第三章七話
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実際のところ、屯所自体からの脱出は極めて容易なミッションだった。駐在している騎士団員の数はあまりにも少なく、そして練度も不足していた。おまけに油断もあった。旅先で何度も拘束され、そしてそのたびに自力で脱走を繰り返してきた大西を拘束しておけるような施設ではなかったのだ。
見張りを殴り倒した大西は一直線に出口をめざし、そして敵に見つかると即座にこれを制圧した。身を隠すことなど考えていない最短距離の脱出行。狭い施設だったのが幸いし、外部への脱出にかかった時間は十分にも満たなかった。騎士団の本部が事態を把握したのは、大西たちが完全に自由の身になってからだ。
「ど、どこへ向かっているの? いやに迷いのない足取りだけれど……」
というわけで、大西とハリエットは王都の裏路地を歩いていた。人気のほとんどない狭く寂れた通りを真っ赤な西日が照らしている。入り組んだその場所を、大西はまるで地元民のようにスイスイと進んでいく。おっかなびっくりその後ろをついていくハリエットは不安そうな声で聞いた。
「とりあえず、補給です。もうそろそろ連中も事態を把握する頃です。こちらも体勢を立て直さないと」
「補給?」
当たり前だが金銭の持ち合わせは無い。大西も再開した時があんな滑腔だったから、大して持っていないのはわかる。奪った服のポケットに財布でも入っていたのかもしれないが、どうみても下っ端なあの男が大金を持ち歩いていたとは考えにくい。ハリエットは眉間にしわを寄せながら、大西のシャツの裾を引っ張った。
「そんなことより、早く逃げましょう? また捕まったら、今度こそ殺されるわ。わたくしも、あなたも。王都から早く出ないと……」
グリフィンは新興の騎士団だが、この広い王都からハリエットを見つけ出すくらいの組織力はある。そのことは彼女自身が一番よくわかっていた。王都の中に居ては逃げ切れない。
「逃げませんよ、僕は。用事が済んだら、貴方だけ逃がす手伝い位はしてもいいですが……」
「どうして? あなたが強いのは知っているわ。でも、だからって騎士団そのものを相手にするのは無茶すぎる。勝ち目なんかこれっぽっちもないわ……!」
裾を引っ張る力を強くする。大西が立ち止った。彼は穏やかな笑みを浮かべてハリエットの顔を見た。
「だって浴衣デートですよ浴衣デート……美少女と! 邪魔なんかさせません。お祭りまでに決着をつけます」
「爽やかな笑顔で頭のおかしいことを言うのはやめて頂けるかしら!」
どこの世界にデートを中止したくなくて騎士団にケンカを売る奴がいると言うのか。ハリエットは激しく憤慨した。
「貴方がいくら奇人変人でも、命の恩人には違いは無いわ。無駄死にはよして頂戴。生き残れたのなら、わたくしがデートでも何でもしてあげるから……あの愉快なお仲間たちと一緒に、逃げましょう?」
大西の戦闘能力は自分の目で確認しているから信頼がおけるし、その仲間と言うのなら他の三人も十二分に戦えるだろう。そういう連中と一緒に逃亡できるなら、自分の安全も確保できる。そんな下心もあったが、心配だと言うのもまた事実だった。
彼、彼女らが悪人ではないというのはよく理解している。自分のトラブルに巻き込んで命でも落とされたら、一生後悔するだろう。
「嫌です」
「即答ね!」
そんなことだろうと思っていたハリエットは地団太を踏んだ。説得が通用しない相手なのは、あの夜の事件からして明白だ。
「貴方の安全は確保します。大丈夫です」
「大丈夫じゃないのはあーなーたー! それとお仲間! 大事なカノジョに怪我でもされたら困るでしょう! まして命の危険だって十分あるのよ」
「三人いれば大丈夫でしょタブン……いざとなれば脱走だけなら余裕ですって、タブン」
「多分ばっかりじゃないのよ!」
「いやまあ……でも、ある程度はケースバイケースですよ。場合によっては逃げます」
そういって、大西はハリエットの肩をポンポンと優しくたたいた。
「そのためにも、まずは情報を整理しましょう。昨夜ああいっておいて申し訳ないのですが、状況が変わりました。知っていることは可能な限り話していただきたい」
「……そうね。身内の恥だから、あまり話したくなかったのだけれど……四の五の言っていられる状況じゃないのは確かだし」
いっそのことすべての事情をぶちまけたほうが説得しやすいだろうと考え、ハリエットは頷いた。
「丁度、目的地に尽きました。ここなら落ち着いて話せると思います」
そう言って大西が指差したのは、ボロボロの廃鐘堂だった。
「……こんな場所に、何があるって言うの?」
地面に腰を下ろしたハリエットがいぶかしげに聞いた。ここは鐘堂の中庭だ。十数年は手入れをされていないであろうそこは、雑草が好き勝手に生い茂った荒れ放題の状態だった。小さなリンゴの老木以外は、特徴的なものなど何一つない。
「必要なものがあります」
大西はそう言って、迷いのない足取りでリンゴの古木へと歩み寄った。手には錆びまみれのエンピ(関東ではスコップ、関西ではシャベル。空を飛ばない物だけを指す)が握られていた。老木の前に立ち、そのまま真後ろに振り返る。そこから西に五歩、南に十七歩正確に歩いた。
「ここか」
言うなり、大西はエンピで地面を掘りはじめた。草が生い茂っているものの、意外とその土は柔らかい。あっという間に目的の物を掘り当てた。小ぶりな衣装箱だ。エンピを横に置き、手で優しく掘り出す。防腐剤の塗られた木目が夕日に照らされて露わになる。
「なに、それ」
「こんなこともあろうと用意しておきました。最低限必要なものは全部揃えてあります」
衣装箱を開ける。そこには何着かの服や変装用と思わしきカツラ、何かが入った革袋など、さまざまなものがミッチリと詰め込まれていた。あからさまに緊急時を想定した品々だ。偶然ここにこんなものが埋まっていたはずはない。大西自身が、事前に用意しておいたモノだろう。
その中から一揃い、革ひもで編まれたサンダルを取り出してハリエットに手渡す大西。彼女はいまだに素足だった。それを受け取りつつも、ハリエットは思わず言ってしまう。
「な、なんで用意していていたの? ……まさか、あなたどこぞの諜報員?」
どこに非常時を見越して変装道具だのなんだのを隠し持っておく一般人が居ると言うのか。たしかに、この男は見るからに異邦人だ。どこぞの国が放った工作員だとしてもおかしくは無い。
「違います。旅先で頻繁にトラブルに巻き込まれてたので長期滞在する場所ではこうやっていつでも脱出できるように準備しているだけです」
「そんな馬鹿な話があるはずないでしょ」
「そうですか?」
「そうよ」
とぼけた表情の大西にため息をついて見せてから、ハリエットは肩をすくめた。ここで問答していても仕方ない。事実がどうあれ、いまはこの男に頼るしか生き延びる方法は無い。
「とりあえず、今後の方針を決めましょう。状況は一刻を争います。時間は我々の味方ではありません」
「……そうね。確かにそうよ」
「ですので」
大西は、土まみれになった手を掃った。
「先ほども申しました通り、よろしけれこの件に関する事情などを聴かせていただきたいのですが」
「わかった。わかっているわ」
ハリエットは憮然とした表情で腕を組み、またため息をついた。
「包み隠さず教えてあげるから、しっかり聞きなさい」




