ヒーローになった夏
突然だが諸君は“ヒーロー”というものに憧れたことはあるだろうか
健全な男子は今この文章に内心で懐かしさや馬鹿馬鹿しさ、そしてちょっとの気恥ずかしさに笑いながらも頷いてくれたんじゃないだろうか?
健全な女子や健全じゃないレディース&ジェントルマンの皆さま、および共感できなかった方々も面白半分に僕の話を聞いていてくれるととても嬉しい
それは僕が中学二年生の夏休み、親戚の家がある東京に遊びにきていた時の話から始まるんだ
「誰かぁー!ひったくりよぉーー!!」
対岸の歩道でアイスを食べながら事の始まりから悲鳴まで全部見ていた僕、なんとも失礼なことに田舎ではなかなか起きないひったくり事件を僕はイベントのように少しワクワクしながら見つめていた
逃げていく2人乗りしてるダサいバイク、手を伸ばし悲鳴を上げる女の人、そしてやばいと思いつつも特に動きはしないその他多数…くだらないがこの場にヒーローなんてものはいないのだ
「……すげ〜本当にいるんだひったくりって、マジで来世はまともに生きてくれ…」
ここまでで察してくれた人もいるかもしれないが僕は厨二病まっさかりだ、どこか世界を達観して見てる気になって周りを無意味に見下し馬鹿にして、謎の全能感に身を任せて口を開いては自分だけが何かを知ってると勘違いしているクソガキだった
しかしこの日から少なくとも“謎の全能感”は虚構ではなくなった
「…バイク転倒〜しろっ!……なんつって」
ガシャァン!
お、おい!バイクが倒れたぞ!
きゃああああ!誰か!誰か救急車を呼んで!!
離れろ!バイクからなんか漏れてるぞ!!
「……えっ?」
一瞬にして起こった阿鼻叫喚、僕が転倒しろと冗談で呟いたと同時にこの通りを走っていたバイクが全て勢いよく転倒したのだ
ひったくり犯のバイクは特に酷い…ガードレールに突っ込んだ車体は真っ二つにへし折れ、衝撃に投げ出された運転手の2人は電柱に激突してモゾモゾと蠢くだけ、一番軽かった戦利品の鞄は何故か僕の近くへと飛んできていた
「…ははっ、ま、マジか…!」
ハッキリ言おう、この時の僕の中には万が一にも自分の中に眠っていた力のせいだったらどうしようなんて不安は一切無かった
ただ純粋に自分の力が覚醒した!なんて馬鹿なことを考えていたし、仮に本当に自分の力だとしてもこの力は危険かもしれないだとか、実際周りを巻き込んでしまったことに対する罪悪感も無かった
ただあの瞬間、僕は嬉しかった
それからは夏休みの宿題なんて放り出して街の中を散策した、わざと一通りの少ない裏路地に行ってみたり怖い顔をした大人を追いかけてみたり、とにかく何か自分の力を行使できる対象を求めて歩き回っていた
「助けてぇー!!」
「そう暴れんなって…!ちょっと話そうってだけだろ?」
路地裏で女性に絡む男たちを見つけた
「上に飛んで、落ちて怪我しろ」
ぎゃああああ!?
足が!足がァァァ!!
いい気味だ、正体は明かさないが助けてもらったんだからヒーローに感謝しなよお姉さん
「居るのはわかってんだぞ!」
「さっさと出て来い!」
ある時はどう見てもヤクザって感じの人たちがドアを叩いてるのを見つけた
「ドアに弾き飛ばされて怪我しちゃえ」
突如開いたドアにヤクザっぽい男たちは悲鳴を上げる暇もなく昏倒した、開け放たれたドアの奥にはまるまると太った男がいて倒れたヤクザを見てザマァみろ!と歓喜の声を上げていた
力を使うたびにどんどん悪いことが目につくようになった
食い逃げ犯、再び見つけたひったくり、信号無視した脇見運転の車、違法駐車、万引き、横断歩道の信号無視、通路を塞ぐ自転車、子供の言い争い、俺の事を虐めようとしたクラスメイト、電車で泣いた赤ちゃんに怒鳴る人、ファミレスで馬鹿みたいに走り回る子供とそれを注意しない親、うるさい赤ちゃんの鳴き声、俺の事を馬鹿にしたやつ…
「ただいま〜、元気にしてたか〜?ハムスケ〜」
あの夏休みの日から月日は経って俺は高校2年生、今挨拶したハムスケというのは夏休みの後くらいから我が家が飼い始めたジャンガリアンハムスターの名前だ
俺は毎日のように悪を成敗してはこのハムスケに報告する日々を過ごしていた
両親はもう俺に関心がない、むしろなんとなく俺の力に気づいてからは露骨に避けるように共働きを始めた
「俺の家族はお前だけだよ、ハムス…ゲホッ!ゲホッ!!…ぅエッ…!」
数ヶ月前からだ、力を使った日の夕方5時のこの時間…俺は必ずたくさん血を吐く
医者に行ったけど原因はわからない、むしろ吐血なんて本当かと疑われた。不愉快だった。死んでしまえあんなヤツ。
医者に行った日の夕方にも血を吐いた、いい事のない日だった
俺は薄々勘付いている、こういうすごい力には何かしら反動があるものなんだ。きっと俺の寿命とかを削ってこの力を使っている…でも俺は世界を良くするために力を使うんだ
「あと何十年生きられるのかなぁ…俺が死んだ後の世界が不安だよ…なぁハムスケ?」
そう語りかけてもハムスケは鳴きすらしない、こいつももういい歳だ
「…ハムスターの寿命ってどのくらいなんだろう」
ふと気になってスマホを開く、コツコツと画面を爪が叩く音がなんとも耳心地良い…そして開かれた検索結果に少し嫌な気分になる
「だいたい2、3年……ハァー、調べなきゃよかったぁ。余計なこと知っちゃったよ…忘れてえ〜!」
スマホをベッドに放り投げハムスケのいるケージに指を突っ込みじゃれあう、あとコイツが何年生きるかはわからないが俺が大学を卒業するまでは仲良くやっていきたいものだ
犬だってたくさん生きるし、ハムスターもどうせそんなもんだろう
「お前と話せたらきっと楽しいのに…お前は俺がどんだけヒーローを頑張ってきたか知ってるし、俺にとって一番の親友になると思うんだ…なぁハムスケ〜…?」
「誰がお前なんかと」
突然聞こえてきたしゃがれ声、驚いて立ち上がるとハムスケのケージを背に庇う
「だ、誰だ!姿を見せろ!!」
「目の前にいるだろう」
フッと消えた背に当たるケージの角の感覚、俺の目の前にカシャンと静かに置かれたハムスケのケージ…
「ハムスケ…お前なのか…?」
「そうだよ、クソッタレのガキのまま体だけブクブクと大きくなったお前に飼われた惨めなネズミだ」
意味がわからない、何を言ってるんだコイツは
「俺はお前の命が残りどれだけか知ってるぞ?お前の命は俺と一緒、あともう少ししか残ってない」
「は、はぁ!?訳わかんねえよ!!なんで急に!分かるように説明しろよ!!」
「お前が自分で決めたんだ」
その瞬間頭の内側がバチバチと弾けたような痛みに襲われて床を転げ回る
記憶の奥を無理やり掘り起こされるような感覚に不快感から知らぬ間に嘔吐する
そして浮かんできたのはハムスケを飼ったその日の夜の記憶、わがままを言って俺の部屋に連れ込んだハムスケのケージに向かって無邪気に語りかける中学2年の僕の姿…
『なぁハムスケ!僕実は世界を良くするヒーローなんだよ!』
『その顔は信じてない顔だなぁ〜?でもきっとすぐに信じてくれるよ!』
『僕がどんな風に世界から悪いやつを追い出したか毎日ハムスケに教えてやるからさ!』
あぁ思い出した、それ以上言うな、やめろ。そんな言葉を口に出すな。
『僕とハムスケは仲間!“運命共同体”だよっ!!』
落下する夢から覚めた時みたいにドン!と叩きつけられたような錯覚と共に意識が戻ってくる
そうだ、確かに俺はハムスケに…ただのハムスターなんかに運命を共にすると言ってしまって…
「思い出したか?お前のクソみたいな癇癪を聞くのは最悪だったぞ?毎日胸糞が悪くて、餌も喉を通らない日だってあった」
「い、いやいやいやっ…ちがう…違うじゃんか!子供の…そう!子供のちょっとした!なんでッ!こんなの違う…そんなことに力なんか使ってない…そうだよ使ってなんかない!お前が子供の言葉を間に受けただけだ!!」
「仕方ないだろう?お前の力が勝手に願いを叶えたんだ、使いこなしてるつもりだったのか?ただ毎日馬鹿みたいに気に食わないやつを怪我させて殺して…本当に力を使ってたのか?」
ごぼり、喉の奥から血が溢れてむせかえる
ハムスケを見れば淡々と語るその声とは裏腹に明らかに苦しんで濁った鳴き声をあげて痙攣していた
「本当はお前が使われてたんじゃないのか?」
違う、俺はヒーローになったんだ
「お前が努力したわけでもないのに、なのにお前がすごくなったのか?」
違う!俺は…ヒーローに…
「お前は誰かを救ったのか?お前のわがままに付き合わされた人は不幸だったんじゃないのか?」
ちがう…僕は、そんなつもりじゃ…
「あぁ残念、ハムスケが先に終わっちゃう…次は頑張ろうね」
静かになった部屋の中、ハムスターと少年の死体が発見されるのはそれから1週間も経ってからだった
僕は心底間抜けで馬鹿だった
誰からもらった力なのか
誰が行使してる力なのか
誰に使っていい力なのか
誰のための力だったのか
何も考えずに考え無し、ただ謎の全能感に浸ったまま力を使ってた
だから今度こそきちんと正しく使うんだよ?
「……すげ〜本当にいるんだひったくりって、マジで来世はまともに生きてくれ…」
中学2年生の夏休み…見下ろす先にいる僕は、ひったくり犯のことをどこか見下していた