第三章二十四話
王都の夜は、いつでも賑やかだ。しかし今夜はいつにもまして特別に騒がしい。精霊歳。秋季の豊穣を願い先祖を供養する、いわゆるお盆的なこの世界における極めてポピュラーなお祭りの日が今日だった。
「まさか、本当にあなたたちとお祭りに行く羽目になるなんてね」
通りを歩くハリエットが、飽きれたような口調で言った。先日の血みどろな姿から一転、今は簡素な白ワンピースに身を包みこぎれいな格好をしている。もっとも、あちこちにある傷の手当てをした跡は隠しようがないが。
「不満か?」
浅葱色の涼やかな浴衣姿のオルトリーヴァが。当然この国には浴衣など存在しないから、周囲の注目はそれなり以上に集めている。とはいえ彼女自身まず見ないような美形であることから、その視線は決して拒否感のあるものではない。もっとも、高い身長と薄い胸のせいか、彼女に熱っぽい視線を向けているのは男性より女性の方が多かった。
「いいえ、むしろ感謝しているわ。予想外過ぎる状況に困惑しているだけ」
ハリエットが肩をすくめた。その顔には、何ともいえない笑みが浮かんでいる。
「こんなにアッサリ外に出られるなんてね」
彼女がこうして街に繰り出せているのは、スイフトが驚くほど簡単に許可をだしたからだったからだった。あの事件の後の夜、スイフトは驚くほど簡単に大西たちの冒険への同行を許した。十年近くにわたり、ハリエットは屋敷の地下に監禁されていたのだ。この判断には彼女自身が一番驚いていた。
もっとも、ハリエットにはあずかり知らぬことだが、彼女の監禁の指示を出したのは先代の当主オーエンであり、スイフトとしては承服しかねる判断だった。そのオーエンが死に、なおかつスイフトに不満のあるエーカー家内部の人間はシェリルのクーデターによってあぶりだされ容易に粛正できる状況となった今、ハリエットを自由の身にするというのは決して無理なことではなかった。彼としては、あまり娘を貴族同士のごたごたに巻き込みたくないのだ。むしろ手元から離していた方が安全ですらある。
「万事うまくいって良かったよ。運が良かった」
「運? そうね、確かにそうかも」
ハリエット以上に傷だらけ包帯だらけの大西が言った。彼は浴衣ではなく普段着の亜麻のシャツを着ている。
「貴方たちに出会えたことが、たぶんわたくしの生涯最大の幸運ではないかしら」
そうでなければ、街中でのたれ死んでいたか、あるいはグリフィン騎士団によって屋敷に連れ戻されそのまま処刑されていたに違いない。
「そこまでか」
「ええ、素直に感謝するわ。自分の天運にも、あなたたちにもね」
そう言ってハリエットがふわりと笑った時、人ごみをかき分けるようにして白づくめカラスマスク姿の怪人物が現れ、彼女の肩を馴れ馴れしくたたいた。
「いや、そういってくれるとうれしいよ、ウン。これから限界までコキ使うつもりをしているから、その気持ちを心に焼きつけて働いてくれたまえ」
「ハ、愉快な冗談ね。服装だけでなく妄言まで面白いなんてすばらしいことよ。道化師さん」
「ボカァ魔術師だよキミィ。断じて職業・遊び人などではない」
出てきてそうそうハリエットに絡み始めるスフレ。その頭を、続いて現れたヌイがペチペチと叩く。
「やめなさい。……ああ、お待たせしました。申し訳ありません」
そうして今度は大西の方を見て、ふわりと微笑む。彼女は今、白い花の刺繍が入った華やかな浴衣を着ていた。明るい色の髪と怜悧な美貌がそれに合わさり、相当の朴念仁でもなければドキリとしてしまうような健康的な色香を放っている。もっとも、大西はその相当な朴念仁といえる男だが。
「いや、大丈夫。綺麗だね、よく似合ってるよ」
二人の合流が遅れたのは、この着慣れない服の着付けにヌイが手間取ったからだ。大西が墓場の自宅でオルトリーヴァに浴衣を着せている間にスフレが様子を見に行き、そしてスフレの代わりにヌイ宅にちょうど居たハリエットが遅れるから先に出ていてほしいとの伝言と共に大西宅へと訪れた次第だ。
「あなたが仕立てた服ですから。似合って無ければ、困りますよ」
すました顔でヌイは肩をすくめ、そしてすぐににへらと相好を崩した。
「言われて悪い気はしませんが。ええ、はい」
浴衣の腰に開けられた小さなスリットから飛び出した髪の毛と同じ経路の尻尾は、ピンと空を指している。相当嬉しかったようだった。そもそも彼女がこうして尻尾を出して外を歩くこと自体、かなり珍しい事だろう。
「おお、お熱いことで。まったく、いい身分ね? あなた。両手に花どころの話じゃあないわよ」
「その花、明らかにヤバそうな毒草が混入しているみたいだな。いやあすまないね」
「そう思うならもう少し服装に気をつけなさいよ」
「ははは、事情持ちなのは見ればわかるだろ? んん?」
「もちろん、わかりますとも。とっても」
口角を上げて、ハリエットが流し目をくれた。その視線から逃れるように、スフレはすいーっとオルトリーヴァの背後へと移動する。
「ふっ」
勝ち誇った顔で腰に手を当て、その豊満な胸を張るハリエット。
「ええとその、なんです。せっかく揃ったことですし、状況を整理しましょうか」
こほんと咳払いをし、ヌイが周囲を見回した。あの騒動から昨日今日だ。まだ疲労も抜けていないくらいに忙しかった。こうして街に遊びに出て大丈夫なのかという不安も多少ある。
「確かに。ゆっくり話す暇すらなかったものね。まだ、お祭りも始まったばかりのようだし、盛り上がってくる前に面倒な話を済ませておくのは賢明でしょう」
ハリエットが頷く。
「とりあえず、ウチのほうは大丈夫みたい。本家の方はごたごたしてるけど……わたくしは追い出されちゃったし。詳しくは知らないけれど、心配する必要はないとお父様は言っていたわ」
「貴族のことだからな。荒事が終わった以上ボクらがかかわる義理も義務も意味もない。ただ、心配ないと言われても油断はすべきじゃないな。ハリエットはしばらくオオニシかオルトリーヴァと一緒に行動した方がいい」
大西は言わずもがな、オルトリーヴァも正面戦闘力はピカ一だ。感覚も鋭いから、奇襲に対してもある程度は対処できるだろう。
「そうだな、オルトリーヴァもそれには賛成だ。ハリエット、お前は確かヌイの家でしばらく暮らすと言っていたな」
「ええ。自慢じゃないけど、一人暮らしできるほどの生活能力は無いの。テント暮らしなんて嫌だし、しばらくは彼女のお世話になるつもりよ」
「私の所に来る以上、一般生活を送ることができる程度には鍛えて差し上げますよ。大丈夫です」
「結構ですわ」
「駄目です」
反論を許さない口調にハリエットが目を逸らした。楽しそうに笑ってから、オルトリーヴァが大西を見る。
「ならば、オルトリーヴァはしばらくヌイの所で寝泊まりしようと思う。構わないか」
「うん、大丈夫だよ」
「ありがとう。それと、朝になったら迎えに来てくれるとうれしい。オオニシの顔を見ずに始まる朝は、なんだか寂しい」
「ちょうど体が鈍ってたところなんだ。ヌイの家なら、ランニングにぴったりの距離だ。普段オルトリーヴァが起きる時間には行けると思うよ」
「よかった。オルトリーヴァは嬉しいぞ」
にっこりと笑って、オルトリーヴァは大西にぎゅうと抱き着いた。みしみしと彼の体中から嫌な音がしたが、気にする大西ではない。
「なにあれ」
「さあ」
「さあって、アナタ。嫉妬とかしないのかしら」
「ハリエットさんが同じことをすれば、そりゃあ嫉妬もしますが。オルトリーヴァですし……」
ナリこそ大きいが、実際のところこの竜娘は子供のような物だ。嫉妬より先に母性めいた温かい気持ちの方が先に出てしまうヌイだった。
「しかし、オルトリーヴァまで来ると鳴ると、部屋が狭くなりますね。早く借家でも借りたいところです」
「同感よ」
「だが、そのためにはお金が必要だ。なかなか頑張って稼ぐ必要があるぞ」
「なに、蓄えとかないの? あなたたち」
「あると思っていたのか?」
「……そうね、わたくしの想像力が足りなかったみたい。ごめんなさいね」
冒険者などという商売はその日暮らしが基本だろう。すくなくとも、ハリエットが本で読んだり人に聞いたりした話では、そうだ。もちろん実際は堅実に生活している冒険者もいないではないが、大西たちはそういうタイプには見えない。ヌイはまだしも、そのほかの連中は、だ。
「しかたないわね。わたくしも協力するから、しっかり稼ぎなさい」
「まだ冒険者登録も済ませていないくせに、大口を叩くねえ」
仮面の下でスフレは苦笑を浮かべた。まあ確かに、回復役が居れば今までより安定するのは確かだ。
「とはいえ、しばらくはゆっくりしたいんだがな。最近は忙しすぎる……」
このあたりでしっかり骨休めをしておきたいとスフレは肩をすくめた。そして、ふと耳に入ってきた楽器の音に視線を通りの方へと向ける。
「おや、来たようだ」
遠くの方に、ドラゴンを模したと思わしき大きな山車が見えた。精霊祭定番の出し物だ。祭りの花と言っていい。真っ赤な翼を雄々しく空に向けるその姿を見て、オルトリーヴァが「ほほう」と感心した声を上げた。
「ま、せっかくだし野暮な話はこれくらいにしようぜ」
「そうね」
銀糸めいた髪をはらいつつ、ハリエットが頷く。その顔に浮かんでいたのは、年相応の純真な笑みだった。




