第三幕間二話
中天に輝く太陽が、静かな墓場をさんさんと照らしていた。遠い喧騒を聞き流しつつ、ハリエットは瞬きもせずに目を見開いている。
「……」
彼女の視線の先に居るのは、墓場の一角にある広場穏やかに佇む大西だ。彼は自作と思わしき木人を前にし、穏やかに拳を構える。日常のワンシーンのような、気負いのない動きだった。
「ふっ」
息を吐く。瞬間、凄まじい連打音が墓場の静寂を切り裂いた。パンチ、キック、そして腕や足を模したと思わしき木人から飛び出した棒を叩く音。それらが混然一体となった、きわめて暴力的な音だ。
眉を顰めながら、その動作をじいと見つめるハリエット。すぐ近くで見ているというのに、彼女の目には大西がどういった動きをしているのかさっぱり理解ができない。その動きがあまりにも早すぎるからだ。
「よし」
十分ほど木人と格闘したのち、大西が動きを止める。小さく息を吐いて、肩を回した。
「調子、よさそうね」
「良い感じですね」
拳を握ったり開いたりしながら、大西はにこやかに答える。それをみて、ハリエットが小さく笑みを浮かべた。そしてすぐに真顔に戻り、少し考え込んでから言う。
「ねえ、よかったら……わたくしにもソレ、教えてもらえないかしら」
「それ?」
「ケンポー、というのかしら。確か」
「ああ」
大西は目を逸らし、一寸考え込んだ。そして視線をハリエットに戻し、続ける。
「指導者の資格、持ってないんですよ。インストラクター資格がないと弟子はとっちゃいけないことになっているので……」
「そうなの?」
「ええ。中途半端な使い手による教導は危険ですしね」
「あなたが中途半端な使い手? 面白くない冗談ね」
「打合いが上手ければそれで善し、というわけではありませんから」
第一、大西の技はオリジナルに大幅なアレンジが加えられている。この状態で正統なインストラクターを名乗るのは無理だろうと大西は考えていた。
「しかしまた、どうして突然拳法を?」
「ちょっとね」
右手を開き、握りなおすハリエット。拳を撫でてから、小さく息を吐いた。
「この間、人生で初めて殴り合いのけんかをした訳じゃない?」
「はあ」
「痛かったし、苦しかったけど……なぜかすっきりしたの。目の前にぱっと、道が開けたみたいな……」
そういってハリエットは空を見上げた。早朝の空は、真夏らしい濃い青に染まっていた。
「だから、その先に進んでみたい。そう思ったの」
「なるほど」
大西からすれば、その言葉は意外なものだった。腕を組み、考え込む。護身のためだとか、そういった理由であればそのまま断るつもりだったのだが……。
「実際のところ」
しばしの沈黙の後、大西は口を開いた。ハリエットの双眸が彼に向けられる。
「拳で戦う技術を習得する時間があったら、それを良い武器を用意する時間に当てたほうが効率的なんですよ。功夫を十分に積んだ拳士よりも槍を持った素人のほうが強かったりするし」
身もふたもない話をすれば、武装の差を技術で埋めるのはとても難しい。大西がグリフィン騎士団相手に戦えたのは彼が達人級の腕前をもっていたことと、地形を上手く生かして立ち回ったからに他ならない。
「わかっているわ、そんなことは。貴方の真似がしたい訳ではないのよ?」
一朝一夕どころか、百年かかっても大西ほどの腕前まで上り詰めることができるとは、ハリエットもさらさら思ってはいなかった。
「もう少し効率的な体の動かし方を勉強したいだけ。前線にでて殴り合いがしたいだとか、そんなことは少しも考えていないわ。痛い思いなんかしたくないもの」
「そうでしたか。よかった」
そう言って柔らかく笑う大西。実際、拳法を習ったばかりの新人が調子に乗り、避けるべき危険に首を突っ込んで痛い目に合うのは良くある話だ。それは避けたい。
「それじゃあ、毎日の鍛錬を一緒にするというのはどうでしょう? インストラクションはできませんが、アドバイスくらいなら大丈夫でしょうし」
「それで十分よ。ありがとう、うれしいわ」
そういって笑ってから、ふいに表情を引き締め彼女は続けた。
「でも、あなたと全く同じトレーニングは無理よ」
「無理ですか」
「当たり前でしょう?」
「そうですか……」
実際のところ、大西はあまり重いトレーニングはしていない。今やっていたような一人で行う仮想トレーニングと、あとはランニングやウェイトトレーニングといった身体能力を落とさないための鍛錬くらいだ。冒険者をしている以上いつ実戦が起こるかわからない。いたずらに体力を消耗するような重いトレーニングは、むしろ避けるべきだというのが彼の考えだった。
とはいえそれはあくまで武芸者基準の話。運動不足の箱入り娘が同じトレーニングを行えば、全身筋肉痛でしばらくはベッドから離れられなくなるだろう。
「まあ、無理は逆効果ですから。マイペースに、自分に合った負荷でやるのが一番ですよ」
「そうね。そうさせていただくわ」
そうはいっても運動不足の人間がいきなり本格的に体を動かせばどうなるか……それはまともな運動経験のない今の彼女では想像しえないことだ。至極気楽そうに、ハリエットは頷いた。
「おおい、朝食が出来たぞ」
そこでスフレの声が二人の会話を遮った。見れば、テントの近くでいつものマスク姿の彼女が手を振っている。今日はヌイが朝食を作ると言うので、大西は邪魔にならない場所で新しく作った木人の使い勝手を確かめていたのだ。
「今いくよ」
涼しい顔で大西は頷き、歩きはじめる。ハリエットは何とも言えない表情でスフレの方を見ていたが、やがて彼の背中に続いた。
「美味しいね。これ、なんという豆なの?」
木椀に入った黄色い豆をフォークでつつきつつ、大西が聞いた。今日の朝食は、固めの無発酵パンと豆のスープというシンプルなモノだ。
「エードです。水気の少ない土地でも育つので、故郷に居た頃は毎日食べていましたよ。王国の市場では滅多に出回りませんが……」
そういって、ヌイは目を細めながらスプーンで椀の中身をかき混ぜる。
「あのころはもう食べたくないなんて思っていたのに、久しぶりに食べると妙においしく感じますね。不思議なものです」
「面白いね、そういう感覚。郷愁、というのが近いのかな……」
根っからの根無し草メンタルである大西には理解できない感覚ではあるが、それでも彼は楽しそうに笑う。
和気藹々と朝食を楽しんでいる者がいる一方、重苦しい空気に包まれている二人もいた。スフレとハリエットだ。パンを小さく毟ってマスクの下の口へと運ぶスフレをちらちらと見ながら、ハリエットが重苦しい声で言う。
「それ、外したら? もう隠す意味はないんじゃないかしら」
「い、いや、いくら人気が無いと言ってもだ、さすがにフルオープンはよろしくないだろ」
「そ」
渋い顔のハリエットが頷く。そしてスープを飲みほし、鍋からお代わりを掬いいれてから、若干引き攣った笑みを浮かべてテントの方を指差した。
「じゃ、あっちで食べましょう。わたくしも一緒に行くから」
「サシでか!?」
地面に腰を下ろしたまま後ずさりしつつ、掠れた声を出すスフレ。昨日からずっとこの調子で、さしものスフレも困惑気味だった。どうも必要以上におびえてしまったことを彼女なりに反省しての行動らしい。思った以上にいいヤツだったんだなあと思う反面、無理にグイグイこられても困ってしまうスフレだった。
「無理しなくていいからな。ボクはこれで慣れてるんだ、気にするなよ」
「う、いや、無理なんて」
「冷や汗出てるぞ」
深いため息をつきつつ、スフレは肩をすくめる。とはいえ、露骨におびえられたり糾弾されたりするよりはよほど有難い。マスクの下の彼女の表情は、少しだが緩んでいた。
「これは……。オルトリーヴァは知っているぞ、怪我の功名と言う奴だな?」
「おい、なんでドヤ顔してるんだ。何度もあんなミスされちゃ困るぞ馬鹿ドラゴン」
腕を組んで鼻息を荒くするオルトリーヴァに、スフレはそう突っ込むのだった。




