第一章六話
王都に到着して初めての夜が明けた。放し飼いになっている鶏のけたたましい鳴き声にたたき起こされるようにして、大西が目を覚ました。
「ふぁあああ……」
大きな欠伸を一発。そして折りたたんでいた身体をゆっくりと起こし、大きく体を伸ばした。そして、ゆっくりとあたりを見渡す。だたっぴろい敷地にびっしりと立ち並ぶ四角い石碑が目に入る。墓場だ。大西は、墓地の端に接地されたベンチに座っていた。ベンチのある場所の四方には木製の柱が建てられ、上には雨避けと思わしきわらぶきの簡素な屋根が設けられている。
大西は、野宿をしていたのだ。収入のアテもないのに宿を取るのはなんだか不安であったため、こういう手段を取ることになった。この墓地の休憩所は、一応屋根もついているし、なにより静かだ。上等の寝床だと、大西は考えていた。
「んー」
立ち上がって、屈伸。続けて手足の筋を伸ばす。空腹気味な所以外は、きわめて快調だった。柔軟を手早く済ませ、ベンチに座りなおした。
ジャケットやズボンのポケットに手を突っ込み、中身を取り出す。手帳、ペン、百円ライター、財布、スマホ、ハンディサイズのマニ車。そして、ヌイからもらった金の入った袋。何かを取られた形跡はない。
「棄てるか……」
既に充電が切れて起動しなくなったスマホを茫洋とした目で見ながら、大西がつぶやいた。おそらく、元居た世界に戻らない限り充電の機会は二度とないだろう。電線どころかガス灯すらないのだ、この街は。最早何の役にも立たなくなったモノを持ち歩き続けるような趣味は、大西にはない。
「ふむ……」
とはいえ、ポイ捨てするわけにもいかない。おとなしくスマホをジャケットの胸ポケットにしまい、次にヌイからもらった袋を取り出した。口を縛っている紐を躊躇なく解く。
「アルミでもニッケルでもないか。銀?」
中には、いくつかの硬貨が入っていた。その中の一つを取出し、朝日にかざす。銀色にピカピカ光るそれは、百円玉と同じくらいの大きさで、だいぶ重かった。これが四枚。さらに小さな一円玉くらいの銀貨が二枚と、後は青銅製らしき硬貨が、そこそこの量。
「……」
果たしてこれらの貨幣が、どの程度の価値があるのか。大西にはさっぱりわからなかった。とはいえ、ヌイの発言からして、そこまでの大金でもあるまい。とにかく、これらで当面をしのぎ、職を手に入れなければならない。そしてそこで稼いだ金で装備を整え、冒険者になる。それが大西の目標だった。
「さて……」
まずは、服装から整えることにしよう。郷に入っては郷に従え、だ。そう思いながら、大西は袋をポケットに突っ込みながら立ち上がった。
「ふーむ」
それから一時間ほどたった。行き交う人々で賑わう午前の大通りを、大西が唸りながら歩いていた。現代日本で言えば片側三車線くらいに相当するであろう広い道路は丁寧に石畳で舗装されており、その左右には平屋や二階建て程度の大きさのレンガ造りの家が立ち並んでいる。そして路上には、食べ物や小物などを売る露店などが軒を連ねていた。
歩いている人は大概が金髪や赤毛、栗毛の白人種に見える。ただ、時折頭に獣めいた大きな耳をつけている者や、異様に背の低い、がっしりした体系の男性など、見慣れぬ人種もそこそこ目にすることができた。
「……」
はて、あれはいわゆるドワーフと言う奴だろうか。目線に気付かれないよう注意しながら、大西は貧弱なファンタジー知識を総動員して当てはまりそうな種族名を思い出していた。
ほんとうに異世界に来てしまったんだなあと益体のないことを考えている大西の格好は、例の目立つ運送会社のジャケットではない。亜麻布のさっぱりした白いシャツと、丈夫そうな麻のズボンを穿いている。周囲を見回すだけで、何人も同じような格好をしている人が見つかるほど、無難な服装である。先ほど、古着屋で購入したものだ。どうやらこの世界、新しい服は結構な値段がするため、庶民は古着を着るのが普通なようだ。
「針子って稼げるのかな」
裁縫ならそこそこ出来るけどなあ、などとぼんやり考えつつ、肩にたすき掛けした大きな革製のカバンをゆっくりさする。これは背負い紐が二つ付いており、リュックとしても使える優れもので、古着と同時に購入したものだ。とはいえ、中身はスマホや、最早紙切れ程度の価値しか発揮しない日本銀行券が入った財布だけだ。すられたりひったくられたりしないよう、本命の財布は身体に密着させて隠し持っている。
「おう」
そうこうしているうちに、目的地にたどり着いた。冒険者ギルドだ。三階建ての大きな建物で、入り口は巨大な観音開きの扉がしつらえられている。扉は解放されており、武装した荒くれ風の男女がひっきりなしに出入りしていた。
建物の横に大きな看板が掲げられていたが、そこに描かれている文字は大西には読めなかった。言葉は学ばなくても理解できるのに、不思議な話である。とはいえ、建物自体の雰囲気や、出入りする人たちの人相から、ここが冒険者ギルドなのはわかる。
「……」
大西がゆっくりと腰のポケットに手を入れた。中に入っているマニ車をそっと撫でつつ、思案する。場所の確認は終わった。内部も見ておきたいところだが、用事もないのに入るのは憚られる。数秒考えて、まあいいやと諦めた。そしてするりと近くにあった露店の前に移動し、店主に話しかける。
「二つ、いただけますか」
「どーも。二つで十シュリングでいいよ」
財布を取出し、大きな銅貨を渡した。露天には、リンゴめいた形状の赤い果実が山積みされた木箱がいくつか置いてある。
「ちょうどはないのかい?」
「おつりはいらないですよ。その代り、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですが」
「ふむ、何かね?」
果実を受け取り、かじった。間違いなくこの実はリンゴであるものの、品種改良された現代のリンゴと比べればはるかに原種に近いものだ。果肉の糖度は低く、そして酸っぱい。だがそれでも、大西は笑みを浮かべたままそれを咀嚼し、飲み込んだ。
「なかなかイケますね。……ここでお店を開くのって、どうやったらいいんです?」
「露天かい?ははぁ……」
店主の髭親父がにたりと笑った。何本か抜け落ちた汚い歯が露わになる。
「簡単な事さ。向こうの、ほれ」
髭親父が座っていた丸太を短く切っただけの簡素な椅子から立ち上がり、遠くを指差した。そこには、冒険者ギルド以上に大きな、漆喰壁の建物があった。周りは赤いレンガレンガそのままの建物ばかりだから、非常に目立つ。
「あそこの役所で税を払えばいいのさ。そこそこ高い上に、一日毎に払わなきゃいかんがね」
「なるほど。ありがとうございます」
一礼し、ゆっくりと歩きはじめる。酸っぱいリンゴを二つ、歩きながらペロリと片付けた。朝食にしては貧相だが、仕方ない。昼食は肉も炭水化物も取らなければ、と頭の中でごちゃごちゃと考えつつ、向かう先は雑貨屋である。
しばらく歩くと、それらしい小さな建物を見つけた。木製の簡素なドアを開け、中に入る。
「らっしゃい」
小柄な、髪に白いものの混ざった中年男が、やる気なさげな声で言った。店内は狭い上に薄暗かった。小さな天窓から入る陽光だけが、所狭しと並んだ棚を静かに照らしている。大西のほかに、客らしい人はいなかった。
店主に一礼し、店内を回る。普通のコンビニの半分くらいの狭い店だったが、品ぞろえはそこそこ良さそうだった。木製の簡素な棚には、鍋やオイルランプ、ナイフやら雨天用の外套やら、さまざまな物品が収められている。
「うん」
お目当てのものを見つけて、大西がゆっくりと手に取った。長方形の、大きな砥石だった。当たり前だが、結構に重い。両手で優しくそれを持ち、検分する。日本でよく見る人工砥石ではなく、しっかりとした天然もののようだ。ただ、あまり上等のものではないように見える。切り出し方も雑で、角はぎざぎざしていた。気にせず、それを持ったまま歩き出す。
そのほかにも、小さな木槌や木製の小さな棒など、いくつかの小物を探しだし、すべてを購入する。所持金が一気に半分以下になった。それでも、大西はあまり気にせず、物品を鞄に入れ、店を出る。目指すは当然、露店の店主に教えてもらった役所である。
「……こんな感じでどうでしょ?」
それから数時間後、大西は路上に座り込み、冒険者らしき革鎧姿の男に短剣を手渡していた。彼の前にはどこからか借りてきた水の入った桶と、濡れた砥石が置かれている。
「ん、悪くねえな」
短剣の刀身は見事にとがれ、日光を反射してぴかぴか光っていた。水気は完全に拭き取られ、代わりに薄く油が塗られている。明らかに、刃物の手入れになれた人間のやり方だった。
刃物を扱う職業は数多い。当然、その手入れも仕事の内だ。いろいろな職業を渡り歩いてきた大西にとっては、この手の作業は慣れたものである。そして冒険者相手に武器の手入れをすれば、その装備を間近で確認することができる。金は稼げるし、これから揃えていくべき装備も見えてくる。一石二鳥の商売だと、大西は客の男から金を受け取りながら考えていた。
ちなみに、受け取った金は大きい方の銀貨一枚だ。千シュリング銀貨というらしい。短剣の研ぎの手入れがどの程度なのか、大西にはさっぱりわからないが、とりあえず男は文句を言っていないので、適正、あるいは安めなのだろう。
「ふう……」
小さく息を吐きながら、天を仰いだ。いつの間にか、太陽は中天近くまで上っている。稼ぎは上々……というわけではないが、冒険者ギルドのすぐ近くの路上という立地が幸いしてか、何人かの客は捕まえることができた。
黒っぽく汚れた砥石に、手で桶から水をくんで上からかける。透明な水があっという間ににごって流れ、石畳の間にしみこんでいった。今着ている服を買った古着屋で仕入れてきた、最早服としての用をなさないボロ着で手を拭く。
「……」
王都の西大路は、朝よりも人通りが増えている。それにつられるように、露店の呼び込みも激化している。喧騒が、街全体を包んでいるようだった。そんな中で、大西はひとり、道路の端に座り込んでいる。ふと、遠くの空に目をやった。馬鹿でかい尖塔が、日を浴びてその白亜の壁を輝かせていた。真っ白い鳥が数羽、真っ青な大気を泳いでいる。
降り注ぐ陽光は暑いくらいなのに、不思議と妙な寒々しさを感じて、大西が肩を震わせた。
「もし、そこの男。少しいいか」
「はい?」
声をかけられ、意識が戻る。目をやると、そこにはさっき見た空よりも更に青い青い瞳をもった長身の女が立っている。長い赤髪が、風に吹かれて旗のように揺れていた。
「貴様、もしやニホンジンではないか?」