奪われた街 3
伊達署
北門と2つの西門を閉鎖し、駐車場に停めてあった署員の車を全てジグザグに配置してバリケードを作成。東側の隣接する官舎から伸びる小さくて短い橋も車で塞いである。
官舎の出入り口にはゲートの類が存在しないので入って来られる可能性が最も高いのがそこだった。狙撃班は屋上に出て南を除いた3方向に展開。距離的にもはやスコープすら必要ない。極少数だが保有しているドットサイトの類をライフルに取り付けて侵入を警戒した。既に初弾も装填されている。
1階正面出入口にテーブルやら椅子を積み上げ、自動ドアのセンサーも切った。例の溶解液がなければ簡単には入れまい。出入口はガラス張りだがそれなりの強化仕様にはなっているしガラスを突き破るには加速と質量が足りない筈だ。他の窓も何かしらで重しをしてあり、もし突破されても1階は無人の上に防火扉も閉鎖済み。1匹が吐き出す溶解液の量を考えると防火扉を溶かすには相当な分が必要になるとの目論見があった。
屋内消火栓は準備万端。大した水圧じゃないが足止めにはなるだろう。
他にも搔き集めた消火器と何でもいいからとにかく凶器になりそうな物まで揃った。逃げられない以上は戦うしかないが、やり過ごす事が最重要課題でもある。
「狙撃1、官舎敷地内に入って来ているのを視認」
「車を越えようとする個体が居れば排除しろ。弾は元々大した数じゃない。全部使っていい」
「了解」
「こちら狙撃2、正面ゲート周辺に数が増えつつあります」
「焦るな。匂い消しのためにアイドリング中の車が何台もあるんだ。下手にちょっかい出さなければ素通りする可能性が高い」
バリケードに使った車の中にはエンジンを掛けたままにしてあるのも存在する。目の前に居るこの連中が単純に巨大なムカデなのかそれとも別の進化を遂げた存在なのかについては答えが出ていないが、ムカデは嗅覚を使って獲物を判断しているらしく、それを逆手に取ったのがアイドリング中の車を利用したバリケードだった。平山副署長が考えた防御の計画の1つがこれだ。
「狙撃3は異常ないか」
「2匹ばかり道路をウロついていますが異常なし」
官舎方向の東を狙撃1班。伊達署の正面が狙撃2班。道路を挟んで隣にある消防組合消防本部を狙撃3班がそれぞれ見張っている。敷地を囲うフェンスを越えて来るようなのが居れば最優先で対応する方針だ。
最初に起きた事件の捜査本部が置かれていたこの会議室が今は伊達署防護の中枢。1機隊長の竹内と副隊長の麻木。そして平山もそこに詰めていた。伊達警備隊と残っている伊達署陣営は全て平山が指揮を執り、屋上の狙撃班には竹内が指示を出す。麻木は両名を適時サポートと言った具合である。
「各分隊長、状況」
「鈴森です。1発で1匹ずつ仕留めろなんて言いませんよね」
「そんな高等技術は求めていない。だが無駄に撃つなよ」
「こちら柳沼、配置完了」
「石上です。準備よし」
「滝口以下、いつでもどうぞ」
「第5分隊橘内、OKです」
正面方向にある2階と3階の窓に5個分隊が展開。かなりの至近距離にならなければ効果を発揮しないが、ここから撃ち下ろす作戦だ。38口径が単発で降り注いでも連中に如何程の阻止力になるのかは分からない。だがこれ以外で間接的に対抗出来る手段もなかった。
目の前に増えつつある見たくもない造形の生物集団。果たして生き延びられるのか。そんな思いが彼らを支配する。
各自の右手が握り締めるニューナンブ、エアウェイト、M360と言うこの場においてはどうしても非力に思える拳銃たち。今までの経験で数を撃てば十分通用する事を実感してはいるが、その数も限りが見えていた。
正確に言うと、分隊全員へ均等に配分した手持ちの弾丸20発弱が最後だった。
伊達署が静かに包囲されていく中、県警本部には彼らにとっての吉報が幾つか舞い込んでいた。事前に要請してあった宮城県警の増援部隊が桑折分庁舎に到着。陣容は特車込みの銃器対策部隊と管区機動隊1個小隊。
9mmや38口径も少量だが融通出来る分を持参したらしい。有難い限りだ。
続いてJA資材センターに陸自部隊が到着し避難民警護を開始した件と、元々そこに居た1機第3小隊を桃陵中学校に集まる児童・生徒・教職員を護るために移動させていたがこちらにも陸自部隊到着の報告が入った。これで張り付かせていた第3小隊を戦力として手元に戻せる。
また負傷者を抱えたままの2機第1小隊が349号線に沿って避難を呼びかけたお陰で市内北方の無人化も進んだ。小隊は伊達市北東にある柳川の交番で待機し、負傷者を病院に運び込んで応急処置中だそうだ。伊達中で避難民警護に当たっている2機第2小隊に損害はないものの第1小隊はほぼ半壊状態の上に寸前の所を脱したせいもあって士気崩壊の一歩手前らしい。元経験者と若手にはこの辺が限界との判断が下り頃合いを見て県警本部へ戻す事になった。1機同様、再編に関しては今は考えず指揮系統の繰り上げも行わないものとする。
福島駐屯地
駐屯地司令を兼ねる斎木が部隊と共に出払っているため、第11施設群長が指揮を執っていた。この部隊は福島駐屯地に群本部を置いているので駐屯部隊の序列で言うと2番目になる。
「どこに寝泊まりさせる気か知らんが相当な規模だな」
「ここよりおあつらえ向きの場所がありますよ」
「馬鹿者。勝手に使える訳がなかろう」
群長は44連隊が本部を設ける体育館から送られて来たFAXを見て毒づいた。明らかに自分たちが居るこの駐屯地に入り切らない。
そこで副群長が言う"おあつらえ向きの場所"とは駐屯地の北西に存在する福島県あづま総合運動公園である。複数の運動場、陸上競技場、体育館、球場まで備えた広大な敷地を持つスポーツ施設だ。天幕を張れば競技場や球場は寝泊まりに使える。大規模な野戦病院だって作れるしやりようによってはヘリポートも整備出来そうだ。
「交渉は上の仕事ですけどあそこが使えると便利になりそうですよね。それより雑草だらけのヘリポートらしからぬヘリポート、どうなりました」
「業務隊がやってくれた。ヘリ部隊の指揮官とまず顔合わせになるだろうが、それを任された訳だ」
「群長に指揮権が預けられる事はないでしょうから気楽に構えてていいのでは」
「武器弾薬と燃料は我々が責任を持って保管する事になっている。加えてここを仮設ヘリポートにしてある程度の作戦行動を行うとなれば離発着時の安全に関しても管理が及ぶ範囲内だ。44連の2中隊が後詰で残っているとは言え駐屯地の指揮権は預かっている。その辺は締めて掛からないといかん。武器庫と敷地内の警備シフトは出来てるんだろうな」
「どうぞ。メインは警務と自分たちですが日中については会計からも応援を寄越して貰います」
「会計?」
「運動不足の解消になりますよ。手当も付いて良い事尽くめじゃないですか」
手渡された警備シフトを確認する。夜間は11設群と警務が交代で務めるが、日中は会計隊に一部を負担して貰い夜間の警備に就く人員を確保する腹積もりのようだ。これなら駐屯地に残っている自分たちだけでも回せそうである。
後詰の44連第2中隊は副中隊長指揮の下で慣熟訓練の真っ最中だ。連隊本部から齎される僅かな交戦記録を反映させ、足元ぐらいの位置を高速で動く物体を手製装置で再現し、それを撃つ等の対応力を高める訓練を行っていた。県警の誰かが情報を渡した訳ではないが伊達署で実施されていたのと同じ事をしているのは、考え抜いた末にそこへ行き付く1つの到達点だったのだろう。
福島県庁北庁舎 県議会講堂
首相官邸と繋いだ一連のテレビ会談は終了。県知事の相馬はすぐさま別のPCへ移動しスリーブ状態を解除した。既に立ち上がっているWeb会議用アプリケーションに話し掛け、伊達市長を呼び出す。
「相馬です。聞こえますか」
席を外していた市長が戻って来た。表情はとても硬く、冷や汗が見て取れる。
「はい、戻りました」
「変化はありませんか」
「数が少しずつ増えています。こっちに気付いたような雰囲気はありませんが、それでも近くを行ったり来たり……」
「そのまま息を潜めていて下さい。陸自の部隊が市内に向かっています。どれぐらいの時間が掛かるかは分かりませんが、残っている人間の存在を知られなければ中に入って来ない筈です」
「いつになります」
「遅くとも明日中と聞いています。市内に居る生物集団の規模を考えると近場の部隊では対応仕切れないそうで」
「明日まで生きてる保障がどこに」
「ですから静かにやり過ごして下さい。下手に騒ぎ立てると見つかります。残っている職員の生命を預かっている事も忘れないで下さい」
伊達市役所はほぼ全面ガラス張りと言う、デザイン上では評価される建物だった。しかしこの期に及んでは脆弱性を露呈させる部分に他ならない。
よく見られる鉄筋コンクリート製の古い小学校を思わせようなデザインであれば何所から入って来るかを予想しやすい。だが今の伊達市役所は1階の南北を破られれば容易に侵入されてしまう構造だ。勢いをどう殺そうと簡単に埋め尽くされるだろう。
「……分かりました」
「市内の被害状況。把握している分で構いませんので報告をお願いします」
「はい。えー、中央給食センターは音信不通、スイミングスクールも同様。保原駅音信不通。大泉駅は無人ですので除外。保原中央交流館と保原体育館は退避を完了。JA伊達地区本部、同じく退避完了。病院。病院については中野クリニックが機能移転済み、ほばら中央クリニックは退避を完了。規模が小さい個人診療所等に関してはまだ詳細を把握出来ておりません。続いて銀行ですが、地銀は、あー、東北労働金庫の保原支店、行員を含んだ30名弱が逃げ遅れの模様。福島銀行保原支店、支店長と他数名が逃げ遅れです。これより以北については退避完了の確認が取れました。また保原駅周辺の商業施設にも多数の逃げ遅れが居ます。人数はザッと見積もって100名近くの模様です」
どれだけの施設に確認を取ったか分からないが逃げ遅れはもっと多そうだ。あまり時間を掛けずに助け出さなければ死者の数が鰻登りになる。
「火災はどうですか」
「ここからも黒煙が幾つか確認出来ますが消火活動は行われていないようです」
「今の段階では消防ヘリの飛行も万一を考えれば危険です。心苦しいですが暫くは静観するしかなさそうですね」
「明日までどうにもならない訳ですか」
「仮に延焼が広範囲に及ぶ場合は本部長と相談します。その場合は陸自のヘリも必要になるでしょう。市役所の救出も同時に行われる可能性があります。だからそれまで静かにしていて下さい」
「はい。出来るだけそうします」
やり取りは終わったがソフトは立ち上げたままにしておいた。何かあれば直ぐに会話が出来るようにしておく。
「本部長、ヘリは出せませんか」
「出したいのは山々ですが1機で消すには時間が掛かりすぎます。陸自さんの大型ヘリがあればもうちょっと楽にはなりますね」
渋い顔をする伊達地方消防組合の本部長。隣に座る福島市消防本部長も同じだった。
「その大型ヘリは何所に」
「木更津です」
「……千葉か」
この火災がどう転ぶか。あわよくば市内の生物集団を減らせる手段にもなるか? と言う考えも浮かぶ。
市長にああは言ったがこれは県民の生命と財産を悪戯にすり減らす行為には間違いない。ならばやるしかないだろう。火がこちらの思い通りに燃え広がる訳でもないのだ。
「駐屯地を通して木更津の方に掛け合って貰います。このままにしておけば逃げ遅れが残っている施設も巻き込みかねません。何か異論は」
隣席している県議会の議員たちに異論は無いようだ。最も現在のここは県政を問うための場所ではなく、目の前で進行中の事態による被害を少しでも小さくする方法を決めるための場所である。
最初の臨時会では自らの考えから生まれた答えを言い合う一方だったが今は静かになったものだ。主義主張がそもそも存在せずこちらが持つコミュニケーションの手段が全く通じない相手にどう立ち向かうか。これほど難しいものはない。一枚岩にならずして火の粉を振り払う事など出来ないと痛感しているのかは分からないが、知事の決定を妨げる行為は見られなかった。
「では今から現地で活動中の部隊にまず連絡します。そこから要請が伝わるにしろ直接言っていいと返答されるにしろ、市内で発生中の火災を食い止めるための行動を行います」
相馬は自身の発言通りまず伊達体育館の第44普通科連隊に連絡を取った。要請はそのまま駆け上がり、朝霞の陸上総隊を通して木更津に達する。直ちにCH-47の2機が消火バケットを積み込んで離陸準備に入った。
このやり取りは事前に小金井総理が求めていた"今が使うべきと思う状況になれば一報を入れるだけでいい"と言う連絡システムが初めて動いた瞬間でもあった。
次回からサブタイが変わります。宜しくお願い致します。
追記
久しぶりに誤字報告を頂きました。ありがとうございます。