表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第六章 ようこそようこさんの巻
21/35

第四節 おさかなはガラスの中 その2

 ともかく裕美に励まされた彼は立ち上がり、正規入場組を追うことになった。

 残念ながら、探すまでもなく彼らはすぐに発見された。所詮は地方の小さな水族館だし、この時間には高校生自体がほとんどいなかった。


「次は右手の建物に入るぞ」

「どうして?」

「そういうルートと決まっているからだ」

「…………」


 確かにそこには指差しの絵とともに経路が書いてある。しかし、館内が人であふれているわけでもないのに、決められた一本道でまわる必要はないはずだ。型にはまった生き方では、女性人気は出ないものなのだ。

 が、そんな裕美の思いが通じるはずもなく、二人は最初に入るよう指示されている建物に消えていった。そこは館内で一番大きな建物なので、後をつける探偵みたいな二人が入っても、身を隠すことは可能のようである。


「むむむ…」

「何よ。食べたくなった?」

「違うわっ」


 光安がうなり声をあげたのは、カニやエビの水槽前だった。

 一般的には、食用となる生物が水族館の水槽内を動いていたとしても、あまり食欲に結びつくことはないものである。水族館独特の臭いとか、水槽の雰囲気がそうさせるのかも知れない。彼もその例外ではなかった。


「見えないだろ、二人が」

「じゃあもっと近づいたら?」

「見つかるじゃねーか」

「アンタって根本的にワガママよね」


 迷路のように水槽が配置される館内で、奥の様子が見渡せないのはその通りである。かといって、見えないのだから近づくことも難しい。

 それならば、元々の依頼者である渋谷に、事前に伝えておけば良かったのでは?、という考え方もある。だが、当然だが二人にそのつもりは全くなかった。デートの監視は依頼に入っていないし、いくら渋谷でも決して頼むはずはないのだ。つまりこのストーカー業務は、まさしく迷惑行為に他ならないのだ。


「しょうがないわねぇ、そこの手すりにつかまって」

「え? こ、こうか?」

「そう」


 ともかく、善意の迷惑行為に精を出す二人。裕美が指定したのは、水槽の途切れた一角にある手すりである。

 言われるままに光安はつかまったが、その位置から見えるのは、穴埋めに置かれた観葉植物と、コンクリート壁ぐらいだ。


「わっ!」

「二度も驚かなくていいの」

「驚くだろ、何度でも」


 そこで壁を見たまま大声を上げる彼の姿は、相当に異様な光景である。そばにもしも子どもがいたら、絶対に駆け寄って、何を見たのか探すだろう。もちろん探しても何も見つかりはしないのだが。

 よい子のみんなには説明するまでもないだろう。さっきと同じように、裕美が見ているものを光安の眼に転送している。現在見えているのはカニだ。裕美と同じ位置に立てば、誰でも見える景色である。


「ちゃんとつかまってよ」

「………おぉ」


 うつむいた状態の裕美は、身体を起こしてまっすぐ正面を見る体勢になった。当然カニは視界の下方に消え、ただの水槽のガラスが見えるだけだ……と思ったら、そのガラスも消え失せた。水槽の背後には白いパーティションがあるのだが、それも消えた。

 かわって現れたのは、見えるはずのない奥の水槽。ガラス越しに子どもがこちらを覗いているのが見える。


「二人は…、えーと」


 視点はさらにズームして、水槽を泳ぐ小さな熱帯魚を映し出す。そして次の瞬間、熱帯魚はレントゲン写真のように骨だけとなり、数秒で消えた。どうやら視点がその水槽のさらに先に移動したらしい。すぐに子どもの位置まできたが、子どもは既に次の水槽に移動していたので、人体のレントゲンは実現しなかった。

 通路を挟んだ三つ目の水槽も同じく透視して、四つ目まできた時、見覚えのある二つの人影が見えた。ようやく目的地に辿り着いたようだ。


「このまま続くと、そのうち吐くぞ」

「だからつかまって我慢しなさいって言ったでしょ」


 自分の意志では何のアクションも起こしていない光安だが、その顔は青白く変わっている。普通の人間ではあり得ない視点移動を繰り返したせいで、どうやら乗り物酔いのような症状が出ているらしい。

 もちろん酔っているのは光安だけで、裕美は平然としている。彼女にとって、この能力は特別なものではないという理由もあるだろう。しかし自動車でも運転手は酔いにくいように、実際に視点を動かした主体だから平気なのかも知れない。


「二人で眺めてるわね」

「そのようだな」

「で?」

「……何だよ」


 周囲では二組の家族連れがはしゃいでいるが、渋谷と本間曜子は大人しく水槽を眺めている。かなり高度な能力を駆使した結果は、見ても何の話題も出てこないような凡庸な映像だった。


「こうやってストーカー行為を働くと、二人が幸せになるの?」

「ストーカーって言うな!」

「…水族館に行けば水槽を見るでしょ、放っといたって」

「ケンカ別れしないとも限らねぇだろ」

「それは仕方ないでしょ。アンタ、そこまで干渉する気なの?」

「いや、それは……」


 この場合は裕美の発言の方が妥当である。デートの機会を与えたという意味では、二人がゲートをくぐった瞬間にその役目は終わっている。その後のデートがどう転ぼうと、それは二人の問題でしかない。


「まさか……、本間さんが幸せになるまで監視するつもり?」

「まさか?」


 聞き捨てならない、という表情をする光安。


「決まってるだろ、裕美」

「決まってるの?」

「決まってる! 曜子は曜子なんだから、幸せになってもらわねぇと困るんだ」

「……………………」


 そして耳を疑うようなやりとりが交わされる。

 二人の視線は全く異なる方向にあるので、傍目にはとても会話している体勢には見えないが、もはやそんな些細な問題はどうでもいい。バカは熱弁を振るい、魔女は圧倒されている。


「今の私をねぇ、日本語では「あっけにとられる」って表現するのよ」

「知ってる」

「アンタって本当に人間なの?」

「お前が言うなお前が!」


 いや、現時点でアンケートをとれば、お前の方がより人間離れしているという結果になるだろう。そもそも本間曜子は、彼の妄想妹とは何の関係もない赤の他人である。唯一、名前が同じというだけである。そんなことを言い出したら、全国に散らばる曜子は全員彼の妹みたいなものではないか。

 ……もっとも、だからこそ今日は曜子記念日なのだ。彼の発言はあり得ないが、矛盾はないのだ。


「……まぁいいわ」

「は?」


 そんなバカにここまでつき合っている時点で、裕美の思考も正常とは言いがたい。

 相変わらず水槽前で立っているだけの渋谷と本間曜子を透視で眺めたまま、ちょっと意地悪そうな笑顔を浮かべる。


「幸せになってほしいんでしょ?」

「そ、それはそうだが」

「じゃあ、どこまで進んでほしいの?」

「はぁ!?」

「はじめてーのーちゅう? それともまさか…」

「ちょ、ちょっと待て!」


 慌てて光安は裕美の方に向き直る……つもりだったが、視界を奪われているので全く見当違いの方向に叫んだ。

 その先で遊んでいた小学生ぐらいの子ども二人は、いきなり呼び止められ、びっくりした顔で彼を見つめている。しかし光安には、その事実すら理解できていない。


「まだうまくいくとも決まってねぇだろ?」

「うまくいってほしいんじゃないの?」

「そりゃ希望はするけど……、やっぱり本人次第だろ、そこは」


 周囲を全く気にする様子のない彼。呆れた裕美がフォローを入れて、二人の子どもはまた遊び始めた。ちなみに、こういう時に使うのは「何となく興味を失わせる」能力で、記憶を消すわけではないらしい。

 それにしても青原光安は、言葉だけ取り出せば気づかいのできる好青年である。日本語は、使い方一つでこうも困ったことになるという、良い教材だ。


「ならアンタはこれから何をするのよ」

「俺は…」


 裕美は透視をやめて、光安に自身の視力を戻した。

 この調子では見せるだけ無駄だと気づいたようだ。


「あの二人が…、仲良く家に帰るのが見れたらいい」

「あ、そう…」


 視力を取り戻したバカが、いかにも真面目そうな顔でつぶやいた。

 そのつぶやきは、ちゃんと裕美の方を向いて発せられただけ、まだマシだった。


「人類の神秘だわ、アンタは」

「好きに言いやがれ」


 文字通り神秘としか言いようのないバカを前にして、ため息をつく裕美。ただし彼女は笑っている。皮肉でも何でもなく、そういうバカな光安をバカにしない彼女だ。それはさらにバカを増長させているように思えるのは私だけだろうか。まぁ別に増長しても構わないけどな。

 こうしてストーカー議論は結論が出た……らしいが、終わった途端に光安の態度が変わり始めた。いや、自分の眼を取り戻した結果かも知れない。


「そんなことより…、もうちょっと離れてくれよ」

「何で?」


 光安はちらちらと裕美の身体に視線を向けている。

 毎日のように一緒にいるとはいえ、外で私服で二人きりとなると状況は変わるらしい。どうやら彼は、裕美の圧倒的な美貌と体格差を気にしているようだ。


「その……、やっぱり不釣合いだし」

「へぇ」

「わわっ」


 視線をそらしながら今さらの台詞を吐く光安を見て、ニヤリと笑った裕美は、いきなり後ろからのしかかるように組みついてくる。

 すると、彼女のあごがちょうど光安の頭の上に乗った。

 そしてそれは、彼の後頭部を裕美の大きな胸が圧迫する形だった。


「じゃあ、こーんな風にする?」

「わ、や、やめ…」

「光安をからかうと飽きないわ」


 硬直する光安を十分に弄んで、さっと離れる裕美。これだけの女性に抱きつかれたら、普通は誰だって緊張するのである。いや、光安はあり得ないほど緊張しない男で、そんなバカですらこうなってしまうのだ。


「……まだ気になる?」

「とりあえず俺は反省した」


 裕美は勝ち誇った表情で彼の肩をつかむと、無理矢理に水槽の前に立たせた。さっきから見飽きるほど見ているカニの水槽で、二人が並ぶ。そして彼だけが反省する。

 なぜセクハラ被害者が反省するのかは、ここでは問うまい。


「私を誘ったのはアンタの意志。で、曜子ちゃんが心配なのもアンタの意志、でしょ?」

「うむ。そうだ、俺はもう迷わない」

「幸せな記憶は……、たぶん何かのきっかけになるわ」


 相づちを打ちながら裕美はため息をつく。

 何を反省するのか、何を迷わないのか。光安の思考回路は人間離れしているが、裕美とは会話が成り立っているのだから、これ以上のツッコミはやめておく。

 とにかく気を取り直した二人は、もう少し近くに移動することにしたらしい。コソコソする必要のない途中の水槽では、ただの客となって眺めている。二人とも水族館が嫌いではないようだ。


「ずいぶん長いこと見てるんだなぁ」

「お魚トークしてるんじゃないの?」

「そりゃそうだけど…」


 そして、さっき二人がいた位置を、コソコソと覗きこむ。すると驚いたことに、渋谷と本間曜子はほとんど同じ位置で立っていた。

 光安が妹への愛を熱く語った間、ずっと同じ水槽を見ていたことになる。


「私たちもしようか? とりあえず熱帯魚関係で」

「俺にそんな知識はないぞ」


 あくまで今日は「お魚トーク」を目的にやって来た二人である。じっくり腰を据えて観賞していても、何ら不思議ではない。渋谷の付け焼き刃がばれていないとすれば、非常に良い傾向である。

 ……ちなみに、本間曜子の知識がどの程度であるかは定かでない。そして光安は、魚に関する知識が乏しい模様である。後者は全く新しい情報ではないな。


「私はちゃんと勉強してきたわよー」

「何だよ、図鑑でも読んできたのかよ」


 水族館には人並みの興味しか持ち合わせていない覗き魔たち。とはいえ対象に怪しまれることなくストーカー業務を遂行するには、同様にお魚トークをするぐらいの機転は利かせなければならない。裕美はさすがに心得ている。


「市立図書館の本とねー、消防署の前の本屋に並んでたのは読んだ」

「二冊も読んだのか。えらい熱心だな」

「何で二冊よ。ざっと十万冊ぐらい」

「はぁ?」


 ただし裕美がその気になって「勉強」すると、とんでもないことになる。

 元から並みの頭脳ではないのだから、バカの光安が人並みに学習して底上げすればそれで良かったのだ。


「俺には何を言ってるのかよく分からない」

「だから、あそこにあった本は全部読んだ」

「どうやって? 物理的に不可能だろ」

「物理的に不可能でも、私が読みたいと思ったらできるもん」

「もん…って」


 結果として、魚とは無関係に二人の会話は弾んでいる。

 少なくとも光安には、弾んでいるとは思えないだろうが、ストーカーがストーカーであることを隠すだけなら、話題の内容は問う必要がない。


「この一週間で四百万冊ぐらい読んだかなぁ」

「一冊何分で読むんだよ」

「一冊何秒…じゃなくて、全部で一秒かな」

「はぁ…」


 いずれにせよ、この会話は不毛である。

 ここで裕美のいう「勉強」とか「読書」というのは、書物の中身を自分の頭に取り込んでしまう能力なので、時間でいえば一瞬なのだ。四百万冊と当人は謙遜しているが、実際には地球上の全出版物を「読破」済みだろう。1300年の間に失われてしまった多くの書物を、裕美の頭から復元することだって難しくはない…のかも知れない。

 ただ、その割には某マスコットキャラを知らなかったわけだ。もしかしたら、百年分ぐらいをまとめて読む趣味だろうか。


「じゃあ…、水槽についてお話してみようか」

「水槽?」

「外側から見るって、こういうことなんだなーって」

「…………」


 気を利かせた裕美が、光安でも対応可能な話題を持ち出す。

 なるほど水槽トークなら、事前学習は必要なさそうだ。


「お前には、宇宙がこんな風に見えるのか?」

「見えるわけないでしょ」

「え?」

「アンタの隣に立ってるのは、ちょっと背が高いだけのありふれた人間じゃないの?」

「うーむ…」


 光安は少し首を傾げた。それは恐らく「ありふれた」に対する違和感だろう。そもそも背の高さも「ちょっと」では済まないが、ここでは些細な問題だ。

 だいたい、裕美は確かに人間の姿をしているが、その各部の機能はことごとく人間ばなれしている。四百万冊読んだと自供したその口で、よく言えたものである。


「一つ気がついたぞ。聞いてもいいか?」

「…タイミングがよく分からないけど」


 ちょうど目の前では、髭がトレードマークの魚がその身を翻した。しかし光安のひらめきとは特に関係ないだろう。


「この髭の魚は、俺たちを見てるだろ?」

「まぁ…、見えてるかもね」

「ふっふっふ」

「アンタにも宇宙の外側が見えるのかって言いたいんでしょ」

「ま、まぁな」


 途中まで得意げだった光安だが、一番おいしい部分を先に言われてしまう。さすがに裕美は、彼にいい格好をさせなかった。


「そこはアンタに聞きたいなー」

「何だよ。俺には宇宙の外側なんて分からねぇぞ」

「この宇宙がガラス張りで、外側から誰かに鑑賞されてるとしたら、嬉しい?」

「嬉しいわけあるかよ」

「ふーん」


 相変わらず目の前では髭の魚が泳ぎ回っている。

 その瞳に二人がどう映っているのか。少なくともその映像は、人類が見るものとは違うはずだ。


「ふーん、じゃねーだろ」

「やろうと思えばできるから、ね」

「じゃあ何でやらないんだ」

「やってほしいの?」

「人間にできないことを自慢するぐらいなら、実際にやってみればいいじゃねーか」

「……別に自慢してるつもりじゃないけど」


 会話は次第に熱を帯び始める。二人とも、そんな白熱した議論は考えていなかっただろうが、お互いに譲れない一線はある。例によって光安は、人類を代表して戦っている。裕美は……、何かの代表ではないだろう。


「…悪い。言い過ぎた」

「謝ることはないでしょ。私はそういう存在なんだし」

「いや……」


 ただし光安は、人類の代表になりきれない部分を抱えている。

 いや、そうでなければ彼の役割は全うできない…のだ。


「裕美は…、だいたい普通の高校生だ」


 ほんの数歩、隣の水槽に移動しながら彼はそう言った。それは髭の魚に飽きたからでもあったが、裕美の顔を見て言うにはやや気恥ずかしかったらしい。


「アンタは優秀な人間だと思う」

「い、いきなり何を言い出すんだ」

「せっかく褒めたんだから、ありがたくもらっておきなさいよ」


 後を追う裕美は、表情を変えることなくおかしな言葉をつぶやいた。

 隣の水槽には髭のない熱帯魚が泳いでいる。二人は黙って眺めはじめる。どうやら、このまま話題を打ち切る方針になったようだ。

 しかし、目の前の水槽はまた別の話題を二人に与えることとなった。


「あの魚、動きが変だな」

「そうね。もう寿命が尽きるわ。あと15分22秒」

「そんなことまで分かるのかよ」

「当然でしょ。「サーチ」できるんだから」

「…なるほど」


 裕美の言い分は正しい。人生サーチの対象が人間に限るとは誰も言っていないのだ。

 しかし、光安が驚くのも同じく正しい。彼は別に魔法研究家ではないのだから、裕美の可能性をいちいち予測はしないのだ。いや、彼の場合はある程度は予測せざるを得ない状況にあるが、人間にとって検討の余地のない事柄まで考えろというのは無茶である。指摘されて理解できるだけでも立派なものだ。

 そういう意味では、あの人生サーチは裕美の能力を見せて慣れさせる効果があったのかも知れない。そこに彼女の深謀遠慮が働いていたのかは定かでない。


「どっちにしても、デートの日には似合わない」


 裕美がつぶやくと、魚の周囲が少し光った。

 その光が数秒で消えると、ふらふらと泳いでいた魚は、見違えるように軽快に動き出した。


「…どうしたんだよ」

「彼の体内の時間を戻しただけ」

「彼…って、あの魚は男なのか」


 ツッコむべきはそこじゃないだろう、光安。

 もちろん、それは人生サーチの巻き戻しと同じなのだから、今さら驚くことではないのかも知れない。しかし、もしも同じならば、その方が問題なのだ。


「水槽の魚って、結構な割合で死ぬんだって」

「…そんな説明は要らない」

「ほら、……あそこにも浮いてる。もう生きていない」


 光安は肝心なことにはツッコまずに、指さされた先をぼんやりと見つめる。

 水面に浮く魚は、裕美が指摘するまでもなく事切れている。熱帯の魚をこの寒い地方で無理矢理に育てるのだから、いろいろと負担もあるのだろう。そもそも魚の寿命自体が人間ほど長くはない、という事情もある。


「…あの魚も、どうにかできるのか?」

「できたら………、どうする?」

「いや…」


 自分で質問しておきながら、動揺する光安。

 それは聞いてはいけないことだった。


「人間世界の約束事でしょ? 死んだ者を生き返らせてはいけない」

「約束事というか…、生き返らせる方法が存在しない」

「できるとしても、そうは言えないってことよねー」

「…………」


 結局は黙り込んだ。それはさすがにバカでも、裕美の言い分を理解できた証拠だった。そこで追求をやめてしまうからバカなのだが。

 彼はあの一件を問いただすべきだった。そう、荒瀬の白骨化だ。人生サーチと魚の若返りが同じメカニズムならば、要するに荒瀬はあの時に死んで、裕美の力で生き返ったのではないかという疑惑が生ずるのだ。

 ……まぁ、光安が質問する可能性は低いので、このままではよい子のみんなもモヤモヤするばかりだ。私の推測を言っておこう。

 荒瀬は死んでいない。それが私の説だ。

 心臓も何も動かない平面男なのに光安が生きていたように、白骨状態でも荒瀬は生存していたはずだ。なぜなら、裕美が彼の死を認めなかったからだ。裕美の命令は絶対だから、死ぬなと言えばどんな状況でも生き続けるのだ。


「してもいいのは、このぐらいだと思うけど?」

「……うん」


 古びた建物の壁に裕美が手を触れる。すると、その手の周囲のくすんだ白色の壁は、数秒で新築時の状態に変わった。

 壁は生物ではないので、いわゆる人間世界の約束事には含まれない。鉄筋コンクリートの再生なら、相当な時間と資源と費用が必要となるが、一応は人間にも不可能ではないのだ。


「無駄話ばかりだな、俺たちは」

「別にいいと思うけど。お見合いだって、まずはお互いを知ることから、でしょ?」

「その喩えは極めて適切でない」

「そう?」


 結局、一時間近くかかって渋谷と本間曜子は建物の外に出た。

 それはストーカーにとっては予想外の事態だが、別に悪いことではない。すべては順調だ。うまくいっている。その証拠に、見守る二人もまるでデートのように仲睦まじく見えるではないか。


「というか、……お見合いってうまく行くもんなのか?」

「私に聞いてどうするの?」

「やったことあるんだろ? ………1300年生きてれば」


 渋谷と本間曜子のように、人間の関係は常に変わりゆくものだ。そしてそれは、いつか滅びに向かう。だからこの宇宙は美しい。そうだろう?、高橋裕美。


「彼氏は…いたけどね」

「そりゃそうだろう」

「……………」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ