第三章十六話
いつもならば厳粛な空気に包まれているはずの邸内はしかし、今はひどい混乱の最中にあった。兵士たちが厚い絨毯の敷かれた廊下を大きな足音を立てて走り回り、侍女たちは悲鳴を上げながら右往左往している。
「ほほう、ふむ」
鉄棒の鋭い一閃で衛兵を吹き飛ばしながら、オルトリーヴァが興味深そうに頷いた。十分に手加減した一撃であったが、しかしそこはドラゴンの怪力、十分に鍛え上げた兵士を昏倒させるには十分な威力がある。
「なかなか……勉強になるな」
仲間の身体を飛び越えて長剣を振り下ろしてくる衛兵の攻撃を鉄棒で受け流し、一気に踏み込んで蹴り飛ばす。衛兵の身体は、まるで自動車に衝突したかのように派手に吹き飛んだ。
「うっ、この……糞ッ!」
飛んできた仲間の身体を受け止めつつ、鎖帷子姿の衛兵が呻くように言った。実力差は圧倒的であり、やみくもに突っ込んでなんとかなる相手ではない。しかしさりとて逃げるわけにもいかないのが、勤め人の辛いところだった。
「上手くできているな。うまくできている。うん」
そんな彼らをしり目に、あくまでオルトリーヴァは冷静に自身の行動に評価を下していた。屋敷に突入してそこそこの時間が立ったが、今のところ誰も殺していないし状況も有利に進んでいる。問題は何もない。
「オオニシ」
「なに?」
「オルトリーヴァはこのあたりで防戦している。オオニシは引っ掻き回してくれ」
「わかった」
剣や棒を振り回せる程度のスペースはあるとはいえ、ここは廊下。二人並んで戦うにはあまりにも狭い。いったん大西には離脱してもらい、遊撃をやってもらった方がいいだろうという判断だった。
大西自身もそれに異論はない。いつもの通りの表情で頷き、駆け出した。
「まてっ!」
開いた扉から様子をうかがっていたフルプレートメイル姿の騎士がそれを見て追いかけた。がちゃがちゃとうるさい足音が周囲に響き渡る。魔法で筋力を増強しているのだろう、装備は相当重いだろうに、その動きは極めて俊敏だった。
それを無視して、大西は走る。そして角を曲がるなり、台に置かれていた青銅製の大きな燭台を手に取り急ターン。疾走の勢いをそのまま利用し、後から現れた騎士へ燭台のフルスイングをお見舞いした。
「グワーッ!」
十数キロ以上はあろうかという馬鹿でかい燭台で思いっきり殴打されたのだ、その衝撃は尋常ではない。凄まじい破壊的な音と共にプレートメイルの装甲が潰れ、騎士は地面に背中から転がった。大西はそのまま燭台を投げ捨て、またも駆け出す。
とはいっても、あまり遠くへ行くわけにはいかない。状況次第ではオルトリーヴァの援護に戻らなくてはならないし、その逆もしかりだ。目的はあくまで敵の攪乱なのだから、近くを走り回りながら手近な敵を殴り倒せばよい。適当な扉にあたりをつけ、突入する。
「ほう」
侵入した先は、台所のようだった。逃げ遅れていた若いメイドが尻もちをつき、あわあわと言葉にならない声を上げている。
「失礼」
この状況で非戦闘員に手を上げるような真似は大西とてしない、一礼して害意が無いことを示すが、すぐに自分が入ってきたドアに顔を向けた。敵が侵入してきたのだ。部分鎧姿の騎士だ。
「おおっと……」
ちょうどすぐ近くに、テーブルに乗った皿があった。無造作に掴み、投げつける。
「このッ!」
飛来した平皿を、騎士は腰から抜いた長剣を抜いて叩き落とした。白磁の割れる強烈な音が室内に響き渡った。
もちろん、迎撃されるのは予想の上だ。大西は地面を蹴り、騎士に猛烈な速度で肉薄した。騎士は振りぬいた剣から即座に手をはなし、短剣を抜いて対応しようとする。剣を返していては間に合わないという判断だ。賢明な行動であったが、しかしそれでも大西の方が早かった。
「うッ……!」
顔面に強烈なストレートパンチ! 騎士は吹っ飛ばされ、部屋から飛び出したあげく廊下の壁にぶつかって気絶した。
しかし危機は去っていない。旗幟を殴り倒した大西の背中を、いつの間にかスルリと接近した先ほどのメイドがナイフで吐いた。恐ろしく滑らかで鋭い突き。気配を消して背後に忍び寄ったことといい、明らかに暗殺訓練を受けた玄人の動きだ。どうやら先ほどおびえて見せたのは演技だったらしい。
「おお」
さしもの大西も多少驚いた風であったが、しかしそれでも対処は冷静だった。いつの間にか手に持っていた食事用のフォークでナイフの刃を受け、まるでソードブレイカーか何かのようにからめ捕る。手首をひねられ、メイドはナイフを落とした。
大西は振り返りつつ、鋭いジャブをメイドの顔面に放つ。彼女はそれを右手で払いつつ、左手で自らの黒いロングスカートをふわりとめくり上げた。艶めかしい光景が眼前に広がったが、それに見入っている暇はない。メイドはガーターベルトに挟んでいた鞘から素早くナイフを抜き放ち、鋭い突きを放つ。
「ふっ」
まだ持っていたフォークでそれを弾く。細腕に見合わない強烈な一撃だった。金属製のフォークの切っ先が欠け、腕がびりびりと痺れる。筋力増幅を使っているらしい。
「随分とテーブルマナーのなっていない方です事。わたくしが一から教えて差し上げましょうか?」
そのうえ軽口まで叩けると言うのだから尋常ではない。変幻自在の素早いナイフ捌きで大西を攻めたてつつ、メイドはニヤリと皮肉げな笑みを浮かべた。
「え、いいんですか。いやあ嬉しいな、あまりフォーマルな場に出たことが無くて……お暇なときにぜひお願いしたいですね」
対する大西は、フォークでナイフを防ぎつつ、本気なのかおちょくっているのかわからないような顔でそんなことを返す。
「暇なときなんて、まあ。そんな釣れないことをおっしゃらずに、今すぐにでも」
「それはこちらが忙しいので、勘弁していただきたく」
お喋りしつつも、攻防は激しさを増すばかりだ。空中でナイフとフォークがぶつかり合い、火花を散らす。互角に見えた打ち合いだったが、その終わりは以外にも早く訪れた。
メイドがナイフを掃った拍子に、大西の左手がこれまでとは比べ物にならない速度で閃いた。真上から振り下ろされたフォークがメイドの袖を捉え、釘のようにテーブルへと打ち付けられる。
「なっ……!」
メイドは顔色を変えたが、もう遅い。大西は胸ぐらをつかんで足をからませ、ぐいと力を入れた。袖の記事が破れる音と共に少女は空中で一回転し、背中を床にしたたかに打ち付ける。
「ぐっ、ゲホッゲホッ!」
さらに追撃とばかりに大西がメイドの薄い胸を体重をかけて勢いよく踏んだ。骨が折れたりしないよう手加減こそしているが、それでも急所への一撃でありメイドは激しくせき込む。大西は容赦なく彼女の足を掴み、更に入口から侵入しようとしていた衛兵に向けてその身体をモノのように投げつけた。
「ふむ」
悲鳴の二重奏を聞きつつ、大西は頷く。どうやら、この屋敷では非戦闘員に見えても油断はしない方が良さそうだ。毎回うまく奇襲を防ぐことができるとは限らない。十分に注意すべきだろう。
フォークを投げ捨てて、大西は自然な手つきで食器棚から数本のナイフを手に取り、腰のベルトに差した。もちろん戦闘用の大きなものではなく、食品を切りわけるための小さなものだ。武器と呼ぶにはあまりにも頼りないが、無いよりはましだ。いつも持ち歩いているナイフは既に使い切っていた。
「おうおう、随分と好き勝手やってくれてるじゃねえか。ここは手前の家じゃねえぞ?」
と、そこで酒焼けした壮年の男の声が聞こえた。目をやると、先ほどメイドたちが吹っ飛ばされていったドアから、一人の男が入ってきていた。革製のジャケットを羽織、腰には細身の長剣が二振り。凡百の兵士とは明らかに違う、強烈な殺気を放っている。
「それは失礼しました。用が済みましたら、さっさと退散するので」
「馬鹿ぁ言え、生きて返すかよ」
ウォーカーだ。彼は深い深いため息をつきながら、すらりと両手で二本の剣を抜いた。二刀流だ。窓から入った光が刀身に反射し、ぎらりと輝く。
「ったく、面倒な事になったもんだ」




