第一章八話
「そういえば」
大西の対面に座った赤髪の美女が、はっとした様子でそんなことを言った。二人は今、あまり広いとはいえな大衆食堂の隅のテーブルで向い合せに座っていた。この食堂は夜は酒場として営業しているらしく、周囲にはすでに出来上がった様子の職人や冒険者たちの姿があった。
「すっかり名乗るのが遅くなってしまったな。余はエルトワール大公、フランキスカ・ルード・エルトワールである! 親しみを込めてフランと呼ぶが良い。特別に許す」
「エルトワール大公のフランさんですか。僕はオオニシです」
エルトワールとは何なのか。大公って偉い役職なのではないか。そういう疑問をおくびにも出さず、大西は柔らかい笑みを浮かべたまま流暢に答えた。その反応を見て、フランはふむと小さく首をかしげた。
「なるほど。貴様、ニホンからこちらへきて日が浅いと見える。そうであろう?」
「ええ、まあ」
出会った時の言葉もそうだが、この女性は日本について知っているようだ。そもそも、明らかに日本刀らしき刀剣を持っているのだから、疑いようもないだろう。まれびとなどと言う言葉が出来ているくらいなのだから、日本人がこちらの世界に紛れ込むのはままある事態なのかもしれない。そんなことを考えながら、ちらりとカウンター席の向こうの厨房に目をやる大西。注文は既にしてある。料理が待ち遠しいのだ。
「まだ数日、というところですね」
「数日であの馴染みようか」
呆れたような笑みを浮かべるフラン。
「こういうの、慣れてるので。それより、日本のことをご存じとなると、その刀はやはり?」
逆に聞き返す大西。かれが見た限り、あの刀は江戸や戦国の昔に打たれたものではなく、ごく最近製作された品だった。そして彼女の発言から、あれを作った刀鍛冶はこちらで暮らしているのではないだろうかと予想したのである。
「うむ」
そしてその予想は、間違いではなかったようだ。上機嫌な様子で頷くと、フランは腰に差した刀の柄を優しく撫でた。
「余の郷里に住まうニホン人が打ったものだ。その者とは長い付き合い故、貴様を見たときにピンときてな」
「ははぁ、なるほど」
日本人の知り合いが居るなら、たしかにすぐわかることだろう。こちらはたまに目にするドワーフやら獣人やらも含めて大半が白人めいた特徴をもった人々ばかりだ。黄色人種など、一人も見たことが無い。僕が中国人だったとしても、日本人かと聞かれたのではないか、などという意味のない事まで考えてしまう大西。
「刀はこちらの剣に比べて軽く、それでいて切れ味は比較にならないほど優れている。で、あるので愛用しているのだが、なにぶんメンテナンスが煩雑でな。市井の鍛冶屋には、なかなか任せられぬのだ」
「でしょうね」
なにしろ、こちらの刀剣は柄も鍔も一体型の省力仕様が一般的だ。無論日本刀のように戦闘中に目釘が飛んで柄が分解するだなどということが起こらないことを考えれば、どちらが優れているとは一概には言えないだろう。しかし、そういった剣になれている鍛冶屋では扱いきれないというのは、確かにその通りかもしれない。
「なにぶん、余は不器用でな。最低限のことしかできぬのだ。いや、本当に助かった、ありがとう」
「代金は貰いましたよ、それ以上にお礼なんかいりません」
「貴様、随分と謙虚よな。いや、構わぬ。だが、近々もう一振りの方も頼むぞ? 次こそ、しっかり金子を用意しておくゆえ」
フランがそこまで言ったところで、ウェイトレスが酒を持ってきた。木製のジョッキに入れられた、冷えたエールである。ツマミらしきチーズと豚肉のジャーキーの入った皿をテーブルの真ん中にドンと置くと、そのまま忙しそうに去っていく。
「ん。どうだ、乾杯でもするか?」
「乾杯ですか?」
チーズに伸ばしかけた手をひっこめながら、大西が言う。
「じゃあ、しますか」
「うむ。では、そうだな……出会いを祝して」
ジョッキとジョッキがぶつかり合って、ガツンと乱暴な音がした。大西は控えめに突き出したのに、フランがかなり力を入れてぶつけてきたのだ。中身がこぼれたが、彼女は気にせず一気飲みである。
「……刀の件ですが、すこしお時間を頂くかもしれません。予定がちょっと立て辛い状況でして」
「ほう」
泡で出来た髭をぬぐいながら、フランが片眉を上げた。
「面倒事の類か?」
「いえいえ、まったく。研ぎ師は本命までの繋ぎでして」
「本命とな。……さては冒険者と見た。違うか?」
ぴたりと言い当てられて、大西は口にチーズを運んでいた手を止めてまじまじとフランを見た。彼女は得意満面の笑顔で、その豊満な胸をずんと張っている。
「ええ、そうです。ばれましたか」
「うむ。刀を研いでいる最中も、時折通りがかりの冒険者を見ていただろう。客を見る目ではなかったな、あれは。観察が目的とみた」
「ご名答で。凄まじい観察眼ですね。まったく、武人と言うのは凄まじい」
これはお世辞ではなく、本音だ。刀身の損耗具合から、使い手の力量をある程度は予想することができる。おそらく、この長身の美女は凄まじい達人であろう。そういう確信があった。
「ふん、エルトワール人を脳筋だなんだと中傷する輩がいるが、少なくとも余は違……いや、なんでもない」
見事なまでの得意顔で語っていたフランであるが、すぐに顔をしかめて誤魔化すようにジャーキーを口に運んだ。
「店員! 酒のお代わりを!」
店中に響き渡るような大声で厨房に向かって言ったかと思うと、顔を大西の方に戻した。彼は口を湿らせる程度にエールを飲み、そして最後のチーズを口に放りこんだ。発酵チーズ特有の癖のある臭いが腔内に広がる。牛乳じゃないな、ヤギだよなあと、そんな取り留めのないことを考えていた。
「しかし、貴様、それはエールの呑み方ではないな。蒸留酒の方が合っているのでは?」
「なにを飲んでも美味いと感じるタイプの人間なんですよ。だったら安い方が得じゃあありませんか」
「そうか? うむ、無理強いはせんがな」
何と言っても、払いは大西持ちである。で、ある以上フランとしてもあまり強く勧めるわけにもいかず、彼女はすぐに引き下った。
「しかし、貴様が冒険者か。ふふん」
「向いていないとお思いで?」
半ばそう言われるのを予想しているような顔で、大西が聞いた。実際、大西は中肉中背。顔つきの凡庸で、地味だ。大店の隅っこで掃除しているくらいがお似合いの風情で、荒事に関わるような人間にはさっぱり見えないだろう。
「まさか」
だが、そんな大西をフランは笑い飛ばして見せた。冗談はよせ、という顔である。実に愉快そうな笑みを浮かべていた。
「やりたいなら、やればいい。余は応援してやる」
「ほほう」
予想外の言葉に、大西が驚く。しかし、この人らしい言葉だと、出会って一日も経過していないというのに思ってしまう。彼女の尊大なのに人懐っこい、不思議な雰囲気がそう思わせたのかもしれない。
「お待たせしました」
ウェイトレスが料理を持ってきた。サラダ、ふかしたジャガイモ、そしてラムステーキ。テーブルの上に、次々と料理が並んでいく。ウェイトレスは持っていた馬鹿でかいお盆の上の物を全てテーブルに乗せ終わると、会釈をしながら去って行った。
「ジャガイモ?」
大皿に盛られている大量の茶色い芋を手に取って、大西がつぶやく。皮をむいて一緒についてきた塩を一つまみかけ、かじりつく。熱く、やわらかな風味が口の中に広がった。味と言い、匂いといい、ほくほくと崩れていく触感といい、まさしく大西が知るジャガイモそのままだった。
「ジャガイモだ。うーむ」
ジャガイモがヨーロッパに持ち込まれたのは大航海時代以後だ。学生時代の歴史の授業の内容をおぼろげに覚えていた大西は若干の違和感を覚えたが、しかしそもそもここはヨーロッパではなく異世界だ。細かいことを考えても仕方ないかもしれない。
「まあいいか」
気にせず残りを口の中に突っ込んだ。些細で答えの出ない疑問よりも、今は腹を満たすことの方が先決である。
「酒が足らんな……店員、酒精のきつい奴を持ってきてくれ。瓶でだぞ!」
それから、しばしの時間が経過していた。テーブルの上の料理はあらかた平らげられ、宴は食事から飲酒へとその目的をシフトさせていた。
「フランさん、あんまり高価いのは……」
「なに、気にするでない! 食事は奢ると言ったが、酒は奢るとはいっとらんではないか、貴様。なに、酒の分は余が出してやる、安心せよ!」
エール酒だけでずいぶんと出来上がった様子のフランキスカは、頬を上気させ上機嫌にそう言い放った。そして手元のエールが入った陶器製のビンを口につけ、ラッパ飲みする。随分と豪快な女だった。
「いや、あのぉ……」
対する大西はほとんどシラフである。飲みニケーションなどという言葉が生まれるような日本社会で社会人経験のある彼は、あまり酔わないような飲み方を心得ている。まさかほぼ初対面の相手の前で前後不覚になるわけにはいかないのである。
そう言うことで、今だ冷静な思考を保っている大西の心配事と言えば、無論フランキスカの懐具合である。財布の中に岩塩が入っているような相手だ。いくら奢るなどと言われても、信用できるはずがない。
「なぁに、大丈夫だ。金そのものはなくとも金目のものは持っている。それで払えばいいだけの話よ。なっ!」
懐から赤い宝石の嵌まったブローチをちらりと出して見せ、大西の肩を乱暴に叩いた。良い笑顔を浮かべている顔の下では、豊満な胸がゆさゆさと揺れていた。
とはいえ、大西の視線はそちらではなく、ブローチの方に向けられていたので、眼福というわけでもなかった。彼が見る限りそれはおもちゃの類ではなく、本物のようだ。たしかにあれならば、一晩飲み明かすくらいの代金なら余裕で賄えそうだった。
「こんなこともあろうかといくつか懐に入れておいた! さすが余であるなッ!」
などと自画自賛してみせるフランキスカ。普通の人間なら、じゃあ財布の方をなんとかしろとつっこんでいたかもしれない。だが、大西は能天気なので「じゃあいいかぁ……」とまったく気にしない様子でさらに残っていたラムステーキの最後の切れ端を食べていた。
「いい呑みっぷりだぞ! ハーッハッハッハ!!」
それから更にしばらくの時間がたった。爆笑するフランの前には、ビールジョッキに瓶からそのまま注いだ蒸留酒……ウィスキーをあおる大西の姿があった。かなりの量が入っていたというのに、いっきにそれを飲みほし、ジョッキをテーブルに置く彼の目は、完全に据わっていた。
当初こそ適切なペースで呑んでいた大西だったが、だまし討ちのような形でフランキスカがウィスキーを飲ませたのが間違いの始まりだった。エールの薄いアルコールに油断していた大西は、生のままの強烈な酒精に脳みそをぶん殴られ、一瞬にしてペースを乱されてしまった。
タガが外れた彼をフランが面白がって次々と度数の高い酒を注いだものだから、事態は加速度的に悪化していく。
「他のことは、なんだって流せるんですよ。でもね、僕ぁあの女だけはどうしても嫌いでいることをやめられない……」
一時間も経過したころには、大西は完全に出来上がっていた。ウィスキーをコーラみたいにごくごく飲み干しながら、いつもの穏やかな表情からは想像もできないほど据わった目つきで虚空を睨んでいる。。
「そういう相手はな、ぶった切ればいいのだ! それがエルトワールの流儀だ!」
フランもフランで完全に酔っ払い状態だった。真っ赤な顔をして大西を煽りつつ、自らもエールのジョッキを完全に飲み干した。大西がやたらとハイペースで飲み始めたのに引っ張られて、彼女も完全に自分のペースというものを見失ってしまっているのだ。空になったジョッキを天に掲げ、叫ぶ。
「お代わりだ! じゃんじゃんもってこいじゃんじゃん!」
そんな調子だから、日付が変わるころには店の便所では並んで嘔吐する大西とフランキスカの姿があった。完全に飲みすぎである。しかしそれでも、アルコールで正常な判断力を失ってしまった二人には、撤退と言う選択肢はなかった。
「ハァ……ハァ……な、なあに、この程度、第八百七十七次防衛戦の時に比べれば……うっぷ」
「なんか気持ちが悪い気がする……」
結局、宴は朝日が昇ってくる寸前まで続いたという。酒は飲んでも飲まれるな、とはこのことだろう。