44連隊 5
横転した軽トラックで意識を失っている老夫婦救出のため向かった小倉1尉たちは左程の時間を掛けず事故現場に到着しようとしていた。近付くに連れて防火服の人間が動き回っているのが見て取れる。金子が言っていた団員の辻田で間違いなさそうだ。
「降車用意。接触に十分注意しろ」
事故現場の手前。右手に広めの駐車スペースを持つ民家を確認。高機動車を一旦そこへ入れて方向転換を済ませた。これでスムーズに撤収が出来る。
バックドアから隊員たちが一斉に飛び出す。五差路は小さな橋に対して3本の小道が繋がっており、1番大きいのが自分たちの居る県道45号線だ。軽トラはその橋の向こう側で横転していた。運転席側が下になり車体のフロントは霊山中の方。つまり北を向いている。
「班長と小銃1名、機関銃担当は横転車両の前方30まで進出し生物群の接近を警戒。有効射程に入り次第撃っていい」
「了解!」
小隊長の命令で班長を含めた3人が軽トラより前に出た。まだ敵集団の姿は見えない。
最後に高機動車から降りた小倉は装備を整え、89式に弾倉を叩き込んで背中に掛けた。安全面に配慮して初弾はまだ装填しないでおく。
自分も撃つような事態になれば結果がどうであれ撤収するべきとの思いを抱いて団員に近付いた。
「第44普通科連隊の小倉です」
「辻田です。部長から詳細は聞いています」
軽トラの前に回り込んだ。車内には70代後半と見られる老夫婦。妻はシートベルトを着けるのが間に合わなかったのか運転席側へ完全に落ち、頭がサイドガラスに接触している。夫の様子は確認不能だが妻を押し退けようとする動きが見られないので意識が無いようだ。呼び掛けには一切反応せず鍵も閉まっており開ける事は出来ない。
何かしらでフロントガラスを叩き割ってもいいがそうすれば破片が2人に掛かるのは避けられず、それが原因で意識を取り戻せば怪我をしかねないだろう。助手席のサイドガラスを割っても同じだ。
「何も道具がないもんでして。せめて鍵が開いてれば」
「どうにかして車体を起こせればいいんだが……」
方法を考える。これでは活動時間10分と設定したものの考えている間に過ぎ去ってしまいそうだ。
「生物集団確認、撃ち方用意!」
前方で警戒している班長が叫んだ。そして射撃が始まる。89式の3点バースト、ミニミの5点バースが山間に木霊した。
熊除けの爆竹にも聞こえる乾いた銃声だが距離が近いのもあり、不意に始まった銃声で辻田は首を竦めた。だがそんな事に構っている暇はなくこの状況を打破する方法を考える。
「リアガラスを割りましょう。上半身を突っ込めば助手席の鍵に手が届くかも知れません」
小隊長が1つ提案する。運転席の後方には視界を確保するためのリアガラスが存在していた。妻が運転席へ殆ど落ちているのを考えれば小柄な人間なら可能だ。
だが問題がある。この軽トラはどうやら座席のヘッドレストが内部からボルトで固定されたタイプらしい。外からは取り外せないだろう。
「ヘッドレストがあるぞ。これはどうする」
「牽引のロープを掛けて高機で引き千切るんです。こんな細い鉄材なんか大した事ありません」
ヘッドレストを固定しているのは直径数センチの金属棒が4本。車両の馬力には到底耐えられない細さだ。幸いにもヘッドレストは小さめで上には空間がある。敵が迫りつつある現状でこれ以外に最善策は無さそうだった。小倉は賭けて見る選択肢を選んだ。
「やるか。準備しろ」
「了解」
小隊長は駆け出して高機まで戻った。向こうの準備が終わるまで前方で発生している射撃の指揮に入るため前に出る。
伏せ撃ちしている機関銃担当に対して班長と小銃1名は少し後ろに位置して三角形を作り、広い視界を確保して攻撃を実施。後方の左に居る人間だ。空薬莢が飛んで来ないよう左斜め後方から近付いて声を掛ける。
「何体だ」
「10は居ます! 後ろの方にも大量に!」
「装填!」
銃声に掻き消されないよう大声を発した機関銃担当はフィードカバーを開けて再装填を開始。当然だが一時的に火力が落ち込んだ。この間に接近されるのを防ぐため小倉も戦闘に加わる。
既に自身の中で前言は撤回していた。ここには今、自分を含めて10名程度しか居ないのだ。
スリングを回して89式を手繰り寄せる。槓桿を引き切って弾丸の存在を確認。日光で僅かに照り返す薬莢と先端まで鋭く伸びた普通弾が槓桿を手放す事によって薬室へ送り込まれる。安全装置を素早く単発に切り替え敵集団に銃口を向けた。
それなりにある反動を肩に感じながら15発ばかり撃った所で再装填を終えたミニミが撃ち始める。小倉は安全装置を掛けると共に周囲を見渡した。しかし連中の侵攻を止めるのに使えそうな物は無い。
「1尉! 始めますよ!」
小隊長の声で振り向いた。高機動車に牽引用ロープが結び終わり、今からリアガラスを割る所のようだ。駆け足でその場に舞い戻る。
「何を使って割る」
「横断旗の旗入れがありました。これで」
上はプラスチックだが下は重しになる関係上で石造りだ。これなら割れるだろう。
「よしやれ。あまり時間はないぞ」
旗入れを持った小隊長がゴルフのようなスイングでリアガラスに叩き付けた。1度目は食い込むような形だったが2度目で叩き割る事に成功。枠のガラスも同様に落としてしまい、上半身を突っ込むのに問題ない状況には出来た。
「ロープ!」
こちらに車体後部を向ける高機動車から伸びた牽引ロープをヘッドレストの金属棒に回して結ぶ。結ぶとは言うが実際は金具をもう1度ロープに噛ませるだけだ。多少、無理やりではあるが。
「よし!」
「エンジン始動! 行け!」
運転席の陸士はアクセルを踏み込んで一気に50キロまで加速。ロープが結ばれていた金属棒は一瞬にしてへし折られボルト固定のためワッシャのように薄くなっている上の部分は馬力に負けて引き千切れた。
中途半端にこちら側へ突き出たヘッドレストを向こう側に押し込んで空間を作る。残った2本の棒も強度を喪ったらしく素直に折れ曲がってくれた。
「ロープ解除!」
「解除!」
「行きます!」
小隊長が予め指名していた比較的小柄な隊員が上半身を突っ込んだ。防弾チョッキを脱いで枠の下に敷いて怪我をしないようにする。その作業を見守りつつ小倉は前方の様子を確認した。迫り来る生物集団にたった3人で対処している。
「残弾報告!」
「弾倉3!」
「弾帯ラスト!」
「使え!」
班長がマグポーチから弾倉2本を取り出して機関銃担当に向けアスファルトの上を滑らせた。同時に自分が撃っていた89式からも弾倉を外し、恐らく最後の1本と思われるもう1本の弾倉と一緒に小銃担当へ手渡す。
自身はレッグホルスターの9mm拳銃を引き抜いて応戦を始めた。明らかに火力は下がるが継戦を考えれば選択肢の1つだろうか。
「解除!」
くぐもった声で解除の報告が聞こえる。同時に小隊長が助手席の上に立ち、ドアを開けると共に救出作業を開始した。
「後を頼みます!」
「了解!」
振り返らず走り出した後ろでは運転席に落ちていた妻の救出が行われる。頭頂部を打ったらしく出血が見られる。それを受け取った辻田は1人で背負い、高機動車まで運んでいた。
銃剣を取り出した小隊長は妻が覆いかぶさっていた夫の救出を開始。シートベルトを銃剣で切り取り、上半身を引っ張り出して部下に掴ませ引き摺り出す。同様に高機へ運んで収容を完了。何とかギリギリの所で終わらせられた。
「収容完了!」
「撤収! 撤収!」
最前列の機関銃担当が立ち上がって中腰のまま後方へ退避。左右の小倉、班長、小銃担当が下がりつつそれを援護する。
「出します!」
少しずつ走り出す高機動車に取り付く小倉と小銃担当。しかし班長は振り返りざまに横転していた軽トラにぶつかってよろめいた。そのまま蹴躓いて倒れ込む。
「班長!」
「っ!」
小倉は全力疾走で走り班長の元まで辿り着いた。防弾チョッキのドラッグハンドルを掴んで引っ張ろうとしたが向こう側から違う力が行動を阻止する。
顔を上げて見るとムカデが半長靴に噛み付いていたのが見えた。意地になって引っ張るが少しずつしか動かない。本能でしか生きていないであろう存在に獲物を逃がすまいとする思考を感じ取った事で小倉は激高した。
「糞野郎!」
9mm拳銃を引き抜こうとするも班長が小倉の手を振り解ぐ。既に89式小銃を手放した左手には手榴弾が握られていた。何をする気なのか。それを読み取れてしまう自分を否定したい。
だが振り解かれた手をもう1度伸ばすには距離があった。目の前に迫る無数の生物集団が前に踏み出そうとする足を止める。
「おい!」
班長は答える事無く不敵な笑みを浮かべながら生物群の波に消えた。このままでは自分も危ないと察した小倉は駆け出して高機動車まで辿り着き、車体を力一杯握り締めた拳で叩いて叫んだ。
「早く出せ!!」
後ろから迫り来る生物集団から高機動車は寸前の所で離脱。同時に起こる爆発で、小倉だけが戻って来た事の意味を隊員たちは悟っていた。
言葉を発する事もなく誰かの死を感じ取れる。そんな事が目の前で起きた。これは何だ。現実の出来事か?
戦闘行為であれば立場の違いはあれこそ割り切れる所もある。だが今回の件はそれに該当しない。ただ無慈悲に、不条理に、言葉も通じない存在に命を奪われた。野生動物とも違う。連中は何だ。人間を食らうのが目的か。そんな生物がこの世に居て堪るか。
「……あの」
「2人の容体は」
「恐らく、問題ないと思われます。奥さんの方は精密検査が必要でしょうけど」
「では早急に病院へ。支所にも立ち寄って完全撤収を促します」
気まずそうな表情の辻田はそれ以降、言葉を発する事はなかった。小倉も、同乗する隊員たちもだ。
報告したくない報告が伊達体育館の連隊本部に届く。内容を聞いた斎木は平静を装いつつ、渋谷に新しいホワイトボード2つの準備を命じて、1つ目のそこに班長の名前を書き込んだ。そして裏返す。
「以後、我々の方の損害はここに記す。ただし負傷者に限ってはもう1枚の方だ。いいな」
どうしようもなく重たい空気が本部を包み込んだ。しかし警察側の損害を考えればまだ1人だ。向こうは既に数十名が犠牲となっている。大野クリニック前の撤退戦でどちらにも死者が出なかった事を考えれば今度はこちらの番と言われても何ら不自然ではない。
「……判断を誤ったと思うか」
「遅かれ早かれ想定していた事です。1人で済んだと思えば合格点でしょう」
「納得出来る事ではないがな」
「市内奪還作戦でどれだけの死人が出るかと考えるなら今の内に隊員たちへ死者の存在を受け入れさせるチャンスです。次目標の遂行時も含めて」
渋谷の意見はある意味で完璧な補佐と言えるだろう。警察は本件において初期の段階から対応に当たって来たが、陸自にとってはまだ始まったばかりなのだ。矢面を任される以上は自分たちにも損害が出る事を許容しなければならない。
問題はこの地域を警備区に持つ自分たちは否応にでも駆り出されるが、次目標遂行時に増援として現地入りする第1師団の部隊に尻込みされては困る事だった。万一にでもこちらへ甚大な被害が出れば彼らに入れ替わって貰うのだ。土壇場で「行きたくない」なんて言われ充足率の低い状態で来られても困る。そうでもなれば今度は北海道の部隊にでも来て貰うしかない。移動と展開の時間を考えると気が遠くなりそうだった。
そうしている間にも連中は増え続けるかもしれない。今以上の数に膨れ上がる可能性もある。
同時刻・岩手駐屯地
岩手山を見据える長閑な風景。その裾野にある第9師団岩手駐屯地。本部隊舎から頭を掻きながら1人の隊員が出て来た。
「……嫌な予感はしてたんだよなぁ」
松田1等陸曹。第9戦車大隊2中隊の第1小隊長だ。出身は県外だが居付いて長く、このまま定年をここで迎えるんだと思っていた矢先に何だかよく分からない事態が発生。現場の市街地から向こうが田んぼと言うのを小耳に挟んでいた時点である種の予感がしていたが見事に的中。退役間近の相棒を最後のご奉公に連れ出してしまう事に罪悪感を覚えつつDSの整備工場へ向かった。
「どうもー」
整備の音で満たされたそこには相棒の74式戦車が点検を受けていた。今回の事態に呼応した臨時のものである。前輪の部分に取り付いていた1人の整備隊員が松田を見た事で駆け寄って来た。
「お疲れ様です。やっぱり招集ですか」
「そうなっちまった。しっかり頼みます」
「任せて下さい。戦車いじれるのも自分らが最後の世代でしょうから、完璧に仕上げておきますよ」
既に来年度の部隊解散を控えた第9戦車大隊。メインとして整備を担当している彼らにとっても74式を扱うのは今年が最後だった。
挨拶を済ませた松田は営舎まで戻り屯していた自身が指揮する小隊の部下たちに混ざる。
「1曹。いつ出るんです」
「明後日ぐらいになりそうだ」
殆ど黒に近いが微妙に茶髪っぽい髪の石岡2曹。同乗する74式の砲手だ。着任してからの長い付き合いだが腕は確かだ。髪の色に加え言動が軽いのが少し気に掛かるが言うほどではない。
「初弾必中、期待させて貰うぞ」
「相手は人間より小さいんですからそいつはちょっと難しいかもしれませんね」
「2曹。こいつには構わずいつものように堅実にな」
「了解」
斎藤2曹。74式の運転手だ。昨今珍しく坊主頭。口数は少ないが仕事は完璧にこなす。操縦の腕も良い。
「西。慌てず、焦らず、正確に頼む」
「は!」
西陸士長。装填手。2士の頃は"ニシニシ"なんてあだ名を付けられて微妙な顔をしていたが今ではそんな事を言うヤツもない。曹に昇進すれば見る目も変わるだろう。
「いいか。幸いにもここと現場の距離がある事、トランスポーターの整備にも時間が掛かる事。これらを利用して1~2日は慣らしに使える。幾分かはコンディションの良い状態で行ける筈だ」
つまり余裕もなく放り込まれた連中よりはマシらしい。松田を前にした隷下の隊員たちは静かな覚悟を胸に秘め、士気を高めていた。
来月はお休みします。よろしくお願い致します。
連載開始時は第9戦車大隊がまだあったのでご了承ください。