THE PUNK ROCK MOVIE
玄関を開けると部屋のドアの向こうからセックス・ピストルズの「God Save The Queen」が聞こえてきた。ドアを開けると、ハルが振り向いてグラスを上げる。
「お帰り」
「ただいま」
ローテーブルの上に焼酎の瓶が置いてあった。
「おかず食べた?」
「うん。お先ね」
手洗いうがいを済ませてから、部屋着に着替えて冷蔵庫を開ける。作り置きの回鍋肉を温めた。
「ご飯炊いておいたよ」
「ありがとう」
茶碗にご飯をよそう。
「残りは冷凍しちゃっていい?」
「うん。お願い」
炊飯器のスイッチを切り、プラグを抜いた。ご飯をラップに移して包む。ハルの丼用の大きな塊と、私の茶碗用の小さな塊。
グラスを取って氷を入れる。回鍋肉とご飯をローテーブルに運ぶと、ハルが氷の入ったグラスとレモンソーダを持ってきてくれた。
「お疲れー」
「お疲れー」
ハルが作ってくれたレモンサワーで乾杯する。
「明日は朝、食べないんでしょう?」
「うん。ゆっくり寝るよ」
明日は二人とも休みだったので、遅く起きてマキさんの店でランチする予定だった。その後、買い出しして、夜は二食分まとめて作る。だいたい中華の炒め物を作ることが多いので、甜麺醤と豆板醤がすぐに無くなる。野菜や肉を切るのはハルと一緒にやった。食べる前の片付けは、作りながら私がする。食べ終わった皿やグラスは、ハルが洗ってくれた。
私もハルも週に一日は休肝日にしているし、飲み過ぎることはほとんどない。私と暮らすようになるまで、ハルは遅くまで飲んで戻したり、仕事を遅刻したりしていたらしい。マキさんの店で食べないときは、コンビニの弁当で済ませていたと言っていた。
テレビの画面に流れていた「THE PUNK ROCK MOVIE」が終わった。
「何か観る?」
DVDを取り出しながらハルが聞く。
「ダムドの『LOVE SONG』が聴きたい」
ハルがレコードに針を落とした。デイヴ・ヴァニアンの声が部屋に響く。
午前十時半頃、着替えてメイクしているとハルが起きた。
「おはよう」
ハルは私と同じソープで顔を洗って髭を剃り、アルガンオイルを馴染ませてからダマスクローズウォーターをスプレーしてタッピングしている。
家からマキさんの店まで三十分。十一時半に部屋を出た。東横線で明治神宮前に向かう。渋谷から直通で副都心線になった。明治神宮前からマキさんの店まで少し歩く。以前よりも少し暖かくなった陽射しの中、雑踏を抜けて路地に入ると人通りが減った。
「こんにちは」
マキさんと、もう一人の女性のスタッフがカウンターの中にいる。
「四月いっぱいで閉店しちゃうんですか?」
座りながらハルが言った。先日、店のSNSにポストされていた。
「そうなんだよ。残念だけど、今までありがとう」
「まだ最後まで来ますよ」
「ありがとうね。今日もタコライスとカオソーイかな」
「はい。コロナを——エミも飲む?」
「アイスラテをお願いします」
「コロナとアイスラテね」
マキさんがにっこり笑った。グラインダーの中にコーヒー豆が入れられる。スタッフの女性がコロナビールのボトルをハルの前に置いた。ハルはライムを絞り入れ、アイスラテが届くのを待っている。
私が知る中で、いちばんおいしいタコライスが食べられなくなるのも、マキさんと社長に会えなくなるのもつらかった。血痕のようなペンキがあちこちについているカウンター。壁中に貼られているステッカー。配管が剥き出しの天井。あと何回、見られるだろうか。
「SNSは残しておくし、イベントに出店するときはポストするよ」
「イベントに出るんですか?」
「機会があったらね」
「じゃあずっとフォローして楽しみにしてます」
「神奈川で出る予定なんだけど。茅ヶ崎のマルシェとか葉山の朝市とか」
「うわー絶対行く」
「地元が神奈川なんだよね」
「そうだったんですか。どの辺ですか?」
「葉山だよ」
「いいなー。葉山に戻るんですか?」
「うん。そうなんだ」
ハルと話しているマキさんは笑顔だし、私も笑顔で話を聞いていたけれど寂しかった。
「ごちそうさまでした」
店のドアを開けて路地に出る。
「イベントかー」
「うん」
ハルの横顔は、思いつめているようにも見えた。
「朝市って、朝早いのかな?」
「早起きしないとね。完全に閉店じゃなくてよかった」
「なんかさー、こんなこと言ったらあれだけど。本当にイベントに出店するのかな」
「そう言ってたし、待つしかないね」
ハルの予感は当たるのかもしれない。外れて笑顔で再開するかもしれない。先のことは分からないけれど、今日の原宿は雲ひとつない空をしていた。




