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第一章七話

「貴様、もしやニホンジンではないか?」


 そんなことをのたまう赤髪美女を前に、大西は極めて落ち着き払った態度で返答した。

 

「たぶん」


「多分とはなんだ多分とは」


 飽きれたように目を細めてこちらを睨みつける美女。それに対し、大西は首を傾げながらすっくと立ち上がり、彼女の目を見た。

 立ってみて分かったが、彼女は大西より頭一つ分以上背が高かった。大西は日本人男性の平均くらいの身長なので、これはかなり高いと言える。目の覚めるような鮮やかな緋色の長髪を緩くポニーテールのようにまとめた髪型で、前髪が妙に長く右目を完全に覆い隠すほどだ。服装は、革製の丈夫そうなズボンに、上等の布で織られたシャツ。そしてそれの上から暑苦しいコートめいたところどころに銀の装飾が施された黒いジャケットを袖を通さずに羽織っている。腰の剣帯には、二振りの刀剣を佩いていた。その作りは、日本刀とよく似ていた。

 これだけ見れば、まるで男のようだが、シャツのボタンが今にも飛びそうなほど窮屈な状態になったその大きな乳房からみて、女性なのは間違いないだろう。

 

「多分はたぶんですよ。それで、なにか御用ですか」


 かなり身長の高い相手が目の前で険しい顔をしているのだから、威圧感はかなりのものがあるだろうに、大西は口元に笑みを張り付けたまま態度を変える様子はなかった。

 その様子に美女は静かに肩をすくめ、そしてそのルビーのような瞳を腰の刀に向けた。柄も鞘も黒い、実践的なしつらえ。二振りとも、同じ程度の長さだ。

 

「研ぎをやっているのだろう? ニホンジンなら、これの手入れもできるのではないかと思ってな」


「なるほど」


 どうやら、刀の手入れをご所望らしかった。大西の見た限りでは、この世界の剣は大味だ。鉄や鋼をそれっぽい形に成形したあと、グラインダーで研磨して武器に仕立て上げたような、悪く言えば適当、よく言えばシステマチックな作りをしている。おそらくは大量生産のための工夫だろう。

 当然、そういった数打ちの剣と繊細な刀では、研ぎの難易度も大きく異なる。

 

「出来ない、とは言いません。でも、本職の人の手伝いをひと月くらい手伝ったことがあるくらいなので、ご満足のいく出来に仕上げられるかは確証が持てませんね」


 顎をゆっくりと撫でながら、大西が言った。適当なことを言って預かって、失敗でもした日には大事になる。

 

「ふむ。よい、やってみせよ」


 そう言って女が鞘から刀を抜き、くるりと一回転させて柄の方を大西に差し出してくる。彼はそれを受け取らず、首を静かに左右に振った。

 

「道具が足りません。調達してきますから、ちょっと待ってください」


「う、うむ」


 砥石が刀身を舐める微かな音が、断続的にしていた。日は既に暮れかけ、街を真紅に染めている。大西は、一心不乱に手に持った刀を欠片のように小さな砥石で撫でていた。

 

「仕上げか」


「ええ」


 そのすぐ横にあぐらをかいて座り込んだ長身美女が、穏やかな声で聞いた。彼女は真剣な様子で、大西の手の中にある刀を見つめている。

 当初、その刀はだいぶくたびれた様子だった。大きな刃こぼれはないものの、小さなモノはそこかしこに。刀身はすっかり曇り、ぼけていた。明らかに、頻繁に実戦で使用されている形跡があった。

 本来なら、しばらく預かって丁寧に直すべき仕事だろう。だが、現在の大西は住所不定の身の上だ。信用もない。だから、日をまたいでこの高そうな刀を預かるのは、憚られた。だからこうして、食事もとらずに急ピッチで研いでいるのである。

 

「もうすぐ終わりますよ。安心してください」


「うむ。……しかし、最初にケンソンしたわりには手馴れているな、貴様」


「よそ様の技術を盗むのは、大の得意なんですよ。なんだったら楽器だって弾きますし、料理だってできます」


 目を刀から外さず、表情も変えないまま大西は言い切った。これは、決して見栄から出た言葉ではない。事実だ。大概の技術なら、一度や二度見るだけで再現できてしまうのである。

 

「面妖なヤツよな……」


「まあ、いくら技術を覚えてもこらえ性がなくてさっさと辞めてしまうので、あんまり意味がないんですけどね」


 笑いながら、大西はそう言う。苦笑と言うには、何かが欠けたような笑みだった。そしてその表情を変えないまま、ぴかぴかになった刀身をぼろきれで何度か拭った。その後、別のぼろ切れに陶器製のボトルに入った菜種油をしみこませ、綺麗になった刀身をそれで擦る。

 

「よし」


 頷いて、そのまま布を敷いた自分の膝に刀を乗せた。傍らに置いていたいくつかの部品を、優しく拾う。ハバキ、切羽、車輪型の鍔、そして柄。ごくごく一般的な、日本刀のパーツたち。

 てばやくそれらを組み合わせ、最後に目釘とよばれる木で出来た小さな棒を柄に開けられた穴にあてがい、指でぎゅっと押し込んだ。あっという間に、カタナが元の形も戻る。

 

「如何でしょ?」


 両手でそっと刀を美女に差し出す。彼女はそれを受け取り、刀身に目を向けた。刃は鋭く研ぎ澄まされ、曖昧になっていた刀紋はくっきりと浮かび上がっている。突貫工事とは思えない、見事な仕上がりだった。

 

「正直、予想以上だ。大義であった、心より感謝する」


 美女がニィと笑い、刀を鞘におさめてから頭を下げた。どうやら、気に入ってくれたようだ。

 

「さて、いい仕事をしてもらった以上、対価も相応に払わねばならんな」


 そう言いながら、懐を探る美女。取り出したのは、重そうな布袋だった。随分と大きく膨れている。意気揚々とそれを開けた彼女は、しかし唐突にその表情を凍りつかせた。

 

「う、ぐ、これは……」


 中に入っていたのは、赤みがかった岩塩のブロックだった。硬貨の輝きなど、どこを見てもない。塩だ。はて、ここでは塩まで通貨になっているのかと勘違いしかけた大西だったが、流石にそう言うわけでもないらしく美女はブンブンと頭を勢いよく振った。長い真紅の髪がはらはらと宙を舞う。

 

「しぃまったぁ! 今回の俸禄は現物支給であったか! パトリックのヤツゥゥゥゥ!!」


 どうやら給料が塩で支給されたらしい。サラリーマンという言葉の語源は塩を給料としてもらっていたことから、という説があるらしいが、この世界ではそれはあまり一般的ではないようだ。女性は地団太を踏んで悔しがっている。尊大でクールな美女という第一印象は完全に崩れ去っていた。

 

「す、すまぬ。見ての通り今はスカピンでな……無い袖は振れぬのだ……」


「いやぁ、いいですよ。お客さんは踏み倒したりしそうには見えないので、出世払いってやつで結構です」


 笑いながら、大西が言う。実際、女性のふるまいはとても支払いを渋るための演技などには見えないし、もし演技だったとしてもそれはそれでいいと考えていたのだ。武具の手入れはあくまで副業としてやっているに過ぎない。一人二人客を逃がしても、大した痛手ではなかろう。

 

「そういうわけにはいかん。剣を直してもらっておいて、払う金もないではエルトワールの名が腐る! 」


 なにやら聞きなれない単語を口にした女性だったが、大西は何も聞いていませんと言う顔をして聞き流した。エルトワールとはいったい何なのか。予測はできないが、想像はつく。大体、話し方と言い服装と言い、そしてなによりもその身にまとう妙な威厳と言い、この女性はずいぶんと庶民離れしているのだ。なにか妙な裏があってもおかしくない。

 とはいえ、蛇のいるかもしれない藪に頭を突っ込むのは、大西としても勘弁願いたい。ここはスルーするのが一番である。


「そう言うわけで、これをやる。一級の魔術触媒だ、売ればかなりの額になるだろう」


 そう言いながら、女性は右手の人差し指に嵌めていた指輪を外して大西に差し出してきた。

 

「そんな」


 一応受け取りながら、まじまじとそれを観察する大西。なにやら不可思議な文字が刻まれた銀色のリングに、美しい群青色の小さな丸い宝石が嵌まった高そうな指輪だ。刀一本の研ぎの代金にしては、あまりにも不相応だろう。

 

「うけとれませんよ」


 即座に返そうとする大西だったが、美女はその手に自らの右手を添えて首をゆっくりと左右に振った。

 

「いかん。もう決めた。貴様がどう言おうが、それは貴様の物だ」


 有無を言わさぬ口調だ。そういわれてしまうと、もう反論できなくなってしまうのが大西と言う人間だった。不承不承といった様子で、指輪をポケットにしまう。

 

「うむ、聞き分けの良い者は好きだぞ」


「はあ」


 満足げな美女であるが、大西としては儲かって単純に喜ぶということはできなかった。アンフェアな取引と言うのは、あまり好きではないのだ。その場ではよくとも、後々トラブルの火種になる場合があるという、現実的な理由もある。

 

「とはいえ、なんだかこう、過度な報酬と言うのは、僕としても承服しにくいものがあります。そこで少し提案が」


「ほう? 言ってみるがいい」


「お腹が空いたので、僕はこれから食事をしに行きます。ご一緒にどうですか? 奢りますよ」


 腹をさすりながら、そう言う。空腹と言うのは本当だ。朝からリンゴしか食べていないのである。さすがにあの指輪の代金がわりに食事をおごるというのは金額的に少し無理があるとは大西自身も思っているが、さりとて今の彼はホームレス。他に考え付かなかったのだ。

 

「ほう、飯か! いいぞ、余との相伴を許す! なに、余も腹が減っておったのだ、ちょうどいいではないか」


 幸い、ウケはかなり良かった。女性は呵呵大笑しバシバシと乱暴に大西の肩を叩いた。どうやら、お気に召してもらえたようだった。

 

「あ、でも僕もない袖は振れないので、お手柔らかにお願いしますね? 二人そろって皿洗いとか、嫌でしょう……?」


「う、うむ。気を付ける。……ううむ、料理屋ならば塩で支払いが……いや、無理か……」


 それは当然無理なのでは? 商売道具である砥石を片付けながら思う大西だったが、口に出すことはなかった。余計なことを言ってせっかくの上機嫌を損なう必要はない。

 

「ここらは初めてでしてね、おすすめの食堂なんかあったら、案内してもらいたいのですが」


「なに、もしや余を誘ったのはそれが目的か? はははっ、良いだろう! 美味い安い多いの三拍子そろった店を教えてやる! ついて来るがいい!」


 うるさいくらいの哄笑をしながら、背を向ける女性。もともとの声も大きいのだから、全く騒がしい女性だった。

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