第三章十一話
「アブナイじゃないの!」
ハリエットは大いに憤慨していた。大西の投擲した槍が彼女のすぐそばを通過して行ったからだ。万一当たっていたら間違いなく命に関わるスピードだった。
二人は今、あの戦いがあった区画からやや離れた路地を急ぎ足で歩いている。流石にあそこまで派手に戦えば、人気のない通りとはいえすぐに騒ぎになるだろう。余計なトラブルが起こる前に離れる必要があった。完全に気絶したノアたち四人は、その場に放置してある。
「ごめんなさい」
素直に大西は謝る。本人としては絶対に当てない自信があって行ったことだが、しかし本人に恐怖を与えてしまったのは事実だ。
「逃がすわけにはいかなかったんです。二、三日は喋れないようにしておかないと不味い」
「乱暴ね。でも、確かに余計な情報はながしたくないわ……」
彼らには変装した姿を見られている。その情報が向こうに回れば、二人は更に動きづらくなるだろう。もっとも、今回は容易に発見されてしまった以上この変装にどれほどの効果があるのかは疑問だが。
「まったく、貴方に頼らなければ何もできない自分が歯がゆいわ。わたくしこそ、謝るべきね」
「向き不向きは誰にでもありますから」
「不向き、ね。確かに荒事は向いてないわ」
他人に暴力を振るった経験など一度もないのがハリエットという少女だった。実際のところ、目の前で行使された大西の激烈な暴力に対して恐怖心を抱いていないといえば嘘になる。だが、本来自分の身は自分で守るべきだ。護衛を雇おうにも、無い袖は振れない。今は履行するアテもない空手形を使ってこの男に荒事を押し付け、なんとか逃げ延びられているにすぎないことも理解している。
「それはさておき。……そろそろ目的地です」
そう言って大西はハリエットの手を引いて裏路地から飛び出した。そこは、広い割に人気の少ない通りだった。周囲には豪邸と言える建物がいくつも並んでいる。ずんずんと我が物顔で道路を歩く大西は、やがて一軒の家の前で立ち止まる。フランの屋敷だ。
「ちょ、ちょっと」
多少質素で古びているものの、十二分に大豪邸といえるその屋敷の門をノックもせずに開ける大西の肩をハリエットが慌てて叩いた。
「ど、どこなの、ここ」
「説明が難しい場所です」
それだけ言ってすいっと屋敷に入っていく大西。いまだに手を掴まれたままのハリエットはついていくほかなかった。
「んおっ、誰だテメェ」
そんな彼らを出迎えたのは、ちょうどエントランスを歩いていたガンダルフだった。胸部だけを覆う古びた鉄製のプロテクターを普段着の上から装着し、鉄板めいた大剣を背負っていた。
彼は眉を顰め、腰に差してある短剣の柄に手を添えた。臨戦態勢だ。
「オオニシです。分かり辛くて申し訳ない」
変装しているのだからこの対応も致し方あるまい。大西はカツラを取って一礼した。こえは変えたものから元の物へと戻しておく。
「マジかよ……マジだわ。やっぱりさっさと逃げたしてきたワケか」
「ええ。殺されかけたので慌てて逃げてきました」
仁王像めいたいかつい顔に笑みを浮かべるガンダルフに、大西は笑顔で返した。
「投獄云々が伝わってるってことは、やっぱりこっちに皆が?」
「ああ、そうだ」
「よかった。全員無事ですか」
「当然だ。お前の身内だ、無碍にはしねえよ」
「ありがとうございます。いつもお世話に成ってすみませんね」
暇な時にはこの屋敷を訪れ鍛錬をしている大西は、彼らエルトワール人とそこそこ仲良くなっていた。そのことをスフレは知っているのだから、頼るとしたらここに来るだろうと言う予測だった。とはいえスフレはエルトワールが好きではないようだったから、こちらに来ていないと言う可能性も十分にあった。運が良かったと胸をなでおろす大西。
「なあに、そのうち熨斗つけて恩は返してもらうからよ。そら、ついてこ……いや、話がこじれるな。まずは変装を解け。そっちのガキンチョもだ」
「ガキンチョ」
いきなり妙な呼び方をされたハリエットが渋い表情になる。たしかに彼女は背が低く、そしてガンダルフは身の丈二メートルの大男だ。彼からすれば、たしかに子供に見えるのかもしれないが……。とはいえ、このいかにも物騒な男に抗弁するほどハリエットは無謀ではなかった。おとなしく歩き出した彼の背中についていく。
「カレ、どういうお知り合い?」
代わりに、隣を歩く大西に小さく耳打ちした。どう見てもカタギではない相手だ。関係も気になるというものだった。冒険者かとも思ったが、ここはどう見ても貴族の邸宅だ。そんな場所を冒険者が我が物顔でうろついているはずがない。グリフィン騎士団と同じような連中ではないかというのが彼女の予測だった。
「友人? 試合相手? まあ、そんな感じですかね」
「思ったより真っ当な返答で少し困る」
この底知れない男のことだから、またけったいな返答が来るとばかり思っていたハリエットが苦笑した。
「ほれ、さっさと化粧も何も落としとけ。いちいち会う奴会う奴の説明すんのも面倒だろう」
炊事場にやってきたガンダルフが振り返りながら言う。炊事場と言っても、水瓶や台、かまどくらいしかない簡素なものだ。今はだれも使っていないらしく、がらんとしている。
「わかりました、お気づかい感謝します」
実際、ここまで戻ってくれば変装の必要はもうない。大西は有難くその言葉に従うことにした。
「アネゴォ! 案の定自分で出てきやがったみたいっすよ!」
それから十数分後、ガンダルフは執務室のドアを乱暴に開け放った。バタンと扉が跳ね、ぱらぱらと埃が舞う。執務机の書類の束が崩落しかけ、座っていたフランキスカが慌ててそれを押さえた。
「いいタイミングだ! だが主君の部屋に入るときはもっと丁寧にせんか痴れ者がァ!」
「蹴破られなかっただけありがたく思ってくださいよ」
主従とは思えないやり取りをしり目に、執務机のすぐそばに立っていた者たちと大西の目があった。スフレたち三人だ。どうやら、何かの話をしていたらしい。
「オオニシ! 出て来ちゃったんですか!?」
いの一番にヌイが声を上げた。フランの頼みもあって街で情報収集をしていた彼女だったが、探偵でもない彼女がロクな情報を掴めるはずもない。むしろ何度か危ない目にもあったくらいだった。
捜索が煮詰まって会議をしていた最中に大西が現れたものだから、その驚きもひとしお……と、いいたいところだがそのうち彼が脱獄してくるのではないかという予想はすでにしていた。その表情は再会の喜び半分、苦笑半分と言ったところか。
「さすがに殺されるわけにはいかなかったから仕方なくね。いや、状況を甘く見てた。反省反省」
ごめんねえと、大西は気楽に笑う。物騒な発言だがその声音は極めて穏やかなものだった。
「殺される!? まーた不穏なことを言うな。やっぱりろくでもないトラブルだったわけかい、ええ?」
仮面の下で渋面を浮かべているのがありありとわかる声でスフレが言った。その視線は大西ではなくハリエットに向けられている。小さなレンズ越しでもわかるその鋭い視線に、彼女は思わず目を逸らした。
「かもね。ハリエットさん、申し訳ありませんが、また説明をお願いしても?」
「嫌ぁよ、あまり何度も話したいことじゃないの。あなたから伝えて頂戴。伝えたことは全部喋っても構わないから、ね?」
「おー、ずいぶんとよろしい態度だ。かまわん、放り出せ」
スフレがオルトリーヴァにむけて手を振った。その断崖絶壁めいた冷たい態度にオルトリーヴァは苦笑し、大西の方を見た。
「どうする、やるか? オルトリーヴァは別にそれでも構わない」
「どうしようね」
「不穏な態度を取るのはやめなさい。わたくしが悪かったわ」
「最初からそういう態度を取っておけばいいんだ」
スフレは腕を組んだ。頷きつつ、顎を小さく動かして先を促す。不承不承、ハリエットは事情を話すことにした。
「なるほど、だいたい分かった」
ハリエットが大西にしたものとほぼ変わらない内容の説明をし終えると、一番先に口を開いたのはフランキスカだった。彼女は雑然とした執務机に無理やり作ったスペースで頬杖をつき、続ける。
「要するに内紛か。下らぬ……」
「チャンスですよ姉御! 内部がゴタゴタしてるなら、その隙をつけば簡単につぶせる! あのエーカー家となりゃ随分と溜めこんでるはずですぜ!」
「貴様自分たちを盗賊か何かと勘違いしておらぬか」
深い深いため息をつくフランキスカ。
「話がこじれる。しばらく黙っておれ」
「へい」
威圧感の籠った声に、ガンダルフは身を縮めた。これ以上余計なことを言えば洒落にならないほど痛い目にあうだろう。彼もフランとは長い付き合いだ。引き際は心得ていた。
「そ、その……わたくしも名乗ったのですから、よろしければ貴方様のお名前をお聞きしても? さぞや名のあるお方に思われますが」
「そうだな、余も名乗っておこう。フランキスカ・ルード・エルトワール。エルトワール大公である。覚えておいて損は無いので覚えておくように。よいな」
「え、あ、はい。畏まりましたわ……」
エルトワール。その名前を聞いてハリエットは頭を抱えた。そして非難がましい視線を大西に向けたあと、萎むような声でそう答えた。
「うむ。で、本題であるが」
「そう、本題ですが」
ヌイがフランに強引にかぶせるようにして言った。フランキスカが半笑いになり、肩をすくめる。
「結論として、どうします?」
「どうすると言われても……黒幕をぼてくりこかして無罪放免、慰謝料がっぽりというのが理想だよね。上手くいくかはさておき」
その言葉にガンダルフが口をつぐんだままうんうんと頷いた。ヌイとハリエットは顔をしかめ、スフレが無言でマスクの表面を撫でる。オルトリーヴァはどうでもよさげに大西を見ていた。
「相手は大貴族ですよ? そんなやくざみたいなやり方、通用するはずがありません」
「その通りよ」
「いやあ、まあ、いっそその方が丸く収まるかもしれぬな」
当然のごとく否定的な意見を述べるヌイたち。しかしそれを止めたのは、以外にもフランキスカだった。
「聞けば本当に巻き込まれだけではないか。時には引くのも戦のうちではあるがな、だからといって退きつづければ勝てる戦も勝てなくなる」
「大公らしいご意見ですな。ええ、ボクとしても同感です」
「スフレ、あなたまで」
今までの態度から、安全策を取るとばかり思っていたスフレまでそんなことを言うものだから、ヌイの眉間にしわが寄った。
「いやしかしだ、実際のところ地の果てまで逃げると言うのはおもしろくないと思わないかい? まさか王都から出ただけで追跡をあきらめてくれるような連中じゃあないだろう。何らかの方法で手打ちにすべきだ」
「かといって生半可な交渉では向こうは諦めはせぬ。そしてあいにく余は交渉ごとは苦手故な? ならばもう武力に訴えると言うのも仕方あるまいよ」
そう言ってから、フランは腕を組んだ。
「とはいえ我らが表立って手を貸すのもな。なかなか難しいものがある……貴様が正式に余の部下になっておれば、いくらでも大義名分は作れたのだろうが」
「こうして相談に乗っていただけるだけでもありがたい限りですよ。それに全員ここに居たということは、やはりフランさんが保護してくれていたわけでしょう?」
「とはいっても、まったく何もしておらぬが。刺客の一人でも送ってくるかと心配しておったが、なしのつぶてよ」
これは、大西が即日脱走などということをしでかしたせいで、グリフィンにヌイたちの捜索をするほどの余裕がなかったからだ。いまだにシェリルはヌイたちがエルトワールによって保護されたことを把握してすらいない。
「何事もなくとも、何かが起こるリスクを背負ってもらったことが有難いので」
そう言う大西に、フランは「ま、下心もあるからな」と肩をすくめる。
「それはさておき、なんにせよ余は打って出るべきだと思うが。貴様は反対か?」
言葉の矛先はヌイだ。ハリエットをのぞけば、彼女が唯一の反対者だった。
「はい。実現性が薄いのではないかと。勝てない戦いに挑んで全滅なんて、馬鹿な行いだと私は思います」
「勝てない、か」
その言葉にフランキスカは笑った。大型肉食獣を思わせる獰猛な表情だった。
「ならば、勝てる見込みがあるのならば良いのだな?」
「え、ええ」
「ならば良し。戦は余の得意とするところ、少しばかり策を授けてやる。有難く拝聴するがよい」




