第四章十三話
「オルトリーヴァ」
その言葉に、地面にうずくまっていたオルトリーヴァが顔を上げる。近づいてくる大西の顔を見て、彼女は慌てて立ち上がり後ずさった。
「オ、オオニシ……、来ないでくれ、オルトリーヴァは……」
そんなことを言った瞬間、大西が走った。オルトリーヴァに猛スピードで肉薄するや胸ぐらをつかみあげ、豪快に投げ飛ばす。
「わあああっ!?」
さしものオルトリーヴァもこれは予想外だったようで、受け身も取らずに地面を転がる。捨てられた子犬のような表情で大西を見上げるオルトリーヴァだったが、彼は珍しく挑戦的な笑みを浮かべてファイテングポーズを取った。
「暴力的対話はドラゴンの専売特許じゃないんだよ。さあ、来い」
その言葉を聞いてオルトリーヴァの頬がさっと赤くなった。弾けるように立ち上がり、拳を構えて突進した。
「うわあああっ!」
放たれた鋭い拳打を、大西は左手で弾く。それと同時に右アッパーを鳩尾へ。重い打撃音と共に、オルトリーヴァが呻く。
「拳が浅いよ。君のパンチは本来、もっと早くて重いはずだ」
「うっ……」
歯を食いしばりながら唸るオルトリーヴァ。あんなことがあった直後だ。大西を傷つけるような行為をするのは怖かった。なのに、自分の胸には熱い衝動が沸き上がってくる。大西と戦えと、本能が叫んでいるのを感じていた。だが、それに身を任すわけにはいかない。そんなことをすれば、今度こそ取り返しのつかないことになる。
「自分の力を恐れるというのは、大切なことだと思う。でもね、それは相手次第だ」
蛇のような動きで貫手をオルトリーヴァの喉元へ放つ。身をよじってそれを回避する彼女だが、その攻撃はあくまでフェイント。本命のストレート・パンチを顔面に突きたてた。錐もみしながら吹っ飛んでいくオルトリーヴァ。大西はそれを追う。
「ぐっ!」
今度は受け身をしっかり取り、すぐに起き上がろうとしたオルトリーヴァだったが、しかし大西はそれを許さない。躊躇なくその大きな肢体に組みつき、関節を極める。
「今、この状態なら君が全力を出したところで僕の方が強い。委縮する必要なんかないんだよ」
「ウッ!ぐぐっ……」
なんとか逃れようとするオルトリーヴァだが、ここまで来て相手を逃す大西ではない。完全に関節をロックし、締め上げていく。オルトリーヴァが嬉しい悲鳴を上げた。
「それとね、オルトリーヴァ。一つ言っておく」
「な、なんだ」
耳元でささやくような声を出され、顔を真っ赤にしながらドラゴン娘は聞き返す。
「僕はね、同じ相手に三回負けたことは無い。次にドラゴン状態の君と戦ったとして、負けるのは君の方だ」
「なっ……!」
予想だにしない発言だった。抵抗をやめ、オルトリーヴァは凍りついたように動きを止める。
「人は成長するものだ。相手がわかれば対策も立てられる。実戦を重ねればなおさらだ。今度はこんなに簡単にやられたりし、むしろねじ伏せてみせる。だから……」
大西は優しい声でそう言い、関節技を解いた。そのまま、彼女を背中からぎゅっと抱きしめる。
「オルトリーヴァ。君とはこれからも何度だって戦うし、何度だって生き残って見せる。そうやって戦っているうちに、君も自分との向き合い方が見えてくるはずだ。そうすれば、この悩みだって過去のものになるはずだよ」
その言葉に、オルトリーヴァはぎゅっと身体に回された大西の手を握った。そしてぼろぼろとこぼれ始めた涙をぬぐうこともせず、湿った声で言う。
「ありがとう……ありがとう。恥ずかしい話だが、こんなことをしでかしたのに……それでもオルトリーヴァはオオニシと共に生きていきたい。オルトリーヴァは、ワガママだ。だが、それでもいいと言ってくれるんだな」
「そうだよ、もちろん」
「わかった……。頑張る。頑張るよ。絶対に……君と生きていけるように。そのためなら、ドラゴンとしての自分だってねじ伏せてみせるよ……」
「応援するよ。全力で」
にっこりと笑い、大西は腰を上げる。そしてオルトリーヴァに手を差し伸べる。彼女は何度も頷き、その手を取って立ち上がった。
「前を向いて歩きつづければ、きっと望む地平にたどり着けるはずだ。僕はそう信じている」
「そうだな、きっと」
立ち上がって尚つないだままの手に優しく力を込めるオルトリーヴァ。この手の中の温かさが、自分の導いてくれる気がした。いつの間にか、強張っていた彼はずの女の頬は緩んでいた。
「良い雰囲気のところ失礼しますが」
そんな彼女らに、ヌイが半目になりながら低い声で言う。
「私もいることをお忘れなく。ええ」
そのまま彼女は、大西の空いている方の手を握った。オルトリーヴァの方を見て、挑発的な笑みを浮かべる。
「ドラゴンと言えど、譲るつもりははありませんからね。私は」
その言葉に、オルトリーヴァはうっとたじろいで手を放した。そのまま頭を下げる。
「す、すまない。独り占めはしない……」
好きな男のこととはいえ、ヌイは散々世話に成った相手であり、オルトリーヴァとしては姉のように思っていた。取られるならともかく、共有くらいなら……という心情だった。まして今は大迷惑をかけた直後だ。理性を取り戻した今となっては、とても強気には出られない。
「いや、まあ、はい。わかれば結構」
そしてヌイとしても、こうも殊勝な態度を取られると責める気をくじかれる。ばつの悪そうな顔をして、こちらも手を放した。
「はいはい、仲直りは終了ね。じゃあ、さっさと本題に入りましょう? 一件落着みたいな顔をしているけれど、事態は全然改善してないのよ? わかってるの、あなたたち」
微妙な空気を切り裂くようにして放たれたハリエットの言葉に、ヌイとオルトリーヴァが思わず口を開く。
「そうそう、肝心要の二体目の魔神は健在だぜ? はやいとこ対策を考えよう」
便乗するスフレに、大西たちは頷いた。あの巨大な魔神はオルトリーヴァと戦っている間に見えないほど遠くまで移動してしまっていた。目指している場所はおそらく人里だろう。早く何とかしなければ、とんでもない被害が出かねない。




