第三章十九話
それから十分ほど後。ヌイたちは厳重な警備をやりすごし、なんとか目的地である地下室の入り口の直前までたどり着いていた。完全なお荷物であるハリエットを抱えていてなおこのような困難なミッションを進められたのは、ヌイの人並み外れた聴力とスフレの魔法あってのことだ。
「流石にここの警備はずいぶんと厚いですね」
小さな声でヌイが呟く。彼女は小さな手鏡を使って、曲がり角の向こうを見ていた。そこには見るからに丈夫そうな鉄製の扉と、その前の衛兵たちの姿がある。
衛兵たちは明らかに手練れで、しかも侵入者が邸内で大暴れしているということで一部の隙も感じられない様子であたりを監視している。小さな鏡とはいえ、長々と見物していればすぐに見つかってしまうだろう。ヌイはすぐさま手を引っ込めた。
「どうします、強行突破は辛そうですが」
「大丈夫だ。任せるといい」
眉間にしわを寄せるヌイに、スフレは小さく頷いて見せる。正面突破ばかりが策ではない。というか、そもそも今は正面突破に向いたメンツが居ない。幸いにもスフレは、搦め手の魔法も得意としていた。やりようはいくらでもある。
「何をする気? おそらく、彼らは魔除けの護符を持っているわ。下手な魔法は通用しないのではなくて?」
「やっぱり持ってるだろうな、そりゃあ。とはいえそこはボクの頑張りどころだ。魔除けなんていってもそこは単なるマジックアイテム、込められた魔力以上の仕事はできやしない」
ハリエットにそう言いかえすなり、スフレは杖を右手で握り、懐から小さな青い宝石の嵌まった指輪を取り出した。。
「久し振りにぶっ放すぜ、相棒」
指輪を持った左手で空中に印を切る。宝石が光、空中に魔法陣が描かれた。その文様はいたってシンプルなモノ。普段であればこのような補助具など使わず直接杖に入力する程度の術式だ。
『術式読込』
先端の宝珠から真っ青な閃光が放たれる。ヌイとハリエットが思わず目をつぶりながら一歩下がり、衛兵たちも異常に気付いて無言で得物を抜いた。
「な、何をやっているの! 潜入って話でしょう!」
「じゃかわしい!」
非難めいた叫びをあげるハリエットを一喝するスフレ。搦め手であろうが全力全開、そうでなければ切り抜けられない場面だと判断したからこその行動だった。
『準備完了』
精鋭の衛兵たちはすばらしい速度でこちらへ接近してきている。ヌイが即座にサーベルを抜いて対応しようとしたが、それより早くスフレが敵前へと飛び出した。
「昏睡!」
『撃発』
大気を歪めるほどの魔力の奔流が衛兵たちに襲い掛かった。彼らがつけていたペンダントや腕輪が一瞬にしてパキンと砕け散り、それと同時に全員が糸の切れたマリオネットめいて床に転がる。
「うっ……」
そのまま、彼らが起き上がることは無かった。頭のくらくらするような強烈な魔力放射に髪を逆立てていたヌイが我に返り、あわてて駆け寄り呼吸を確かめた。幸いにも死んでは居ないようだった。
昏睡は決して難しい魔法ではない。それ故に対処法も確立されており、一般的な魔除けの護符があればまず通用しない
ではなぜこんな結果になったかと言えば、それは至極単純な話でスフレが常識はずれの魔力を込めて昏睡を撃発したからだった。護符の処理能力を超えた魔力を込めれば、抵抗などされるはずもない。シンプルな力押しだが、それも彼女の人並み外れた魔力量あってのことだ。
「む、無茶苦茶するわね。あんなに魔力一気に放出して……大丈夫なの?」
「へーきへーき。まだ十分に余裕はあるよ」
涼しげな声でのたまうスフレ。実際、仮面の下の素顔は汗ひとつかいていなかった。この程度なら朝飯前、という表情だ。
「それより、いい加減眠くなってきた。魔力よりそっちが問題だ。急いでもらえるかな?」
「……大物ね。いいわ、ついてきなさい」
そう言ってハリエットは扉の前に進み、開こうとした。しかし分厚い鉄板でできたソレは少女の細腕ではびくともしない。うんうんうなりながら顔を真っ赤にして扉を押すハリエットだったが、まったく無駄な努力だった。
済ました顔でヌイが左手でぐっと扉を押した。鈍い音を立てつつ、扉がゆっくりと開く。右手にサーベルを握った警戒体制のまま、ヌイは内部の様子を窺う。
「流石」
魔力灯の淡い光で照らされた室内には、数人の衛兵と地下に続く階段があった。しかし衛兵は全員昏倒しており、すやすやと穏やかな寝息を立てている。もちろん全員居眠りしているなどと言う馬鹿な話であるはずもなく、スフレの放った魔法の余波だろう。鉄板に遮られて尚この効果と言うのは、感嘆する他ない。
「で、この下ってわけかい」
「ええ」
何事もなかったかのような表情でハリエットが頷く。
「さ、行きましょう」
石造りの丈夫そうな階段を下って行く。壁には定期的に魔力灯がかけられており、地下とは言え暗くは無かった。二階ぶんほど降りると、会談が終わった。そこにあったのは、びっしりと奇妙な文様が描かれた鉄格子と、それに隔てられたそこそこに広い個室だ。
「……まさかとは思ったが、お前か」
鉄格子の向こうには、豪奢な服をまとった太った男がいた。黒い髪は既にだいぶ後退しており、その表情には明らかな疲労が感じさせる。たしかに言われた通りハリエットとは似ても似つかぬ容姿だ。ハッキリ言って親子にはとても見えない。
「流石に予想外だ」
「あなたがスイフト氏ですか?」
最後尾を歩いていたスフレが前に出て、優雅な所作で一礼した。
「こんな恰好で失礼。ボクはスフレと申します。刺客ではないのでご安心を」
「だろうな。私がスイフトで間違いはない」
スイフトは座っていた椅子から立ち上がり、静かに頷く。
「ハリエット。私はこんなことのためにお前を逃がしたわけではない。何をしているのだ、お前は」
「……申し訳ありません、お父様」
彼の視線はひどく冷たいものだった。とても子供に向ける親の目つきとは思えない。深いため息をつき、禿げあがった額に手をやるスイフト。
「参ったな。さっさとここから出て行きなさい、君たち。ここの鍵はシェリルが持っているから、どうせ私は外へは出られない。言っておくが、開錠の魔法で開くほど、ヤワな檻ではないぞ」
檻にはびっしりと細緻に魔法文字が刻まれ巨大な錠前がとりつけられていた。鍵開けの魔法も習得しているスフレだが、この錠前は明らかに一流の魔法技師によって作成された特殊錠であり、スイフトの言うようにスフレを以てしても魔術的な開錠は不可能なように見える。
もちろん鉄格子自体も極めて丈夫そうなものであり、たとえオルトリーヴァの膂力であっても強引に破壊して突破するのは難しいだろう。
「なるほど、確かに厄介な錠前ですね。とはいえ、手は考えてあります。ちょっと離れていてくださいな。危険なのでね」
とはいえここは一流貴族の邸宅。こういったモノが用意されているのは予想の範疇だ。スフレは杖を構え、堂々と言い放った。
「……何をする気だ」
「いいから、早く」
有無を言わせぬ口調に、スイフトは額に汗を浮かべながら後退した。それを見たスフレは静かに頷き、杖の先端を誰もない方に向ける
『術式読込』
『準備完了』
「火炎」
『撃発』
杖の先端から火炎放射めいた炎が放たれる。極めて巨大なそれは室内をあっという間に熱気で満たした。まさか自分を亡き者にしようというのではないかと、スイフトが慌てて独房の隅へ走り寄る。
「術式改変、収束」
そんなことはお構いなしに、スフレが静かな声で呟く。みるみるうちに炎が小さくなっていった。赤かった色も蒼に変化していき、やがて青い輝きを放つ小さな灯火になって落ち着く。
「魔法的な防御なんて言うのはね、あくまで魔力干渉に対する措置なんですよ。物理的に破壊すれば問題ありません」
そう言いつつ、ガストーチめいたそれをぐいと錠前に向けた。魔法錠はあっというまにどろどろに融解し、タイルが敷かれた床へと落ちた。パチンという音と共に炎が消える。扉を蹴ってやると、何事もなかったかのように開いた。
「さあ、ご同行を。我々には我々の事情がありますからね、嫌だろうがなんだろうが貴方には脱出してもらいます」
その有無を言わせぬ口調に、スイフトは頷くしかなかった。




