彼の遺したもの
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水滴の音が響く部屋。
台所のノズルから、ぴちゃん、ぴちゃんとシンクに音が籠る。
壁に向かうように設置されたキッチンの背面、ダイニングには、二人掛けのテーブルと、向かうように設置された二脚の椅子がその生活感を表現している。
部屋には夜の帳が降りており、その暗がりにある確かな寂しさを慰めるかのように、月明かりが差し込んでいた。
そんな部屋の扉を隔てて廊下、その側にある階段の側面に付けられた隠し扉、奥に続く地下への道。その先に薄明かりが灯る。
「本当に、やるんですか」
「まぁ、いつかはやらないといけない事なんですし、早い方が良いじゃないですか? ……多分」
科学的な白光が灯す無機質な足元。
二人の視線の先には、大理石をくり抜いたようにも、コンクリートを固めて作り上げたようにも見える地下室と、その地下室天井いっぱいまで使った、大きな、地下室全体と同じ材質であろう本棚と——その手前に鎮座する、一つのモノリス。
本棚には、その一段一段へこれ以上入らないほどに本が詰め込まれており、それが十列ほど奥に連なっている。
元々ハルニアが瞑っていた魔法陣の更に奥、そこに大きなスペースを使って作られた本棚群の前に、彼女達は立っていた。
「この『ハルニア』に私の人格が移行してから、ある程度時間も経過していますし……精神状態だって安定してきているので、高負荷を掛けても問題ないかと」
「そう……ですか」
機械的に、且つ自信ありげに自己分析をしながらハルニアは言う。
相対に、その話を聞く緑髪の少女は、その髪と同じ色の瞳を揺らし、自身の不安を露わにしている。
その原因は今は亡き愛人の言葉を期待してなのか、それとも、これから行われる行為に対してなのかは本人も与り知らぬ所だろう。
「じゃあ、最終確認しますね」
「……はい」
「まず、あの時——私が、ヴァイゼの遺言が聞けると言った時の話、覚えてますか?」
「あのときは……ここの本棚の情報は全てこのモノリスに共有されていて、『ハルニア』は、この本棚の情報によってアップデートできるという話でしたね?」
「そうです。そして、それを最初からしてしまうと、その大量のデータに耐えられず、私の人格が崩壊してしまうという話をしました」
『ハルニア』の内部データを活用しながら最終確認を行っていく。
人の声が地下室に染み渡り、冷たい空気が静かに時を運ぶ。
「だから……『人格定着基盤』が働いて、完全に安定してからこの作業を行う。って事で、前回は一旦やめにした筈ですよね」
「あの時は自分でも分かるくらい不安定だったからちょっと……はい」
あはは、と苦笑いする顔に、申し訳なさそうに緑色の瞳が向けられる。
「本当に……大丈夫なんですか」
「遺言の事ですか? それならちゃんと手に入ると——」
「そうじゃなくて、あなたの方ですよ。……この話を聞く限り、下手すれば廃人になるんですよ?」
人形を守るという役目を終えて光を失った魔法陣が、淡い蛍光灯に照らされている。
幻想的でなくただ科学的な魔法の灯が、小さな二人に白い光を当てる。
「私的には、……まぁ、何とかなると思うんですよね」
「……」
視線を下げ、不安げに髪を揺らす。
そんなカザルメを目で落ち着けながら、ハルニアは肩の高さほどあるモノリスに一歩近づく。
「まぁ、取り敢えず——始めますね」
「………………はい」
モノリスの上面、斜めになっているその表面に描かれた、円形の陣の中心に手を触れる。
すると、唸るような起動音と共に幻青い光が線条になって掌から伸び、床を、壁を、天井を奔った。
美しいと思ったのも束の間、至る所を伝っていた線が本棚の方へ伸び、幾何学模様で本棚を包み込む。
一瞬、強く眩しい光が瞬いて——
「っ……!」
——飲み込まれた。




