第四章二話
「魔神、ですか」
あまり聞き馴染みのない言葉だ。冒険者ギルドで仕事を受け始めてそれなりの時間が経過しているが、そのような単語は聞いたためしがない。語感からして、あまり良い者ではなさそうだが……。
「そうか、そうだな。聞いたことが無いか」
小首をかしげる大西に、フランキスカは苦笑して見せる。口にしたがる者もあまりいない話題だ。まれびとの大西が知っているはずもない。
「ボクが説明しよう。その手のことは専門分野だからね」
続けて喋ろうとしたフランだったが、それを遮るようにしてスフレが前に出た。予想外の参戦にフランは一瞬鳩が豆鉄砲でも食らったような表情になったが、この怪人物がその実ひとかどの賢者であることは彼女も知っている。ならば任せようと頷いて見せた。
「魔神というのは、まあ名前からわかると思うが妖魔の一種だ。ただ、随分と特殊な存在でね。妖魔と言う存在そのものの根幹といってもいい連中だ」
「単なる超強力な妖魔、というわけではないと」
「そうだ」
彼女にしては珍しい重苦しい声でスフレが言う。そしてゆっくりと窓に歩み寄ると、空に目を向けた。
「昔……そう、数千年も前の太古の時代だ。この世界に、異界からの来訪者が現れた。こいつは今でも存在している。赤い月だ」
「満ち欠けもしないし変だなとは思ってたけど、そういう特殊存在だったのか」
そういえばオルトリーヴァと初めて会った剣でも、赤い月がどうこうという話をしていた。眉を顰めながら、大西は自らの頬を撫でた。
「赤い月はこの世界を掌握する為、地上に七体の手下を送り込んだ。源魔と呼ばれる、すべての妖魔のプロトタイプのような存在だ」
「なるほど」
数千年も昔の出来事と言うことは、ほとんど神話のようなものだろう。いったいどの程度信頼性のある話なのか大西には判断できなかった。だが、スフレは確証も取れていない話を言いふらすようなタイプではない。本当のことだと仮定して、大西は続きを促した。
「源魔は人族と激突し、大半が討ち取られた。だが、その遺骸が爆発四散し、世界各地に飛び散った。破片の落着した地域では瘴気が発生し、その中から妖魔が現れるようになったんだ」
「なんて厄介な」
たかだか七体程度の怪物から発生した妖魔が、ここまでの量になっているのだから驚きだ。王都周辺はまだしも、辺境へ行けば人間よりも妖魔の方が数が多いことすらよくある。
「ゴブリンだとかマッドドッグだとか、よく見る下級妖魔はこうして生まれた存在だ。源魔が部下として直接生み出した連中もいるが」
「龍とかな」
口を出したのはオルトリーヴァだ。その表情は、どこか自慢げに見える。
「そうそう。で、だ……肝心の魔神なんだが、砕け散った源魔の破片を、一般的にこう呼ぶ。オリジナルはとっくに死んでると言うのに、自由意志を持って動けるヤツも少なくないからな」
「なんというか、あまり喧嘩を売りたいタイプの手合いじゃなさそうだね」
「事実大抵クソ強いからな……休眠状態ならそのまま砕けばいいだけなんだが」
「それと戦いに行くと言う事ですか、フランさんが」
「そうだ」
豊満な胸を強調するように腕を組みつつ、フランが頷いた。その表情は自信満々だ。
「近頃、蒼の森で妖魔の活動が活発になっていてな。前々から疑われていたが、どうやら居るらしい」
「魔神が?」
「そう、魔神が」
フランは手をひらひらと振った。その様子を見て、ヌイが眉を顰めながらポツリとつぶやく。
「蒼の森、ですか」
「知ってるの?」
「ええ、貴方と出会った場所ですよ」
「ああ」
あそこかと大西は一人合点する。思い出してみれば、随分と騒がしい森だった。幸い無事に脱出することができたが、気配から推測するにかなり強力な手合いもいたように思う。
「話は承知いたしました。なぜフランキスカ様が魔神討伐を? わたくしの記憶が確かならば、魔神の対処は冒険者ギルドのトップランカーか、あるいは王国の騎士団が担当するはずですわ」
冒険者になってそうそう、とんでもない案件に首を突っ込まされてはたまらないのだろう。ハリエットがとんでもなく渋い表情で言った。
「うむ。確かに余の任務は王室守護。本来こういった案件は担当外なのだが……」
小さくため息をつき、フランは笑う。
「タイミングが悪かった。ギルドの上位陣が全員辺境に出張っているし、王立騎士団は国境で帝国軍とにらみ合いをしておる。結果、王都で魔神に対処可能な戦力は、余だけということになる」
「対処可能なんですか」
「可能だ。ハッキリ言うが、余は王国最強の戦士であるからな。当然、こういった機会もままある。魔神討伐もこれで五回目だ」
「ご、五回目」
ヌイがごくりと生唾を飲んだ。熟練の冒険者である彼女をしても、魔神との戦いなどと言うものは想像の埒外にある雲の上の出来事だ。魔神と言うのは単独で一国の軍隊を殲滅可能なほどの化物であり、それと何度も戦い、そして勝利するなど人間業とはとても思えない。
「安心せよ。貴様らに魔神と戦え、などという気はさらさらない。やってほしいのは露払いだ」
「はあ」
嫌そうに返事をしながら、ハリエットが目を逸らす。
「それは、その、エルトワールの騎士団の方々と共に往く、ということですの?」
「いや、この屋敷を空にするわけにはいかん。ガンダルフたちは残していく。あまり大勢で行ってもむしろ逆効果だからな、貴様らのパーティだけで十分であろう」
「ええ……」
まったく無茶な話だ。とはいえ先日の借りもあるから、真正面からは断り辛いハリエットだった。
「ま、確かに放置していい案件じゃないのは確かだ。王都はガラ空きなんだろう? 万一妖魔の軍勢がこっちに進撃して来たら、ただじゃ済まないぜ?」
「それはまあ、そうかもしれないけれど……オオニシ、あなたはどう思ってるの?」
不承不承、といった様子でハリエットは大西に話を振った。答えはだいたい予想できている表情だ。
「いい経験になるし、いいんじゃない?」
「……はあー」
額に手を当て、首を振るハリエット。相変わらずの軽さだ。もう、こればっかりは彼の性格だから仕方ないのだが……。
「皆は、どう思う?」
「ま、仕方ないな。ボクとしても近所に魔神なんていたら迷惑だ。さっさとあの世にお引き取り願いたいね」
自分も妖魔のくせして、妙に過激な発言をするスフレ。その言葉にもう一人の妖魔も続いた。
「オオニシが行くなら、行こう」
躊躇や葛藤などを感じさせない声のオルトリーヴァ。もっとも、妖魔と言っても龍はかなり特殊な立ち位置だ。ドラゴン族を生み出した源魔、龍祖ヴェルギウスはいまだに存命なため、龍の魔神が生まれることはない。その他の妖魔や魔神がどうなろうが、彼女の知ったことではなかった。
「そうですね、だれかがやる必要のあることです。私の力が御役に立つと言うのなら、喜んでお手伝いいたしましょう」
肩をすくめるヌイ。また大西が無茶をしでかしそうで悩ましいが、さりとて放置していい問題でもないのは確かだった。
「……もうっ! わかったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
全員行くとなれば、治癒魔法の使い手であるハリエットの有無で生存率が大きく変わってくるだろう。不承不承、彼女も頷くのだった。




