その後
柴は十五年目に老衰でこの世を去った。
結婚していた私に実家から電話が来て、内容が、もうあの子は夏を越せない、だった。
電話の時点でご飯を食べないので、この一週間持つかどうか、だった。
私は早めに休暇を取って新潟に帰り、柴を抱き締めた。
私の犬なんて言っておいて、こんなになるまで一人にしてごめんねって泣いた。
柴は私を叱らずに、きゅんと、ささやかな声を上げた。
鼻先で私の胸をつく。
お前の持っているものを寄こせって言う風に。
「ご飯が食べられないって聞いたから、レバーをゆでてペーストみたいにしたんだ。大好きでしょう?全然ご飯食べて無いんでしょ?舐めるぐらいはできるかな?」
私は鞄に入れていた小さなタッパを取り出して、柴の鼻先に差し出した。
柴は弱々しく、それを舐め、舐め、舐め、舐め切った。
彼は顔を上げて、先ほどよりもしっかりした動作で私の頬を舐めた。
とってもレバー臭い舌で。
「ちょっと元気?」
柴は私の胸に頭を擦り付けた。
柴は私が実家にいた間に死にはしなかった。
これ以上帰省できないからと東京に戻った三日後、彼は息を引き取ったのである。
私を守ろうとした犬は、私の心を守ろうとしたのだろうか。
でも私は、あの子が息を引き取るその場にこそいたかった。
私が大学と家を出た後に柴の世話を交代してくれた妹は、犬を飼う機会があれば絶対に柴犬が良いと言う。
「だけどね、姉さん。あいつじゃない柴は嫌なんだよ。あいつじゃない子だったら、あいつ以上にろくでなしじゃ無いと嫌だね」
私こそその通りだ。
犬は飼い主に似るという。
あの子の本当の飼い主は、ろくでなしな父だった。
だから、あの子と同じ犬を飼うには、やっぱり父がいないとだめなのだ。
父を失った私達家族は、二度と柴犬を飼う事は無いだろう。
お読みいただきありがとうございました。
母の日も終わり、次は父の日だなって思ったら、父を思い出してしまいました。
生きている間に大好きだと言ってあげられなかった事が、本当に悲しいです。
でも、父が今も生きていたとしても、ダディクールとか、らーぶとか、絶対言えねえ。