勇者を殺した国の末路
少年の服をどうするかと二人は暫く揉めたが下手にいじるのも少年の沽券に関わるだろうという事でお漏らしは放っておく事で話はついた。
しかし冷えて腹を下すでもさせるのは可哀想だとシルラーナは魔王の上着を寄越せと主張し、魔王はどこぞの馬鹿の為に自身の着ていた服さえ汚されたくないと。それも勇者の息子のものなら尚更だ。
その言い草にムッとしたシルラーナは魔王を見据えた後に自分の上着を取り払おうとモゾモゾとドレス一枚という姿を厭わず晒した。
そしてそれを少年に、と差し出そうとしてようやく魔王が折れた。
「チッ、人妻が何してやがる……」
自身の為に仕立てられた衣服が小便に塗れるという屈辱と彼女とを天秤にかけ恨みがましく文句を垂れつつ少年の下半身に服を投げつけた魔王にそそくさと自身の上着を着直したシルラーナはどこかしてやったりという表情をして、それからしれっと少年の傍らに屈み込み、少年の肩を揺らした。
ううん、と呻き声をあげて少年が瞼を開く。幼い焦げ茶の瞳が彼女をぼんやりと捉えた。
「こんなところで倒れて。具合でも悪いのか?」
先程気絶させた事など伝えずに彼女は少年を心配するような言葉をかけて労った。
「あ、いえ、はい……?だいじょうぶ、です」
事態を把握できていないらしく少年はシルラーナの顔を暫く見つめた後、慌てたように背中を確認しそこに大剣がある事にホッと息を吐き出してシルラーナの少し後ろにいた魔王に気付き体を強張らせた。
シルラーナも先程の光景を思い出し魔王を振り返る。
「ああ、あれは私の夫だ。敵ではない」
「え……おっ、夫?」
「何だ。文句があるのか、小僧」
ショックを受けた顔となる少年に苛立ったのか魔王もシルラーナが了承していないにも関わらず会話に参戦すればややこしくなるから止めろと彼女は目で魔王を牽制し、気を取り直してもう一度、少年に優しく微笑み声をかけた。
「私たちは旅の途中でな。たまたまここを通りがかった。そして倒れている君を見つけた」
「余程恐ろしい目に遭ったと見える。服も汚れているものだから俺の服を貸してやった。もし着替えを持ち合わせているなら待っていてやるから着替えてこい」
茶々を入れたいのかそれとも嫌がらせにか。魔王はシルラーナの優しい言葉に畳み掛けるように下半身の事も知らせてやる。
勿論親切心ではない。己の服を台無しにした腹いせだ。
見たところ国から追われて取るものも大剣以外はない少年だ。着替えるどころではないだろう。
指摘されてようやく気付いた少年も困ったように下を見て、それからオロオロとシルラーナと自分とに視線を彷徨わせた。
「……それしかないようだな。なら、火を焚いてやるから乾かしたらいい」
女性であるシルラーナに見られたのは思春期真っ只中の少年には堪えたらしい。顔を真っ赤にして俯いて頷く様子にこんな幼気な子をとまたシルラーナは魔王を振り返ると睨みつけてやった。
それから近場に水場もない為に洗う事もできず、とりあえずは獣が寄らないよう服を乾かす事に徹する為に少年はズボンを脱がされ魔王の大きな上着で半身を隠しながら二人と会話をし始めた。
勇者であった父を国に殺された事。父に大剣を託された事。世界の平和の為に魔王を倒す約束をした事。
ぽつりぽつりと話しながら少年は父の事を思い出したのか涙を目に浮かべながらゴシゴシと拳でそれを拭い、シルラーナはそんなに擦ると腫れてしまうと少年の手を止め、代わりに涙を拭ってやったりと世話を焼いた。
母という立場もあって目の前の少年がどうにも己の子と重なったという事もある。
しかしそれを面白く思わない人物が側にいる事を忘れてはならない。
「お前は勇者の血脈ではあるが、勇者ではないのだろう?どうやって魔王を倒すつもりだ。勇者でなければ女神の武器は扱えない。子どもでも知っている事実だ」
「……ッ」
「おい、止めないか」
「優しさで世界は救えない。それにここでこいつを止めなければ魔王に辿り着く前に死なせる事になる。違うか?魔王の居城に辿り着くには魔界を通らなければならない。ただの人があそこをどうやって乗り越える」
魔界とは人間の住む領域とは桁違いの恐ろしい獰猛な生物が住むと言われる地域を示す言葉である。
人が恐れ絶対に近付かない場所。一説では魔王の力の影響で歪められたとも言われる。
実際には関係など全くと言っていいほどにないのだが。ただその場所は淀みが溜まりやすく凶悪であったり凶暴であったりする生き物が多く棲み着きやすい。それだけだ。
しかしそこを越えなければ魔王の城には辿り着けない。空から行くにしても上空にも魔物はいる。魔王程ではなくとも人化しない竜たちも多く存在する。
シルラーナもそれをよく知っている。連れてこられたとは言え何度も魔王に連れられ、時には自分の身ですら通った事があるのだ。
故にわかる。この少年の非力さでは無理だ。
人間にすら勝てない上に剣ですら鈍らでは、一歩踏み込んだ瞬間に魔物の腹の中だ。
少年はぎりぎりと両手を握りしめ、歯を食いしばりながらも父から伝え聞いていたのか理解はしているらしく唸るような声で肯定した。
「わかってます、今の俺が行っても何にもならないのは」
無念だろう。悔しかろう。けれどどうにもできないことは誰にだってある。
「でも、俺が無理でも俺以外に勇者になれる奴を探す事くらいは……」
「勇者は数百年に一度生まれるか生まれないかと言うような存在だぞ?まさかそれも知らないのか」
「そうなのか?」
「……お前たちは伝承などは聞かない質なのか。本などでもよく書かれているだろう。だからこそ勇者は尊ばれ、世界的に優遇される」
「なっ、私は幼少期から戒律の厳しい環境にいたんだから仕方がないだろう!俗物なども極力読むなと流行りの恋愛譚すら取り上げられていたんだ!!」
「俺は……親父が恥ずかしがってそういうのは隠してて」
世間知らずが二人と認識した魔王は思わず天を仰いだ。
「魔王は魔族の中で一番強く、世界を蝕む悪として描かれる。よって魔王が力を持ち過ぎれば女神や他の神々がそれを排する為に勇者という便利な駒を人間から選出し役目を与える。だが勇者にできるのは女神が作り出した武器を扱えるという力だけ。それ以外に特別な力を持たない為に勇者とされた者たちだ。長く生きる魔族が主流の世界で魔王を相手にしなければならない為に勇者は殆どがその人生を費やし鍛錬に明け暮れる。……お前の父親を殺した国は恐らくとんでもなく愚かな王が頂点にいるのだろう。魔王の被害に悩まされ苦労している国に恨まれ、あるいは魔王を倒せば出る事のなかった被害額をそっくり請求されるか、将又戦争を仕掛けられ国自体滅ぼされる事になるか」
「は、はぇ……?」
「それはまた、大変な事を……」
「世界の共通の敵を倒せる者だからな。そのくらい想像できないで手にかけるなど有り得ない。……ああ、もう一つある。己の敵として相応しいと魔王が認め己の元に来るのを今か今かと待っていた場合。その宿敵を多勢に無勢で殺したら魔王はどう思う?戦う事を唯一の愉しみとして生きてきた長命のものが、何百年と待っていたんだ。一体、何を感じる?」
「ひぃっ!!」
「恐ろしい事この上ない!」
だから勇者は武器を扱う事しか力を許されないんだ、と魔王は訳知り顔で付け足した。
歴代の魔王に戦闘狂が多いのも勇者誕生の理由だろう。魔王の退屈しのぎの相手。そしてその魔王が勇者に目を向けるだけ世界に平和が訪れる。
人身供犠。それが勇者だ。魔王を倒せれば尚良し、と。




