【第08話】凍てつく岩盤と、大地の底を流れる龍脈の熱
鉢植えの芽を出させたあの日から、わたしの魔法修行はさらなる過酷さを増していった。
季節が巡り、厳しい冬が訪れたある日のこと。
お師匠さまはわたしを、雪の積もる深く冷たい森の奥へと連れ出した。
「アルセア。お前さんが目指す『聴き耳の魔女』は、世界中のあらゆる場所で声を拾うことになる。時には、誰も足を踏み入れないような極寒の雪山や、猛吹雪の最前線に立たなければならない日も来るだろうね」
お師匠さまは、吐く息を白く染めながら杖をついた。
「風の音を聴く前に、自分が凍え死んでしまっては元も子もない。だから今日から、自分の身を守るための『環境魔法の結界』と『身体強化』を教え込むよ」
「環境結界と、身体強化……」
「そうさ。外の異常な冷気から身を遮断する結界と、内側から体温と体力を底上げする強化。この二つを同時に維持する『二重詠唱』の感覚を体に覚え込ませるんだ」
それからの日々は、まさに泥と雪にまみれる格闘だった。
環境魔法の結界を展開するだけなら、すぐにできるようになった。
だが、それと同時に身体強化の魔力を巡らせようとすると、途端に集中が途切れ、結界が弾け飛んで冷たい吹雪に叩きのめされてしまう。
「魔力を無駄に放出するんじゃないよ! 自然の冷気と力任せに喧嘩をしようとするから息が上がるんだ。鉢植えの時を思い出しな。自然の波長に寄り添い、最小限の力で網目を編むように結界を張るのさ!」
お師匠さまの容赦のない檄が飛ぶ。
わたしは雪の中で何度も倒れ、震えながら立ち上がり、二つの魔法を同時に織り上げる感覚を必死に掴んでいった。
やがて、猛吹雪の中でも不思議と疲労感を感じずに、すいすいと歩けるようになるまでに、そう長い時間はかからなかった。
◆◆◆
そして迎えた、修行の二年目の冬。
わたしが十五歳を迎える少し前のことだった。
その日は、とりわけ雪が深く、身を切るような寒さの夜だった。
お師匠さまはわたしを、村の裏山のさらに奥、むき出しの巨大な岩盤が連なる谷底へと連れてきた。
「いいかい、アルセア。お前さんの結界と身体強化は随分と板についてきた。だが、お前さん自身のちっぽけな魔力だけでは、いつか必ず限界が来る。一晩中歩き続けるような時や、ここぞという大魔法を行使しなければならない時は、自分の魔力を使い切って死んじまうよ」
お師匠さまは、雪から覗く黒い岩盤を杖でトントンと叩いた。
「靴と靴下を脱ぐんだ。そうしたら、そこの岩の上に裸足で立ってごらん」
わたしは驚いてお師匠さまの顔を見た。
「は、裸足で!? こんな猛吹雪の中でですか?」
「いいからやりな。結界と身体強化は維持したままでいい。しもやけになりたくなきゃ、魔力でしっかり足を守るんだね」
わたしは震える手でブーツを脱ぎ、左右の靴紐を結んで肩から提げた。
むき出しになった素足を、雪に覆われた冷たい岩盤の上にそっと乗せる。
――冷たい。
結界を張っていても、大地の底から這い上がってくるような絶対的な冷気が、足の裏から突き刺さってくる。
「……一時的に、足元の結界だけを解除して、その冷たい岩盤の『声』を聴くんだ。鉢植えの土を聴いた時よりも、もっと深く、もっと遠くへ。大地の底の底へ、魔力を細く糸のように伸ばしていくんだよ」
お師匠さまの低く落ち着いた声に導かれ、わたしは言われた通りに目を閉じた。
足裏の結界をそっと解く。
猛烈な冷気が襲ってくる。
だが、それに耐えて意識を沈めていく。
雪の下で、春を待つ大地の力。
さらにその奥深く。
決して凍ることのない熱を含んだ地層。
かつて海の底だったという、途方もない歴史を刻んだ強固な岩盤。
わたしは自分の中にある魔力を、細い細い糸を紡ぐように、その大地の奥底へと真っ直ぐに伸ばし続けた。
すると――。
ズン、と。
足の裏から、圧倒的な熱の奔流が跳ね上がってきた。
「……っ!」
わたしは思わず岩から飛び退きそうになったが、お師匠さまの手がわたしの肩をガッチリと押さえつけた。
「逃げるんじゃないよ! それが『龍脈』さ。星の生命力そのものが流れる、巨大な魔力の河だ」
吹き荒れる吹雪の中で、お師匠さまの目が鋭く光っていた。
「まともに受け止めようとすれば、人間の体なんて一瞬で弾け飛ぶ。だから、力で支配しようとしちゃダメだ。お前さんはただの『管』になるんだ。巨大な龍脈の力を地上へ流すための、ちっぽけな『枝葉』になるんだよ」
「え、えだはに……!」
「そうさ。お前さんの魔力は、龍脈と接続するためのただの鍵にすぎない。聴き耳の魔女として世界を聴き、大地の鼓動に相乗りする。そして、祈りを言葉に乗せて解き放つんだ。いいかい、あたしの言う通りに復唱しな!」
お師匠さまは、吹雪の音を切り裂くような声で、古い古い『ことば』を紡ぎ出した。
『星よ、星よ、あまねく力を司る大いなる龍よ』
わたしは素足から伝わる巨大な熱に耐えながら、必死にその言葉をなぞった。
「ほ、星よ、星よ……あまねく力を司る、大いなる龍よ……!」
『我が真名はアルセア、聴き耳の魔女に、その力を貸し与えたまえ』
「我が真名はアルセア……聴き耳の魔女に、その力を貸し与えたまえ!」
言葉を紡いだ瞬間、大地の底から信じられないほどの質量の魔力が、わたしの体を駆け巡った。
結界を内側から吹き飛ばしそうな巨大な奔流。
足元に積もっていた分厚い雪が一瞬にして蒸発し、白い水蒸気となって天へ昇っていく。
「はぁっ、あぁっ……!」
あまりの力に意識が飛びそうになった瞬間、お師匠さまが素早くわたしの肩から手を離し、杖で岩盤を強く叩いた。
途端に、わたしの中に流れ込んでいた巨大な熱がスッと引き、大地の底へと帰っていった。
わたしはその場にへたり込み、肩で大きく息をした。
「……よく耐えたね。今の感覚を、骨の髄まで叩き込んでおきな」
お師匠さまは、倒れ込むわたしを見下ろして静かに言った。
「いつか、どうしようもない大きな壁にぶつかった時。自分一人の声じゃ、到底世界に届かないと絶望した時。この大地の脈動の枝葉となって、今の『ことば』を魔力をこめて唱えるんだよ」
吹雪の中で、お師匠さまの顔はかつてなく真剣だった。
「上手くやれば……そうさね。山一つ、大きな街一つを覆うような結界を張ったり、大陸の端から端まで声を届けられたりするような、神話級の大魔法だって行使できるだろうよ。だが、忘れるんじゃないよ。枝葉にあまりに大きな力をかければ、たちまちに枯れ果てて壊れてしまう。力に呑まれず、ただ自然の営みに寄り添う心だけは、絶対に失うんじゃないよ」
雪の上に座り込んだまま、わたしは足の裏に残る確かな熱の余韻を感じていた。
この時の大地の圧倒的な鼓動と、お師匠さまが教えてくれた龍脈の力を借りる詠唱を、わたしは決して忘れることはなかった。




