第四章十一話
二人の戦いが終わったことは、ヌイら三人も確認していた。足の遅い二人を両脇に抱え、ヌイが森の中を疾走する。
「どうなった!?」
「わかりませんよ! とにかく、戦うのはやめたみたいですが……」
焦燥のにじむ表情でスフレに応えるヌイ。見通しの悪い森の中だ。どういう状態になっているのかは音で推論するほかない。
「もう少しです。ハリエットさんは治癒魔法の準備を」
「……もちろん」
腰のベルトに差したハンドベルに手を当てつつ、ハリエットが答えた。とはいえ、治癒魔法はどんな怪我でも一瞬で直せるような万能なものではないし、そもそも既に大西たちが死んでいれば何の意味もなさない。脳裏を嫌な想像がよぎり、彼女は頭を振った。
数分もしないうちに、三人は目的地の広場にたどり着いた。まず目に飛び込んできたのは、大樹の根元でのびているドラゴンだ。見たところ、外傷は無い。ヌイが眉を顰め、周囲を見回した。反対方向で倒れている大西を発見する。
「オオニシ!」
「降ろしてくれ、ボクはあの色ボケを見てくる。キミたちはオオニシを」
「分かりました!」
地面に自分の足で降り立つスフレ。一瞬よろけたが、足に力を入れて駆け出す。目指すはオルトリーヴァ。走りながら懐から青い宝石を取り出した。
「そのまま伸びてろよ……!」
もし目覚めでもされたら対処のしようがない。パーティーはそのまま全滅するだろう。幸いにも、オルトリーヴァはピクリとも動くことはなかった。彼女のすぐ前まで近づくと、スフレは鋭い目つきでオルトリーヴァの全身を見回す。
「こいつもこいつだがオオニシも大概だな」
オルトリーヴァの身体に傷らしいものは無い。唯一、頭部だけに損傷があった。真っ黒いうろこが剥がれ、角が折れている。この一撃だけで彼女はダウンしたに違いない。とはいえ、呼吸はしているようだ。たんに目を回しているだけだろう。
「用意しとくもんだな、まったく」
ため息をつきながら持っていた青い宝石をオルトリーヴァの額に押し当て、魔力を流し込む。宝石は激しい光を放つと、そのまま砕けて砂と化した。
これは精神汚染を浄化するマジック・アイテムだ。使い捨てだが効果は抜群。そもそもこの手のアイテムが魔神の精神操作能力に対して有効なのは、スフレが身を以て実証していた。
「よーしよし! さっさと起きろ!」
そのままポケットから小瓶を取出し、栓を抜くと中身をオルトリーヴァの乱杭歯の並んだ口へと流し込んだ。
それと同時に、とんでもない咆哮がその口から発される。
『まっず! 辛、苦、酸っぱ!? んんんんん!!』
精神波も一緒だ。口調から見て正気に戻っているようだ。
「起きろ! さっさと人化だ、早く!」
『ス、スフレか? わかった』
飛び起きたオルトリーヴァは頷き、そのまま人間の姿に変化した。ロングコートを纏ったいつもの彼女が現れる。額に大きなたんこぶが出来ている以外はいたって元気そうな様子だ。
「何があった? 妙に記憶が……ふわふわして、妙に幸せな感じが」
「あー、事故だ。故意のな。とにかく、冷静になれたみたいで何より。これをやるから、絶対に手放すなよ」
そう言ってスフレが取り出したのは、小さな護符だ。制動を思わせる色合いで、中心に青い宝珠が嵌まっている。
「あ、ああ。わかった。それで、何がどうなってるんだ。教えてくれ」
「ん」
スフレが指差した先に居るのは、地面に横たわった大西の姿だ。かなり遠いが、彼女の視力であれば彼が尋常ではない大怪我を負っていることまではっきり目視することができる。
「なっ……!」
その姿を見て、オルトリーヴァの心臓が跳ねた。いまだに自らの胸に残る甘い感覚と、それに反比例するような愛しい相手の姿。これで察しがつかないほどオルトリーヴァは鈍くは無い。紅潮していた頬がさっと青くなり、意識するより早く脚が地面を蹴った。
「……とりあえずこっちは良し。だけど、問題は向こうか」
ため息をつきつつ、スフレも彼女に続く。
「これは……かなり不味いかも」
一方のヌイたち。地面に横たわったままの大西を見ながら、ハリエットが歯噛みした。彼の右腕は完全に砕け、スクラップのような状態になっている。それだけではない。全身骨折と全身打撲のミックスだ。致命傷と言って差し支えないほどの傷を負っている。当然意識など無い。
「こんな重傷患者に治癒魔法を使ったら、むしろとどめを刺すことになりかねないわ」
治癒魔法は患者自身の生命力を使って傷を癒す技術だ。重傷者を無理に治そうとすれば、逆に生命力を使い果たして患者は死んでしまう。
「そんな」
眉を顰め、ヌイが大西の頬に手を伸ばす。まだ、温かい。しかし呼吸は浅く、乱れていた。怪我の多い男だが、ここまでひどいのは初めてだ。オルトリーヴァと初めて出会った時よりなお酷い。
「そんな……」
歯を食いしばり、ヌイは目元に浮かんだ涙を乱暴な手つきで拭った。なんとか応急手当でもしたいところだが、どうすればいいのか見当もつかない。今は下手に動かすだけで危険そうだ。
「オ、オオニシ! 大丈夫か!?」
正気を取り戻したオルトリーヴァが大声を上げながら走り寄ってくる。その声に振り向いたヌイはぐっと拳を握ったが、その涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見て首を振った。だいたい、いま彼女に罵声や暴力を浴びせたところで大西の傷が治るわけでもない。
「大丈夫ではないですね」
「うっ、うっ……すま、すまない。ごめんなさい。オルトリーヴァが……ううっ」
ヌイに見向きもせず、湿った声を上げるオルトリーヴァ。意識して無視しているのではなく、ほかに意識を向ける余裕がないようだ。
「はいはいはい、とりあえずどいてくれ。このスフレさんがなんとかしてやる」
そんな彼女の背中を叩いたのは、スフレだった。彼女はにやと口角を引き上げると、懐から茶色の小瓶を取り出した。
「とっておきのヤツだ。こんなこともあろうかと用意してたんだ、ほめてくれていいぜ?」
「なんですか、それ」
「エクリサー」
いうなり、彼女はその小瓶の中身を口に含み、ツカツカと大西の隣に歩み寄るとその唇に自らの唇を押し当てた。そのまま口の中身を流し込む。
「なっ……!」
いきなりの所業に三人が凍り付く。スフレはすぐにすぐに顔を上げたが、その頬は真っ赤になっていた。
「医療行為だ! おいヒーラー、こんどこそ治癒魔法だ。エクリサーに即効性は無いが、生命力は不必要なほどチャージできる! いまなら問題なく回復させられるはずだ」
「わ、わかったわ」
あわててハリエットが頷き、こほんと咳払いをするとハンドベルを構えた。
「ええと、いと貴き光明の神よ……」
精神集中のためにもごもごとちいさく祝詞を口ずさみつつベルを鳴らす。音のリズムにあわせるように光の粒子がベルの周りに現れ、やがて巨大な閃光となって弾けた。
「大治癒!」
澄んだ声が放たれると同時に、大西の肉体に変化が現れた。傷があっという間に塞がり、奇妙な方向に曲がって折れた腕がみるみるうちに正常に戻っていく。三十秒もしないうちに、大西の肉体は元通りになった。
「よーしよし」
彼の口元に手を当て、その呼吸が正常であることを確かめたスフレが頷く。それを見たヌイの肩からふっと力が抜け、オルトリーヴァがへなへなと地面に座り込んだ。




