蹂躙 4
大塚館周辺で急に火の手が上がったのを航空隊ヘリ"あづま"は捉えていた。伊達署へ緊急の報告を入れている最中、鈴森からの入電も飛び込む。
「鈴森です。道路にガソリンを撒いて火を放ちました。それしか前進を妨害する手段がないと思ったからです。以上」
まるで小学生の言い訳だ。署長が聞いたら卒倒しそうな言葉だが、平山は冷静に受け答えた。
「取りあえず署に戻って来い。装備が心許ない筈だ。銃弾を補給して少し休め」
「言われなくても向かってます。これ以上の矢面は勘弁願います」
「心配するな、前面は本機と銃対で能動的に持たせる」
「何も決まってないって事ですよねそれ」
相変わらずこっちの事情を汲みながら容赦ない一言を浴びせる男だ。隣に居る竹内は涼しい顔だが麻木の口角が俄かに吊り上がるのを平山は見てしまう。
しかし鈴森が言うように、この場では何も決まってはいなかったのも事実だ。想定していた事態を大きく上回る現状。まさかこちらに向かって移動して来るとは誰が想像出来ただろう。
こうなると最初に考えていた警備方針は変えざるを得ない。だが何をどうするべきなのか、この場に居る者たちに具体的な答えは浮かんで来なかった。そもそもあの数を抑える込めるだけの銃弾も無いし人数も足りないのだ。
「余計な事は言わなくていい。黙って足を進めろ」
「了解」
交信を切って地図に向き直る。あづまからの情報で火の手が上がっている一帯を地図へ書き込んだ。これに加えて生物集団の位置も同様に書き込む。
「……うまくいけば燃えている道路に当たりますか?」
「進行方向を変えなければな」
麻木は生物集団の移動方向が鈴森によって放たれた火の阻止線に向かっている事に気付いた。しかしそれも「今の所」である。このまま直進し続けるか大きく方向を変えなければ遠からず道路に達するが何も保障はないし、それに期待するのも良策ではない。
「伊達2個分隊の撤退を確認次第、銃対は車両に乗り込んで保原総合公園より前進。県道150号を封鎖して接触に備える。1両は炎が始まる所の少し手前で待機、もう1両は大塚館から下へ延びる農道で待機。車両の頭は離脱する方向へ向けておく。第3小隊は150号沿いに残っている住民避難を実施。それが終わったら警戒監視に移行。第2小隊も到着と補給が済み次第、市役所や行政施設の避難誘導を始める」
そこまで言った所で竹内は平山に向き直った。平山も何かを察してか、姿勢を正す。
「最悪、ここも飲まれる可能性があります。今からでも県警本部へ行かれますか」
「結構です。一応ですが防御のための計画は練ってあります。それに機動隊だけでは住民避難も大仕事です。各分隊と刑事、交通、地域の署員はここに残して、残りの者は総出で避難誘導に向かわせます。官舎住まいの家族と避難して来た住民は市役所へ移して一緒に行動させましょう。その方が安全です」
平山はここで自分が鈴森に言った言葉を思い返すも、今一度働いて貰おうと心に決めた。警備隊長の自分が逃げないのだ。そうなれば鈴森も逃げないだろう。
「分かりました。申し訳ありませんが、恐らく我々も自分たちの事で精一杯になります。出来るだけ柔軟に対応して頂けると助かります」
「問題ありません。それと、裏手で待機している2機の小隊も避難誘導の方へ行かせましょう。部隊としての体を成しているとは言え毛が生えた程度です」
こうして伊達署も独自に防御態勢を整え始めた。まず道路を挟んだ隣にある消防本部へ電話して機能移転の旨を伝える。車両と人員は約8キロほど北にある中央消防署北分署へ退避を開始。資機材も可能な限り積み込んで向かった。
ただ指令センターとしての機能は北分署に備わっていないため、本部には最低限の人員が残る事になる。この人員は定年間際や独身の職員が志願。
車庫のシャッターは完全に締め切り、出入口も厳重に施錠。人気が無ければ入って来ようとはしないだろうとの考えもあった。そもそも連中に手がある訳ではない。
溶解液の存在が気掛かりではあるが……
竹内からの命令を受け取った小埜澤は第3小隊の人員輸送車に残された余剰分の弾薬も全て分配するように葛西小隊長へ指示。一旦終わった筈の補給作業が再開された。
「大志田警部補。第2第4分隊を預ける。大塚館から南に延びる農道で警戒配置に就いてくれ。発砲は自身の判断で命令していい」
「了解、お預かりします」
「葛西警部補、作業終了後についての指示は貰っているな」
「はい」
「万一の際はこちらに構わず逃げてくれ。1機にこれ以上の人的損害は容認出来ない」
2両の小型警備車へ余剰分の弾薬が積み込まれる傍ら、小埜澤は分隊を2つに分けて整列させた。
「第1第3分隊は県道150号を封鎖して接触に備える。指揮は自分が執る。第2第4分隊は大塚館の南にある農道で警戒を実施。そっちの指揮は大志田警部補に従え。分かっていると思うが深追いは厳禁だ。逃げるタイミングを間違えばどうなるか分からん。伊達第1第3分隊の後退を確認したら出るぞ」
それから数分とせず再開された補給作業は終了。余剰分とは言えそんなに多くは残っていなかった。撃ちまくれる訳ではないがある程度の数は減らせるだろう。小埜澤も大志田もそう考えていた。
出発を目前にした小埜澤たちの前に疲れ切った走り方の鈴森、滝口の両分隊が姿を現す。小埜澤は車両から降りて彼らに駆け寄った。
「火を放ったそうだな。効果は」
「まだ接触してませんよ。これから押し寄せて来ますけど」
「警部、前に出るのでしたら位置取りには注意願います。大塚館周辺は道が狭いので特車には不利な環境です」
「開けた場所で迎え撃つよう指示があった。車両は伊達署に頭を向けておくから方向転換の時間は必要ない。すぐ逃げられる筈だ」
交わす言葉も短めに両者は別れる。県道150号の火が燃えている最初の地点へ向けて小型警備車1両と人員輸送車1両。大塚館から南へ延びる農道にもう1台の小型警備車が向かった。
伊達署裏で待機していた2機第1小隊長の八巻警部補は無線で竹内から呼び出され、急ぎ足で伊達署の庁舎に入った。ロビーで介抱されている金原田地区の住民たちが目に飛び込んで来る。
内心で招集に応じた事に後悔しながら上階への階段を上がり始めた。普段は福島北署で交通課に勤務しており、機動隊から異動になって既に10年近い。何度か凶悪事件に臨場した経験もあるが当時の感覚はすっかり錆び付いてしまっている。
こんな人間に小隊長など務まるのかと思いつつ警備本部が設けられた会議室のドアを開け放った。
「2機第1小隊長、八巻です」
「急で申し訳ないが今から市街地の重要施設に行って避難誘導をして貰いたい。優先順位はこれに書いてある」
竹内から1枚の紙を渡された。そこには上から順に自分たちが避難誘導をしなければならない施設が書かれている。まずは入院設備のある病院からだった。
次が老人ホームなどの介護施設。続いて学校や公共施設も網羅されていた。
「……2機隊長より指示は出ておりませんが」
「こっちから説明しておく。悪いがあまり時間はない。急いで向かってくれ」
「承知しました。因みに……そちらの第1小隊の件ですが」
「本件が完全に終息するか一定の段階に落ち着くまで忘れて貰って構わない。君たちを同じような目に遭わせないための措置でもあると理解して欲しい。後退中の第2小隊も収容した住民の移送が終わり次第で増援として向かわせる。可能な限り施設への連絡もしておく」
「……直ちに向かいます」
踵を返して本部を出る。駆け足で外に出て人員輸送車に乗り、未だ別命もなく待ち疲れた顔の部下たちを前に竹内からの命令を伝える。
「1機竹内隊長から市街地重要施設の避難誘導を命じられた。古川隊長には説明してくれるとの事だ。後退中の1機第2小隊も収容した住民の移送が終わり次第で我々の増援として到着する。これから向かう施設への事前連絡もやってくれるそうだ。何か質問は」
手は上がらなかった。しかし、何人かの隊員が顔色を悪くしている。無理もない。無線越しで第1小隊の壊滅を知った上に、本当は出番なんて来ないだろうと思っていた中途半端な覚悟へ重圧が掛かり出したのだ。
八巻自身もまた、そんな事を思っていた内の1人だった。
「では出発する。まず病院だ」
伊達署裏から2機第1小隊が乗る人員輸送車が移動を開始。正門で警戒を行う伊達警備隊第5分隊が敬礼で見送った。運転席の傍で立ったままの八巻もこれに答える。
2機第1小隊が出発すると同時に警備本部へ芳村から報告が入った。小野本部長の命令により伊達市全域で交通規制を実施する事が決定。これには交通機動隊がその任に当たる。また展開中の機捜各車も交通規制へ参加。特に機捜に関しては避難誘導への協力も行うそうだ。
更に知事から伊達市長に対して警報の発令を指示。吉報としては福島駐屯地の第44普通科連隊へ災害派遣要請が出た。最もこれは根回しの上で出された要請なので連隊は予め武装しての到着になる。
治安出動についてはどうやっても内閣の承認を回避出来ないとの結論に至り、県議会では一旦取り下げられていた。
芳村の企んだ自主派遣の実現を考えていた矢先でついに事態が発生したためこれも断念。結局は定型的な災害派遣と言う形に収まってしまった。
だがそれでも尚、事前の根回しがあっただけマシと言えようか。
過ぎ去った事を悔やむような思惑が渦巻く中、接近しつつある集団の報告が舞い込んだ。
「こちらあづま、集団が炎に到達。前進を停止しました」
鈴森の行動によって生じた火の阻止線がある程度の効果を発揮したらしい。先頭の数匹が火に突っ込んでのたうち回っている。
炎で前進を阻害された先頭集団は足を止めない後続に押し出される形で少しずつ火の中へ入って行く。1mほどの幅で形成された火の阻止線で十数体が丸焼きと化した。消し炭になるまでの火力はないから何かしらの処理が必要になるだろう。
この光景を見たあづまの報告が伊達署に届き、警備本部の陣営に僅かながら希望を抱かせた。所が同時に異変が起こる。
「あづまより伊達PS、別集団を至近に発見。保原総合公園の南から西進中。市街地へ向けて直進しています」
上ずった声のあづま操縦士から凶報が飛び込んだ。このままでは市街地への侵攻を許してしまう。
しかし対抗出来る手段は何も無い。避難誘導に向かった1機と2機の2個小隊すら無事で済むか怪しい所だ。
続いて市役所からの防災無線による放送が始まった。伊達署にもこの放送が届く。
「こちらは、伊達市役所です。現在、伊達市全域に、緊急安全確保が発令されました。速やかに、屋内退避、もしくは、市内から遠ざかって下さい。繰り返しお伝えします」
緊急安全確保。確かに自治体が出せる警報としては最高レベルのものだ。冷静に考えれば武力攻撃を受けている訳でもないし、それによって生じる武力攻撃災害も起きてはいない。
日本における国民保護の概念は有事におけるものとして位置付けられており、災害に関してはまた異なる考えとされていた。Jアラートは基本的に国が出すもので自治体独自では出せない。行政として発せられる警報の中ではこれが限界だろうか。
保原総合公園の南。大塚館に居る銃対第2及び第4分隊が乗っている小型警備車よりも更に南方面から西進する集団は、県道349号線と阿武隈急行が交差する踏切から市街地へ雪崩れ込んだ。
目の前に現れた巨大ムカデの大群を見た住民たちは防災無線の内容をようやく理解し、自宅や病院、銀行へ逃げ込もうとする。もしくは走って逃げ出す者もいた。逃げ切れない速度ではないが変な所に入って袋小路になればお終いだ。
だが殆どは無駄な行動に終わり、足へ噛み付かれて引き摺り倒されるか圧し掛かられてそのまま波に飲まれていった。アスファルトを埋め尽くす生物集団の中から手足がバタバタ動き回る度に血肉が飛び散る。ある者は電柱をよじ登って難を逃れたと思うのも束の間、自身の体重を支え切れずゆっくりと地面に下がり始め、仲間の上を歩いて幾分か高い位置に居たムカデがそこに噛み付いた。振り解こうとする勢いで両手が電柱から離れムカデの川に没する。
その先にある衣料品店、飲食店、コンビニへ押しかけた住民たちもまた、店のシャッターが下りるのが間に合う筈もなく、続々と入って来る生物によって肉塊へ変わっていった。
バックヤードまで入れた何名かが生き残っているものの、壁越しに聞こえて来る悲鳴と助けを呼ぶ声が塞いだ耳に届く事で発狂寸前だった。
何ヶ所かではついに溶解液が噴き付けられて熔け落ちたシャッターやガラスから内部に侵入。何名かは裏口から逃げ出した先で無残にも波へ飲まれた。通り掛かった車は横転。割れたフロントガラスが進行速度による勢いで破られた。ドライバーは逃げ場もない空間で貪られる最期を迎えてしまう。更に複数ヶ所で玉突き事故が発生。慌てた車数台が歩道へ乗り上げ、走って逃げる住民たちを押しのけていく。途中でハンドル操作を誤って電柱に突っ込み停車。電柱がへし折れて車体を粉砕した。エアバッグは作動したがこの影響でドライバーは死亡。更に引き千切られた電線が周辺に居た住民に意図せず襲い掛かり、多くの人間を感電させた。
2機第1小隊は、そんな阿鼻叫喚が渦巻く場所から1キロもない所にある病院で、避難誘導を始めたばかりだった。
機動隊の表記、以前は漢数字と算用数字を合わせてましたが変換が面倒なので今後は算用数字のみにします。合わせて表記していた部分は折を見て書き換えていきます。