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第三章二十一話

 ひどい悪夢だと、シェリルは荒い息を吐きながら小さく吐き捨てた。彼女は今、狭く暗い地下道を数人の護衛と共に走っている。

 こんなはずではなかった。彼女はほんの数十分までは、勝利を確信していた。スイフト奪還のための襲撃があるのは予測していたし、そのための準備もしていた。相手の策にも対応し、それを潰すための手だって打ったのだ。にもかかわらず情けなくも敗走するはめになったのは、ひとえにウォーカーが破れると言うイレギュラーのせいだ。

 

「ウォーカー……」


 聖銀(ミスリル)級冒険者を破るような使い手が相手に居ることがまず予想外であったし、しかもその登場のしかたが非常にまずかった。ウォーカーの強さはこの屋敷に住む全員が知っていることだし、それが目の前でボロ雑巾にされたのだから、衛兵たちの士気が上がるはずもない。

 結局あの後、あっという間にシェリルの配下は壊滅した。特にウォーカーに精神的に依存していたグリフィンの団員はひどく、多くが交戦すらせずに逃げ出す始末だった。シェリルにできたことは、子飼いの部下たちがまだ組織的な抵抗を続けている間に屋敷から逃げ出す事だけだった。

 

「お嬢様、大丈夫ですか……?」


 傍らを走る革鎧姿の護衛が眉を顰めながら聞く。もともと運動などからきしの箱入りであることに加え、精神状態も最悪ときているのだからシェリルの顔色は良かろうはずもない。

 

「平気よ」


 ぶっきらぼうに答える。口汚く何かを罵りたい気分だったが、今周囲に当たり散らしたところで百害あって一利もない。この状態で護衛の心証を悪くするのは悪手にもほどがあるだろう。それくらいの分別は、シェリルとて心得ていた。

 なんども足をもつれさせかけつつも、なんとかシェリルは地下道の終点にたどりついた。三人いる護衛の一人に梯子を上らせる。残りの護衛は背後の警戒だ。

 

「ふう……」

 

 小さく安堵のため息をつく。ここはエーカー家の秘密の脱出路の一つだ。油断していい状況では決してないが、しかし背後に追手の気配などは無い、少しは気を緩めないと、参ってしまいそうだった。

 

「大丈夫です」


 梯子の先にある小さな戸から先行させた護衛が顔を出してそう言った。頷き、震える手に力を込めながら梯子を上る。地上に出ると、そこは人の手がしばらくはいっていないと思わしき廃屋の中だった。天窓から差し込む淡い光が、殺風景な室内を照らしている。埃っぽい空気を吸い込んでしまい、シェリルは小さくせき込んだ。

 

「早くここから離れましょう、お嬢様。追手がいつ追いつくか」


「分かっているわ」


 シェリルが頷いた、そのときだった。板ぶきの屋根を叩き割り、真上から血みどろの男がエントリーしてきた。大西だ。


「うわっ……!」


 落下の勢いをそのまま生かした蹴りが護衛の一人に突き刺さり、地面にたたきつけられる。人間をクッションにすることで落下の衝撃を殺した大西は、地面に伸びた男の身体から降りつつ、静かに拳を構える。

 

「まて、待ってくれ!」 


 しかし大西の功夫が炸裂するよりはやく、護衛のリーダー格だった女がそう叫びながら佩いていた剣を棄てた。もう一人も慌ててそれに続く。

 

「私たちは抵抗しない! だから━━」


 命だけは。そう続けようとしたリーダーの顔面に瞬間移動染みた高速移動からのストレートパンチが突き刺さる。女は錐もみしながら吹っ飛び、壁を破って外の路地に飛び出した。最後の護衛はサブ武器のナイフを抜こうとしたが、すぐに上司と同じ運命をたどる。

 

「貴方たち……」


 即座に主君を切り捨てた腹心の行動と、武装蜂起した相手をまったく気にせず殴り飛ばした大西の行動に思わず頭がくらくらしてきたシェリルは額に手を当てた。もっとも、前者は致し方のないことだ。金と地位で釣った連中だ。旗色が悪くなれば切り捨てられるのは当然だろう。

 

「うっ」


 視線を大西の方に向けて、シェリルは呻いた。彼は普段着の上から革鎧をつけただけの、戦士としてはかなりラフな格好をしている。そして、ウォーカーとの戦闘で負ったものと思わしき切創があちこちにあり、血みどろの見るからに恐ろしい姿だ。それでいて、目つきだけは一般人めいて穏やかなのだから、違和感が凄まじかった。

 

「あ、あなただけかしら? ほかの方は?」


「さあ。急いで飛び出してきたので何とも」


 拳を構えたまま、大西は短く答えた。

 

「そう……。ひとつ聞くけど、いくら払ったら見逃がしてくれるのかしら」


「うーん」


 そのあからさますぎる言葉に唸る大西。実際のところ、大金がもらえるのなら逃がしても構わないと言えば構わない。監禁の上あやうく殺されかけたのは事実だが、彼はその手のことで恨んだりやり返したりしようとする人間ではなかった。

 とはいえ、ここでむざむざと逃がせばそれはそれで問題が多いだろう。金はスイフトから謝礼金を貰えばいい。で、あるなら選択肢は一つだ。

 

「いくらもらっても見逃せませんね。すみません」


「でしょうね」


 ダメでもともとの提案だ。肩をすくめて、シェリルは小さなため息を吐いた。

 

「だったら、出来る限りの抵抗はさせてもらうわ。諦める気なんてないもの」


 そう言ってシェリルが駆け出そうとした、その瞬間だった。

 

「オオニシ!」


 彼が蹴破った天井から、更なるエントリー者が現れた。ヌイだ。しかも小脇にスイフトとハリエットを抱えている。大西と同じく、エーカー邸から近所の家々の屋根を伝って高速移動してきたのだろう。一般人二人の顔色が凄まじいことになっていた。

 

「あれま」


 彼女の乱入は大西にとっても予想外だったらしく、視線をシェリルに固定し続けつつも声を上げた。


「向こうの方は置いてきても大丈夫そうなの?」


「ええ。オルトリーヴァが居ますからね。まさに八面六臂という感じで」


 人型になってもドラゴンの膂力は健在だ。肉弾戦で対抗できるような人間はそうそう居ない。それこそ、シェリルの陣営でオルトリーヴァを止められる可能性があったのはウォーカーのみだろう。それを欠いた以上、最早抵抗のすべはない。タフで体力がある分、むしろ最後の掃討には大西よりも向いているくらいだ。

 スフレにしても、あれだけの魔法の腕があれば前衛がしっかり仕事をしていれば的確な援護が出来る。むしろ足手まといであるこの二人を危険な場所から脱出させつつ、疲弊しているであろう大西を援護した方がいいだろうと言うのがヌイの考えだった。

 

「うぐぐ……ふん、やはりここだったか」


 青い顔のままふらふらと立ち上がり、スイフトが唸るような声で言う。その目つきは刀の切っ先のように鋭かった。

 

「この道だけはお前に教えていなかったからな。使うとすれば、この道だろうと踏んでいた」


 当然だが、この手の秘密脱出経路は複数用意されている。乱戦の中でシェリルを見失ってしまったため、どの道を使って脱出したのかはわからなかった。しかし、後顧の憂いを断つにはシェリルを捕縛する他ない。結局、スイフトの依頼によって大西が地上から先回りし、こういうことになったわけだ。

 

「……保険というわけ? 食えない男。そんな性格だから、実の娘にクーデターを起こされるのよ」


 言い捨てて、シェリルは出口に向けて全力で駆け出した。もはや逃げ切る方法などないと理解はしていても、大人しく観念するのだけは嫌だと言う思いだけが彼女の身体を動かしていた。

 しかし、もはやこうなれば彼女はただの幼い少女でしかない。大西が蛇のような動きで接近し、組み伏せる。幼女相手にも情け容赦のない関節技(サブミッション)が炸裂し、彼女は全身の関節を極められながら床に転がる羽目になった。

 

「痛い痛い痛い! 離しなさい! 離せぇッ!」


「とのことですが、どうしましょう。手足肩の関節を外せば、一応拘束を解いても大丈夫だと思いますが」


「余計なことは考えんでもいい。貴様はそこで拘束道具になっていればよいのだ」


 じっとりと額を伝う粘度の高い汗をぬぐいつつ、スイフトが答えた。

 

「……いえ、流石に見苦しいにもほどがあります。こんなこともあろうかと紐を用意してありますから、それで縛りましょう」


 ヌイは口元を強張らせつつ、腰のポーチから麻ひもを取り出して大西の横へと歩み寄った。スイフトが頷くのを見て、手際よくシェリルの親指同士、手首同士、そして足首同士を縛り付けた。むんずと襟首を掴んで地面に無理やり座らせる。

 

「ぐ……」


 まるで物のような扱い方だ。シェリルは顔を真っ赤にして歯を食いしばる。獣のような唸り声をたてつつ、厳しいまなざしで周囲をねめつける。部屋の隅に居たハリエットがぐっと手を握り、そして力を緩めた。

 

「こうも容易に事態が逆転するとはな。まったく、吾ながら信じがたい幸運だ」


 深いため息を吐いた後、スイフトは一人ごちる。そして恰幅の良い腹を揺らしながらシェリルの前まで歩み寄り、しゃがみながら聞いた。

 

「ひとつだけ聞かせてもらおう。なぜ反乱を企てた? ウォーカーの入れ知恵か?」


「違うわ、私の意志よ」


「ほう」


 白々しい声音でスイフトが驚いて見せる。幼いながらも、シェリルは他人に容易く操られるような人間などではないことはスイフト自身が一番理解している。

 

「ではなぜ? 家督の継承順ではお前が一番上だ。こんなバカげたことをせずとも、時がたてばエーカー家と伯爵位はお前の物になっていたはずだが」


 スイフトには子供はハリエットとシェリルの二人しかいない。そしてとある事情からハリエットは家督の継承権を持っていないため、スイフトが現役を退けば自然にシェリルがエーカー家の家長として伯爵位を継ぐことになっていたはずなのだが……。

 

「……そこの売女のせいよ。目障りだったの」


「わたくしの、せい?」


 名指しされたわけでもあるまいに、ハリエットが呆然と呟いた。スイフトが小さくため息をつく。

 

「やはりそういうことだったか。愚か者め」

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