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【第23話】鉄格子の奥に鎮座する、銀灰色の気高き相棒

 冷たい言葉の裏側を読み取るには、人間の辞書など役に立たない。


 ふと、わたしの脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。


 それは師匠である常盤の魔女・イルマの言葉だ。


『アルセアや。お前さんがもし、この先の長い人生で異なる言葉の想いを『聴きたい』と願う日が来たなら――猫を先生にするといいよ』


 傲慢を極めた人類が建てた、空にも届く塔の影で、昼寝をしていた猫たち。


 人類の言葉を分断した『神の雷』を免れた彼らなら、帝国貴族のねじ曲がった言葉の裏にある真意を、いとも簡単に見透かすことができるはずだ。


 今のわたしには、帝国の言葉を教えてくれる「先生」が必要だった。


 思い立ったわたしは、教官に頼み込み、帝都の片隅にある保護猫シェルターへと足を運んだ。



 ◆◆◆



 鉄格子の向こうには、様々な毛色の猫たちがひしめき合っていた。


 しかし、わたしの目はすぐに、部屋の一番奥、キャットタワーの最上段に鎮座している一匹の猫に釘付けになった。


 ふさふさとした淡い墨を流したような銀灰色の縞模様と、雪白の胸毛を持つ長毛の猫。


 周囲の猫たちを従え、まるで群れを統べるボスのように堂々とふんぞり返っている。


 その灰緑色の瞳には、ただの動物とは明らかに違う、深い知性と確固たる矜持が宿っていた。


 わたしは迷わずタワーに近づき、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。


「初めまして。わたしはアルセア。魔女の卵です」


 銀灰色の猫は逃げることもなく、値踏みするようにわたしを見下ろした。


「単刀直入に言うわ。わたしの先生になってほしいの」


 わたしは真剣な声で、彼女との交渉を始めた。


「わたしは帝国で特命を帯びているし、いずれは世界中を飛び回ることになるかもしれない。それでも、一緒についてきてくれる?」


 猫は短く「ニャッ」と鳴いた。


(悪くはないわね)という響きが『聴こえた』。


「それから……わたしの部屋には、酸っぱい匂いのするキャベツの壺や、これから先作るかもしれない強烈な香辛料の匂いがするチュニアの漬物壺がたくさん並ぶことになるの。それにも耐えられるかしら?」


 その条件に、猫は少しだけ眉間を寄せたように見えたが、やがてゆっくりと瞬きをして、タワーからわたしの肩へと飛び乗った。


 ずっしりとした重みと、柔らかな温もりが伝わってくる。


「……ありがとう。あなたの名前は『マイヤ』よ」


 わたしは肩に乗る彼女の顎の下を撫でながら、ふふっと笑い声を漏らした。


「古い言葉の『マイヨール』――より大いなる者、上位の者っていう意味から取ったの。その堂々たる佇まいにぴったりでしょう?」


 猫は少しだけ眉間を寄せたように見えたが、やがてゆっくりと瞬きをして、満足げに喉を鳴らした。


「マイヨールはね、帝国公用語の軍の階級である『少佐』の語源でもあるの。周囲を従えてふんぞり返っているあなたには、お似合いじゃない? でも、『マイヤ少佐』と呼ぶと『少佐・少佐』で意味が重なっておかしいから、普段は『マイヤさん』って呼ぶことにするわ」


 マイヤさん、あるいは少佐。


 それが、後にわたしの生涯の相棒となる銀灰色の毛玉との、運命の出会いだった。



 ◆◆◆



 わたしは自室に戻ると、すぐに魔法陣を描き、彼女との間に『使い魔』としての契約を結んだ。


 魔女の魔力と魂の一部を繋ぐことで、より深く意思の疎通を図るための神聖な儀式だ。


 淡い光が収まると、ベッドの上で毛繕いをしていた少佐が、顔を上げてわたしを見た。


『……で? 早速だけど、今日の夕食は何かしら? まさかそこの壺に入っている酸っぱい葉っぱだけなんて言わないわよね?』


 わたしの頭の中に、直接、凛とした気高い女性の声が響いた。


「わっ!? しゃ、喋った……!?」


『使い魔の契約をしたのだから当然でしょう。それより、わたしは新鮮な白身魚がいいわ。お腹が空いては、帝国の小難しい言葉を教えることなんてできないもの』


 呆然とするわたしをよそに、マイヤさんはさも当然といった顔で要求を突きつけてきた。


 どうやら、わたしは途方もなく優秀で、そしてとびきり我儘な「先生」を迎え入れてしまったらしい。


「わ、分かったわ! 今すぐ買ってくる!」


 わたしは慌てて財布を掴み、再び凍えるような帝都の市場へと駆け出した。


 先ほどは無機質で冷たいと感じた市場だったが、今はマイヤさんのお眼鏡にかなう極上の白身魚を探すため、目を皿のようにして店を巡った。


 ようやく見つけた新鮮な魚を抱えて部屋に戻り、小さなコンロで丁寧に火を通す。


 お皿に盛り付けて差し出すと、マイヤさんは優雅な足取りで近づき、匂いを嗅いでからゆっくりと口をつけた。


『……まあ、悪くないわね。焼き加減は合格よ』


 尻尾を揺らしながら魚を平らげるマイヤさんの横顔を見て、わたしはほっと胸を撫で下ろした。


 壺の中で発酵するキャベツの微かな音と、マイヤさんの満足げな喉の音。


 そして、部屋に漂う酸っぱい匂いと焼けた魚の匂い。


 それは酷くちぐはぐな空間だったけれど、冷たかった帝国の部屋に、確かな温もりと「家族」の賑やかさを連れてきてくれた。

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