表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

THE PUNK ROCK MOVIE

 玄関を開けると部屋のドアの向こうからセックス・ピストルズの「God Save The Queen」が聞こえてきた。ドアを開けると、ハルが振り向いてグラスを上げる。


「お帰り」


「ただいま」


 ローテーブルの上に焼酎の瓶が置いてあった。


「おかず食べた?」


「うん。お先ね」


 手洗いうがいを済ませてから、部屋着に着替えて冷蔵庫を開ける。作り置きの回鍋肉を温めた。


「ご飯炊いておいたよ」


「ありがとう」


 茶碗にご飯をよそう。


「残りは冷凍しちゃっていい?」


「うん。お願い」


 炊飯器のスイッチを切り、プラグを抜いた。ご飯をラップに移して包む。ハルの(どんぶり)用の大きな塊と、私の茶碗用の小さな塊。


 グラスを取って氷を入れる。回鍋肉とご飯をローテーブルに運ぶと、ハルが氷の入ったグラスとレモンソーダを持ってきてくれた。


「お疲れー」


「お疲れー」


 ハルが作ってくれたレモンサワーで乾杯する。


「明日は朝、食べないんでしょう?」


「うん。ゆっくり寝るよ」


 明日は二人とも休みだったので、遅く起きてマキさんの店でランチする予定だった。その後、買い出しして、夜は二食分まとめて作る。だいたい中華の炒め物を作ることが多いので、甜麺醤と豆板醤がすぐに無くなる。野菜や肉を切るのはハルと一緒にやった。食べる前の片付けは、作りながら私がする。食べ終わった皿やグラスは、ハルが洗ってくれた。


 私もハルも週に一日は休肝日にしているし、飲み過ぎることはほとんどない。私と暮らすようになるまで、ハルは遅くまで飲んで戻したり、仕事を遅刻したりしていたらしい。マキさんの店で食べないときは、コンビニの弁当で済ませていたと言っていた。


 テレビの画面に流れていた「THE PUNK ROCK MOVIE」が終わった。


「何か観る?」


 DVDを取り出しながらハルが聞く。


「ダムドの『LOVE SONG』が聴きたい」


 ハルがレコードに針を落とした。デイヴ・ヴァニアンの声が部屋に響く。




 午前十時半頃、着替えてメイクしているとハルが起きた。


「おはよう」


 ハルは私と同じソープで顔を洗って髭を剃り、アルガンオイルを馴染ませてからダマスクローズウォーターをスプレーしてタッピングしている。


 家からマキさんの店まで三十分。十一時半に部屋を出た。東横線で明治神宮前に向かう。渋谷から直通で副都心線になった。明治神宮前からマキさんの店まで少し歩く。以前よりも少し暖かくなった陽射しの中、雑踏を抜けて路地に入ると人通りが減った。


「こんにちは」


 マキさんと、もう一人の女性のスタッフがカウンターの中にいる。


「四月いっぱいで閉店しちゃうんですか?」


 座りながらハルが言った。先日、店のSNSにポストされていた。


「そうなんだよ。残念だけど、今までありがとう」


「まだ最後まで来ますよ」


「ありがとうね。今日もタコライスとカオソーイかな」


「はい。コロナを——エミも飲む?」


「アイスラテをお願いします」


「コロナとアイスラテね」


 マキさんがにっこり笑った。グラインダーの中にコーヒー豆が入れられる。スタッフの女性がコロナビールのボトルをハルの前に置いた。ハルはライムを絞り入れ、アイスラテが届くのを待っている。


 私が知る中で、いちばんおいしいタコライスが食べられなくなるのも、マキさんと社長に会えなくなるのもつらかった。血痕のようなペンキがあちこちについているカウンター。壁中に貼られているステッカー。配管が剥き出しの天井。あと何回、見られるだろうか。


「SNSは残しておくし、イベントに出店するときはポストするよ」


「イベントに出るんですか?」


「機会があったらね」


「じゃあずっとフォローして楽しみにしてます」


「神奈川で出る予定なんだけど。茅ヶ崎のマルシェとか葉山の朝市とか」


「うわー絶対行く」


「地元が神奈川なんだよね」


「そうだったんですか。どの辺ですか?」


「葉山だよ」


「いいなー。葉山に戻るんですか?」


「うん。そうなんだ」


 ハルと話しているマキさんは笑顔だし、私も笑顔で話を聞いていたけれど寂しかった。


「ごちそうさまでした」


 店のドアを開けて路地に出る。


「イベントかー」


「うん」


 ハルの横顔は、思いつめているようにも見えた。


「朝市って、朝早いのかな?」


「早起きしないとね。完全に閉店じゃなくてよかった」


「なんかさー、こんなこと言ったらあれだけど。本当にイベントに出店するのかな」


「そう言ってたし、待つしかないね」


 ハルの予感は当たるのかもしれない。外れて笑顔で再開するかもしれない。先のことは分からないけれど、今日の原宿は雲ひとつない空をしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ