【第26話】温室に咲く毒花と、相棒が囁く痛快な反撃
帝国の魔女協会が誇る、巨大なガラス張りの温室サロン。
天井からは見事なシャンデリアが下がり、冬だというのに室内は魔法による暖かな空気に満ち、色とりどりの希少な百合や薔薇がむせ返るような香りを放っていた。
白磁のティーカップに注がれた最高級の紅茶からは、琥珀色の湯気がゆらゆらと立ち昇っている。
しかし、その甘い香りの向こう側、レースとシルクの豪奢なドレスに身を包んだ令嬢たちが放つ空気は、凍てつくような冷たさと、刃のような敵意に満ちていた。
「それにしても、アルセア様は素晴らしいお召し物をお持ちですわね。漆黒のローブだなんて、まるで夜の闇をそのまま切り取ってきたかのよう」
令嬢たちのリーダー格である、見事な金色の縦ロールを揺らす侯爵令嬢、エルネスタが扇子で口元を隠しながら微笑んだ。
「ええ、本当に。ただ、こちらのサロンの絨毯は、初代皇帝陛下が南の国から献上された非常に繊細な絹で織られておりますの。東の豊かな『大地』の香りが染み付いたお靴で、その美しい絹が傷まないかと、少しばかり心配になってしまいますわ」
周囲の令嬢たちが、くすくすと上品な笑い声を漏らす。
彼女たちは、トヨノクニとチュニアの文化や歴史の違いなど知ろうともしない。
すべてを一括りに「東の辺境」と呼び、洗練された帝国の対極にある、泥臭く野蛮な土地であると決めつけているのだ。
「豊かな大地の香りが染み付いた靴」とは、要するに「土にまみれた汚い靴で帝国の絨毯を踏むな」という痛烈な皮肉であった。
いくら猛特訓をしたとはいえ、わたしに帝国公用語の完璧なヒアリング能力や、このねじ曲がった貴族特有の言い回しに即座に切り返す語彙が備わっているわけではない。
膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、顔をうつむかせそうになった時だった。
『優雅に自信を持つのよ、アルセア。それが虚勢でも、そうしなきゃ呑まれるのよ』
足元のベルベットのクッションで、優雅な香箱座りを作っているマイヤさんから、鋭く力強い念話が頭の中に直接飛び込んできた。
――ええ、分かっているわ。
わたしは小さく息を吸い込み、魔女としての『聴き耳』の力を全開に引き上げた。
途端に、世界の情報量が爆発的に跳ね上がる。
第一の感覚器は、わたしの『耳』。
令嬢たちの口から紡がれる、帝国公用語の物理的な音声。
その滑らかな発音、息遣い、そして語尾の微かな震え。
第二の感覚器は、魔女としての『聴き耳』。
彼女たちの言葉の裏に隠された、感情の波長。
エルネスタの言葉の表面は滑らかだが、その奥底からは「優越感」と、わたしの胸で輝く三つのバッジに対する「どす黒い嫉妬」が、濁った泥水のように渦巻いているのが『聴こえる』。
そして第三の感覚器が、マイヤさんとの『念話』だ。
人間よりも遥かに鋭敏な聴覚と、神話の時代から人間社会を観察し続けてきた猫としての卓越した分析力が、感情の波長を論理的な「言葉」へと変換し、リアルタイムでわたしの脳内に送り込んでくる。
『あの令嬢、扇子を握る手が白くなっているのよ。内心は焦りと苛立ちでいっぱいね。東の野蛮人だと見下しているくせに、あなたのバッジの権威が恐ろしくて仕方ないのよ。こう言い返してやるのよ――』
マイヤさんから送られてくる痛烈な皮肉を、わたしは脳内で受け取り、少しの遅延を置いて、ゆっくりと帝国公用語に翻訳して口にした。
「ああ、ごめんなさい。あまりに難解な言葉の綾を理解するのに、少し時間がかかってしまって……つまり、こういうことでしょうか」
一拍の溜め。
それさえも、東の人間特有ののんびりとした、優雅な間に見えるように。
わたしはにっこりと微笑み、マイヤさん直伝の、強烈な皮肉の効いた猫のブラックジョークを放った。
「ご心配には及びませんわ、エルネスタ様。わたしの靴は、東の泥を踏むために設えられたものではありませんから。……そういえば、わたしの故郷にはこのような小話がありますの。『絹で飾られた鳥籠の中で、鏡に映る自分の羽を褒め称えるカナリアは、屋根の上で欠伸をしている野良猫が、自分の飛べない姿をどれほど哀れんでいるかを知らない』と」
マイヤさんから念話で届けられた、そのあまりにもシニカルで小気味良い言い回しに、わたし自身がおかしさを堪えきれず、ふふっ、と軽く笑い声を漏らしてしまった。
瞬間、サロンの空気が凍りついた。
エルネスタをはじめとする令嬢たちの顔から、血の気が引いていくのがはっきりと分かった。
何を言われても不気味な余裕を崩さず、あろうことか「鳥籠のカナリア」と自分たちを暗に嘲笑し、楽しげに笑いすら浮かべる得体の知れない留学生。
その姿に、彼女たちは明らかに混乱し、焦りを感じ始めていた。




