第三章四話
「なにっ、オオニシが捕まっただとぅ!」
自らの執務室で、フランキスカは大声を上げた。立派な椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、机に山と積まれた書類の束をバシンと両手で叩く。
「残念ながら」
不機嫌そうな声で答えるのは、机の前に立ったスフレだ。その背後には所在なさげなヌイと興味深そうにあたりを見回すオルトリーヴァが居る。
透明化で何とか一人だけなんを逃れたスフレは、買い物に行っていた二人と合流するとフランの館を訪ねた。というのも、大西たちを連れて言った連中がどう見ても正規の騎士団だったからだ。正規の騎士団と言うことは公権力が相手だ。のんびりとしていれば自分たちにも飛び火してくる可能性は十二分にある。その前に、自分の知り合いで最も偉い人間であるフランに庇護を求めることにしたのだ。
「相手はどこのどいつなのだ? パトリックか? それともシュナイダーの糞爺か!?」
「知りませんよこの国のお貴族様なんて……グリフィン騎士団とか名乗ってましたが」
「グリフィン騎士団? ううむ。どこかで聞いたことがあるような……」
「姉御、グリフィンといやあエーカー伯爵が最近組織した連中ですぜ」
口を出したのは、フランのそばに控えていたガンダルフだ。彼はそのたくましい腕を組みながら指を振る。
「おお、そうだそうだ。思い出したわ。貴様ともあろう男がよく覚えていおったな? 褒めて遣わす」
「ハハァ、聖銀級冒険者の野郎が、郎党もろともお抱えになったってんで記憶に残ってたんすよ。そうそうあることじゃあありやせんからね」
得意げに語るガンダルフ。
「しかしエーカー伯爵家か……小狡い爺だったか? いや、そいつは先日死んでおったような」
「妙にあいまいな言い方ですね」
眉間にしわを寄せながらヌイが言う。貴族と言えば日々熾烈な権力闘争を行っているのが普通だ。そんな状況では、当然綿密な情報収集が重要になってくる。まして伯爵と言えばそこそこの大物であり、それを忘れているとはいったいどういうことだろうか。
「興味のない相手なぞ記憶に残らんわ」
そっぽを向きつつ拗ねたように言い捨てるフラン。
「おいスフレ。なんでみんなこんなにギスギスしているんだ……?」
オルトリーヴァがしゃがみ込むようにしてスフレの耳元に口を寄せるとそう聞いてきた。状況が分かっているのかいないのか、彼女は大西が捕縛されたと聞いても平然としたままだった。
「オオニシのことが心配だからだ。相手が相手だし、なにより何で捕まったのかもわからないのは不気味だ。原因はあの胸デカ女なのは間違いないが……」
ハリエットが侯爵暗殺を企てた下手人で、それと一緒に居た大西もその仲間だと思われているという可能性だって十分あるのだ。証拠などなくとも、貴族の偉い人がそうだと考えれば哀れな平民の命など容易に吹っ飛ぶ。ここはそういう国だ。
「なんとか手を打たなくちゃいけない。油断できる状況じゃないぞ」
オルトリーヴァがハリエットを背負って歩いている姿は当然近所の人たちに目撃されているだろうし、大西のみならず自分たちにまで捜査の手が及ぶ可能性は十分ある。それに、大西を取り返すことも諦めていなかった。ずいぶんと面倒なことになるかもしれないと、スフレは覚悟していた。
「オオニシだぞ。別にそう気にしなくても大丈夫だろう……。オルトリーヴァと互角に戦えるんだぞ?」
のんびりとした口調のオルトリーヴァ。尖った爪で自らの頬を掻き、ちらりとフランキスカに目をやる。
「随分と強そうな知り合いもいるみたいだし。ヒトもあそこまで凄いのが居るものだな。オルトリーヴァは驚いたぞ」
スフレにしか聞こえないような小声でそう言う。
「ヒトの社会は力押しだけで何とかなるほど単純じゃあないんだよ」
こちらも小声だったが、フランは異様に耳聡かった。その発言に合わせるように「そうだ」とはっきりした声でピシャリと言う。スフレの肩がびくりと震えた。
「やみくもに戦いを吹っかけては敵を増やすだけだ。ましてオオニシはまだこちらの身内と言うわけでもない。助けてやりたいのは余としてもヤマヤマだが、今出来ることは精々……」
そこまで言ったところで、ガンダルフが執務室の窓の鎧戸を開けた。その先に広がっていたのは中庭、つまりは練兵所。何人もの戦士たちが鍛錬をしているそこへ身を乗り出すと、彼は叫んだ。
「野郎ども、カチコミだ! とりあえず今動ける奴は全員武装して集合しろ!」
「何をやっておるのだバカモノぉ!」
即座にその真っ赤な頭をフランがぶん殴る。凄まじい音を立てて身の丈二メートル近い大男が床にたたきつけられた。
「何って準備ですよ! エーカー家つったら金持ちでしょう? 都合よく手ェだしてきたんだから、殴り返してがっぽり儲けるチャンスじゃありやせんか!」
「そんな考え方しておるからエルトワールが蛮族蛮族と馬鹿にされるのだ痴れ者め! おい馬鹿、こんな時だけ異様に早く集まるでないッ!!」
最後の言葉はガンダルフではなく練兵所に向かって発した言葉だ。どうやらガンダルフの言葉に従って戦士たちが集まりはじめたらしい。いくつものブーイングの声が窓の外から聞こえてきた。
「大公! 訓練ばっかじゃ体が訛りますよ!」
「敵はどいつなんです!? 俺に殺らせてくだせぇ!」
「ええい解散だ解散! 敵なぞまだおらぬ! 余計なことはするでない!」
ひどく野蛮な声に負けじと言い返すフラン。
「おもしろいヒトたちだな」
「ヤバい連中の間違いだろ」
「聞こえておるぞ。まったく……」
獣のような唸り声を上げつつ、フランは倒れていた椅子を戻して座った。
「なんにせよ、今は動かない方が良い。まずは情報収集だ。無関係だと判断されて問題なく帰ってくる可能性と手十分あるのだ。その場合はむしろ余計なことをしてしまう方が不味い」
腕を組んだフランがそう言う。豊満な胸が強調されるその姿勢にオルトリーヴァが「ほう」と小さく感嘆の声をあげた。
「とはいえ、常に最悪の結果を予想して動くと言うのも大切なことだ。余とてみすみすあ奴を失うつもりはない。可能な限り、余も協力しよう」
「ありがとうございます」
ヌイが深く頭を下げた。正直なところ、ヌイ自身自分たちだけではどうしようもない事態だと言うのは理解していた。力ずくで奪還というプランも考えないではないが、ここは王都だ。自分より強い相手などいくらでも居る。ドラゴン……オルトリーヴァという心強い味方は居るが、彼女とて所詮は幼龍。集団でかかられればどうしようもないかもしれない。
お尋ね者になるというリスクもあることだし、それは最後の最後の手段だ。政治力……はなさそうだが、権力を持った人物が協力してくれると言うのは心強い限りだった。
「しかし、まさかこんなことになるとは。私の考えが甘かったようですね……」
頭を振るヌイ。人助けだと簡単に考えて招き入れた客が、ここまでのトラブルを持ち込むとは流石に考えていなかった。ごく最近、自らも行き倒れて助けられた経験があるせいで、目が曇っていたのかもしれない。
「ヌイ、そう言うならば直接あれを連れてきたオルトリーヴァが悪い。厄介なことが起きてもオルトリーヴァとオオニシが解決する。安心しろ」
「そのオオニシが捕まっているんですが」
その言いようがおかしくて、ヌイは思わず笑ってしまった。最初こそ苦手意識を持っていたこのドラゴン娘だが、最近はあまり嫌いになれずにいるヌイだった。
「ま、反省点があるならオオニシが帰ってきた後じっくり話し合えばいいだけさ。今うじうじ考える必要性は微塵もない。切り替えていこうぜ?」
「ええ……そうですね」
「話はまとまったか?」
穏やかな、しかしよく通る声でフランが聞いた。三人がコクリと頷く。
「善し。今やるべきことは、情報を集めることである。エイガー伯爵家に」
「エーカー伯爵ですぜ姉御」
「そう、エーカー伯爵家についてのな。残念ながら、我々はその手のことを調べられる情報網を持ってはおらぬ。手の空いている者を街に出そうと思うが……」
「わかってますぜ姉御。詳しく事情をしってそうな奴をブチのめして話を聞けばいいんでしょう?」
「良いわけがあるかアホタレめ!」
苦悩に満ちた表情でため息をつくフランキスカ。彼女の部下はこんな連中ばかりだった。情報収集に出したところでろくなことにはならないだろう。
「こんな調子だから、期待はできぬ。貴様らの身の安全を考えれば、この屋敷にかくまってやりたいところではあるが……すまぬが協力して貰うぞ」
「わかっています。いいえ、むしろ私たちのほうこそ当事者なのですから、率先して動かなければなりません」
大西のことをまるで身内のように良い、自分たちを客人として扱うような態度に若干頬をひきつらせつつも、ヌイは頷いたのだった。




