奪われた街 1
事態発生から既に5時間余りが経過。住民の生存者、死者、負傷者の集計もままならず、伊達市内は混沌の底にあった。県警航空隊のヘリが確認しているだけでも火災が10件近く発生。殆どは飲食店からの出火によるもので現状はまだ大きな火災にはなっていない。工場関連は市内の南側。阿武隈急行の線路より向こうに集中しており、幸いにもコンビナートや鉄鋼業の類は存在しないためもし何かあっても爆発的な火災の発生は考えにくかった。
市内に逃げ遅れが多く残っているのは確実で、県警は回線のパンクを回避するため110番通報を全てシャットアウトするも、未だ入電の情報は絶えていない。指令センターは言いようのない空気に満たされ助け出す手段がない自分たちに対する無能の証明を実感させられている。
交通管制センターもまた、1つずつ消えて行く信号の管制表示に対して何も言えない時間が続いていた。
復旧にどれだけの時間と費用が掛かるのか。今は考えたくない事だった。
最低限の機能を残した消防組合の中央指令センターへ119番が続々と届くも、生物で埋め尽くされた市内に消防車や救急車を向かわせればどうなるかは自明の理だ。4つの分署全てに対し周辺で発生した事故等への自発的な緊急対処は認めるが市内へ向かうのは別命あるまで動くなと厳命してある。
県庁で開かれていた会合のお陰で医師会との連携も叶い、搬送先の病院は選定されてあった。
大野クリニックから伊達体育館に後退した1機第2小隊・銃器対策部隊・SIT・機捜からなる県警の部隊は休憩を挟み、SITだけは件の指名手配犯検挙のため伊達中へ先回り。避難民受け入れと同時に校舎内で待機していた捜査員たちが頃合いを見計らって近付くも、機動隊員とは明らかに異質の装備を纏った存在に不信感を抱かれ一時逃走を許す。至近に居た陸自隊員が咄嗟に足を引っかけて転ばす事に成功し、そこへ武道班の機動隊員たちが圧し掛かって確保。どうにかお縄を頂戴出来た。SITの姿を見て焦った視点でもう自分が何をした人間なのかを証明してしまっただろう。
県警本部では後詰の命を受けていた暴対の捜査員らがこの歯がゆい現状に徒党を組み、逃げ遅れを助けるため市内に乗り込もうとしたのを平戸刑事部長と警備部長が制する事態が発生。一喝された彼らは両の拳を握りしめつつも自身のフロアまで戻って行く。
午後2時を回った所で政府公式発表が行われるも向井田警察庁長官からの連絡は開始の数分前だった。
まるでこの事態を利用したかのような政府の動きに小野本部長は懐疑的になる。だがこれは官房長官の意向と言う事で落ち着いた。既に相馬知事の方へもその旨が伝えらえれていると聞く。取りあえず足並みが揃ったと考えていい。
「では全面的に政府が動いてくれる訳ですね」
「局所的な被害で話を片付けるには済まされん所まで来ている。まず市内に展開中の部隊が主軸となって拡散を阻止。後続の部隊と連携して中心部の奪還と孤立した伊達署を解放。恐らく本格的な攻勢へ出るのはその後になる。今、陸幕と空幕の人間たちが来ていて調整の最中だ」
「どちらにいらっしゃるんです」
「危機管理センターだ。この電話をするために一旦抜け出して官邸の中からしているがな」
そこまで言った所で声が止まる。電話口の向こうで声を掛けられたようだ。因みにこの会話はスピーカをONにしているので部屋に居る全員が耳にしている。
「会見が始まるぞ。テレビのチャンネルは何所でもいい」
「地方ですからやっていない所はないでしょう。では後程」
通話を終えると同時に吉田参事官がテレビを点けた。福島県のチャンネル数はNHKを除くと5局分。全部のチャンネルを回すがどれもこれも「間もなく首相官邸から県内で発生中の事態について公式発表が」を繰り返すだけである。
この発表の最中に相馬知事とのやり取りを流す事で双方の間に事前の連携があった事を証明する予定らしい。
これで県警が独自に行動を起こしていた件を水に流す算段のようだ。
有難いか有難くないかで言えば勿論有難いのだが、明らかに「後腐れなくしてやるから静かにしてろ」と言われているのが分かってしまう。
如何とも口に出来ない複雑な心境が小野を包み込んでいた。
隣を見れば吉田が誰に見ても不機嫌な表情でふんぞり返っている。これではどっちが本部長なのか分かったものではない。横一文字に閉じられたような口先を見ると僅かに動いているのが分かる。何を言っているのかよく聞き取れないが微かに「事前の対策なんて一切やろうともせん癖に何かあれば勝手に動くなだの口先だけは」と聞こえた。
そんな吉田の肩にそっと手を置くと一瞬だけ体が強張る。
「……何も言っていません」
「そうか。ならいい」
「始まりますよ。録画も一応してあります」
堂本の声で小野は意識をテレビに切り替える。映し出されたのは首相官邸の記者会見室だ。既に総理が登壇しており、カメラがそれを正面から捉えていた。
「只今より、福島県伊達市にて発生中の非常事態に関する、政府公式発表を行います。まず何が起きているのかご説明させて頂きます。現地では全長が3~4mにもなる巨大なムカデ。これが100匹前後の集団で出現し、大きな人的被害を与えております」
事前に運び込まれていた複数台のモニターに映像が流れる。これは44連隊の記録係が生物の活動する市内に近付いて撮影したものだ。
道路を埋め尽くすムカデ集団。あっちへこっちへ纏まりのない動きだ。何体か血に塗れた個体も見える。
「御覧のように、かなりの規模です。報告されているだけで死者は数十名。住民の方々だけでなく、避難誘導に向かった警察官も10名以上、犠牲となってしまった模様です。本件は約2週間程前に大規模な連続失踪事件を捜査していた県警がこの生物の死骸を回収。その大きさ。失踪した人数を考えると、同一個体での犯行はあり得ないとの結論から、数十匹以上の集団が潜んでいる可能性を示唆。警察力を超えた事態の発生を考慮し県知事へ上申しました。それを通した上で県警と管区警察局の連名による事前の相談を受けていたものです。万一を考えた私共の主導で防衛省と警察庁の連携を調整している最中での発生でありました。現地での対応が後手に回って件につきましてはこちらの落ち度で御座います。ですがその件でお詫び申し上げる前に、現在も事態が進行中である事を鑑み、自衛隊に対する統合任務部隊の編成を許可並びに、災害派遣からの限定的な防衛出動を検討中である旨をここにお伝えするものであります」
まず総理が一通り、喋り終わる。続いて質疑応答に移った。
「共発です。随分と手際が良いように感じられますがどう言った背景があったのかお聞かせ願いますか」
「警察組織とは本来、人間以外の相手を想定しておりません。対処能力を上回る事態を見据えての処置でした。加え、警察にも大きな被害が出て今後の立て直しが難しくなるのを避ける意味もありました」
「ですが自衛隊のみならず軍事組織と言うのはそもそもが人間を相手にするための存在ですよね」
「十分に承知した上での判断です。どういった作戦になるかはまだ分かりませんが、車両部隊を中心とした編成で集団を包囲し、遠距離から銃撃を加えるのが理想的な作戦ではないかと聞いています」
「そうなりますと一般家屋への被害は免れませんね」
「はい。ですので災害派遣ではなく、防衛出動の形式を執るのが効率的であると」
「補償はどうなるんですか」
「全て国庫で負担致します。状況によっては自治体の予算で収まらない可能性があります。災害による家屋の損壊については一定の金額において補償を行うものでありますが」
「では災害派遣でもいいんじゃないしょうか」
「確かに災害派遣でも必要と判断した場合に限り小規模な火器の使用が認められております。因みに海上保安庁が20mm機関砲を所持しているため、災害派遣でも同口径の火器までなら取りあえずは使用出来るのではとの意見が政府内部にもありました。ですが本件におけるこの集団の規模を鑑み、現場に赴く全自衛隊員がストレスなく行動するためには何が必要か。それを考慮した結果、災害派遣よりは防衛出動の方が適切との結論に至りました」
「分かりました、ありがとうございます」
ずけずけと質問を繰り返した記者が座る。次の人間が挙手した。
「どうぞ」
「日夕報道です。防衛出動は基本的に諸外国の侵略によってのみ発動するものですがこれでは憲法に違反した行動ですよね」
「特措法の作成を急いでおります。限定的な防衛出動と申し上げたのはそのためです」
「しかしこのような判断が許されていいんでしょうかね。周辺国を刺激するんじゃないですか」
「各国への説明用資料の作成が進んでいます。一先ず、アメリカには連絡済みです」
「いえですからね、法的に問題があると思うんですよ」
「残念ながら現行法の中で本件に対応した項目が御座いません。そのため特措法を立ち上げる事に致しました」
「内容はどういったものになるんですか」
「検討中です。本件においてのみ有効となる項目で構成されるのは間違いありません」
「では例えばこれによって周辺国に対し何らかの示威行動に出るという可能性も」
小野は何も言わず後ろを向いた。そして吉田に「消してくれ」と頼む。吉田も無言のままリモコンを持ち上げてスイッチを切った。ため息交じりに小野が話し出す。
「政府の揚げ足を取るためだけに官邸へ行っているのかあの連中は」
「所詮、地方で起きた出来事って訳です」
「これでもし我々が一丸となって官邸に押し寄せでもすれば内部分裂だのと捲し立てるんだろうな」
「知事とのやり取りを見ていませんが」
「後で見る。政府の公式発表を見たのは事実だ。あの調子じゃいつ始まるのか分からん。今は警察庁と県関連のやり取りだけに集中しよう」
ふと、第1会議室の壁を見る。事態発生から詰めっ放しだった記者クラブの面々は気まずそうな雰囲気だった。
「皆は気にしないくていい。その代わり、我々が何をどう判断して、どんな姿勢で対処して来たか。その事を明確に記録して欲しい」
それだけ言うと再び幹部たちへ視線を移した。
「出来るだけ本件を報道した番組や雑誌は録画と記事の保存を頼む。地上波、BS、ネットニュースも可能な限りだ。政府は取りあえずでも発表をやった感があるんだろうが、後で何所から何を言われるか分かったもんじゃない」
「承知しました」
「我々の状況について再度、誰か纏めてくれるか」
この言葉で平戸、交通部長、警備部長が立ち上がった。小野も立ち上がって中央に置かれた地図に集まる。最初に報告を始めたのは平戸だ。
「報告のあったマル被をSITが伊達中で検挙。負傷者は居ません。身柄は北署管内の桑折分庁舎に移送しました。状況が落ち着くまでそこに居させます。その後、SITは退避の最中です。機捜各車については機捜隊長より」
平戸からバトンを貰った機捜隊長が立ち上がる。俯きがちな表情は幾分か暗い。
「機捜各車は現地からの退避を完了。負傷者数名との報告が入っていますが命に別状はありません。ただ、機捜11だけは未だに……」
「……定期的に交信は続ける事。もしかすると、歩いて帰って来るかも知れない。それか、何所かの民家へ逃げ込んでいる可能性もある。今後の奪還作戦の時に発見される事も考えられる。信じよう」
「……了解」
機捜隊長が座るのを待って、次は交通部長の番になった。
「交機も全車、退避完了の報告が入りました。一旦休息の後に再度周辺へ展開し封鎖活動を実施させます」
「うん。北署に連絡して向こうの地域課と生安課にも封鎖協力を頼んでくれ。こちらから人員を出すと現地までどうしても時間が掛かる」
「そのようにします」
最後に警備部長。例の件は当然、一度は報告されている。だがその実態がまだ明らかではない。改めての報告になるが、それを予想してか両者とも表情が硬かった。
1機第1小隊。巻き込まれた第2小隊の隊員数名。2機第1小隊。現時点での集計として上がっている伊達署係員。最初に襲われた大西と島田も合わせ、総勢で殉職者は40名近くになった。銃対に被害が出ていないのがまだ奇跡的な事ではあるが、だからと言ってそれが良いか悪いかの判断など、付くようなものではない。
忙しいのが通り過ぎた後でこれらの情報は、この場に居る全員の士気を大きく落とした。
「……伊達署の状況はどうだ」
「健在です。まだ侵入されていないと」
「殉職者をこれ以上出すのは普通なら認められないが、それは今後の展開次第だ。その辺り、心に留めておいて欲しい」
小野が深呼吸する。自然と、皆が真似した。
「済まない、コーヒーを」
「いえ、お茶にしましょう」
「……そうだな」
少しだけ休憩だ。やる事は山積みだが休まずに動き続けるのは不可能だ。
取りあえず"1"としましたが次話も同じサブタイかは未定です。"1"が外れる可能性もありますのでよろしくお願い致します。