第四章四話
首都を早馬車で発つこと半日。宿場毎に馬を交代させると言う贅沢な方法を用いたおかげで、一行は早くも蒼き森に到着した。
「ここも、半年ぶりですか」
鬱蒼とした森の中を歩きつつ、ヌイが苦笑した。前回ここへ訪れた理由が理由だけに、まさか再訪する羽目になるとは思っていなかった表情だ。強行軍でさんざんに痛めつけられた尻を撫でつつ、続ける。
「相変わらず分かりにくい地形ですね。迷わないよう注意しなければ」
「大丈夫だ。森の中での行軍は得意中の得意ゆえな。エルトワール領も大半が森である。そこで鍛え上げられた余が迷う筈もなし」
「……逆に不安になりました」
コンパスを片手に一行を先導するフランキスカのあまりに自信満々な態度に、ヌイが頬を掻く。とはいえ森の中での移動が得意だと言うのは本当らしく、不確かな苔と木の根に覆われた不確かな足場であるにもかかわらずその足取りはしっかりしたものだ。頼りにしても大丈夫だろう。
「目的地まで約二日でしたか。予定通りたどり着けるといいけど」
熟睡するスフレを背中に背負った大西が言った。その腰には、先日拝領した長剣が下げられている。
「多少前後したところで、問題は無かろうがな……時間がたてばたつほど、体力も気力も削られる。あまり遅れるわけにはいかんな」
フランが手にしているコンパスは、方位磁針ではなく魔力計と呼ばれるマジック・アイテムの一種だ。これにより魔力の濃い場所……すなわち魔神の居場所を発見し、これを強襲するというのが今回の作戦だ。
事前調査により魔神は森の中心部に居ることが判明している。見通しの効かない森の中のことだから、行軍にしても平地のようにスムーズにはいかない。妖魔の襲撃も予想されているのだからなおさらだ。
「まったく、面倒だな。向こうから来てくれればいいものを」
不満めいた声を上げるオルトリーヴァ。足場が悪く景色もよろしくないこの森は、あまり歩いていて楽しくはないらしい。そうそうに飽きたような顔をしていた。
「そうだな、その方がありがたいのであるが……まあ敵がこちらの思惑通りに動いてくれる筈もなし」
「冗談はやめてください、大公閣下。魔神が人の領域まで出てくるなんて、考えたくもない」
そのような事態になれば、周辺の村落への被害は甚大なものになる。魔神は単体としても強力な上に、大量の妖魔をひきつれて行動するからだ。
「そうはいってもだ、戦は攻めるより守った方が圧倒的に楽なのだぞ。向こうからこちらに出向いてくれるとなれば、余が正面から敵陣を抜き、将の首を落とせばそれで済むのだが」
地の利がある土地であれば、アンブッシュの危険性が大きく減る。その上、罠を使えば足止めや雑魚の漸減などもやりやすい。フランとしてもあまり余計なリスクは背負いたくないから、攻めるよりは守る戦い方をしたかった。
とはいえ、それはあくまで戦士としての考え方だ。周辺住民からすればたまったものではなく、余計な被害が出ないうちに諸悪の根源を断ってしまった方がいいにきまっている。ヌイは苦虫をダース単位で噛み潰したような表情になった。
「結果として、こういう作戦になったわけですから。いまさらもしもを言っても仕方ないのでは?」
「うむ。ま、それも真理である」
大西の言葉にフランが頷いた。いまさら別のプランを考えてもまったく無意味だ。もちろん、失敗した場合のことを考えて二段目の作戦を用意をするというのは必要だろうが……それはあくまで王国の上層部が考えることだ。地位こそ高くとも戦闘力以外を期待されていないフランが口出しできることではない。
「そうだな、ちょうどいい。一応、作戦の最終確認をしておくぞ。作戦と言えるほど上等なものではないのは貴様らも知っているだろうが」
挑発的な笑みと共に、フランが胸を張る。重苦しい空気を晴らしたかったのだろう、その声は白々しさを感じるほど明るい。
「とりあえず魔力計に従い魔神に接近する。魔神の周りは異様な数の妖魔が布陣しているはずだから、これを正面突破。魔神を討ち、即撤退だ」
ほとんど押し込み強盗のような手口だ。たしかに作戦と言うにもおこがましいが、寡勢で大軍に挑む以上これ以外の手が無いのも事実だろう。
王国が本腰を入れて兵を動員すればすくなくとも数の上では対抗できるだけの戦力を確保できるだろうが、それではあまりにも一般兵の被害が大きくなりすぎてしまう。個人の戦闘力差が極めて高いこの世界では、この手の作戦は軍民問わずよくある話だった。
「貴様らの仕事は、行軍や休憩中の見張り、そして敵陣突破時の余の補佐である。さしもの余も、死角が皆無というわけではないからな」
「本当に僕たちが必要なのか、少し疑問ですが」
大西が首をかしげる。練兵所の鍛錬の際、彼は何度かフランと手合せした経験がある。そしてその結果は全戦全敗だ。功夫の達人である彼をしてまったく手も足も出ないのだから、その実力は尋常ではない。
「万一と言うこともある。本音を言えば、ほかにも何人か連れて来たいところだったのだ。とはいえ王都もガラ空きにはできん。王家の敵は妖魔だけではないからな……」
肩をすくめるフラン。その仕草に、ヌイが小さく息を吐いた。彼女はまだ、フランキスカが戦っている姿を見たことが無い。実力に関しても、半信半疑なところがあった。もちろん、雰囲気などで強者であることは彼女とてわかる。肝心なのは、それがどの程度の物であるか、だ。相手の実力を理解しないことには、連携も何もできたものではない。
「おお、その顔。余の実力を疑っておるな? ん?」
とはいえそんな彼女の疑問は、フランとしても理解ができる。だからこそ、彼女はニヤリと笑った。
「そういう訳では」
「いや、いや。構わぬとも。ちょうどいい、試し切りにはちょうどよさそうな輩が、近くにいるようだからな。見せてやるとも、余の実力を」
そのフランの言葉を裏付けるように、遠雷めいた重々しい足音が森に響いていた。




