2:服が臭い
鉄パイプを束ねて作った骨組みに無理やりぶら下げたサンドバッグは、不安定で打ちにくい。まぁ、仕方ない。天井にぶら下げたら私の家なんて一瞬で崩れちまうだろうから。
「はぁっ! はぁっ!」
服が臭い。このボロジャージ、もう一週間くらい着てるもんな……。
「なんで服預かるだけであんなに金とるんだよ! 洗剤が買えねえじゃねぇか!」
私が試合に出る時だけ着る、アイドルみたいなピンクの服は特注だ。あれは、家には置いていない。蹴飛ばせば壊れる扉の家に、置いとけるような値段じゃないから。見た目は可愛いが、酷使に耐えられる素材で作られた上等な品。試合中に服なんて破れてみろ、私の価値が安くなる。
「はぁっ! はぁっ! シッ! シュッ!」
ツインテールが鬱陶しい。でもこいつを切ったり、一つに束ねるのは絶対にだめ。戦う時にどの程度邪魔なのかを把握しとかないと。それにしてもピンクの髪は視界に入ると鬱陶しいな。水色とかにした方がよかったか? いや、私の狙いを考えるとこの色が正解だ、ピンクというわかりやすい色を、私のイメージとして観客の頭に植えつけるんだ。
「シッ! ふっ!」
呼吸を細かく刻め。打撃の数を少しでも増やすんだ。威力を落とさないように、少しでも多く。私は試合を自分の理想通りに運ばないといけない。だから速く、重く打てるようになれ。
「はぁ、はぁ」
休憩、ぴったり五秒。その後は拳に体重を乗せて!
「おらぁっ! あ、え? うわっ!」
また骨組みが崩れやがった。はぁ……やっぱりこんなんじゃダメか……。
「はやく引っ越したいな……」
私は諦めて、落ちたサンドバッグの上に座る。グローブも欲しいな、襤褸布巻いただけじゃ痛てぇ。はぁ…………ないものねだり病が出てるな。
「走るか……」
あの競技のいいところは、楽しく観戦しているやつらの大半が街の外の住人だってこと。だから、注目度を気にせずトレーニングができる。
「ふっ、ふっ、ふっ」
リズムを整えて、スタミナをはかるイメージで。長時間の試合で冷静さを保つには、このトレーニングが必要だ。
「ふっ、ふっ、ふっ」
やっぱりスラムを抜けると走りやすいな。道がだいぶマシだ。
「ねぇ! もう食べていい?」
「だめだ、帰ってからにしたまえ」
パン屋の前、紙袋を抱えて話す母親と幼い女の子。幸せそうで羨ましい。いや、ただパンが食いたいだけだなこれ……。さて、今日はなにを食うか。
「しまった……」
そうだ、今日は借金の返済日……飯を考えてる場合じゃねぇ。
私の暮らすスラムの奥の奥。ここの住人ですらよりつきたがらない、私の顔を作ったクソババアの家。チッ、いつ来ても変なにおいがしやがる。屋根裏で猫でも死んでんじゃねぇか?
「あんまり遅いから飛んだと思ったが、ちゃんと現れたのう。感心じゃ」
「そんなことはしない。これ、余分に払っとくぜ」
「ヒッヒッヒ、そうかいそうかい。今の人気じゃあすぐに返せそうじゃのう」
「チッ、自分の要求した値段を忘れたのかよボケババ――う……」
強がったところで空腹には勝てない。派手に鳴いた腹の虫の音にババアが笑う。
「なんじゃ、飯を食ってないくせに余分に払ったのか。かっこつけすぎじゃろう」
「う、うるせぇよ。食う前に来ただけだ」
「そうかい。ならスープはいらんかのう? せっかく作っといてやったんじゃが」
「う……」
仕方ない、ごちそうになろう。
「うめぇじゃねぇかクソババア」
「クソババアはないじゃろ、せめてオババと呼べ」
具、多いな……。なんでこんな飯食えるやつがスラムに住んでやがるんだ。
「うるせぇよ」
「オババと呼ぶなら借金から二割引きじゃ」
「わかったぜ……オババ」
こいつ、金で私を遊んでいやがるな。まぁ、後払いを頼み込んだのは私だし仕方ないか。
「ヒッヒッヒ、おぬしのそういうところ嫌いじゃないぞい。人気を得るためにぶりっ子するところものう」
腹が立たないのは、スープがうますぎるせいだ。
「おかわりはいるか?」
「ほしい……」
「ん?」
「ほしい……」
「ん?」
「ほしい……」
「んんんん? 儂はオババじゃから耳が遠くてのう」
なんなんだよ!
「オババと呼べ」
「チッ……オババ、おかわり」
「そうじゃそうじゃ。試合に出とる時ほどじゃないが、今日のおぬしもなかなか可愛いぞい。ヒッヒッヒ、あとでそのくっさい服も洗ってやろうか。どうせおまえのことじゃ、借金あるからって最低限の買い物しかしとらんのじゃろう」
「そろそろ黙ってほしいぜ」
このスープ、肉入ってるじゃねぇか。




