第三章二十話
スイフトを救出した以上、最早屋敷に用はない。あとは大西たちに合図を出して無事に脱出できれば作戦は終了となる。しかし、そうやすやすと脱出がかなうことはなかった。
「あああああああああ!」
半泣きで全力疾走しながら、ハリエットが叫んだ。
「どうしてこうなるの!」
彼女のすぐ後ろには、武器を構えた鬼のような形相の衛兵たちが居た。スイフトをみすみす逃がしては、彼らの首が物理的に飛びかねない。もともとスイフトに協力しそうな人物は、シェリーの手でクーデター以前に排除されている。
「そりゃあさ! あんな! 場所で! あれだけ魔力放出すりゃ! バレるわ!」
息も絶え絶えに叫び返したのはスフレだ。実際、あの昏睡にはちょっとした戦略魔法クラスの魔力が込められていた。魔力のない人間であっても異常に気付くだろう。ましてこの屋敷の衛兵たちは十分な訓練を受けた精鋭だ。魔力の出所に殺到してくるのは当然と言える。
「だから急ごうって言ったんだ!」
もともと身体的にはそこらの幼い街娘と変わらないスフレであるから、仮面の下は汗だくで凄まじい形相になっていた。追いかけられるのは予想の範囲内とはいえ、真夏にこの厚着で全力疾走は辛いどころの話ではない。
「しかし、参りましたね」
体力的には問題のない筈のヌイもあまり余裕はなさそうだった。例の隠し通路は脱出にも使う予定だったのだが、衛兵の必死の追跡により既にそこへ向かうためのルートから外れてしまっている。
「参った、などと言うんじゃない! 何か手は無いのかね、手は!」
運動不足かつ肥満ボディという、一行の中で最も重いハンデを負っている人物であるスイフトが言う。監禁状態から解放されたはいいものの、乱戦に成ったりすれば何かの手違いで殺されてしまう可能性も十分にある。死ぬくらいならまだ監禁されていた方がましだ。
「手ですか」
呟きながら、ヌイは鋭い目つきであたりを見回した。豪奢な調度品が置かれた広い廊下だ。左側には、一般家庭ではまず見ない高価な板ガラスの嵌まった窓がある。
「無いわけではないですが」
「ぬうっ!?」
そう言って速度を緩め、スイフトの横につく。そしてそのまま彼の巨体を藁束か何かのように片手で軽々と抱えた。そのまま今度はもう片手でハリエットを抱え上げる。
「スフレ、ついてきてください」
「何を……げえっ!?」
筋力増幅の補助があるとはいえ少女が人間二人をいともたやすく抱えている姿はだまし絵めいた不安感がある。突然どうしたといわんばかりの声を出したスフレだったが、すぐに彼女の意図を知ることとなった。
敵だ。それも、後ろではなく前。脇道など無いまっすぐな廊下だから、挟み撃ちのカタチになったわけだ。とすれば、逃げ道は一方しかない。窓の外だ。ヌイは躊躇なくジャンプし、窓を蹴り割って外へ出た。
「ちっくしょう! ボクも連れてけよ!」
ここは一階だから、外に飛び出したところで転落死することは無い。とはいえ敵に挟まれた状況で悠長に窓枠に組みついてモゾモゾやっている暇はなかった。腹を決め、ヌイが蹴破った窓に体当たりするようにして飛び出した。
「アババーッ!」
断末魔めいた悲鳴を上げつつ、地面に転がるスフレ。彼女の身体スペックではまともな着地どころか受け身を取ることすらままならない。
「ブザマね」
そんな彼女を嘲笑する声があった。涼やかで耳触りの良い、幼い少女の声だった。
「うげ」
顔を上げる。目に入ってきたのは、ずらりと並んだフル武装の衛兵たち。そして、真っ黒なドレスの少女だ。
「やだねえ、金床とハンマーかい」
埃を払うようにして首を振るスフレ。辺りを見回す。野外と言っても四方を建物に囲まれ、木が幾本か生えているだけの決して広くは無い空間だ。中庭だろう。
「所謂、袋の鼠というヤツ。さあ、どうする? そこのアバズレとハゲを大人しく渡せば、楽に殺してあげるけど」
「肉親に対してとんでもない言いようですね」
抱えていた二人を雑におろし、ヌイがニヤリと笑う。
「肉親? 猫みたいなぽこぽこ勝手に増えるイキモノにも、そういう概念はあるのね。驚きだわ」
挑発的な笑みでその言葉を受け止めるシェリル。圧倒的有利な状況下とあって、その声は余裕綽々のものだ。ヌイたちが出て来た窓の内側にもびっしり衛兵たちが詰めて様子を窺っている。最早退路は無い。
「女とてハゲるときはハゲるのだ、シェリル。お前も私の血が入っているのだからな、あまり大きな口は叩かない方がいい」
スイフトが地面から立ち上がり、尻についた土を叩き落としながら言った。
「これは失礼、以後気をつけますわ」
スイフトは肩をすくめ、そしてわざとらしく周囲を見回した。衛兵は確かに多い。だがしかし、シェリルの持つ戦力の中核は、決して彼らではない。最も警戒しなければならないはずの相手が、ここにはいなかった。
「ところで、ウォーカーくんはどうしたのかね」
「……。奴なら遊んでいるわ。まったく、困ったものね」
一瞬シェリルの顔から笑みが消えたのを、スイフトは見逃さなかった。ヌイのほうに目くばせすると、彼女は小さく頷いて見せる。大西たちの足止めは上手くいっているようだ。ひとまず、最悪の事態は起きていないようだ。ひそかに胸をなでおろすヌイ。
「でも、それだけよ。この状況、貴方たちだけでなんとかできるとでも?」
こともなげにそう言い放つシェリル。確かに、ウォーカーが居ないからと言って安心することなどとてもできない。衛兵たちは彼女の号令ひとつで一斉攻撃してくるだろう。ヌイの実力ならばそう簡単にやられたりはしないが、しかしスイフトとハリエットを守りながら戦わなければならないとなれば話は別だ。スフレの魔法は頼りになるが、発動にラグがある以上このような近接戦では実力を発揮しきれない。
事実上の詰みだ。さすがのヌイも表情から余裕が消え、額に冷や汗がうかぶ。本来ならいったん中庭に出て別棟へ移るつもりをしていたのだが、ここまで動きを読まれているとは予想外だ。
「なんとかするのが、一流の冒険者と言うものです」
それでも、弱音を吐くような真似はしない。シェリルは面白くなさげに「そう」と答えた。
「まあ、貴方がどう行動しようとどうでもいいことよ。結果は変わらないわ。━━殺しなさい」
無慈悲な号令が下った、そのときだった。周囲にガラスの割れる音が響きわたった。
「なっ……」
反射的に全員の視線が音の出所に向かう。三階の窓だ。一人の男が吹っ飛ばされ、窓を砕いて外に飛び出したのだ。男は錐もみしながら落下し、受け身も取れずに地面に転がる。
「ッ!? ウォーカー!?」
悲鳴染みた声を上げるシェリル。しかし彼女が言葉をつづけるより早く、割れた窓から大西が飛び出した。卓越したバランス感覚と脚力で無事に着地した彼は、全身切り傷だらけの血みどろな格好だった。しかしその表情はいつも通りの穏やかなものである。
「……」
彼は呆気にとられる周囲に目もくれず、イモムシのようにもぞもぞと動くウォーカーに飛びかかり、首を絞めた。脳へ向かう血流を止められ、まだかろうじてあった意識を消し飛ばされるウォーカー。命まで消える前に、彼は手を放した。
「みなさん、おそろいで」
おもむろに周囲を眺めつつ、大西はにこりと笑った。さざ波のように、シェリルと衛兵たちに動揺が広がる。多少、苦戦しているにしてもまさかウォーカーがやられるなどということは、完全に予想の範囲外の出来事だった。
「いや、間に合ってよかったよ。けっこう苦戦したし、なのに不味そうな気配は下からするし」
「オオニシ……」
最適のタイミングでの乱入に、思わずヌイは苦笑した。やはりこの男は只者ではない。信頼してよかったと、思わず笑みが浮かんだ。
「……何をやっているの! 奴が弱っている今がチャンスよ、早くやりなさい!」
シェリルの命令に、衛兵たちは慌てて武器を手に大西たちに向かうのだった。




