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手のひらの宇宙―魔女とバカの日々―  作者: UDG
第四章 前を向いてくれれば辛くないの巻
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第一節 じゃれ合う朝

 最近の光安を巡る情勢は、グローバル化が進む国際情勢にも負けないほどに、何かと厄介で複雑なものとなっている。ちなみに、グローバル化は枕詞である。

 毎朝、彼は比較的目覚めが良い。飯もうまいし出るものも出る。生理的な面では理想的な状態を保っているといって差し支えないようだ。

 また、曜子との会話も順調と思われる。残念ながらこちらは目に見えないので推測の域を出ないが、どうやら曜子は高橋裕美という女の存在を受け入れたらしい。「兄」自身にその気がなくとも、近づく女子生徒を品定めするのは、一般的な妹の職務といわれている。二次元の世界だけの気もするが、曜子も実質二次元なので差し支えない。

 このように良い状態を保ったまま家を出ると、毎日決まった時間に決まった交差点を折れることになる。つまり、登校時に裕美につかまってしまうことになる。それは相変わらず彼の懸念材料であった。


「早いわね今日は。昨日より1分27秒3…」

「今日もいい天気だ」

「またとぼけてる。ふーん」


 もっとも、それなら登校時間を変えればいいという話もある。

 二日目がそうだったように、裕美は、遅れて登校する彼を律儀に路上で待つような女ではない。どうも妙なところで融通が利かない男だ。だからバカなのだ。


「じゃあ今日もやるから」

「何を……って、ゆ、裕美ちゃん! 朝からおどかさないでよ」

「光安くん、お・は・よ・う!」

「お、おはよう。今日も裕美ちゃんは可愛くって脚が長いなぁ」

「えっ」


 例によって頭の中をいじられている彼だったが、ややイレギュラーな台詞が混じった。裕美の顔が一瞬引きつったぞ。


「一緒に並ぶと、裕美ちゃんのふかふかの胸がちょうどボクの顔に当たりそうで、照れちゃうんだよなー」

「いやん、光安くんったらぁ」


 弛緩しきった面で道路のほぼ中央に立ち、とんでもない台詞を吐く光安。次の瞬間には、みるみる表情が変わっていった。まず最初に、今の自分がどんな顔をしているのか気付いたらしい。その後に、自分が何をしゃべったかも理解したのだろう。

 あまりにアレな台詞だったので、裕美は光安の記憶をすべて残しているようだった。


「な、な…、何しやがんだ!!」

「言っとくけど、私は具体的な言葉までは命令してないからね」

「う……」

「ただ、アンタの目の前に彼女が現れたっていうシチュエーションを作っただけだから。青原光安って人はね、彼女と会ったら道路の真ん中でもエッチで臭ぁい台詞を吐くの。分かった?」

「……………卑怯だ」


 完璧にやりこめられて、光安はそれ以上何も返せなかった。

 とはいえ、いくらあれが彼の深層心理だったとしても、表に出さなければ人間として自制はできているのだ。それを無理矢理表面化させて、結果として野蛮な本性がまるわかりになったからといって、だから彼の人格を否定していいのだろうか。否! 彼もまた、健全な男子高校生であったことをむしろ喜ぶべきである。


「これからはアンタに襲われないよう気をつけないと」

「お前なんか熊だって襲わねぇだろ」

「へぇ。大きな胸が自分の顔の辺りにあるから、どうしたいの?」

「うるせぇ! どうせ頭の中いじるなら、その辺はもう少し修正しろよ……」


 最後は消え入るような声でつぶやくと、とぼとぼと歩き出す光安。彼にとって裕美とは、喩えではない正真正銘の疫病神だった。世の中の男性諸君は、自分に取り憑かなかったことをむしろ喜ぶべきである。


「それにしても…、光安は大きな女の子が好きなのね。ちょっと意外だわ」

「そ、そ、そんなこと言ってねぇだろ」

「言ったじゃない。思いっきり」

「それはお前に操られて口にしたデタラメだ」

「苦しいなー」


 確かに、それは非常に苦しい言い逃れだった。ならば、あの目の輝きは何だったということになる。

 さっさと認めてしまえ、光安。お前は既に、超弩級の恥ずかしい秘密を握られているではないか。こんな程度のことは、曜子に比べれば屁でもないぞ。


「じゃあどのくらいが好み?」

「知らねぇよ」

「曜子ちゃんも大きいの?」

「曜子は、曜子は可愛いに決まってんだろ!」


 いや、可愛いはサイズの表現じゃないだろう。相変わらずバカな発言には事欠かない男である。

 裕美はそれでも、にこにこと笑っている。

 取り乱しながらも妹への愛情だけは揺るがないという光安の姿は、それなりに評価に値する、ということなのかも知れない。変態は変態なりに筋を通せばいいのだ。うむ、何を言っているのか分からない。


「妹は小さくて、姉は大きいってこと?」

「だからそんなこと考えたこともねぇよ。俺は姉がほしいなんて思わねぇし、残念ながら彼女なんていねぇし、お前はでかいし」

「最後は関係ない」

「話の流れでしょうがねぇだろ。だいたい裕美、お前はどんだけあるんだよ。2mあるんじゃねーか?」

「………へぇ」


 光安の発言に、裕美は少しカチンと来たようだ。彼は彼なりに、さっきの発言を打ち消そうと必死なのだろうが、話題を長引かせては逆効果である。

 ちなみに、裕美の背はどう見ても2mはない。彼とは2~3センチの差でもないので、アバウトに考えてしまうのは分からなくもないが。


「ま、まぁでも、さすがに2mはないか…って!」

「ほえ?」

「ほえ、じゃねぇ!」


 彼自身もやや不用意だったと気付いたのか、フォローしようと試みる。しかしフォローが終わる前に裕美の背が伸びた。

 その場では計測しようがないが、会話の流れから考えて2mにしたのだろう。彼のデタラメに合わせて何か意味があるのかは分からない。そもそも、腹を立てた人間のやることに論理性を求めても仕方がないのである。


「まだ足りない?」

「だから…」

「じゃあこ・ん・な・か・ん・じ・で・」


 裕美の声はどんどん遠ざかり、辺りには最後のデェェェェ…が轟音となって響いている。あちこちにこだまして、国際中継映像の音のようにずれまくっている。

 しかしそれは既に、光安には認識できなくなっていた。というか、同時に激しく地面が揺れたので、彼は耳を押さえながら、まずは机の下に隠れるという動作をこなした。正確にいえば路上に机はないので、屋根付きゴミ捨て場にそそくさと隠れた。バカはバカなりによく訓練されているようだ。

 ただし、本当に地震が起きた場合、ゴミ捨て場よりは単なる路上の方がよほど安全ではないかと思うのは、きっと私だけではないだろう。

 ともあれ、約2mの巨人は目の前から消えた。

 ………。

 …………そうだ。裕美は大きくなっていた。

 最早それは「大きい」というレベルではない。その上半身は雲よ~り~高いこいのぼりではなく高橋裕美になっている。ここから富士山は見えないけれど、頭の位置はその頂上よりも高そうである。

 ちなみに、私には何者かによって以上のような情報が与えられている。特撮番組の初回放送で、誰も知らないはずなのに「あっ! ウ○トラマンだ!」と叫ぶ子どもの役割だと考えてくれたまえ。


「ど・う・? ま・ん・ぞ・く・し・た?」

「満足って………、あれ、なんだ?」

「えっ!?」


 頭を上げた光安に、地響きとともに、声として認識できる音も届いてくる。認識できる音は裕美の声だったので、彼もつぶやいた。

 もちろん、地上の星ではなく地上の光安の声は、高度4000mに届くはずがない。従ってつぶやいても普通は無意味なはずだ。残念ながらこの世界は、高速道路で隣の車同士が会話するようなマンガとは違うのだ。

 ただし、人間の肉体を身長4000mに拡大すれば、下半身がその重量に耐えられず潰れるという常識も、この世界には存在する。つまり目の前の肉体が潰れていない時点で、これは魔女のなせる業なのだ。ならば、砂粒程度の存在の声だって当然聞こえる………といった設定なのではあるまいか。

 魔女のなせる業の詳細など、私にも分かるわけがない。ウ○トラマンだ!、と叫ぶ子どもは、その変身の秘密を知らないのである。


「ア・ン・タ、見・た・で・しょ~!」

「み、見てない! 見てない……というか」

「というか何よ」


 彼が言い訳めいた言葉を発しようとした時には、裕美の身体が元のサイズに戻っていた。巨大化するのもあっという間だったが、縮小するにも時間はかからない。これも魔女のなせる業である。そして彼にのしかかるようにわめく裕美。これは魔女というか、ありがちな痴話喧嘩である。

 目の前で繰り広げられる、あり得ない現象の数々。なのに光安はただ、詰問されている事実にのみ反応している。普通は、返答する前にまず驚くだろう。慣れというのは恐ろしい。最早これが彼の日常なのだろうか。


「なんだか分からなかった」

「何が?」

「……パンツだろ?」

「なっ!」


 その瞬間、光安の背後で凄まじい轟音が鳴り響いた……はずだ。

 彼の周囲にはとてつもない突風が吹き、辺りは砂塵で何も見えなくなり、しばらくすると視界が晴れていった。


「何がパ………って、あ、……やっちゃった。ごめん」


 珍しく裕美が謝ったが、その声は光安には届いていないようだ。そもそも彼の姿も見あたらない。どうしたのだ……と思ったら、突然目の前に出現した。

 どうやら光安は瞬間移動の能力を手に入れたようだ。もちろん冗談だ。


「……どうした?」

「アンタの名前は」

「アオハラ…」

「よし、正解!」


 どこかに去って、また戻ってきた光安は、きょとんとした表情で立っていた。長距離移動をこなした自覚がないのだろう。別にそれは裕美が記憶を消したためではない。彼は気絶していたのである。

 特撮物風に説明しよう。裕美は光安の発言に軽く腹を立て、ちょこんと頬をはたこうとした。それ自体もあまり妥当な行動とは言い難いが、当人としては軽くはたいてじゃれるつもりだった。

 ところが、巨大化して元に戻ったばかりの彼女は、ちょっと力の加減を間違っていた。彼女の手のひらには、地球の質量を軽く超えるほどの力が込められていたのだ。途中でそのことに気付いた裕美は、最悪の事態だけは避けようと、光安の身体を護る力を同時に発動した。

 その結果はどうなったのかって?

 光安の身体は無事だったが、その背後には巨大なクレーターができた。そして、肉体は確かに無事ではあるものの、彼はロケット以上の速度で飛ばされてしまい、危うく宇宙空間に消えるところで呼び戻されたわけである。


「……とにかく、アンタはスケベなんでしょ?」

「何がとにかくだよ。だからなぁ、あんな距離で分かるかって」

「それはもう分かったから」


 気絶前後の彼に部分的に残っただろう違和感は、裕美が記憶を操作して事なきを得た。もちろんクレーターはすぐに元の景色に戻った。それ以前に、巨大化した裕美が破壊した街も、すべて元通りだ。

 そうして何事もなかったかのように、さっきのどうでもいい会話に戻った二人だったが、結局は裕美の側から切り上げてしまった。歩く悪夢のような女でも、多少は後味の悪さを感じたらしい。


「もうチャイムが鳴るんじゃねーか?」

「チャイムなら止めたから」


 もちろん、光安の言い分に一理あったというのも事実だろう。

 彼は間違いなく、裕美の隠された部分を目撃している。それは我が輩が保証する。我が輩って誰だ? もとい、私が保証する。保証はするが、それが男子生徒に興奮をもたらすかといえば、よほど想像力が豊かでない限り無理である。

 高さが2000m以上もある両脚を間近で見上げた時に、何が見えるかといえば、それはまず雲である。それほど厚い雲ではないので、もしかしたら切れ目から視界には入ったかも知れないが、普通の人間は2キロ先の景色など識別できない。魔女のくせにそんなことも分からないとは、裕美も思ったほどではないな。


「……もう八時半回ってるような気がするが」

「過ぎてるようね」


 もっとも、後味の悪さなどつかの間の感覚でしかなかったらしい。

 気分が落ち着いた次の瞬間には、光安を新たな罠にはめる裕美であった。


「止めたんじゃなかったのか!?」

「止めたわ。チャイムは、ね」


 そう。一休さんのとんち噺のようなノリで、裕美はチャイムの装置だけを止めていた。おそらくそれは、教室に教師が到着するのを一分ぐらい遅らせる効果があるだろう。そして時刻は、約一分ほど経過している。

 無遅刻無欠席しか誇れるところのない光安は、いよいよ絶体絶命のピンチであった。


※誤字修正

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