再会
怖いというか、後味が悪いです。
1
馬車から降りた男の髪を故郷の風が撫でた。数年ぶりの帰還を歓迎してくれているかのようで、男はいい気分になった。
男は傭兵業を生業としていた。あちこちの戦場に顔を出し、雇われて戦争に参加する。彼は慎重な男だった。力も経験も並外れていたが、それに奢らず地味な戦法に徹していた。傭兵仲間の中にはそんな彼を臆病者と揶揄する声もあったが、男はそれに耳を貸さなかった。
『言いたい奴には言わせておけ』というのが彼の口癖だった。彼には死ぬわけにはいかない理由があったのだ。
男は傭兵には珍しく家庭を持っていた。首都から遠く離れた田舎の村で彼の妻と一人息子は暮らしていた。村は貧しかったので、家族は彼の収入だけが頼りだった。自分が死ねば家族も生きてはいけない。だから彼は死ななかった。どうあっても生き続けなくてはならなかった……。
男は目を凝らした。まだ夜も明けぬ前に帰ってきてしまったため、どうすればいいかとしばしの間、考える。まあ少し時間を潰してから家に戻ろうかと、村の入り口近くにある大きな木の下に座り込んだ。
これも懐かしい木だ。男は感慨にふける。息子が幼い頃、ここでよく遊んでやった。そういえば一度、息子が木から落ちて怪我をしたこともあったっけか。あの時は妻に酷く叱られたなぁ……。
思い出して男は苦笑する。ああ、今頃彼らはどうなっているのだろうか。息子はきっと見違えるほどに成長していることだろう。妻はどうだろう。いや、自分では分からないがオレも変わっているのだろうか。「老けたね」などと言われたらどうしようか。
そんなことを思いつつも男の顔から笑みは消えない。常に緊張を強いられる戦場とは違い、ここはとても穏やかであった。疲れも溜まっていたのだろうか。いつの間にか男はウトウトと寝入っていた。
2
男が目を覚ますと、東の空は若干明るくなり始めていた。夜明けが近いようだ。
起きたとはいえまだ眠気は取れないのか、男はゴシゴシと眼を擦る。
そこでふと、違和感を感じた。違和感? 違う、どちらかというとこれはもっと外面的な、なんと言うか……視線のような。
「!」
バッと飛び起きて男は辺りを見回す。長年生死のやり取りをしてきた男にはこの視線がどういう類のものであるかはすぐに分かった。
明確な殺意、そのものだった。
男は前方を見、次に右、そして左。最後に背後を確認するとそこに殺意の元を確認した。
どちらかというと小柄な、何か――――誰かが立っていた。まだ暗い村の中でその人影は闇に紛れるようだった。歳も性別も判別つかないというのに、その瞳が淀んだ光を放っていることだけはよく分かって、男は戦慄した。
忘れていた。この辺りには昔から追剥ぎが出たんだったか……。
何を呑気に寝ていたものかと自分の無用心さに腹が立つ。男の服装は豪華というほどではなかったが、小奇麗にはしてあって、追剥ぎに目をつけられても仕方ないと思った。
追剥ぎは男が起き上がったのに気付いても逃げるそぶりを見せなかった。腕に自信があるのか、それとも危険を冒してでもやらねばならないほど切迫した状況にあるのか……。
追剥ぎは男の様子を伺いながらジリジリと距離を詰めてくる。男は荷物を探る。生憎今は剣を持っていない。見つかったものは戦闘用ではない小ぶりのナイフだけであった。けれども無いよりはましかと思い、男は右手にそれを構える。
突然に追剥ぎが飛び掛ってきた。その手には農作業用の草刈鎌が二本握られていた。追剥ぎはそれを勢いよく振るったが、男は難なくそれを避ける。傭兵として熟練した彼にはその動きがまるで手に取るように分かった。
追剥ぎはどう見ても戦い慣れしているとは言い難かった。本業の男からしてみればまるで意味が分からないほどに、その動きには無駄が多い。足裁きも軽やかさが感じられず、何度も自分の足にもつれて転びそうになっている。男は次第にそれがただの技術不足だけではないことに気付いた。追剥ぎは酷く衰弱している。ろくに食べるものも無いのだろうか、突き出した手もやせ細っていて、鎌を握っているだけで精一杯なようにも見えた。
と、冷静に事態を確認していた男だったが、油断によって一つのミスをしてしまった。右から左に力なく振られた鎌を軽くかわす。そのとき背中に衝撃を感じた。背後の確認を怠り、木に背中をぶつけてしまったのだ。咄嗟のことに混乱して一瞬動きが止まる。その隙を逃さず追剥ぎはここまでで一番力強く鎌を振り上げた。
ヤバイ。そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。右手を前に思いっきり突き出す。銀色に輝くナイフを握った右手を……。
やわらかい何かを貫く嫌な感触がした。流石というべきか、男が無意識の内に突き出したはずのナイフは見事にあばら骨を避け、臓器に致命傷を与えていた。追剥ぎは力を失って地面に倒れ付した。
まったく……。自分で自分が嫌になる。男は自分の技術を恨んだ。殺す必要は無かったはずだ。あの実力差なら取り押さえるだけで十分、いや放っておけば勝手に諦めて逃げたかもしれない。とにかく追剥ぎは死ななくてもすんだだろう。
男が足元に横たわる追剥ぎを見つめていると、影ができているのに気付いた。朝日が昇ってきていた。少しづつ村に色がついていく。
木に、山に、家に、そして追剥ぎの死体に。
男はあることに気付いた。気付いてしまった。頭の中で必死にそんなことはありえないと自分に言い聞かすのだが、恐怖は拭い去れない。彼は自分の予想が外れていることを願いながら再び追剥ぎの姿を確認する。
追剥ぎは若い男だった。まだ少年といってもいいくらいの年齢だった。淡い栗色の髪によく焼けた肌。よく整った端正な顔立ちをしているのだが額に走る大きな傷跡がそれを台無しにしている。男はその傷に見覚えがあった。木から落ちた息子の額にはこれと同じ傷跡があった。
男は声にならない絶叫をあげた。獣の遠吠えのように叫んだ。男は最愛の息子の亡骸に顔をうずめて泣き濡れた。誰も彼を慰めるものはいなかった。
3
どれくらい泣いていたのか、村はすっかり明るくなっていた。目を赤く腫らした男は村を見て、再び大きな衝撃を受けた。
彼の記憶に残る美しい村はどこにも無かった。立ち並ぶ可愛らしい家も、生命の力を感じさせる畑も、子供達の笑いあう声も無かった。あるのは汚らしい廃墟と茶色く萎びた野菜の残骸、悪臭を放つ何かの死体だけだった。
絶望、という言葉ですら言い表せない。男の心には何の感情も浮かんでこなかった。ただの虚無感。無力感。
男の淡い栗色の髪を廃墟の風が撫でた。数年ぶりの帰還に同情しているようで、しかし男は何も感じなかった。
以上です。少しでも何かを感じていただければ幸いです。