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第三章十話

 王都の大通りは今日も今日とてひどく混雑していた。大西とハリエットはそんな中を、ゆっくりとした足取りで歩いている。大西は例の優男風の格好、そしてハリエットの方も黒髪のカツラや町人風の地味な服で最低限の変装をしていた。

 

「こっちで合っているの?」


「ええ」


 ハリエットの小さな問いに、大西が至極簡潔に答える。例の廃鐘堂を発ってから、もう十回目になるやり取りだった。ヌイたちと合流するという目的は定めたものの、肝心のその手段については大西は何も言わなかった。どこかで落ち合うアテでもあるのだろうかと考えつつも、こういった状況に慣れていない彼女は不安を隠せずにいた。

 もちろんそれは、追われているというプレッシャーから発したものだ。当面の危機は脱したとはいえ、あれほど派手な脱獄を行ったのだ。グリフィン騎士団、そしてハリエットの妹━━シェリルもこれまで以上に念を入れて捜索に当たるだろう。油断できる状況ではない。

 

「おそらくは」


「あなたね、もうちょっと確証を持った発言はできないのかしら」


 曖昧な言い方の多い大西に辟易しているハリエットはため息をつく。戦闘ではすこぶる頼りになるし、いろいろと準備もいい。本来なら大変に頼りになるはずの人間なのに、妙に不安に感じてしまうのは彼の人柄のせいか。

 

「実際確証があって歩いているわけではないので。こっちに居たらいいなあ、って」


「……」


 ハリエットは額に手を当てた。眉間には深いしわが寄っている。文句の一つでも言いたい気分だったが、群衆に紛れている手前あまり目立つような行動をするわけにもいかない。

 

「まあ、大丈夫ですよ。どうにもならなかったらどうにかします」


「もう。信じているわよ」


 とはいえここまで来て大西と別れて行動する気はハリエットとしてもない。この男がやたらと強いのは事実だし、恩義も多少以上には感じている。

 息をゆっくりと吐いて、ハリエットは周囲を見回した。長閑な陽光に照らされた王都の白い街並み。種族も性別も年齢もバラバラな無数の群衆。彼女にとっては、新鮮な景色だった。緊張とはまた別の意味で、鼓動が跳ねる。

 

「ふん」


 鼻を鳴らす。よく考えてみれば、ハリエットは逃亡中出来るだけ一目のつかないルートを選んで進んでいた。こんな大通りを堂々と歩くのは初めてだ。悪くない気分だと思う一方、こんなことができるのは今のうちだと考えると憂鬱になった。遠方に逃げ延びられたとして、逃亡者である以上太陽の下を堂々と歩けるような生活は送れないだろう。

 

「こっちへ」


 そんなことを考えていると、ふいと大西が進路を変えた。建物の間の狭い路地へと入っていく。地面を焦がすような日差しに照らされた大通りとは一転、周囲を高い建物に囲まれた路地は薄暗い。

 

「ど、どうしたの」


 せっかく気分がよくなっていたというのに突然これだ。現実に引き戻されたハリエットが少し震えた声を出す。

 

「尾行ですね」


 対する大西は、極めて穏やかな声音で言った。ちょっと散歩に行ってくる、くらいの気楽な言い方。

 

「び、尾行?」


「ええ。鼻の良いのが居るみたいで。いや、参りました」


「参ったって、貴方。どうするの」


「さて」


 どうしましょうか。そう言いながら、大西は困ったように笑った。背筋に冷たいものが走り、ハリエットは体を震わせた。

 

「有難い。自分から人気のない場所に行ってくれるとは」


 グリフィンの騎士の一人、ノアは獰猛な笑みを浮かべた。要所を金属で覆った軽鎧をまとった、短槍を担いだ男だ。彼は自分のすぐ前を歩くマントで全身を覆った少女の肩を叩く。

 

「お手柄だぞ、ミラ」


「えへへ、運が良かったみたいです」


 少女は、栗色の髪に覆われた頭からぴょこんと飛び出した犬めいた耳をぴくりと動かしつつ笑う。彼女ら犬人族は嗅覚が非常に鋭い。容姿をいくら変えたところで追跡は容易だった。

 

「オジョウサマはともかく……あの男の方は何物かしら。まさか、ヤツの変装……?」


 そう言ったのは、ダンクの後ろを歩くエルフの女だ。彼女の首元には痛々しいアザがある。大西に宙吊りにされたあのエルフだ。

 

「お前の話とは随分違う容姿じゃねえか、モコ。マジで変装ってんなら相当の腕前だぞ」


「わからない。本当に別人かも。なんにせよ、油断はするべきじゃない」


 腰のレイピアの柄に手を当てつつ、モコは唸った。運よく死を免れた彼女は、ハリエット……そして大西の捕縛に並々ならぬ情熱を燃やし、本来なら療養必須の身体を押して捜索に加わっていた。すべては仕返しのためだ。あの忌まわしい異邦人を許すつもりはさらさらない。

 

「だろうな。これ以上オジキに恥をかかせるわけにもいくめぇ」


「まったくだ」


 頷くのは、バンダナをハチマキのように頭に巻いた陰気そうな革鎧の男だ。腰にはショートソードを佩いている。

 

「二回もヘタこくじゃねえぞ」


「クロノス! すまねえな、口の減らないやつで」


「いや……本当のことよ。非難は甘んじて受けるわ」


 小声でそんな話をしつつ、ノアたちは大西を追って入り組んだ路地を進んでいく。彼らには十分な土地勘がある。どれほど複雑な道に入りこまれようとも、撒かれない自信があった。

 勿論、油断などしてはいない。手練れがハリエットの護衛についていることは既に周知されている。冒険者として十分な経験を積んでいるノアたちは、軽口をたたきつつも最大限の警戒をしつつ行動していた。にもかかわらず、だ。


「……ッ!?」 


 唐突に最後尾を歩いていた軽戦士……クロノスが声にならない悲鳴を上げた。彼の喉には、大西の強靭な腕が巻きついていた。万力めいて頸動脈が締め上げられ、クロノスはしめやかに気絶する。

 

「なっ!? どこから……ッ?」


 多少距離が離れた状況で追跡していたとはいえ、追い越した記憶など全くない。ほんの十秒ほど前にもこの男の背中を見ている他の打。それが突然に背後から奇襲してくるとは、いったいいかなる手品を使ったのか。

 そう考えつつも、流石にノアはいっぱしの冒険者だった。狭い路地裏で長モノは不利と一瞬で判断した彼は即座に短槍を棄てるや、ベルトから大ぶりな手斧を抜き放った。

 

「この野郎!」


 意識を失ったクロノスが地面に崩れ落ちるのと同時に、ノアは手斧で切りかかってきた。歴戦の冒険者らしい鋭い一撃。だが大西はそれを斧の側面を裏拳で叩き落とすことで対応し、それと同時に蛇めいた動きで左の貫手を放った。二本指のみを構えたそれはノアの喉元に突き刺さり、かれはたまらず後退する。

 

「うっ」


 背中が民家の壁にぶつかった、。まずいと直感するのと同時に、大西のストレートパンチがノアの顔面に炸裂。レンガの上から漆喰を塗った丈夫な壁に大穴があき、土煙を上げながらノアは屋内へと吹っ飛んで行った。

 

「よくもッ!」


 ミラが叫んだ。彼女の手には小型のクロスボウが握られている。グリップに取り付けられたレバーを引くと、ダーツほどのサイズの矢は射出された。それも一本だけではない。五連射だ。

 

「連弩、なるほど」


 決して命中精度の良い代物ではなかろうが、閉所で至近距離だ。全弾回避は難しい。そして防具もつけていない大西がこれを食らえば大ダメージは必至だ。しかしそれはあくまで、直撃すればの話。彼は三発を素早く回避し、避けきれない二発を指でキャッチした。

 

「そんな……ッ!」


 サブウェポンのナイフを抜こうとするが、大西の方が圧倒的に早い。五メートルの距離を一瞬にして詰め、強烈な蹴りを腹に見舞う。サッカーボールのようにミラの身体は跳ね飛んだ。

 三十秒足らずの凶行だった。そして尾行者の最後の一人、モコは既に大西の腕前をある程度知っていた。だからこそ、正面から立ち向かうような真似はしなかった。クロノスが気絶した段階で、彼女は路地の向こうへと駆け出していた。

 

「いかんいかん」


 間違っても逃がすわけにはいかない。急いで追跡に回る大西だったが、彼女の目的は逃亡などではなかった。

 

「これで形勢逆転ね!」


 曲がり角を走り抜けた大西が目にしたのは、ナイフの刃をハリエットの首元につきつけたモコの姿だった。彼女のその端正な顔には引き攣った笑みが浮かんでいる。

 

「助けて!」


 叫ぶハリエット。大西が唐突に消えたかと思うと、あっというまにこんな状況になってしまっていた。彼女は状況を理解しきれていない。

 

「もちろん」


 大人しくしなさいとわめくモコを無視し、大西は常と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。腰のベルトに素早く手を当てる。そこに挟んであった銅貨を引き抜き、指で弾いて飛ばした。弾丸めいて飛翔した硬貨は狙いたがわずモコの額に突き刺さる。

 

「ンンッ!?」


 七グラムもある銅貨を急所に喰らった彼女は、まるで本当の銃に撃たれたようにひっくり返って倒れた。

 

「オラァーッ!」


 エルフを仕留めた大西の背後に、ズタボロのノアが襲い掛かった。今度は槍を持っている。突き出された穂先を振り向きざまにキャッチした大西は、流れるような動作でノアに肉薄し急角度のアッパーカットをその二つに割れたアゴへと打ち込んだ。何本もの歯と血をまき散らしながら彼は真上にふっとんでいく。

 

「あ、ああ、いやあ……ッ!」


 勝てるビジョンが見えない。額を抑えながらふらふらと立ち上がったモコが凄まじい速度で駆け出す。今度こそ策など無い逃走だった。

 

「おおっと」


 言うなり、大西は無造作に掴んだままだった槍を投げた。棒立ちのままのハリエットをかすめたそれは、モコの長いマントの裾を地面に縫い付ける。

 

「うぐっ! あ、あ、あ━━!」


 盛大に転倒して土まみれになったモコは慌てて立ち上がろうとしたが、すでに手遅れだった。すぐ近くまで肉薄した大西の姿を目にした彼女は、股倉に温かい感触を覚えた。一日ぶり二度目の失禁が彼女の鮮やかな青いズボンを汚す。

 

「た、助け……」


 命乞いを言い終わる前に、モコの意識は鳩尾への強烈なキックで強引に刈り取られることとなった。

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