ダンジョン最深部。今日も親父は屋台を引く
ダンジョン最深部。親父が一人屋台を引いている。
岩がむきだしの岩石地帯。屋台についた二つの車輪が軋みをあげる。岩を乗り上げるたびに屋台はがたんごとんと大きく揺れて、調理器具や食器の類が金属音をけたたましく鳴らす。
ふと、魔物の気配を感じて、屋台を引く手を止めると、親父は顔を上げた。
二十メートル以上の高さがある洞窟内。天井の鍾乳石に達そうかという巨大な体躯を持つ魔物が、狂騒を浮かべながら親父を見下ろしている。
凶暴に剥き出し並んだ鋭利な牙。螺旋に曲がる二つの角。背中には立派なたてがみが縦に力強く走っている。口からは今にも炎なんかを吐き出しそうな雰囲気である。
ここはダンジョン最深部。ダンジョンの等級は「終末」と呼ばれる最高レベル。
そしてその魔物は見るからにこのダンジョンのボス的な風貌をしている。
親父は自慢の禿頭をペタペタ撫でると、面倒くさそうに呟いた。
「まいったな。まだ開店前なんだが」
◇◇◇◇◇
冒険者には六つの等級がある。
駆け出しの冒険者を表す白等級、採取任務を生業とする青等級、初級任務を請け負うことのできる銅等級、中級任務を請け負うことのできる銀等級、上級任務を請け負うことのできる金等級、そして国家任務を請け負うことのできる白金等級。
また、この世界にはダンジョンと呼ばれる古代文明の残した遺跡がある。
ダンジョンにも等級があり、「初級」「中級」「上級」「終末」の四等級が存在する。これは冒険者の銅等級以上と連動しており、銅等級で初級ダンジョンへ挑むことが適正とされている。
だが、どの世でも分不相応な夢を抱く輩というものは存在するものだ。
無謀な挑戦をし、命を落とす者は数知れず。もっとも、未知の領域を探検し、道を切り開くのが冒険者なのだとすれば、無謀な挑戦をやめようとしない彼らこそ真の冒険者なのかもしれない。
グロリアスの遺跡。
難易度:終末。
ここにも一人、最難関のダンジョンへ挑んだ者がいた。名をガリオス・ガロッソ。彼は金等級の冒険者である。分不相応にも、1ランク格上のダンジョンへ挑み、そして今、彼は窮地に立たされていた。
人は、困難を承知で立ち向かう者を勇者と呼ぶが、周囲の反対を押し切って無謀に立ち向かう者を愚者と呼ぶ。両者の違いは紙一重であり、成功した者を勇者、失敗した者を愚者と呼べば、大抵は世間の評価と一致する。残念ながら、ガリオスは後者の人間だった。
「はぁはぁ……、くそ! 魔物が硬すぎて刃が通らねえ」
終末等級のダンジョンは、説明するまでもないとは思うが、魔物の強さも段違いである。攻撃力、防御力共に最高レベル。しかも、手に負えないレベルの魔物が出現するダンジョンを終末と定義しているので、その強さは青天井である。
つまり、書類上の数字では1ランク上でも、実際の実力は数ランク上となる。そのことにガリオスが気付いた時には、もはや後の祭りであった。
攻撃が通らないのだから、彼に残された唯一の対抗手段は逃げることだけ。脇目もふらず、ケツをまくって逃げ回り、命からがら辿り着いたのはダンジョンの最深部だった。
追い回されてのこととは言え、反対にダンジョンを走破することになるとは何の因果なのだろうかとガリオスは思う。
ダンジョンの浅い層では、複雑な幾何学模様の刻まれた壁や床が続く迷路のような造りだったはずなのだが、いつの間にか周囲は様変わりして、鍾乳洞の様相を呈し始めている。見上げるほどに高い天井には、鍾乳石のつららが垂れさがっている。
季節は夏。薄着で挑んだガリオスは、地下に生まれた大きな湖から湧き立つ冷気にぶるっと身を震わせる。
「さ、寒っ! 寒すぎだろ」
もはやどこをどう走って来たのか記憶にない。生還は絶望的といえた。
ならば最後に、ダンジョンに巣くうラスボスに挑み、華々しく散ってやろう。ガリオスはそのように考えた。
「しかし、ボスモンスターの姿が見えねえな?」
最下層フロアには必ずボスモンスターがいるはずである。お供の雑魚――ガリオスにとっては天敵――も一緒のはずなのだが。
ごつごつと歩きにくい岩肌の地面を超えて、深部へ歩を進めて行く。
そして奥まった広場ともいえるスペースで、十五メートルは軽く超えるであろう巨大な魔物が倒れているのを発見した。
螺旋の角と、背中にはえた漆黒のたてがみには見覚えがある。文献に載っていた伝説の魔物・ベヒーモスである。どう見ても、ダンジョン最深部のラスボスであった。
「嘘だろ。一体、誰が……」
愕然とするガリオスの背後から気さくな調子で声が掛けられる。
「お? 客か? 運がいいぜあんた。丁度今、いい肉が手に入ったとこなんだ」
◇◇◇◇◇
小さな屋台だ。
屋台カウンターは三人も横に並べばぎゅうぎゅうとなるだろう。ガタイのいいタンクが一人でも混じっていれば、弾き出されるのは間違いない。
屋台の主である親父は、七光する自慢の禿頭に白いタオルを巻いて、鼻歌混じりに開店準備を進めている。
その光景はありふれていて特段珍しいものではないのかもしれない。街中の少し奥まった裏道に、夜店の屋台が出ているなんてことはよくある話だ。時には、移動式の車輪を携えた屋台が軒を連ね、即席の繁華街みたいになっていることまである。
そこかしこから漂ってくる良い匂いにつられて、酒の締めに立ち寄ったことがガリオスにも何度かある。
だが、ここはダンジョン最深部。難易度は最高難度の終末である。
その光景は、違和感以外の何物でもなかった。
例えば、夜道を歩いていた時に殺人現場に遭遇したとする。被害者は一人二人などではない。道を埋め尽くさんばかりの人間が地面に倒れ伏し、血を流している。そんな場面に出くわした時、常人ならばまずは恐怖に打ち震えるだろう。そしてもし、そんな血だまりの中で、子供たちが平然と遊んでいたとしたら。その時、人はどのような感情を抱くのだろう。
非日常の中にある日常。それはうすら寒い虚像に見えるはずである。
ダンジョン最深部。屋台と親父。
その組み合わせはガリオスにそのような感情を抱かせた。
勧められるままに着席した屋台カウンター。少しガタがきている椅子に腰を下ろし、ガリオスは震える声で言った。
「な、なぁ。あのモンスターを殺ったのはあんたなのか?」
鼻歌混じりに包丁を研いでいた親父が、白い歯をにっと見せた。
「やるのはこれからだぜ」
屋台照明に照らされた磨き抜かれた包丁が、怪しくギラリと光る。その刃先をなぞるように人差し指を滑らせ、親父が満足そうにうなずく。
「よし、こんなもんだろ」
包丁片手にベヒーモスのところまで行くと、親父は刃渡り二十センチほどの包丁をすっとその肉体に滑り込ませた。バターに熱したナイフを当てるが如く。驚くほど抵抗なく、刃がベヒーモスの肉体を切断する。親父は一抱えほどの肉の塊を手に取ると、血の滴るそれをまな板の上へ置いた。
「おう。冒険者なら2ポンドぐらい余裕だよなぁ!?」
親父は肉の塊を適当に、本当に適当に切り分けると、分厚いそれを炭火で熱した網の上へ置く。2ポンドどころか3ポンドはありそうである。
――ジュウッ!
と、肉が焼ける甘美な音がする。
「無口だな、お客さん。焼き具合はどうする?」
ダンジョン最深部。ラスボスたるベヒーモスを食す。
本当に食べれるのか。ガリオスはとても不安である。
「やっぱり俺としちゃ、レアがおすすめだな」
「ウェルダンで! それはもうカチカチになるぐらい良く火を通してくれ」
ガリオスは光よりも速く即答した。
生で食べたら絶対やばい。お腹を壊すどころか命が壊れてしまいそうだ。
親父は不満そうに濃い目の眉を寄せる。
「寄生虫なんていねーから安心しろよ」
「な、なんでわかるんだ。あんた食べたことがあるのか」
ガリオスの疑問はもっともである。むしろ、狂っているのは親父の方だと断言してもよい。
「この屋台は特別製でな。まぁどう特別なのかっつーと、説明は難しいんだが。早い話が魔法がかかっていて、こいつで調理すればどんな寄生虫だろうと、人を死に至らしめる毒だろうと、等しく浄化されちまうんだ」
親父の口から出た「魔法」という言葉が、ものすごく胡散臭く感じられた。
聖女様が売春宿で働いていると聞いた時ぐらいの違和感がある。
そうこうするうちに、ガリオスの目の前にドンッ! と皿に乗せられたステーキが置かれた。レアだった。
おい! とツッコミたかったが、得体の知れぬ親父である。下手に怒らせないほうがいい。そう判断して、ガリオスは口を噤んだ。
ナイフとフォークを渡される。
本当に食べて良いものか判断に迷ったが、なによりガリオスは腹ペコだった。文字通り死ぬ思いをしてダンジョンを駆け回り、ここまで休みなしで走って来たからだ。
スンスンと鼻を動かしてみると、思ったよりも良い匂いがする。食欲を刺激される肉! って感じの匂いだ。
油はあまりのっていない。赤味のステーキのようだ。
「こいつぁなかなか力自慢の魔物だったからな。脂肪はためこんでなかったんだろなぁ」
「は、はぁ……」
気のない相槌をガリオスは返した。
少し離れたところで屍と化した筋骨隆々のベヒーモスへ視線を向け、ガリオスは思った。筋張ってそうだなぁ。
しかし予想に反して、肉は柔らかかった。ナイフが簡単に通ったのだ。
おそるおそる、という風に一口大にカットした肉をほおばる。
感動の雷が全身を貫いた。
「なんだこれは!」
続けて二口、三口と放り込む。
「うまい!!!」
ガリオス・ガロッソ。当年とって、二十八歳。
今まで食べたどの肉よりも美味かった。
茶碗に盛られた山盛りの白米を親父がカウンターへ差し出した。
「おら、これも食え。っぱ、肉食う時は白飯だろ」
肉を食らい白米を放り込む。そのデュエットは涙が出るほどに感動的だった。
「もう駄目かと思った。もう死ぬしかないと思ってた。それなのにこんなにうめえ飯が食えるなんて。これは夢か現か幻か……」
両腕を組み、不動の姿勢のまま親父は満足げにうなずく。
「そうだろう。ダンジョンで食う飯ってのはそういうもんだ。命の危険と隣合わせにあるからこそ、命を噛み締め、一口一口をしっかり味わうことができる」
この日、ガリオス・ガロッソは冒険者を辞めた。
初級ダンジョンへ潜り、駆け出しの冒険者たちに料理を提供しようと決めたのだ。