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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第七章 紡ぐ歴史、揺らぐ過去の巻
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第二節 魔女の退屈

 その日の三時間目に、小さな事件が起こった。

 授業は英語。始まってすぐに順番が回ってきた裕美は、もちろん何事もなく正しい答えを読み上げた。そしてしばらくの後……、彼女は居眠りを始めたのだ。

 ―――え? 何が事件だって? そんな台詞を吐くようでは、よい子とは呼べないぞ。なんたって、光安ですら驚いたぐらいだからな。


「……何かあったのか?」

「え? なんのこと?」

「寝てただろ」


 眠りは人間の基本動作である。そして授業中の居眠りは、学校で授業を受けた経験のある者ならば、必ず通過する試練といって過言ではない。

 しかし裕美は、このクラスに無理矢理に加わって以来、居眠りをしたことは一度もなかった。自習の時ですら、眠ることはなかった。決して眠らない優等生だからこそ、光安や入船にとっては、いざという時に頼りになる存在なのだ。


「別に…」

「………」

「高校生は居眠りするもんでしょ? アンタみたいに」

「俺は平均より眠らない方だ」


 指摘された裕美は、不機嫌そうに返答する。

 まぁ誰だって居眠りを指摘されたら喜ばないものである。だいいち、隣に起きてる奴がいると安心できるというのは、単なるダメ人間の証明でしかない。


「アンタの授業中の平均睡眠時間は、一日あたり20分32秒。このクラスの平均は7分11秒。アンタより長いのは三人しかいない」

「う、嘘だろ」

「なめないでよ、魔女なのよアタシ」

「…嘘ってことにしてくれよ」


 光安は簡単に落ち込んでしまう。そんなバカの変化を、裕美はくすっと笑いながら眺めていた。

 裕美の出したデータが事実かどうかは、確認不可能である。ただし私には、例によって神の声により、知っていることがある。彼女にとって、クラス全員の二十四時間を知り、計算することは十分可能らしい。従って、さっきの数字の真偽はさておき、裕美には正確な数値を出す能力がある。また光安が平均より居眠りしているだろうことも、容易に推測されよう。

 なお、クラス平均で7分というのは、比較的優秀な数字ではないか。一日20分など、よい子のみんなもその気になれば簡単に達成できるんじゃないかな、ハハッ。


「ゆうちゃん、またまた新情報!」

「なぁに? 教室にバカの幽霊? それとも、お船ちゃんの密会現場?」

「そ、そんなものあるわけないって!」


 昼休みはいつも通りだった。入船の全く役に立たない情報を、それなりに熱心に聞く裕美の姿には、居眠りの影響など感じられない。いや、そんなものが感じられたら大変だ。せいぜい話題が退屈過ぎて眠くなる程度だろう。

 もしも新情報が、渋谷と本間曜子の密会だったりするならば、この場は緊張感に包まれる。そして、入船の情報収集能力は捨てたものではないという、肯定的な評価も加わることになる。

 しかし実際には、本屋の雑誌コーナーで同時刻に立ち読みをしている男女がいたという、極めて微妙なネタだった。単なる偶然の可能性が高いのではないか? そんな風にわざわざ検討する手間すら無駄である。

 まぁ、入船の裕美びいきがぶれないことだけは、素直に感心してもいい。


「で、お船ちゃんの彼氏は…、やっぱりスポーツしてなきゃダメ?」

「いくらゆうちゃんでも、そこはノーコメント」

「別に奪ったりはしないけどなー」

「それはダメ。考えるだけでもダメ!」


 光安は光安で、いつも通りに三バカ島の一員なのだが、さりげなく聞き耳を立てている。朝からそういう話題が続いたので、さすがに気になるらしい。

 そう。お互いに仲が悪いと思っていたクラスメイトに、いつの間にか惹かれていく。それは少女マンガの王道である。


「なんかなぁ、朝から筋肉痛なんだよなー」

「荒瀬! お前まさか……なわけねーか」


 とはいえ、彼は日出づる国の皇子ではないので、三バカの会話と同時進行は不可能だった。結局は、聞き取りづらい上に興味も薄い側についてはフェードアウトして、もう片方に集中することになる。荒瀬の話題など集中する価値があるとは思えないが、価値がないのはどちらも同じだ。


「なんだ曽根。何を想像した?」

「高価なダイエットマシーンでも想像したんだろ?」

「今のは罰金コロッケ一個だ」

「あーっ!」

「哀れ光安」


 コロッケはいつから通貨になったんだ、とツッコミを入れる価値はないので聞き流せば良い。荒瀬の筋肉痛は、朝の事件の名残の可能性が高いが、光安はそれすら気付いていないようだ。

 一方で、どさくさに紛れて曽根がきわどいことを口にした点については、聞き逃してはならない。つまり彼は心のどこかで、彼女を欲しているのだ。普段からそういう欲望を秘めて生きていなければ、とっさにあんな台詞は出ないのだ。


「まぁ荒瀬といえば、年齢と彼女いない暦が一致するのが自慢の種だからな」

「それはお前らも一緒だろ!」


 曽根の頭の中を裕美が読み取ったなら、とてもここでは言えないエログロな世界が展開される……かどうかは定かでない。おおむね小学生並みの思考回路な男の頭にエログロな世界があったら、それはそれで収拾が付かないだろう。

 それでも、三バカの欲望が何でも全員一致するわけではなく、こと女性問題については曽根が若干リードする展開らしい。若造を前にした長老のような態度の曽根は、無駄に重々しくつぶやくのだった。


「そういやぁ…、アリバイ彼女って話があったなぁ」

「なんだそれ?」

「曽根の言うことは難しくて分からん」


 村の長老がこんなくだらないことを言い始めたら、たちまち人々の尊敬を失うだろう。今日の曽根には、三バカの他二名に先んじているというおごりが感じられる。まさしく井の中の蛙である。


「いや…、頼めば短期間だけ彼女になってくれるとかいう話を聞いたことがあるようなないような」

「どっちなんだよ」

「はっきりさせろと言われると、思い出せない」

「マンガでも読んだんじゃねーのか? 曽根はすぐ現実が見えなくなるからなぁ」

「光安に言われると腹立つぞクソ」


 よい子のみんなも、曽根と一緒にツッコミを入れてくれたかな? お前が言うな、と。

 まぁ高校生の会話は基本的に嘘、大げさ、紛らわしいで成り立っているのだ。もっともらしく語る話術さえあれば、教室の大海原を渡っていけるのだ。

 ……私も何を言っているのか分からなくなったぞ。


「よし、じゃあ俺も極秘情報だ。荒瀬はやせたらモテモテらしい」

「おお!」

「冗談はよしこさん」

「古い!」


 ともかく壮大に話がずれた。というよりも、肝心の問題から逸れてしまった。おかげで光安までもが根拠のない情報を垂れ流し、曽根が寒いギャグを発するに至ってしまった。申し訳ないが、責任は一切感じていない。


「俺がもてたら困るのか、曽根!」

「純粋に想像できないだけだ」

「一人ぐらい譲ってやるから想像しろ!」

「よりによって、お前の残りかよ!」


 荒瀬がモテモテになるポテンシャルを秘めているという俗説は、言うまでもなく光安が入船から仕入れたネタだ。そもそも「太いよりマシ」という程度の話だったのを、友人思いの光安が若干水増しな表現にしたに過ぎない。まぁそんなことは、よい子のみんなにはどうでもいい話だな。

 どうでもいい話という意味では、彼らが彼女を求めている事実こそ、どうでもいいのだ。しかしこれだけは、私にとって大きな事実であり無視はできない。

 本来なら、二バカはまず裕美を狙わなければならない。現時点でも裕美はフリーである。そして数ある男子生徒の中では、光安の次に親しいのである。諦めるような状況ではない…にも関わらず、ここで交わされる会話は明らかに別の女性を求めるものだ。朝の荒瀬を見るまでもなく、決して裕美熱が醒めたわけでもないのに、である。


「まぁ荒瀬がやせるか人類が滅亡するかって感じだからなー」

「病気すりゃモテモテだぜ」

「貴様らには友を思いやる心がない!」


 その原理は簡単である。裕美はアイドルになってしまったのだ。

 アイドルという偶像に対して、大半のファンのポジションは、「どうせ恋人にはなれない」である。いや、自分だけが選ばれるかも知れないという妄想は伴うかも知れないが、だからといってそれを期待して貞操を守る者はまずいないのだ。各自の頭の中で偶像というポジションに収まった瞬間に、リアルな恋人とは一線を画すことになるのだ。

 裕美は元々が強制力によって、人々を無理矢理にでもなびかせる存在だ。つまりそれは女神だ。女神はどこまでも女神であって、リアルな恋人にはなれない。その事実を彼らは悟ったのだ。

 ………少々しゃべり過ぎたようだ。まぁいい。どうせ私の存在もそう長くはあるまい。


 午後の授業は体育だった。

 この高校の体育は、二クラス合同で男女に分かれて行われる。種目もバラバラになるが、この日は珍しく男女ともにバスケットボールである。


「ふっふっふ、俺さまがヒーローになる日がやってきたぜ!」

「なんだ曽根、球拾いのヒーローにでもなるのか?」

「やかましい! 俺はダンク曽根の異名をとった男だぜ」


 体操着に着替えながら、バスケを熱く語る男、それはダンク曽根だ。ダンクといっても、エッチなグラビアの方ではないような気もするが、その辺は定かでない。どうせ曽根の発言は概ねデタラメである。

 ただし彼は中学でバスケ部にいたらしく、三バカの中での順位をつけるなら、一番得意ということになりそうだ。三バカの一位に何の意味があるかはさておき、だが。


「いいか、シュートはこうやるんだぜ!」

「いや、ボールの持ち方ぐらい知ってるぞ」


 やがて授業が始まると、曽根の実力は白日の下に晒されてしまった。

 もちろん、誰も驚かない実力である。


「お前、ダンクはどうしたんだダンクは」

「うるせぇな荒瀬。切り札は最後に取っておくもんだぜ」


 曽根のシュートは、光安や荒瀬と同じぐらい入らなかった。構えだけはできているが、そこから先はとても元バスケ部とは思えない。もしも彼がレギュラーだったりしたら、小学生のチームにも負けそうだ。ダンクシュートなどできるはずもなかった。


「おお!」

「すげーな、やっぱり」


 しかし幸いにも、曽根のヘタレ具合に関心を示す者はいなかった。

 隣で試合中の女子に、みんな釘付けになってしまったからだ。


「ちょっと反則だよな」

「うーむ」


 そこで活躍するのは、もちろん裕美であった。

 そもそも女子の中では圧倒的な体格差で、その上に身体能力も桁が外れている。ドリブルのスピードには誰も追いつけず、ダンク曽根のお株を奪うダンクシュートを、ほとんどジャンプもせずに決めた。挙げ句の果てには、コートの反対側からでも平気で3ポイントを決めるのだから、試合になるはずがなかった。


「あ、交代か」

「ちぇ」


 その結果、五分ほどで裕美は交代させられた。その五分間で50点近く取ってしまったので、体育の授業としては仕方のないことである。とはいえ、コートの外に出る裕美の顔は、むすっとしていた。面白くないという顔だった。

 仕切り直しとなった試合は、それなりに盛り上がる。当事者の女子は点数を競い、傍観者の男子はやがて興味を失った。曽根のダンクは一度も決まらず、荒瀬の3ポイントシュートがまぐれで入った時に局地的な盛り上がりが起きたが、程よく汗をかいて授業が終わった時に、その一部始終を記憶している者はいなかった。


「さっきは大活躍だったな」

「何が。あんな程度で面白いと思う?」

「あんな程度って…。お前のレベルに合わせられるわけねぇだろ」

「……ふん」


 教室に戻っても裕美は不機嫌だった。

 体育の授業では、これまでも目立ちまくっては外される繰り返しだったが、今日に限って納得がいかない様子だ。


「シュートの時は魔法使ってんのか?」

「使うわけないでしょ、そんなもの」

「へぇ、すげぇな」

「………」


 光安はそんな裕美を扱いかねて、意味もなくおだててしまう。

 しかし彼の気づかいは、彼女の気に障ったようだ。


「やっぱり、1300歳の年齢の功ってやつか」

「……………」


 その瞬間、教科書を並べかけた裕美が手を止めた。あからさまに不快な表情だ。

 …確かに光安の言葉は揶揄といえばそうだったが、目くじらを立てるほどの発言だったのだろうか。


「アンタに聞きたい」

「何だよ。いきなり真顔になっ…」

「アンタの目の前の女は、1300歳に見える?」

「見える…って、そんなこと聞くのかよ」

「つまり、見えるのね」


 息もつかせず話を進めていく裕美。やたらと性急だった。

 対して困惑しながらも、光安は何とか返答していく。


「見えるわけねーだろ。見えねーけど、きっと裕美のことだから歳を取らないんだろ?」

「そんなこと話したことあった?」

「ない。ない…けど、お前は時間を操れるんだから、それぐらいできるんじゃねーのか?」


 彼は彼なりに必死に答えている。目の前の化け物のような女神に対して、バカ正直に答え続けようとしている。

 そうだな。

 最初にして最後の敵、青原光安だからな。


「……なるほど。意外に賢いのね」

「変なとこで褒めるなよ」


 裕美はため息をついて、改めて教科書を並べる。ちょうどその時に教室の前の扉が開いて、数学の教師が入ってきた。この日の最後の授業はこうして静かに始まった。

 大人しく誰もが授業を受ける。それは学校というシステムの当たり前の光景である。しかしそのためには、生徒が教師に教わる関係が成り立たなければならない。裕美はそのシステムの外部にある。

 教師といっても所詮は人間だ。しかも、ほんの数十年を生きたに過ぎない存在だ。仮に見た目が高校生であっても、裕美に何かを教えるなど笑止千万なのである。


「私は……、自分の過去をちょっと疑ってる」

「はぁ?」


 そしてまたもや授業中に話しかける裕美。

 居眠りといい私語といい、彼女は授業に飽き始めているのだ。


「立ち入れない記憶があるの。自分の頭の中に、ね」

「……そうなのか、としか言えない」


 しかしそうやって振られた話題は、光安にとってどうにも退屈な話題である。地球人類には、魔女の頭の中がどうなっているかなど想像できないのだ。

 いや、地球人類の頭の中にも、自分では触ることのできない記憶が溜まっているだろう。しかしそれは「忘れてしまった」と言えば済む話だ。溜まっていること自体を自覚できないのだから、なぜ思い出せないのかという深刻な問題に発展することはない。


「アンタの記憶ならいくらでも読めるのに」

「読むなよ」

「読んでない」

「………」


 解説を一通り終えた教師は、問題を解くように命じ始める。その対象は、幸か不幸か光安の列だが、彼はまだ気付いていない。


「いっそ、実際に宇宙の外まで行ってみたらどうだ?」


 そして、突拍子もない提案を心の中でつぶやくバカ。多少苛立っている様子がうかがえる。

 彼の記憶が操作されたことは紛れもない事実だから、茶化されると腹が立つのは仕方がない。とはいえ彼は所詮はバカなのだ。裕美に対抗すれば、たちまち人類は存亡の危機に直面してしまう。


「一緒に行く?」

「俺はこの宇宙の一部だろ?」

「なら…、外側にしてあげるわ」

「いや、だからなぁ裕美」


 どんどん攻撃的になる裕美に気づき、光安は焦っている。「外側にしてあげる」の具体的な内容は不明だが、恐らくは人類でなくなるだろう。彼一人の犠牲で済むならば安いものだと、よい子のみんなは思うに違いない。ちなみに私は、そんな非人間的なことは言わない。

 なお、彼の順番が近づいていることには、もちろん気付く様子もない。


「もうちょっと冷静になってくれ。だいたい、そのうち気付くんならそれでいいじゃねーか」

「そのうち…か。なるほどね、アンタ意外に賢いわね」

「同じこと言うなよ」


 どんなに素晴らしいほめ言葉でも、繰り返されると価値がなくなるものだ。裕美がそういうつもりで繰り返したとは、必ずしも言えないのだが。

 光安は裕美の次の言葉を待つように、ほとんど目を閉じたまま黙って座っている。この瞬間の彼は、自称でも何でもなく人類の代表である。


「アンタの言う通り、自分でどうにもならないんだから待つしかないのよね」

「…………」

「せめて……、思い出す記憶が、楽しいものだったらいいんだけどなー」

「そりゃ…そうかもな」


 ようやく落ち着きを取り戻した裕美が、急ににやりと意地悪い笑顔になった。


「話しすぎたわ。もうすぐアンタに当たるわよ」

「ゲッ」


 目の前では、光安とは没交渉の斎藤さんが答え終わって椅子に座ったところだった。つまり、すぐに光安の順番となる。しかし彼はそもそも、今どこの問題を解いているかすら分かっていない。さぁどうする?

 ………。

 光安は何事もなく問題を解いた。それも、彼とは思えないほど見事な式を作り、まるで誰かが乗りうつったかのようにスマートに答えてのけた。

 もちろんそれは裕美の能力だ。裕美は問題と計算式と解答を、彼の記憶に書き加えた。それも、ただ声に出せば答えられるような形の、非常に親切な記憶である。なので彼は全く悩むこともなく、堂々と解答したのである。いつもこの手を使えるなら、光安が優等生になるというまるでファンタジーのような展開すら夢ではない。

 それだけの能力をもちながら、自分の頭に触れられない部分を抱えている…と考えれば、裕美が焦るのも分からない話ではなかった。


「裕美、帰らないのか?」

「……今日はちょっと用があるから」


 そうして放課後となった。

 久々に記憶をいじられたとはいえ、書き換えではなく追加のみだったこともあって、光安の表情は穏やかだ。裕美の返事を聞くまでは、という限定だったが。


「そうか。じゃあな」

「うん」


 普通に返事はしたものの、光安は困惑している。

 裕美が光安と別れて行動すること自体は、特に問題ではない。現時点での裕美は「フリー」なのだし、仮にそうでなくとも高校生の放課後にはいろいろな用事があって当然だ。

 とはいえ、裕美はそんな一般的高校生とは違う。基本的に交友範囲は狭く、バレーボール部に誘われる以外に、学内で用のある場所など存在しない。光安ですら、その程度の認識はもっていた。


「…何してるの?」

「いや、別に」


 固まったまま動かない光安。もしかしたらそれは好奇心の為せる業だったかも知れない。

 いったい、裕美にどんな行き先があるのだろうか、と。


「さーて、じゃあバカはおいて出かけようかな。じゃあね」

「あ、ああ…」


 もっとも、その好奇心は持つべきものではなかった。あえて私から、こう述べておこう。


「そうそう」

「え?」

「ようやく分かったことがあるの」


 光安が動かないことに気付いた裕美は、立ち上がって別れの挨拶をつぶやく。

 その表情はいつもと変わらないままだったので、光安は少し油断しているように見える。


「私は十五年十ヶ月しか生きてない」

「え……」


 謎の言葉に戸惑う彼を残して、裕美は教室を出ようとする。

 そして、次の瞬間だった。

 後ろの扉を開けて一歩を踏み出した裕美は、廊下を歩いてきた誰かとぶつかりそうになった。その相手の顔は………、光安の位置からはほんの一瞬、横顔が見えただけだ。しかしたったそれだけでも、彼に違和感を抱かせるには十分だった。


「あ、ごめん」

「…………」


 よそ見による前方不注意の男は、渋谷だった。

 もちろん渋谷は、女子生徒とぶつかったことを認識しているし、そこで軽く謝っている。しかし渋谷にとって高橋裕美は、学校中にいる女子生徒の一人などではない。今の彼が、誰にもまして感謝し続けなければならない相手である。その裕美に、ほぼ無関心で通り過ぎたという事実に、光安は唖然とした。唖然として、それから何かを言いたくなったが、既に裕美も渋谷もどこかへ行ってしまった後だった。


 何かが変わろうとしている。

 そう。それは事実だ。私が望む結末へ向けて、この宇宙はようやく一歩を踏み出し始めたのだ。


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