第四章七話
「退け、退けッ!」
ずいと前に出ながら、フランが叫んだ。もともと魔神とは一騎打ちの予定だ。大西たちの存在意義は最初から露払いと退路の確保のみ。目標と接敵できた以上、これ以上戦場に留まられて消耗されるほうが困る。
無論、それは大西たち一行もよく理解している。無数の妖魔の氷像をかき分け、後退していく彼らに目をやることもなく、フランキスカは魔神を睨みつけた。
「サーベルタイガー型……ふん、獣王の欠片か」
小さく息を吐く。魔神とは何度も戦った経験があるが、そのどれもが油断ならぬ強敵であった。かつて世界を滅ぼしかけた存在の残滓だけあって、単独で国一つを落としうる戦力を有している。
魔神は、その長剣めいた牙を震わせながら小さく唸る。その目には、凶悪な殺意と共に深い知性の色がある。冷静にフランたちの戦力を見極める目つきだ。背を向けて走る大西たちを一瞥する魔神だったが、結局すぐに視線をフランキスカに戻した。魔神としても、この真紅の武人を放置するわけにはいかない。個々で殺すと言う意思がはっきり見て取れた。
「ふっ……!」
魔神が、音もなく凄まじいスピードで飛びかかってきた。進路上にある凍りついた妖魔たちが砕け、バラバラになる。障害物があると言うのに、その動きはいささかも鈍るということが無かった。
凡百の冒険者ならば視認すらできずにそのまま首を落とされるであろう一撃を、フランは刀の峰で弾き飛ばした。薄暗い森の中を、鮮やかな火花が照らす。
「むぅ」
初撃は防げた。しかし、フランキスカは自らが一歩下がっていることに気付き眉を顰める。
「重いな……!」
だが、と刀を構えなおす。強敵ではある。しかし負けてやる気など毛頭ない。続く第二撃を刀でいなす。パワー負けすると言うのなら、正面から受け止めなければいいだけだ。
一方、攻撃を防がれた魔神もただやみくもに攻め続けるような真似はしない。強靭な四肢で地面を捉えて急減速し、フランキスカの次の行動を計るように睨みつけた。
「ふん、獣風情が」
戦いの途中で足を止めるなど、挑発以外の何物でもない。フランは唸ったが、やられっぱなしというのも性に合わない。今度は自分の手番だとばかりに魔神に肉薄する。
刃と牙がぶつかり合う高音が響いた。フランキスカの袈裟がけの一撃は、容易に防がれる。攻撃を弾かれた余波で流される体を抑えつつ、ブーツでぐっと地面を踏みしめる。スフレの魔法のせいで、とにかく足が滑りやすい。戦いにくいことこの上なかった。
「ちぃッ!」
しかしそれはあくまでフラン側の話。特大の爪がついた四肢をもつ魔神にとっては、この程度の凍結など大した問題ではない。フランキスカがわずかな体勢の崩れを直している隙に、猛烈な速度で反転してその巨大な前足を剣のように振りぬいてきた。
「ぐっ……!」
ギリギリのタイミングでそれを回避する。名刀めいて鋭い爪が空を切り、深紅の髪が数本宙を舞った。
「こ……のぉッ!」
すぐさま二の太刀がくる。だが、その前にフランキスカは一歩前に出た。刀の間合いですらない極至近距離。そこから放たれたのは、大西の物と遜色のない強烈なストレート・パンチだ!
顔面に砲弾めいた拳を食らった魔神は空中で三回転しながらも見事に着地し重苦しい唸り声を上げた。その目がギラリと光る。怒り……ではない。そこにあるのは喜悦の光だ。いささかのダメージも感じさせない速さで反撃に出る。
「奮い立つか? ふん、まったく嫌になる……ッ!」
疾風のような牙の一撃を回避、お返しとばかりに振るった刀は爪によって弾き飛ばされた。青い火花が弾けるのと同時に、再び突き出された牙をサイドステップで避ける。
刀をくるりと回し、肩ごしに構えた。一歩前に出て、刺突を繰り出す。音速を超えたその一撃を、魔神は牙で正面から受け止めた。重量物同士がぶつかったような重苦しい衝撃波が凍えた森を揺らす。
自身の攻撃の反動によって吹き飛ばされたフランキスカはなんとか着地し、ビリビリと痺れる腕で刀を構えなおした。両者の質量差は歴然だ。数百キロはあるであろう魔神の身体に全力の一撃を弾かれればこうもなる。
「ぐぅッ……!」
魔神にしても、その隙を逃すほど甘い手合いではない。猛烈な勢いで放たれる袈裟懸けの爪の一撃を刀で受け流しながらバックステップし、かろうじて避けた。更に追撃せんと地面を離れた魔神の左前脚を、黒い脚甲に包まれた足による蹴りが阻む。無理な体勢から放たれたキック程度で痛痒を感じる相手ではないだろうが、一瞬の時間稼ぎ程度にはなる。耐性がわずかに崩れた隙を突き、全力の横凪の一撃を放つ。
魔神はこれをなんとか牙で受け止めたが、さしもの魔神も牙を人間の扱う刀剣のように器用に操れるわけではない。その猛烈な一撃を受け流し切ることはかなわず、刃こそ防げたものの受けた衝撃は魔神の巨躯を揺るがすには十分なモノであった。
「ちぇすとォッ!」
好機! フランキスカは渾身の力を込めた大上段からの面を放った。しかし
「グワーッ!」
悲鳴を上げる羽目になったのはフランの方だった。魔神の体当たりに吹き飛ばされたのだ。巨木や氷柱を砕きながら数十メートルは吹き飛ばされたフランキスカは土ぼこりを上げながら止まり、そして跳ね起きる。
「抜かった!」
鉄臭い唾を吐き出すと同時に、砲弾のような速度で襲い掛かってきた魔神を迎撃する。なんとか牙の一撃を防いだフランだったが、その額には冷や汗が浮かんでいた。この魔神は想定以上の相手だ。とても短期決戦で終わらせるのは無理そうだ。
「まいったな……」




