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【第19話】武士の面影と、下町で味わう故郷に似た辛味

 その数日後のことである。


 わたしは、両外交官からそれぞれ、協会の外で個別に呼び出しを受けたのだ。


「オフィシャルな場ではない。非公式な発言を認める、私的な同行を頼みたい」


 そんな風に言われれば、魔女の卵としては断る術がない。


 きっと、会議室では話せなかったさらに踏み込んだ機密情報や、水面下での腹の探り合いが始まるのだと、わたしは極度に緊張して待ち合わせの場所へと向かった。


 しかし、彼らが「案内してほしい」と指定してきた場所は、わたしが普段から通い詰めている、北の街の下町――むせ返るような香辛料の匂いと、人々の荒々しい活気に満ちた、庶民の市場街だったのだ。


 最初に市場を案内することになったのは、トヨノクニの外交官、ウエダ・タモンさまであった。


 休日の彼は、会議室での隙のないスーツ姿から一転して、トヨノクニの伝統的な、少しゆったりとした仕立ての着流しのような私服を着ていた。


 歩く姿勢は相変わらず背筋がピンと伸びた武士のそれであったが、その歩幅や足の運び方は、どこか大地をしっかりと踏みしめるような、泥臭い力強さがあった。


「いやあ、素晴らしい活気だ。帝国の洗練された市場も悪くないが、私はどうもこういう、土と人の匂いが混ざり合ったような場所の方が性に合っていてね」


 市場の雑踏を歩きながら、ウエダさまは目を細めてあちこちの露店を眺めている。


 聞けば、ウエダさまは名門大学を出た超エリートでありながら、古い武家の実家は広大な領地を持っており、大学に進学するまでは、彼自身も領民たちと共に泥まみれになって田畑を耕す生活をしていたのだという。


「私の故郷は、あまり肥沃な土地ではなくてね。米を作るには水も気温も足りず、もっぱら痩せた土地でも育つ蕎麦を育てることの方が多かったのだよ。だから、こういう北の国や、チュニア北部の農産物を見ると、どうにも近しさを感じてしまってな」


 そう語るウエダさまの横顔は、鋭い外交官の顔ではなく、故郷を懐かしむ一人の青年のようだった。


 だが、ふと路地裏の暗がりへ視線を向けた時、その目には再び冷たい、しかしどこか悲痛な光が宿った。


「……会議室で、ティゲール卿は『力による抑止』と『国際秩序』を説いた。それは帝国の理屈としては完全に正しい」


 ウエダさまの声が一段低くなり、わたしは息を呑んだ。


「帝国にとって、北の国は地図の端にある『ならず者の国』だ。彼らが世界のルールを破るなら、圧倒的な力で叩き潰し、平定すればいい。だが、我々は違う。トヨノクニもチュニアも、北の国とは同じ東の大地で歴史を共有し、すぐ海を隔てただけの生々しい隣人なのだよ」


 市場の喧騒の中で、ウエダさまの言葉だけが奇妙なほどはっきりとわたしの耳に届く。


「我々トヨノクニには、かつて長く国を閉ざしていた時代がある。外の世界の圧倒的な力に怯え、猜疑心から刃を外へ向けていた時代の空気を、我々は歴史の記憶として知っているのだ。だからこそ、あの北の国が抱える『孤立の恐怖』が痛いほどにわかる。腹を空かせ、凍えている者たちに力を見せつければ、彼らは恐怖から牙を剥く。帝国は遠い海を越えて帰ればいいが、我々はその後の果てしない憎悪の連鎖を、永遠に隣で背負い続けなければならないのだ」


 ウエダさまの言葉の奥から響いてくるのは、帝国への反発ではない。


 地続きの脅威に晒される当事者としての、血を吐くような苦悩と重圧だった。


 重い沈黙が降りた直後、ウエダさまの足がぴたりと止まった。


 彼の視線の先には、鉄板の上で薄い生地を焼き、その中に真っ赤な具材をたっぷりと包み込んでいる屋台があった。


「ほう、チュニアでは蕎麦粉を焼くのだな! あれはクレープのようなものかね。一つ試してみたいもんだが」


 ウエダさまは先ほどの重い空気をかき消すように、明るい声を出した。


 興味津々で屋台に近づこうとする彼の袖を、わたしは慌てて引っ張った。


「あ、ウエダさま、お待ちください。こちらはその、結構中身が辛いです。チュニア北部の特有の、強烈な香辛料が使われていまして……」


「この中身の赤いのは全部唐辛子か! アルセア君は、トヨノクニの『七味』を食べたことがあるかい?」


「あ、はい! うどんやそばにかけたりする、あれですよね」


「そうだ。それを山とかけた、熱々のかけ蕎麦とこれなら、どっちが辛いと思うね?」


 わたしは少し記憶を探りながら答えた。


「七味とはまた違う、お腹の底から燃えるような深みのある辛さです! 後からじわじわと汗が吹き出してくるような……」


「ほう! それはおすすめかね?」


「はい! 辛いものが平気でしたら、とても美味しいですよ!」


「よし、一つもらおうじゃないか!」


 わたしが北訛りのチュニア語で「おやじさん、ここの蕎麦巻き、具をたっぷりで一つ頼むよ! もちろん安くしてよね!」と値切ると、屋台の主人は「へっ、相変わらず口の減らねえ嬢ちゃんだ!」と笑って、特大の蕎麦巻きを焼いてくれた。


 ウエダさまはそれを両手で受け取ると、熱さにハフハフと息を吐きながら豪快に噛み付いた。


「……むっ! おお、これは……!」


 数秒後、ウエダさまの額から滝のような汗が吹き出した。


 しかし、その表情は苦痛ではなく、純粋な驚きと喜びに満ちていた。


「美味い! 辛いが、蕎麦の香りがまったく負けていない! なるほど、これは七味とは違う、大地に根ざした力強い辛さだ。これだけ強いものを食べて体を燃やさなければ、この土地の冬は越せないというわけだな……!」


 汗を拭いながら満面の笑みで蕎麦巻きを頬張るウエダさまを見て、わたしは心の底からホッとしていた。


 非公式な密談などでは全くない、ただ故郷の味に似た異国の料理を楽しむ、優しい父親の顔がそこにあったからだ。

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