第三章二十二話
「そもそもの話、なぜお父様はこの女を自分の娘だなどと言っているのかしら? 血がつながっていないことなんて明白だと言うのに」
抜身のナイフのようにギラついた目つきでハリエットをねめつけつつ、シェリルが吐き捨てた。手足を完全に拘束されているというのに、その声にはいまだに衰えぬ覇気がある。ハリエットはその声に打たれたかのように、一歩下がった。
「……馬鹿を言うな・ハリエットは私の娘だ」
「目の色も髪の色も、母親ともお父様とも違うと言うのに? 馬鹿を言わないで頂戴」
シェリルはわざとらしい深いため息をつき、獣めいた笑みを浮かべる。
「エノーラ様がどこぞの馬の骨ともわからない男と姦通し、そして生まれたのがその女よ。本来、母親ともども処分しておくのが筋ではないかしら」
「エノーラ様とは?」
空気を読めないこと甚だしい大西が、ぽんやりした笑顔で聞く。あわててヌイが大西の手を引っ張った。
「私の前妻だ」
「なるほど。ありがとうございます」
どう考えても地雷な質問だったが、それでもむっつりした表情ながら律儀に答えてくれたスイフトは案外いい人なのかもしれない。
「エノーラが浮気をしたなどという証拠はどこにもない。彼女を放逐し、そのうえハリエットを監禁しただけでも業腹だと言うのに、私にそれ以上のことをやれと言うのかね」
「当然よ。それが貴族の頭首としてのあり方よ。それができないあなたは、エーカー家を継ぐにふさわしい人物とは思えないの」
「……それだけか? 私に反旗を翻した理由が」
「そうよ。それ以上必要?」
あざけるような声音でぴしゃりと言い放つシェリル。スイフトは一瞬視線を逸らし、一瞬躊躇した後おずおずと口を開いた。
「ハリエットを亡き者にするのが、本来の目的ではないのかね」
「……嫌ね、ほんと。妙なところで鋭くて」
彼の言葉に、シェリルは一瞬諦めたような笑みを浮かべた。そして部屋の隅で自らをじいと見ているハリエットに目を向け、一転して鋭い声を上げた。
「そうよ。その通りよ! 殺したかったのよ、その女を!」
「わた、くし、を……?
予想外の言葉だった。ハリエットは肩を震わせ、スイフトに助けを求めるように視線をむけてから、途切れ途切れに呟く。
「何を意外そうにしているのかしら? あなた、自分の立場がわかっているの? 世間の目に触れさせないために屋敷の奥に監禁されるほどの恥ずかしい出自なのよ? だというのに、お父様は貴方ばかりを見ているの。こんな屈辱的なことがあって?」
「なっ……!」
とんでもない良いように、さしものハリエットもその美しい銀の髪を逆立てた。両親と髪の色が違うと言う理由だけで監禁された、太陽の光を浴びたのも今回の脱走で数年ぶりというのが彼女の境遇だ。それを何の不自由もなく育てられた妹に勝手に羨まれ、あげく追い掛け回され殺されかけるなど冗談ではない。
「ふざけないでほしいのだけど。わたくしはそんなことのためにこんな目にあったというの?」
肩を震わせ、歯を食いしばり、そして深く息を吐いてからハリエットは絞り出すような声で言った。その目つきは今までにない剣呑なものだ。
「ええ。わたくしだって自分の境遇くらいは理解しているのよ? いつ消されてもおかしくないとは思っていたし、今回の件にしても、来るべき時が来たくらいの感覚だった」
父親であるスイフトですら聞いたことが無いほど、ハリエットの声音は厳しいものだった。にもかかわらずシェリルは薄ら笑いを浮かべつつ胸を張ってその言葉を正面から受け止めている。
「でも、それでも。まさか羨ましいだなんて言う的外れで馬鹿らしい理由で殺されるのは御免こうむるわ」
「そう。良かったわね? 殺されなくて」
柔らかい笑みと共にシェリルは頷いた。
「流石に売女の娘は男を誑し込むのが上手いわね。流石に予想外。わたしの完敗よ、御姉様?」
ハンマーめいた暴言に、ハリエットは思いっきり歯を食いしばった。そして一周回って血の気が失せた顔に無理やり笑みを張り付ける。
「そういうあなたは、たぶらかす男を間違ったようね? 人を見る目が無いのは、姉としてはとても心配よ。有能な部下を選ぶのも頭首の大事な役割ですもの」
「あら嬉しい。こんな不肖の妹にも気をかけてくださるなんて、なんて優しいお姉さまなんでしょう」
「やめんか、お前たち」
胃に穴が開いたような表情でスイフトが遮った。
「やめんか? もとはと言えばお父様のせいでしょう!」
しかしシェリルは今までの余裕の仮面を脱ぎ捨て、張り裂けるような声をスイフトに向けた。その表情は般若めいて歪んでいる。
「事あるごとにわざわざ牢へ行っておしゃべりして、親戚やらから庇って、口を開けばその女の事ばかり!」
「……そんなことは」
スイフトは顔をそむけ、ぽつりとつぶやく。しかしシェリルは止まらない。
「私、頑張ったのよ? お勉強も、ダンスも、料理も、帝王学だって! 人より何倍も何倍も! それなのにお父様は私を見てくれない! そんなお父様なんて必要ないし、お父様を奪ったあの女は絶対に許さない!!」
うっと息をつまらせて、スイフトはそれきり喋らなくなった。かわりにハリエットが腕を組みながら、荒々しい足音と共にシェリルの前に陣取る。
「なにを言うかと思えば、苦労自慢? 頭首云々を語った下の根も乾かないうちにそんなことを言いだすなんて、流石ね。本音と建前を使い分けるのも貴族のたしなみと言うわけね? とてもわたくしにはまねできないわ」
「うるさい! 売女めっ!」
もはや皮肉を返す余裕すらなく、幼い少女は顔を真っ赤にして叫んだ。憎しみと怒りがないまぜになった、歳不相応の声だった。
「さっきから大人しく聞いていれば売女売女と! わたくしは殿方と手をつないだことすらないのよっ!」
「だからどうしたというの? 蛙の子はカエルよ」
「蛙の子はオタマジャクシだしわたくしのお母様も売女ではないわ」
「それはあなたがそう思い込みたいだけでしょう!」
見ている方の胃が痛くなってくるような言い争いだった。スイフトなど完全に目をそむけ、やがて蚊の鳴くような声でこうつぶやいた。
「すまない、少し二人を見ておいてくれ」
そのまま、出口に向かおうとする。しかし、まだ安全とはとても言えない状況だ。スイフトを敵の残党に奪われれば、状況はあっという間に再び逆転してしまうだろう。心苦しいが、スイフトには屋敷の状況が落ち着くまでここに居てもらわねばならない。
「スイフト様、申し訳ありませんが……」
ヌイに肩を掴まれて強引に止められたスイフトは、まるで小動物のような表情で振り返った。ヌイは口をへの字に曲げて、大西の方を見る。
「ど、どうしましょう……」
「どうしましょうと言われても」
視線をシェリルの縛られた手元に固定したまま、大西は唸った。。
「いや、君たちの言いたいことはわかる。確かに私の単独行動は避けるべきだろう。しかしだ、娘二人のこんな姿を見続けていたら、私はどうかなってしまいそうだ……」
だからといって、大西かヌイがスイフトについていき、もう片方がシェリルを監視すると言うのも論外だ。新たな敵が現れれば一人で対応は難しい。いっそ当身でも喰らわせて強制的に黙らせるくらいするべきなのかもしれない。
「要するに、喧嘩を辞めさせればいいわけですね」
今だ罵声を交し続ける二人を指差しての大西の言葉に、スイフトは頷いた。
「なるほど」
ならばコトは単純だ。しかし、大西は喧嘩の仲裁などやったことはないし、出来るとも思えない。彼は腕を組んで考え込んだ。
『大西』
脳裏によみがえるのは、久しくあっていない師範の声だった。ガラガラ声の、中年男性。
『武術家の拳には、さまざまなものが宿る。それは例えばその者の想いであったり、経験であったり、あるいは人生そのものであったり』
師範は稽古の後、よく道場の隅でこうして大西に様々なことを語って聞かせたものだった。
『つまり、拳を交すというのはある意味コミュニケーションであるわけだ。万の言葉でわかり合えなかった相手とも、拳を交せばわかりあえる……こともある』
フムと小さく頷いて、大西はシェリルの真後ろへと歩み寄った。
「僕の師父はかつてこう言いました。話すより殴った方が早いと」
そして躊躇なく、その手足を縛る拘束を解いてしまった。
「実際、言い合いをしているより殴り合ってもらった方が早くコトが済むでしょう。どうぞ、タイマンしてください。逃げようとすれば、僕が気絶させて止めますのでご安心を」
「おい」
どういうつもりだ。そうスイフトが続けるより早く、バネ人形のようにシェリルが立ち上がって叫ぶ。
「いいわ、望むところよ! いっぺんこのばか女のアホ面をひっぱたいてあげたいと思ってたの!」
「なっ……!」
たじろいだのはハリエットだ。相手は九歳児である。ハリエットも年齢のわりにはかなり小柄とはいえ、流石に自分より幼い子供を殴るのは気が引けた。
「なによ、コワイの?」
「怖くなんかないわ! 上等よ、痛い目に遭いたいというなら遠慮なんてしない!」
しかしいい加減フラストレーションがたまっていたのは彼女も同じことだ。結局、安い挑発に乗って拳を握りしめてしまった。




