術がない。


「…………アンタはただのバカで良かったのよ」


 そうだ。光安はバカであるべきだった。


「でもアンタは確かに…、私に高校生の日々を与えてくれた」

(偶然の相手が彼だったことを、あなたは呪う?)


 そんなことはどうでもいい。

 私はただ、お前がこの世から消えるのを実況するだけだ。


「高橋裕美。十二度目の私の名前は……」


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