第三章十三話
「まったく、無茶だわ」
ハリエットは憤慨した。開け放たれた窓からは、上弦の青い月から放たれる微かな光が差し込んでいる。既に灯りは落とされ、部屋にそれ以外の光源は無い。
ここは、エルトワール邸の客間だ。質素な作りで、狭い室内には古びたベッドが四つ並んでいる。そのうち二つはすでに埋まっていた。スフレとオルトリーヴァだ。双方、気持ちよさそうな寝息を立てている。
「同感です」
と、なれば返事をできるのはただ一人ヌイだけだ。窓際のイスに腰掛けた彼女は、視線を外に向けたままそう答える。
「とはいえ、無茶はいつものことです。私は腹を決めましたよ」
「流石冒険者」
肩をすくめるハリエット。
「とはいえ、もとはといえばわたくしの身から出た錆びよ。巻き込んでしまって、ほんとうにごめんなさい」
「そうやって謝れる人に、瑕疵があるあるとは思えません。あなたも被害者なのでしょう」
「それは……」
目を逸らしたハリエットに、ヌイは顔を向けて微かにほほ笑んだ。
「困ったときは、お互い様だと……すくなくとも、私はそう思います」
もっとも、他の方がどう考えているのかは知りませんが。そう続けるヌイ。その笑顔があまりにもまっすぐすぎて、ハリエットは思わず顔を逸らした。
「それに、です。無茶と言っても、オオニシができると言っているんです。だったら大丈夫ですよ」
一見頼りなさげに見えても、まったく底が見えないのが大西という男だ。今まで彼は、出来ると自分で言ったことは一見達成不可能に見えても必ずやり遂げてきた。で、あるいじょうヌイにはいまさら彼に文句をつけるつもりはさらさらなかった。
「随分とカレを信頼しているのね。こんな雑な作戦が、そう簡単に成功するとは思えないのだけれど」
作戦と言っても単純なものだ。大西とオルトリーヴァが正面から屋敷に突っ込み、その隙にヌイとハリエット、そしてスフレが裏手から侵入してスイフトを救出する。ハリエットによれば、彼が捕らえられているであろう場所はだいたい予想できるとのことだ。
シンプルといえばその通りだが、おおよそ作戦と呼べるほど上等な戦術ではない。成功すれば確かに大西たちは自由の身で、ハリエットも物騒な連中に追い回されることはなくなるだろう。しかし先にフランキスカが宣言した通り、エルトワールは表立っては支援してはくれない。コトが終わった後の処理はなんとかできると言っていたが、それも成功が前提の話だ。
「信頼と言うかなんというか」
苦笑を深め、ハリエットは再び視線を窓の外へ戻した。眼下に見えるのは、練兵場。そこには、幾人かのエルトワール騎士たちと組み手を行っている大西の姿があった。もうかなり遅い時間だと言うのに、まだ練兵場には結構な数の騎士が残っている。
「できないことははっきりできないと言うのが彼ですから。状況を見極める目は、しっかりしているんですよ」
「そうかしら? とてもそういう風には見えないけれど……」
むしろ、無茶なことに積極的に突っ込んでいく人種なのではないだろうかと、ハリエットが目を細める。
「ええ。私にはわかります」
「そ」
実際、大西に底知れない部分があるのは確かだ。自分より付き合いの長いであろうヌイがそう言うのであれば、あるいは事実なのかもしれない。何にせよ、うまくいかなければ破滅しかない。
もはやハリエットにも、脱出案をこれ以上推すつもりはなかった。確かに逃げ出したところで身の安全が保障されるわけではない。たんに寿命が多少のびるだけ、ということも大いにあり得る。ならば原因そのものを叩きに行くと言うのは、彼女にとっても魅力的に考えだ。協力を惜しむつもりもなかった。
「……もし、万事が上手く行ったら」
「はい」
「あなたたちの冒険についていきたいわ、わたくし」
「ああ、そんな話もしていましたね」
ハリエットの身柄を守る代わりに彼女が働くというはなしは、既にしてあった。治癒魔法の使い手は非常に希少だ。スフレが用いる魔法とはまた別系統の技術であり、聖術とも称されるこの手の魔法は戦闘時のバックアップとしては非常に心強い。ヌイとしても彼女の参入に異論はなかった。パーティーに二名も妖魔が居るのがバレるのは大きなリスクだが。
「昔から冒険者にあこがれていたのよ、わたくし。冒険譚や英雄譚の本も、何冊も持っているわ。でも……」
ハリエットは目を逸らした、小さく息を吐いて、続ける。
「正直に言えば、そうそう上手くいかないかも。あなたたちが何も失敗しなくともね。なんというか、その、わたくし、結構フクザツな立場だから。お父様、多分反対すると思うの」
「事情が多い人ですね」
肩をすくめるヌイ。その顔には、朗らかな笑みが浮かんでいた。
「ま、最初から貴族の御令嬢さまがすんなり下々に混ざって冒険者稼業なんて出来るとは思ってはいませんよ、私も。対価さておきは話半分で、ふりかかった火の粉を払うため協力しているだけにすぎません」
言葉の内容に反して、その口調は驚くほど温かみのあるものだった。思わずハリエットが視線をヌイに戻す。
「とはいえ、少なくともこの件が終わるまでは、私たちとあなたは仲間です。ですから、大概のことなら協力できます。せっかく状況が大きく動くのです。厄介事は、一気に清算しておいた方が楽ですよ?」
「正論ね。有難い言葉だわ」
大西とはまた違った意味で、この娘もずいぶんと変わった人間だとハリエットは苦笑する。嬉しい提案ではある。しかし、だからこそもろ手を上げてそれに頼るわけにはいかない。彼女とて自分の境遇に不満は持っているが、この件はそれこそヌイや大西たちとはまったく無関係だ。さらに面倒事を押し付けるわけにはいかない。だからこそ、彼女は自分の事情を話す気すらなかった。
「でも、大丈夫よ。気にしないで。事情と言っても、大したものじゃあないから」
「そうですか?」
一瞬眉を顰めかけてから、ヌイは笑みを作って答えた。
「なら、いいのですが」
「ええ。気持ちだけで十分よ。ありがとう」
ハリエットは微笑み返した。そして座っていたベッドから立ち上がり、ヌイのもとに歩み寄る。窓の外に目をやった。
「なに、まだやってるの」
「はい。まあ、普段からこんな感じですよ、オオニシは」
練兵場では、大西が男女合わせて三人の集団相手にたった一人で優勢に立ち回っていた。全身鎧姿の大男が錐もみしながら吹っ飛ばされる。
「鍛錬は結構好きみたいで、飽きもせず毎日」
「へえ。コトを起こすのは明日なんでしょう? 今日くらい、休めばいいのに」
「私もそう思いますが、好きにさせてます。こういう時は強情なので」
「いつだって強情に見えるわ、わたくしには」
「そうでもないのですが……」
ヌイは窓から目を逸らし、肩をすくめた。
「まあ、放置しておきましょう。それこそ、私たちも早く寝るべきでしょうから」
「そうね」
神妙な顔で頷きつつ、ハリエットは窓を閉めた。




